2008/7/12  23:59

『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 2.0』 ほか  映画

 押井守『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 2.0』
 言わずと知れた名作のリニューアル版。
 もちろん、物語などが変わるわけではない。オリジナルとの異同は専門の方にお任せするが、オープニングクレジットが完全に入れ替わっている。そして、ところどころのヘリの飛行場面がCG映像に変更。オリジナルの手描きセル画面から、新作『スカイ・クロラ』予告編で見られる、どこか嘘臭いゲーム画面のような、ルックの映像へ。

 おそらく誰もが驚く変更は、冒頭の素子の落下シーン。登場から落下までのすべてを、平板なCG画像に置き換えている。判断はわかれる所だろうが、これによって「草薙素子」というキャラへの感情移入は不可能になる。それが演出意図としたら、見事な成功だ。
 そして、もう一つはラストの「素子」と「人形使い」の対話。「人形使い」の声が男の声(家弓家正)から女性の声(榊原良子)へ。これはむしろ正解だろう。

 「人形使い」の声の変更を別として、CGへの置き換えは、個人的には何ももたらしていないように感じた。あの現実味のない、CGによる飛行表現に、今やリアルがあるのだろうか。
 しかし、そうした違和感をおいてもなお、川井憲次の見事すぎるスコアにのせた、中盤の悪夢のような川くだり(不意に画面を横切る、下校の小学生たちの黄色い傘!)や、「素子」対「戦車」の絶望的な戦闘(進化系図を下から撃ち抜いていく銃痕!)の力強さには、やはり涙が。名作の名作たるスピリットの何たる強靭さ。

 ジェニファー・バイチウォル『いま、ここにある風景』
 写真家エドワード・バーティンスキーの作品に基づいたドキュメンタリー。中国の産業と、その地球への負荷を考察するドキュメント。

 この映画を観て直ちに感じることは、この「映画」の監督バイチウォルが、写真家バーティンスキーの作品に、ことごとく敗北を喫しているということだ。
 冒頭、中国の途轍もなく広大な工場内を、カメラが8分にわたって横移動。資本主義を撃つにあたって、ゴダールに目配せせずにはいられぬ点において、まず黒星ひとつ。
 しかも、その横移動があまり器用でなく、まっすぐ90度に据えられてびくとも動かぬゴダールのカメラと違い、ちょっと右斜めくらいに傾いていて、ときどき調整するんだが、そこにいらぬ主観が入ってしまい、透明性を表現し損ねており、ここも残念だ。
 
 バイチウォルのカメラは、決定的な何かをことごとく撮り逃していて、カメラの動きが何かを探り当てたと思うと、それは実は静止したバーティンスキーの写真作品であったりなど、衝撃度において「写真」に負けるというのは、「映画」の人間としては歯噛みせずにいられなかった。

 それはもちろん、バーティンスキーの写真がそれだけすごいということでもある。たとえば、この映画のポスターにもなった、中国工場の地平線が見えるほどに奥行きのある、そのどこまでも向こうまで黄色い制服を着た職員たちが並んでいる写真。
 この写真をよく見ると、いったい何千人いるのかわからぬ中国人職員たちの顔は、1人1人表情が違っているのだ。実は制服を着ていない者だっている。

 この図は、デス・スターの中をどこまでも戦闘員が並ぶ、『スター・ウォーズ』の画を思い出すのだが、ストゥーム・トゥルーパーは何千、何万人いようが、全員同じ顔だが、中国人職員たちはそうではない。
 そこは、しっかり見てほしいとバーティンスキーの写真は訴えているように思えてならない。そして映画パートは、写真のそうした思想をとらえ損ねてしまっているのだ。

 デビッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』
 クローネンバーグは、内臓感覚で見せるようなイメージがあるが、実はむしろ俳優のツラ構えで見せる監督である。
 そして今回、ヴィゴ・モーテンセンを頂点に、アーミン=ミューラー・スタール、イェジー・スコリモフスキー(!)と、ものすごい顔がずらり並ぶ。

 とんでもない大物の雰囲気を見せながら、ロシア社会の大ボス、ミューラー・スタールのやってることといえば、未成年淫行だったりして、なんともしょぼすぎるのだが、そこに目をつぶれば、この映画の達成はすごい。
 切れば血が出る人間の皮膚の特性を徹底的に意識した(この点ではどこまでも内臓感覚の人だ)、人物の動かし方・見せ方の徹底ぶり。

 特に、地下の酒蔵で互いの感情を確かめ合う、モーテンセンとヴァンサン・カッセルの、からみあうような、ホモセクシャルすれすれ(というか、そのものズバリ)の、粘ついた接触はどうだ。ラストの伏線にすらなっている、この場面の粘着性に、クローネンバーグのこの作品に対する最大のこだわりを見る。
 
 さて、この映画でいよいよクローネンバーグの、「家族」というものの考え方が鮮明になったように思うが、もちろんそれは別稿である。

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