2008/3/31  10:36

書店に寄ってチヨット嬉しかったこと。  分類なし

H20・3・30(日) 
 午前中は自宅の片付け。午後は大岡川沿いの桜の写真でも撮りに行こうかと思ったら、生憎の雨。そのまま事務所に行き、郵便物の確認。
 先日行った「死刑」についての鼎談が掲載されている「実話ナックルズ」の五月号と、鈴木邦男さんの新刊が届いていた。その外、メールのチェックなどしてから伊勢佐木町の有隣堂に行き月刊誌のコーナーを覘いてみたら、嬉しい事に私の原稿が掲載されているものが四誌もあった。ほしい本が何冊かあったが、懐具合と相談して次の機会にした。自宅近くのスーパーに寄って夕食の買い物を済ませてから帰宅。
 夕食の後は、久し振りにTSUTAYAにてDVDをレンタルした。
 「ボーン・アルティメイタム」というアクションものを楽しんでから就寝。
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 「実話ナックルズ」の五月号です。

2008/3/30  9:19

結局は徹夜となった。  分類なし

H20・3・29(土)
 結局は徹夜になって、布団に入ったのは朝の八時。昼まで寝てやっと遅い食事。
食後に、原稿の校正と機関誌の準備。
 二時過ぎに、大行社の岡理事長から電話が入って、過日、一緒に食事をした中華飯店で昼食でも。というお誘い。家族でお邪魔する。
 中華飯店の「モツ炒め」とシュウマイ、ムシドリは私の好物だが、岡理事長は鳥がニガテである。結局、二人で昼間からビールを飲んでしまった。食後、政友皇志会の綿谷政孝会長とお会いしてお茶。その後帰宅。
 風呂に入って、八時近くの夕食の後に寝てしまった。

2008/3/28  23:01

私の編集の主眼。  分類なし

H20・3・28(金)
 八時半に起床。朝食もブリの刺身ととても豪華である。正午に大井町駅前の喫茶店で優政会の西山会長と待ち合わせていたので保土ヶ谷から品川に行き、一駅戻るつもりでいた。所が、何を考えていたのか、品川から山手線に乗ってしまい一駅戻ったら、大崎??、乗り間違えたのかと思って東京方面に乗ったら、今度は田町。ここで山手線ではなく京浜東北に乗らなければならないことに気がついて、慌てて乗り換えた。二十分も遅刻してしまった。いやはや我ながら情けない。
 一時間ほど打合せをしてから、大行社の本部へ「大吼」の事務的な打合せに行く。私が編集責任者となった「大吼」が以前のものとガラッと変わっているので、それを見たある方から「驚いた。単なる民族派の機関誌を目指すのか」という手紙が届いていた。
 私は、論文主体の雑誌は、かつてのように社会、共産主義運動が全盛期の時ならば、意義もあったのだろうが、「保守の時代」となって、巷には「正論」「諸君」「月刊日本」「WILL」「サピオ」といった雑誌が民族派の機関誌より過激な論文を掲載している時に、同じような主張を繰り返していたのでは、メジャーな雑誌にとても太刀打ちできないのではないと思っていた。
 それよりも民族派が何を考えているのか、民族派運動の現在は、さらに若手活動家に発言の場を提供し、その登竜門とすること。これ以外に生き残る道はないのではないかと、考え、「大吼」の編集をお引き受けした。
 かつての私達が若手であった時代に刺激された「愛国戦線」「青年群像」「新勢力」「論争ジャーナル」といった雑誌のように・・・。
 どうか、¥4、568円のご支援を伏してお願いいたします。
 
