2008/10/5  9:23

捕虜収容所  分類なし

私の店の初代が亡くなった年、明治三十七年は
日露戦争勃発の年でもありました

その時二代目は35歳の働き盛りでいよいよ製茶から酒類への
変貌が始まった頃でもあります

その頃の東福寺はどんな様子だったかと言うと
実は日露戦争のロシア兵捕虜収容所として活用されていました

捕虜収容所と聞くと虐待や拷問が繰り広げられていたかに思えてしまいそうですが
ロシア兵をむしろ保護するような役割で
優雅にのんびり過ごしていた様です

クリックすると元のサイズで表示します

自分達で楽器を作り綺麗な庭を見ながらそれを演奏し、
戦争が終結すると「お世話になったね」「ありがとね〜」って感じでしょうか
楽器を東福寺に残して自国へ帰って行かれた様です

実はこの私、未だ海外へ行ったことは一度も無いのですが
二代目は当時にしては珍しくロシアへ渡った事があるそうです

東福寺にいたロシア兵達と何らかの接触が関係しているのか否かは
今の私には興味のあるところです

楽器の作り方でも教えてもらえば良かったのに。。。



この記事へのトラックバックURL

RSS1.0