2008/8/12 23:48
『それぞれのシネマ』 映画
いろいろ観れた、先週末の続き。
テオ・アンゲロプロス他 『それぞれのシネマ』
カンヌ国際映画祭60回記念製作映画として上映された作品。
世界の映画作家たちが、3分という上映時間を与えられて「映画」に関する作品を撮ったオムニバス。
備忘のために、参加監督を以下に記す。
テオ・アンゲロプロス、オリヴィエ・アサヤス、ビレ・アウグスト、ジェーン・カンピオン、ユーセフ・シャヒーン、チェン・カイコー、デヴィッド・クローネンバーグ、ダルデンヌ兄弟、マノエル・デ・オルヴェイラ、レイモン・ドバルドン、アトム・エゴヤン、アモス・ギタイ、ホウ・シャオシェン、アレハンドロ・ゴンサレス・イリャニトゥ、アキ・カウリスマキ、アッバス・キアロスタミ、北野武、アンドレイ・コンチャロフスキー、クロード・ルルーシュ、ケン・ローチ、デヴィッド・リンチ、ナンニ・モレッティ、ロマン・ポランスキー、ラウル・ルイス、ウォルター・サレス、エリア・スレイマン、ツァイ・ミンリャン、ガス・ヴァン・サント、ラース・フォン・トリアー、ヴィム・ヴェンダース、ウォン・カーウァイ、チャン・イーモウ、そして、マイケル・チミノ。
権利のせいかなんなのか、ある意味で一番見たい、マイケル・チミノ編だけ、今回の上映からははずされている。悔しい(発売済みのDVDには収録あり)。
オムニバスという形式はどちらかというと苦手なのだけど、この豪華さには目をみはる。何より、たったの3分で「映画」のことを語るという切り口だから、長編では見られない、思いがけぬ作家のセンスを発見できたりもする。
たとえば、この32編で私がナンバーワンに推すのは、イリャニトゥ編。目で観る映画というものの本質に迫って、見事に感動的なオチを作っている。この顔ぶれにあって、イリャニトゥが最高だなんて、あり得ないではないか。
イリャニトゥのまったくの裏返しがチェン・カイコー。どっちも素晴らしいのだが、同じモチーフを扱って、まるで正反対の考え方をする。ネタは明かせないので、中途半端な書き方で恐縮だが、私自身はイリャニトゥがとった結論を選択したい。
だが、チェン・カイコー編の最後の一言には、胸がしめつけれ、張り裂けそうになる。
それから、ナンニ・モレッティによる映画史。『ホワット・ライズ・ビニース』のミシェル・ファイファーの足の裏について熱烈に語るモレッティに、「お前もか!」と共感を隠せない。なんだか最近「足」のことばかり書いてる気がするが、けれど、あの浴槽シーンのミシェル・ファイファーの生足ほどの感激はない。
DVDを購入してからは、そこばかり繰り返して観てしまったことを白状する。そうか、あの映画はとにかくミシェル・ファイファーの足の裏だと思っていたのは、私だけじゃなかったんだという、思わぬ連帯感!
どれもこれもすばらしいが、オルヴェイラには開いた口がふさがらず、アンゲロプロス、キアロスタミ、ルルーシュの3本には号泣。素晴らしすぎる。
32人、それぞれが様々なアプローチをするが、どんな場合でも、こと「映画」に関する限り、どんな人間もその本質や欲望が、むきだしになるという一点において共通する。
32人のうちかなりの率で描くただ一つのもの。真っ暗な中の一条の光。人間の根本的なものを刺激して止まぬ、この発見者であるが故に、「映画」の発明者はやはりエジソンでなく、リュミエール兄弟であることは自明である。
最高に幸せな3分×32本。(ズルしてちょっと長い人が何人かいる)
ただ1本。ケン・ローチにだけは激怒する。これ以上はないくらい不快な1編。
テオ・アンゲロプロス他 『それぞれのシネマ』
カンヌ国際映画祭60回記念製作映画として上映された作品。
世界の映画作家たちが、3分という上映時間を与えられて「映画」に関する作品を撮ったオムニバス。
備忘のために、参加監督を以下に記す。
テオ・アンゲロプロス、オリヴィエ・アサヤス、ビレ・アウグスト、ジェーン・カンピオン、ユーセフ・シャヒーン、チェン・カイコー、デヴィッド・クローネンバーグ、ダルデンヌ兄弟、マノエル・デ・オルヴェイラ、レイモン・ドバルドン、アトム・エゴヤン、アモス・ギタイ、ホウ・シャオシェン、アレハンドロ・ゴンサレス・イリャニトゥ、アキ・カウリスマキ、アッバス・キアロスタミ、北野武、アンドレイ・コンチャロフスキー、クロード・ルルーシュ、ケン・ローチ、デヴィッド・リンチ、ナンニ・モレッティ、ロマン・ポランスキー、ラウル・ルイス、ウォルター・サレス、エリア・スレイマン、ツァイ・ミンリャン、ガス・ヴァン・サント、ラース・フォン・トリアー、ヴィム・ヴェンダース、ウォン・カーウァイ、チャン・イーモウ、そして、マイケル・チミノ。
権利のせいかなんなのか、ある意味で一番見たい、マイケル・チミノ編だけ、今回の上映からははずされている。悔しい(発売済みのDVDには収録あり)。
オムニバスという形式はどちらかというと苦手なのだけど、この豪華さには目をみはる。何より、たったの3分で「映画」のことを語るという切り口だから、長編では見られない、思いがけぬ作家のセンスを発見できたりもする。
たとえば、この32編で私がナンバーワンに推すのは、イリャニトゥ編。目で観る映画というものの本質に迫って、見事に感動的なオチを作っている。この顔ぶれにあって、イリャニトゥが最高だなんて、あり得ないではないか。
イリャニトゥのまったくの裏返しがチェン・カイコー。どっちも素晴らしいのだが、同じモチーフを扱って、まるで正反対の考え方をする。ネタは明かせないので、中途半端な書き方で恐縮だが、私自身はイリャニトゥがとった結論を選択したい。
だが、チェン・カイコー編の最後の一言には、胸がしめつけれ、張り裂けそうになる。
それから、ナンニ・モレッティによる映画史。『ホワット・ライズ・ビニース』のミシェル・ファイファーの足の裏について熱烈に語るモレッティに、「お前もか!」と共感を隠せない。なんだか最近「足」のことばかり書いてる気がするが、けれど、あの浴槽シーンのミシェル・ファイファーの生足ほどの感激はない。
DVDを購入してからは、そこばかり繰り返して観てしまったことを白状する。そうか、あの映画はとにかくミシェル・ファイファーの足の裏だと思っていたのは、私だけじゃなかったんだという、思わぬ連帯感!
どれもこれもすばらしいが、オルヴェイラには開いた口がふさがらず、アンゲロプロス、キアロスタミ、ルルーシュの3本には号泣。素晴らしすぎる。
32人、それぞれが様々なアプローチをするが、どんな場合でも、こと「映画」に関する限り、どんな人間もその本質や欲望が、むきだしになるという一点において共通する。
32人のうちかなりの率で描くただ一つのもの。真っ暗な中の一条の光。人間の根本的なものを刺激して止まぬ、この発見者であるが故に、「映画」の発明者はやはりエジソンでなく、リュミエール兄弟であることは自明である。
最高に幸せな3分×32本。(ズルしてちょっと長い人が何人かいる)
ただ1本。ケン・ローチにだけは激怒する。これ以上はないくらい不快な1編。