 四時過ぎに帰宅。手紙を四通書いてから夕食。その後、原稿に向かわなければならないので、二時間ほど寝て、起きたのが十時半。今夜は、これから徹夜になりそうだ。

2008/3/27  23:19

取材を受けました。  分類なし

H20・3・27(木)
 良い天気である。午前中から事務所へ。道すがら、桜がほぼ満開となっているのには驚いた。花や景色を愛で、眼福を重ねているうちに、知らずに歳をとって行く。
桜を見ると、必ず野村先生の、
 祖国の涙のように 桜が散る
 誰もしゃべるな 桜が散っているから
の二句を思い出す。
 今日は、午後一番で共同通信社からの取材があった。宮崎学さんから紹介された方だが、過日報道された日教組大会をプリンスホテルが「右翼の抗議行動」を理由に会場の使用を断った件や、映画「靖国」の上映を中止した映画館があったことをどう思うか、というもの。
 このプリンスホテルの件に関しては、右翼の行動を「騒音公害と貶められてたまるか」という文章を一水会の木村三浩氏が今月号の「レコンキスタ」に書いている。是非読んでいただきたい。(一水会のホームページで読めます)
 何も会場を借りられないのは日教組だけではない。最近はホテルや公共施設からも民族派関係の行事が締め出されるという傾向にある。特に任侠団体の人たちは、たとえ家族と食事に行ってもホテルから断られるという現実もある。
 これは明らかに人権問題ではないだろうか。
 残念ながらマスコミは、そういったことに触れようとはしない。日教組が会場を断られた事が問題であるならば、我々の集会もホテルの使用が難しいという現実にも触れてもらいたいものだ。
 「粉砕」「断固阻止」と言う言葉は、左右の共通語である。以前、「つくる会」の歴史教科書の採択を巡って、反対する側からの執拗な抗議によって、その教科書の採択をためらった学校や教育委員会がいくつもあった。これも左翼の「粉砕」「断固阻止」の勝利の結果だろうし、今回のプリンスホテルの問題も、右翼の側の「粉砕」「断固阻止」の勝利の結果と考える人がいても不思議ではない。
 日教組が、これまで行ってきた、戦後教育の姿が果たして正しかったのかどうか、と言うことを保守といわれる人たち、もちろん右翼も参加して討論したいと、むしろ日教組の側から提案するような勇気を持ってもらいたいものだ。
 私は、反権力、反体制の学校の先生がいたって構わないと思っている。しかし「反日」では、教えられる子供がかわいそうだ。
 戦後、あれほど隆盛を誇った左翼運動があったにも関わらず、彼らの理想とするような国家にならなかったのは、国民が反権力、反体制は容認しても、反日であることだけは認めなかった結果だと思う。
 取材が終わったのが正午過ぎだというのに、子供達との約束があって、食事もさせずに記者氏を帰してしまった。宮崎さんに合わせる顔がない。次回は、是非、「中華飯店」の「モツそば」を食べて頂きたいと思っている。
 
 夜は、四国は八幡浜市を拠点に運動している柳生秀成氏よりとても見事なブリをご恵送頂いた。到底、わが家だけでは食べきれないと思っていたところに、偶然にも、松本佳展君や志村馨君などが来訪したので、皆で刺身、ブリ大根、ヅケなどにして堪能した。しかし松本、志村の両君はほとんど酒を飲まないので、私もお付き合いでお茶にしました。あと三日はブリを楽しめそうだ。
 浪人暮らしが板についているせいか、こういった差し入れは涙が出るほどありがたい。四国には、友人、同志の方が多い。いずれまた訪ねてみたいと思っている。

2008/3/27  19:19

私が編集した「大吼」が完成いたしました。  分類なし

H20・3・26(水)
 午前中は事務所にて、私が編集責任者となって初めて完成した「大吼」の発送。原稿を頂いた諸先生へお礼の手紙を入れたり、マスコミ関係者への贈呈など、忙しかったが、やはり新しい雑誌が出来上がるのは嬉しい。ご興味のある方は是非ともご購読をお願い致します。年間購読料は¥4568です。(年四回発行)
 郵便振替 00150-7-661239 椛蝎瘴o版
 午後は、歯医者へ。夜は、町内の親父達との恒例の飲み会を、自宅の近くの焼肉や「清水苑」にて行った。適度に飲み食いして十一時に帰宅。

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2008/3/26  22:18

向井正志烈士の追悼法要に出席  分類なし

H20・3・24(月)

午前中は自宅で資料整理。午後は二時から谷中の淨聖寺にて今月の五日の早朝に国会議事堂の前にて拳銃自決をした向井正志烈士の追悼法要が有志らによって執り行われるので出席のため東京行き。

