2008/5/31  4:38

完徹  分類なし

ねむい。でもそろそろ夜が明けてきた。完全な徹夜になった。萩往還以来の徹夜である。午前2時半ぐらいに2階の廊下の電気がついたり消えたりし、さっきも廊下の奥で物音がする。気持ちが悪いなあ。

これから博多郵便局にいって郵便物を郵送する。ATMでお金を下ろす、午前6時に同僚からのメールを待ってFAXする。おふろはいって、着替えて、荷物をつめて、7時半に出かけよう。

飛行機の中では寝てゆきます。仁川で3時間ほど待ち合わせがあるので、空港内のマッサージにいくために韓国元も持った。それでは行って参ります。

2008/5/30  21:45

今日は徹夜だ  分類なし

あちゃあ、もうこんな時間!
SNSで、カメリア氏の「ルーファス」対「リアクター」論争に投稿していたら、すっかりおそくなってしもた。

今日はあさから結構よかペースで飛ばしている。午前中は各方面に電話をかけまくり、出張中に発生が予測される業務を片付ける。お昼前にデータの解析を始め、30分でサマリーを書き、郵便局に参加費用を振り込みに行き、その番号をもってサマリーをオンライン登録す。一つ大きな懸案終了。
3時から1時間半セッションを挟み、今度はサマリーを英訳し、別の会議に兼用するつもりだ(笑)。締切はなんと5月16日であってとっくに過ぎていたのだけれど、なごやんコーディネーターでありながらすっかり忘れていた!それに手を入れていると、「明日東京行ってきますから、何を聞いてきたらいいですか」と若手が相談に。こいつは少し頭かたい。何を聞いたらいいかなんて人に聞くな、自分で考えろ。こんこんと説教をする。それでこっちも少し集中力がそがれてしまって、気分転換にSNSに行ったら「ルーファス論争」になったってわけだ。

あと、出張中に同僚と報告書を一本仕上げるつもりなので、今晩中にデータを解析しないと。今日は徹夜で、明日の飛行機は寝ていくかな。福岡からジャカルタまでの直行便はないので、仁川経由でジャカルタに入ります。フィリピンと違って7時間くらいかかるから、ちょっと遠いって気がするな。でも、日本のために働きに来てくれる人たちが、気持ちよく日本で働けるように、なごやんも一生懸命インドネシアでべんきょうしてきます。

ジャカルタ便りをお楽しみに!

2008/5/28  21:23

なごやんファンクラブの人々2008  分類なし

毎年この時期になると、若手が自分のつく指導者を選び、指導者とのマッチングを行う作業が行われる。これは自慢していいことだと思うが、なごやんは代々人気ナンバーワンで、今年もたくさんの若手から「ご指名」を受けた。気がつくと、今年も5人を指導することになっていた。スタッフの中でも飛びぬけて多い。

来週は出張なので、今週中に導入面接を5人に対して行ったが、なぜなごやんを志望したのかそれぞれに聞いてみた。「指導が面白そうだから」「去年ついた先輩に面白いって聞いたから」というまじめな動機にくわえ、「(なごやんが)酒豪だって聞きました。私もそうなんです〜!」という若手もいた(笑)。彼女らの最初の先輩がなごやんのオフィスに一升瓶を持ち込んで以来、毎週金曜日の夜はオフィスは「スナックゆ○こ」(命名は彼女らである)と化し、若手がどんちゃんさわぎをするのが恒例となっている。それを聞いて面白そうだと思った者もあるだろうが、同時になごやんは「最も評価の厳しい指導者」としても定評があるから、みなやる気まんまんであることは間違いない。なごやんにつく若手は、代々その傾向はあるが、今年は特に仕事のしかたにしても酒にしても(!?)妥協を許さない個性のあるつわものぞろいらしい。

なごやんの同僚たちは、おとなしく指導者のいうことに従う若手を好む。ところがなごやんのところに集まってくるのは、大変個性が強くて、他のスタッフに食って掛かるつわものも少なくない(なごやんには一目置いているらしく、あまり食って掛かる若手はいないが)。昨年指導した若手は、指導者の個性の強さに惹かれて、同じように個性が強い若手が集まるのだというようなことを言って、なごやんを苦笑させたことがあるが、あながち間違いではないだろう。