以前のブログにも書いたが、自決に臨んで向井烈士が携えていた福田総理とマスコミに宛てた建白書が警察当局の手によって隠蔽されまったくその内容が伝わらない。
サミットを控えて事件が伝播するのを恐れた結果だろうが、ひどいことをするものだ。
お寺には百名以上の同士の方々が集まって読経に合わせて向井烈士の遺影に手を合わせた。

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その後、有志らと鶯谷駅の近くの居酒屋で直会。青年思想研究会の近藤勢一先生、杉山清一先生といった酒豪や今日の法要の代表者である山口申、四宮正貴、犬塚哲爾、木村三浩の諸先生らや、横山孝平氏といった若手の活動家とで献杯。まだ明るいうちからの酒は少々気が引けるが、まあ弔い酒だから仕方がない。五時過ぎに解散して京浜東北線で横浜へ。今日は、七時から高杉茂氏の店「弥平」にて恒例のヨンドン会がある。ここの所、飲んでいなかったので堰が切れたように怒涛のような一人酒となってしまった。
九時過ぎに解散。帰ろうと思ったら久しぶりに政友皇志会の綿谷会長から電話が入り、福富町に転戦。さすがに飲み疲れて十一時過ぎに帰宅。医者もくそもあるものかと、久しぶりの大破・轟沈。

2008/3/25  1:30

金玉均先生の墓前祭に出席。  分類なし

H20・3・22(土) 
 良い天気である。早目に起きて、東京行きの仕度。今日は、午前十一時より、青山墓地において朝鮮の志士、金玉均先生の墓前祭が催され、私も発起人の末席を汚しているので出席した。
 私は、かつて角田房子さんの「閔妃」を読んで以来、金玉均について少々学んだ事がある。しかし日韓併合史などに興味が無いと金玉均がどのような人であったかを知る人は少ないのが現実であろう。そこで、簡単な略歴を「wikipedia」から写して見た。
 
 金玉均は1872年に科挙文科に合格。朴珪寿、呉慶錫らの影響で開化思想を抱いた。1882年2月から7月まで日本に遊学し、福沢諭吉の支援を受ける。留学生派遣や朝鮮で初めての新聞である『漢城旬報』の発行に協力。
 日本の明治維新を模範とした清朝からの独立、朝鮮の近代化を目指した。1883年には借款交渉のため日本へ渡り、翌1884年4月に帰国。清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのを好機とみて、12月には日本公使の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こす。事件は清の介入で失敗し、わずか3日間の政権で終了した。井上角五郎らの助けで日本に亡命する。日本亡命中には岩田秋作と名乗っていた。
 日本では東京や札幌、小笠原諸島などを転々とした後、上海に渡る。1894年3月28日、上海で閔妃の刺客洪鐘宇にピストルで暗殺された。遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で曝された。
 遺髪と衣服の一部は金玉均を敬愛していた日本人和田延次郎が密かに日本に持ち帰り、葬儀を浅草寺で営んだ。さらに、犬養毅らの支援で東京の青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。墓碑には朴泳孝の撰文、興宣大院君の孫である李呵O(イ・ジュンヨン)の書で以下が刻まれている。
 「嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死...(以下略)」(ああ 大変な時期に たぐいまれなる才を抱き 大きな功績を残せず 無情の死...)※可読性のため、原文に読点を挿入した。

 頭山興助、山口申、阿形充規の諸先生のご挨拶の後に、神事を行った。神官は大東塾の福永武氏。その後、針谷大輔氏が墓碑文を朗読し、最後に実行委員長の木村三浩氏の挨拶で滞りなく終了した。
 終了後は、青山の「藪」で直会。体調が悪かったので中座して帰宅。そのまま布団に入って横になっていた。