若手たちはある一定レベルのスクリーニングを経ているからそこそこ粒はそろっている。まじめなものが多いが、思いつめるタイプよりも、非常に視野が広くて柔軟な発想ができるものが少なくない。従って、ジェネラリストを標榜する指導者としては非常に指導のしがいがあり、彼女らのお尻をたたけばたたくほどぐんぐん伸びていくのは見ていて気持ちがよい。今年の5名も非常に「センス」が高かった。彼女らの伸ばすべき才能を生かすも殺すも自分の指導にかかっているのだと思うと、手は抜けない。

今日導入面接に来た若手は、目から鼻に抜ける独特の勘の鋭さを持っており、なごやんがひとことふたこと指導しただけで、自分の方向性をきちっと見定めていた。その彼女が-自称酒豪-、退室ぎわに、先輩が残していった「スナックゆ○こ」の小さな看板をみて「これじゃ小さすぎます!今年はでっかい暖簾を作りましょう!」と言って帰っていった。今年もなごやんのオフィスは大勢の若手が酒盃を交わしながら、でっかい夢を語り合う場になることだろう。

2008/5/27  1:41

二升瓶にいきました  マラニック

8時に博多のFさんと二升瓶で待ち合わせをしました。ほどなくしてM野さんもやってきました。週はじめはお客さんがあまりいなくて静かなので、FさんとM野さんと、大将と四人でゆっくりと飲みました。

ウルトラ飲兵衛さんが、5月31日に、福岡の二升瓶から熊本のさくらまで、居酒屋ランニングをしようと企画していて、襷をつないで125キロを走るメンバーを募っています。なごやんはあいにく、その当日ジャカルタに向けて発つので参加できません。その代わり、襷にメッセージを書いて託すことにしました。新装なった「さくら」に、馬刺しを食べに行きます、と書きました。

それから萩の話をしました。俊足Fさんは38時間台で、M野さんも41時間台という絶好調ペースでゴールしたそうですが、なごやんはのんびりとゆったりと、制限時間一杯使って走ったことを話しました。そもそもなごやんは時間を競うことは好きではないのです。その代わり、どんな暴風雨でもおそらくなごやんはリタイアせずに走り続けるタイプだろうと思いました。Fさんほどのエリートランナーになると、往還道で歩くこと自体がはばかられて、午前5時に虎ヶ崎でリタイアしたことがあったそうです。なんでも雨嫌いのFさん、雨にたたられ足にまめができたからというのがリタイアの理由だったそうですが、その時刻なら、歩いてでも十分ゴールできる時間帯なのにねえ。「せっかくそこまで走ったのに、お金がもったいないとは思いませんでしたか?」というなごやんのコメントも、いかにも名古屋人らしいコメントではありませんか(笑)。

FさんもM野さんも、250キロをゴールしたときには一杯一杯だったそうです。驚きました。彼らほどの俊足ランナーが一杯一杯だとは…!「私なんか、ゴールしてもあと100キロくらいは走れるくらい余裕ありましたよ。ゆっくり走ったからですかね」と言ったのですが、どうも彼らとなごやんとでは、走り方が違うようです。

それから、なごやんが今回の萩を走り終えたあとも気にかかっていたことを2,3話しました。これはレースなのですから、それまで一緒に走っていた人を出し抜いて自分が仲間から抜け出す、ということを冷徹なまでにあっさりと実行に移さなければ、勝負に勝てないのだということ(似たような話をおとうさんから聞いたことがあります)、けれどもこれまで一緒に励ましあって走ってきた人たちを出し抜くというのは、なんとも複雑な気持ちです。それは多かれ少なかれ、ランナーなら誰もが経験していることのようでした。それを聞いて、少し安心しました。前晩助けてくれた友達を自分が見捨てることなどできない、と思って仲間を守ったつもりでいた自分が、ゴール地点では自分が「師匠」と仰いでいた人をあっさりと抜き去る。これが勝負なのか。人間、せっぱつまると義理も人情もなくなるってやつですか(笑)。

ところでゆっくりあちこち眺めながら走ることが好きな人たちのために、FさんとM野さんが、「長崎街道を走ろう」と言っていました。下調べも面白そうですね、長崎街道は見るところがたくさんあるので、200余キロを一度に走るよりは、今日はここの宿からここの宿まで、と決めてその道程を思い切り楽しんだほうがよいようです。みなさんご参加をお待ちしています。 

2008/5/26  11:54

今晩、二升瓶にいきます-一緒に飲みませんか  マラニック

出張のため、今月末の二升瓶〜さくらランに参加できないので、せめてたすきにメッセージを残すことにしました。
ウルトラ飲兵衛さんが二升瓶にたすきをおいておくからメッセージを書いておいてと言ってたので、今晩二升瓶に行って書くことにします。博多のFさんも来るようなので、萩往還の思い出話もしてこようと思います。

今朝は、予算関連の仕事も片付き、出張にもっていくパソコンのバックアップも取れたので、午後は外回りから直帰します。家でちょっと報告書に手を入れて、それから着替えて二升瓶に出直す予定です(午後8時頃)。

お時間のあるかた、一緒に飲みましょう。

2008/5/24  22:58

ラン再開  マラニック

大濠公園のランザ練習会。これを萩往還後のラン再開のきっかけとしよう。5分半の結構いいペースで5周。復帰ランはこんなもんにしておこう。

みんなに、250キロ完踏の感想を聞かれたが、「私ゆっくり走ったし、足も痛くなかったから楽しかったよ〜」と話すことができたことが嬉しい。「綺羅星のごとく、超スーパーウルトラランナーが集まるのよ、彼らは本当に背中からオーラが出ていたの、自分もああなりたいと思った」とクールななごやんがちょっと熱く語った。

ウルトラの先輩、mineさんと、最後の75キロを一緒に走ってくれたK田さんの話をした。「彼って紳士よね」「そう、とても親切だった。だからゴールの手前で彼を抜くときには、ほんとに、K田さんごめんなさい、って気持ちだったのよ。弟子が師匠を押しのけて走るようなものだから。だけど、ウエーブスタートで彼には20分近くあったけど、6時前にゴールしようと思ったら私にはあと15秒しか残されてなかったのよ」
器の大きなK田さんはそんなこと気にするような人ではないだろうが、こう見えてもけっこう師弟関係に保守的なところがあるなごやんは、今でも彼を抜いたことを気にしていることがわかる。
しかし、K田さんをはじめとして、肋骨を骨折しながらも、千畳敷まで見事なペースを保ち続けたクニさん、決して早くはないが、こつこつと走り続けたおばちゃんランナー(この人、どうも大阪のYOKKOさんというなごやんと同じSNSのメンバーらしい)、テーピングした足をかばいながら走り続けた女性ランナー、…どの人もなごやんに静かだが非常に強い影響を与えた人たちだった。彼らとであって一緒に走れたことを幸福に思う。

なごやんは生涯修行だと思っているから、仕事にせよランにせよ、自分の師匠になる人を常に探している。そしてその師匠たちの背中を見ながら、これからも自分を磨き続けることになるだろう。萩往還250キロに出て、本当によかった。

2008/5/23  12:28

プリちゃん  分類なし

なごやんの母は、生粋の名古屋人らしく、物を大事に使う人である。さしたる趣味もない彼女が唯一好きなのが車の運転で、昭和33年から車を運転していたというから、運転暦は半世紀ちかくになる。赤ん坊だったなごやんを乗せて走った車は、母にとっては一台目にあたるトヨタのコロナ(1960年製)だった。なごやん兄弟は、「コロちゃん」と呼んで大事にしていた。なごやんが免許を取れる年齢になったら譲ってもらうつもりだったが、その前に、父の職場の同僚の、車マニアの人に譲ってしまった。今でもクラシックカーとして大事にメンテナンスして大事に乗ってくれているそうである。
二代目の車は1980年製のマツダ・コスモLで、今では珍しくなったカペラタイプである。走っているとみんなが、なんちゅうクラシックな車だ、という目で見るそうである。これはまだ乗っている。
もう一台、彼女が最後の車だといって買ったイギリス車があるが、「あんたは運転がへたくそだから」という理由で、なごやんは運転させてもらったことはない。これはなごやんが九州にお嫁入りするときに、名古屋から福岡まで嫁入り道具(笑)を運ぶために買った車で(笑笑)、この車に乗って初めて関門海峡を越えた。遠い九州に一人娘を嫁にやる母親の気持ちがこもっている話ではある。