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 金玉均先生の墓前にて。

2008/3/24  12:54

五十七歳になりました。  分類なし

H20・3・21(金) 
 個人的なことで恐縮ですが、今日は私の五十七歳の誕生日です。早生まれなので本当は五十八歳の人と同級生である。この歳になると早生まれで一歳若い、ということがとてもありがたく感じる。
 午前中は、防共挺身隊の佐久間五郎氏と待ち合わせて、お世話になっている方にご挨拶するために新宿行き。夕方から新橋駅頭にて街頭演説会を催すとのこと。横浜に戻ってから午後一番で歯医者へ。
 夕方は、一水会の木村三浩氏の出版記念会が赤坂の自転車会館にて開催されるので出席のために、また東京行き。
 五時に、新橋駅にて国防青年隊の渡邉淳司会長と待ち合わせて、街宣中の防共挺身隊の佐久間氏らに挨拶。
 五時半、自転車会館着。会場は木村氏の交際を示すように右から左、国会議員の先生などで立錐の余地もないほど。加藤紘一、平沢勝栄、鈴木邦男、猪瀬直樹の諸氏が祝辞を述べた。
 終了後は、大行社の三本菅会長のお世話で六本木へ。岐阜の細川先生、松山の矢野隆三会長、山平重樹氏、渡邉淳司会長、徐裕行氏などで一献。有り難いことにここで、私の誕生会をして頂いた。そこにベロベロになった花房東洋、伊藤好雄の両先輩が乱入。
 そろそろ怪しい雰囲気になってきたので十一時少し前にお暇した。
 横浜に戻り、サリーズバーに顔を出し、いつものメンバーで歓談。結局自宅に戻ったのは二時を回っていた。
 三本菅会長。サリーズバーのファミリーの皆さん。社友の湯浅進、松本佳展の両君。大悲会の志村薫君。名古屋の読者の福井英史さん。旭川の石澤博文君。札幌の梶浦直樹君。同じ北海道は岩内郡の尾崎修さん。富士山の麓で晴耕雨読の夏威辰徳さん。成田功さん。古谷喜久男さん。堀善太郎君。九州は天草の大野康孝さん。沖縄の我那覇、林の両氏。細川嘉彦先生。佐久間五郎さん。毎年ステキな万年筆を頂くWさん。お世話になっている毘沙門寺岡さん。
 様々な形でのお見舞いや、励ましのメッセージ。そして誕生日プレゼント、お祝いのメッセージを有難うございます。皆様からのご好意を無にすることなく努力致しますので、今後共、ご指導とご鞭撻の程を宜しくお願い致します。

2008/3/24  12:03

誕生会を開催。  分類なし

H20・3・20(木)
 お彼岸で道路が混むことが予測されたので、朝一番でお墓参りに行こうと準備していたが、生憎の雨。仕方がないので中止した。
 夕方まで、事務所にて資料整理。送られてくる機関紙や様々な雑誌、手紙などが山積して手が付けられない状態になっている。三時過ぎに帰宅。
 夕方から、サリーズバーのファミリーと一緒に、誕生会を自宅近くのお好み焼き「鶴屋」で行った。サリーと私は同じ三月生まれである。
 参加は十一人。正に低予算ビッグな企画。「鶴屋」のお好み焼きは、量が凄い。一人前でも中型のボール一杯分もある。一品料理の焼き物も全てビックサイズ。倶梨伽羅紋々の「アッコ」姐さんが「もんじゃ」の名人で、皆から拍手喝采を浴びていた。
 その後、近くのスナックに転戦してカラオケ大会。九時過ぎに解散。
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2008/3/23  1:43

忙しくて、更新せずに済みません。  分類なし

H20・3・19(水)
 このブログをアップしているのが、実は、二十二日。忙しくて、とてもブログを更新する余裕がなかった。それでなくとも頭が腐っているので、二三日前の出来事を思い出すのにも苦労する。
 従って、十八日の分はサボらせて頂く。いや待てよ、そうか少し思い出した。確か、十八日は、事務所で仕事を終えた後にお世話になっている人と一緒に、福富町から関内に転戦して、自宅でバタンキュー。
 十九日は、大行社の幹部会議に出席するために田町の駐健保会館へ行った。初めて編集した「大吼」の見本刷りが出来ていて大行社に届いていると思ったら、届いていない。折角、全国の支部から集ってくるのだから、意見を聞きたかった。残念。
 夕方、帰ろうと思ったら、大行社の三本菅会長から食事に誘われたので、即「行きます」となった。
 六本木にある某すし屋へ連れて行って頂いた。私のほかには、岡理事長、本宮会長室長、西沢高知支部長と会長の五人。食後は、カラオケのある店に転戦。
 十二時前に、岡理事長のご子息に送って頂き帰宅。
 自宅に戻ってから、先日の対談のゲラが入っていたので、その校正を済ませてから床に就いた。

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