かように車に対して思いいれのある母に育てられたなごやんは、自分も車を大事にする傾向がある。今乗っている日産の初代のプリメーラは、ぼっちがまだ独身だったとき、鹿児島から福岡に転勤する際に買ったものだそうで、かれこれ17,18年乗っているだろうか。まだはぶりのよかった日産の、当時最も品質の高い乗用車として今だに定評がある車で、走りの安定感と足回りのよさ、そして品のあるセダンの形は、まだ根づよいファンがいるらしい。今はもっぱらなごやんが乗っているが、この車を選んだぼっちのセンスはなかなかのものであったと思っている。

古い車はどうしても経年変化のためにあちこちがたが来て備品を換える必要がある。今週の月曜日には運転席のパワーウインドがあがらなくなった。備品が火曜日に来るというので出直したら、モーター自体がいかれていることがわかり、再度今朝朝一に出直して修理をしてもらった。修理費用はかさむけれども、「これはいい車ですから、あと20年は乗りますよ」と言って、営業所のスタッフを苦笑させた。コロちゃんは50年近くたってもまだ動いている。プリちゃんは20年に満たない平成の車なのだから、それ以上長く乗れるに違いない。

2008/5/21  7:44

そろそろまた「走り」はじめます  マラニック

昨日、プリ(自家用車)を修理のために片江営業所まで持っていった帰り、おとうさんが退勤ランしているのを見かけました。福岡って小さいねえ、すぐ誰かに会うよ。みんな萩の「あっちの世界」から「こっちの世界」に戻ってたんたんと生活しているようですね。

なごやんは体調がもどったので、残業を控えていましたが、そろそろまた「走り」はじめようと思います。あと10日でインドネシア出張です。その前に報告書を2本片付けなければなりません。残業しなければなごやんらしく働けないとは、どっかおかしい気はしますが、できるだけ9時前に残業を終えて体力を維持します。

「あっちの世界」でマイペースで進むことを覚えたので、「こっちの世界」でもマイペースでいけるでしょう。たんたんと行きます。

2008/5/19  3:14

萩往還250キロ完踏記最終章−激走なごやん  マラニック

国道262号線に入ったあたりで、雲が出てきた。昨年はここから夏木原キャンプ場までが暑くて本当にしんどかったが、今年は天気も味方してくれている。お富さんの黄色いシャツは上り坂をぐんぐん進み、最後のラストスパートをかけているようだった。もう彼女には追いつけないだろうな。なごやんは、時計を確認して、時間内完踏の勝算ありと見、早歩きすれば、走るのとほとんど時間差はないはずだ、と、ロードでそれ以上自分を追い込むのはやめた。というのは、最後の板堂峠のくだり坂が一番怖かったからである。それまで集中力と足を残しておきたかった。
ランナーが道を渡って草もちのおばあさんのところに寄っている。時間にゆとりがあるから今年も寄せていただこう。「今年もお世話になります」と挨拶する。とても大きな草もちで、なごやんは半分か四分の一で結構なのだが、おばあさんたちはしきりに食べなさいと薦めるので、半分だけいただいて、紙コップの中に残りを入れて、あとで大事にいただきます、とデイパックに入れた。男性ランナーとK田さんがピットインし、「草もち2,3個食べたんじゃないの?」とからかった。そんなに長い時間ここにいるわけではないのだけれど。「あとちょっとですね…!」あれは板堂峠か。あの向こうが瑠璃光寺か!お富さんはとっくに行ってしまったので、3人でお礼を言って一緒に出る。「予定だと5時45分から50分ごろにゴールしたいですね」となごやんはK田さんに言った。「6時10分くらい前になると、人が集まりだすでしょう?一番注目を浴びたいじゃないですか」K田さんは笑っている。
しかし、この分だと早く着きすぎる。そこで夏木原キャンプ場までゆっくりとしたペースで走った。県道を軽乗用車がうしろからゆっくり走ってきて、追い越しざま、「なごやんがんばれ!」と声をかけた。ゆきひろとうさんの声だった。手を振って応えた。おそらく佐々並の飲兵衛さんから、なごやんがまだ「生きている」という情報が入ったのだろう、おとうさんが、なごやんがどこまで走っているのかを確認しに来たように思った。大丈夫、ここまで来ましたよ。足もほら、まだ上がりますよ。ゴールで待っててください。

板堂峠に入る。交通整理をしてくれている係の人に「ありがとうございました!」と挨拶をして、そろそろ彼らの仕事も終わりだなと思う。そして私たちの長い250キロも、あと6キロで終わりか。最後の上り坂を勢いよく登り、そしてスムースにくだり坂に入った。K田さんが「天花畑から、最後の3キロ舗装道路があります。もう(時間内完踏は)大丈夫だと思いますが、くだりもあまりゆっくりしてられません。足をくじかないように、慎重に来てください」といって先に行った。男性ランナーも続いた。なごやんは、昨年ここで250キロを走っていたSさんのオーラを放つ背中を見たことを思い出した。なごやんはいったい彼女のようにたんたんと走れるようになるのにこれからどれくらいかかることだろう。250キロ初挑戦で、タイムはともかく、あまり力まずに走ることができたから、今回はこれでよしとするか。
くだりの石段が始まる。宝満山〜若杉縦走をした時に、「石とか岩の上に足をしっかり乗せること」ですべることを防ぐことができるとおとうさんに言われたことを思い出して、恐れず歩を進める。足は残っている。大丈夫だろう。と、前におっかなびっくりといった姿勢で、石段を一段一段降りる黄色いシャツのランナーがいた。「お富さん!?」とっくにゴールしたんじゃなかったの?「私くだり苦手なのよ〜!」と彼女は嘆く。そのためにのぼりで時間を稼いでいたのね。「慎重にね。最後に足をくじかないで。ゆっくり来てね」とは言ったものの、そんなにゆっくりできる時間でもなかった。時計をみると、今、この時点で、天花畑から残り3キロのロードを、キロ6分で走らなければならない時間しか残されていない。天花畑はまだか。
足元からオカリナの音色がする。K田さんが画像を撮っているらしいところに降りていって、天花畑はまだですか、というと、もう少し下ってから、とオカリナのお兄さんとK田さんの声が重なった。「がんばってください!」…もう、本当にこの石段はしつこい!時間に追われる身になって、改めて決して楽ではなかったこのコースを思い返す。こりゃあ時間配分をミスった。天花畑からはキロ4分半で走らなきゃ。
目の前が開け、天花畑からダム湖にいたる蛇行した道を、何人かのランナーが最後のスパートをかけているのが見える。K田さんが、「キロ5分半でスパート!」と声をかけたが、もうそんな悠長なペースで走っている暇もないわよ。ロスタイムがあるのは知っていたが、なごやんはなんとしても午後6時前にゴールしたかったのである。それからは、ダム湖の脇の桜の木をすっ飛ばしてぐんぐんとスピードを上げた。うしろから、お富さんがおいついてきて、なにやらなごやんに叫んだが、なごやんは声が出ず、前を向いたまま片手を挙げて合図をした。K田さん、そしてその前を男性ランナーが走る、走る!
時計を見る。あと2分!集落に入る橋が見える。係の人が、こっちの凄い形相とは裏腹に、「お疲れさま〜」とのんびりした声をかけてくれる。集落に入る。こうなるとウルトラマラソンではなく100メートル走だ。前の二人とは徐々に距離が詰まってきている。小学校のわきを抜け、あちこちからでてきたランナーさんが手を叩いて迎えてくれるが、いちいち挨拶をしている暇などない。そう、なごやんはゴールする自分の前に他の人がいるのはいやなのだ。鷹が獲物を狙うがごとく、自分がこれから抜く2人に意識を集中する。飲兵衛さんが瑠璃光寺までの坂のいちばん下にたって手を叩いているのが見える。さらにスピードをアップする。飲兵衛さん、去年の玄界の練習会で、100キロ走った最後のなごやんのラストスパートが凄いって言ってたじゃない。250キロ走ったってへっちゃらよ!角を曲がって、最後の100メートル。うわーという歓声が我々白ゼッケンランナーを迎えた。それで少し力を抜いた男性ランナーを抜きさり、そして「K田さん、ごめん!」とこころの中で謝りながら、彼の左側をすり抜けた。私にはあと15秒しかないのよ。なごやんの凄い形相に、ハイタッチしてくれようと待ってくれていたおとうさんも、「そのままいけいけ、つっこめ〜!」と身体を引いた。「なごやん、なごやん!」と大騒ぎしているelemamaさんの声も聞こえた。だがかまわずそのままゴールに突っ込んだ。激走なごやん。これがいちばんなごやんらしい走り方なのだ。47時間57分。そして、時計はまだ5時59分台だったように思う。
みんな涙をためて、なごやんにむしゃぶりついてくる、「おめでとう!おめでとう!」「もう、はらはらどきどきした」…って、みんななごやんが帰ってくるの、信じて待ってくれていたんじゃないの?なごやんは信じていたわ。これだけ応援してくれたり、一緒に走ってくれた人たちがいたんだもの、自分が250キロ完踏できること、最初から信じて疑わなかったわよ。
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応援ありがとうございました。おかげさまで素晴らしい250キロマラニックでした。また来年も挑戦したいと思います(Courtesy of うーさん)

後日譚。一日休んで火曜日から仕事を再開。忙しさにかまけて今年は「萩往還病」に罹患した形跡なし。金曜日、真っ黒な顔をして教壇に立つと、メールを送ってくれた若手たちがやってきて「おめでとうございます!」「すごいですね」「日に焼けてますね」と口々に言う。そうか、彼らには改めて報告をしておかなければならない、と始業まえに「みなさんに報告があります」と口を切った。「みなさんが応援してくださったおかげで、連休中、山口県の萩往還250キロマラニックを完踏しました」というと、全員がオーッとどよめいて拍手をしてくれた。「やはり48時間、一睡もしないでいると、意識障害が出ましたね。道路標識がひょっとこの顔に見えたり、山肌に生える羊歯が巨大な折り紙にみえましたわ〜(笑)。今年の完踏率はどれくらいだったか、まだ確認してないんですが、400人近い頭のおかしい人たち(笑)が全国から集まって走りました。それだけ独特の魅力がある大会ってことなんですね。私ですか?…もちろん、来年も走りますよ。来年はいったいどんな意識障害が起こるかしらねえ(笑)」(了)

2008/5/19  1:09

萩往還250キロ完踏記15−白ゼッケンのマジック  マラニック

萩往還道に入ったのは12時半。涙松への道へは、ピンクのゼッケンをつけたウオーキングの人たちも混じってくる。このころになると、どんなに往還道に入るのが遅くとも、白ゼッケンをつけているだけでみんなに声をかけられるようになる。「うわあ、すごいですね〜」「がんばってくださいね〜!」凡人の我々の背中には、オーラもなにも出ているはずはないが、もし他の人が何か感じるものがあったとすれば、それは絶対に時間内完踏するぞという気概がそれだったかもしれない。

涙松跡を撮りながら、K田さんは早口で、「どんどん走れるところは走っていってください」と指示した。お富さんはのぼりでも走り始め、なごやんがそれに続いた。「のぼりは歩いて、くだりは飛ぶように走って」の予定だったが、お富さんの早いこと。さすがである。道の駅萩往還公園で、「ガソリンを」とのコーチの指示で、バナナをいただいたが、K田さんが先にたちすぐに出発。山道は、既に223キロのロードを走ってきた足には過酷で、砂利や石ころが刺激して痛い。だが、足裏への刺激は丁度足ツボマッサージのような役を果たしたらしく、痛さになれるにしたがって、前かがみになっていた腰が伸び、足が上がるようになった。その代わり、足裏への刺激はむくみも亢進させたらしい、昨夜かえた靴下の右足首周りのサポータが窮屈でならない。今度はくだりである。なごやんは足をくじかないように慎重に下りたが、その分スピードが落ちた。前を走るK田さんが何度も振り返る。「遅い遅い!想像を絶する遅さ!今のペースで、稼いでいた時間のあまりがほとんどなくなりました!」下ると、今度は田んぼのあぜ道を風のように駆け抜ける。明木市到着目標1時25分、といわれた気がするが、時計すら確認する暇なくすっ飛んでゆく。ここまでくると、白ゼッケンも青ゼッケンも同じ時間との戦いとなる。靴下のサポータを気にしながら走るなごやんに、K田さんは、明木市についたらサポータのゴムを緩めるか切るように指示した。まったく変なところにサポート機能などつけるからユーザが困る。この靴下の設計者、本当にウルトラマラソンしたことがあるのかしら。
明木市につくと、K田さんは「急いで急いで。手や足を千手観音みたいにつかっていろんなことをいっぺんにたくさんして」といいながら、ウエストポーチからサバイバルナイフを取り出し、サポータを切るように言った。なごやんはそれこそ千手観音のように、お茶を飲みながら靴下のサポータを切り−とは言っても、ナイフでつついても頑丈なゴムはなかなか緩まなかった−、「お、珍しい、今日はまだ明木まんじゅうがあるぞ」といいながらK田さんがひとつもってきてくれたまんじゅうをほおばって、なんとか靴をはきなおした。5分もたたないうちに出発である。

「一升谷です、2時15分までに峠につきましょう」時計を確認するひまもなく、ぐんぐんと上る。このころまでには足裏マッサージがすっかり効果をあげたらしく、ベテランK田さんについて上れるようになった。「ここが8合目」「ここが10合目」といいながら、それぞれの標識に前でビデオを撮っている。「先に行ってください」というので、塾生が先にいかせてもらった。男性ランナー、お富さん、そしてなごやんの順となる。262号線にでて釿ノ切峠に出たとき、小走りのK田さんに追いつかれた。なごやん、ロードにでて再び足が進まなくなった。焦ることはない、こんなときは気分転換に限る。峠近くの自販機でアイスコーヒーを買って一気に飲み干し、峠を越えて少しスピードが出るようになってから300メートルほど引き離された距離を少しずつ縮めてゆく。それから先はめまぐるしく景色が変わる。どうもオフロードになると強いなごやんは、旧道に入ると風のように走り出し、ロードの坂は少し歩きを入れる、緩急とりまぜた走りをしているうちにだんだん調子に乗ってきた。それにしてもお富さんは早い早い。ロードも走りきり、あっちゅうまに旧道に飛び込んでいった。続いてなごやんも旧道への階段を駆け下りる。すると、階段下にビデオをかまえたK田さんがいて「お、だんだん元気になってきたようです!」と音声解説を入れている。そう、やっと調子がでてきた。「先にどんどん行ってください、佐々並まで!」もう時計なんか見ている暇はない、何分に着けといわれたかも覚えていない。民家の軒先をかすめ、青ゼッケンのランナーを振り切り、このころには、最もなごやんらしい走りができるようになっていた。なごやんは距離が長ければ長いほど、最後のスパートに強いのである。

お富さんの黄色いシャツを追って佐々並市(236キロ)に入ると、とっくに完走したらしいウルトラ飲兵衛さんがいて彼女にエールを送っている。なんでなごやんにはエールを送ってくれないのよ、と声をかけると、彼は驚いたように、「まだ生きてたの?」…ってそれはないでしょう。なんでみんななごやんがリタイアしたと思っているのよ?
ビデオ片手になごやんたちを追ってきたK田さんは、めずらしくふうふう息をして、「だんだん追いつけなくなった」と言った。ここで少しだけ休憩をする。お豆腐はとっくになかったが、冷たいお茶をいただいた。なごやんが休憩していると、緑のゼッケンの人だったか、「マラニックに参加した記念に、白ゼッケンの人と一緒に写真を撮りたいのですが」、といわれて一緒に写メールにおさまった。いったいなごやんはどんなランナーに見えていたのだろうか。

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