2008/8/29  6:18

London Reasoning WorkshopとThinking2008 in Venice  思考心理学

 8月は、18日と19日に、わたしがお世話になっているロンドン大学Birkbeck Collegeで第3回のLondon Reasoning Workshopがあり、21日から23日に、ベニスで6th International Conference on Thinkingがあって、バタバタしていた。London Reasoning Workshopは、Jonathan Evansの60歳記念ワークショップとしても開催されたが、以下のアドレスから、発表者のファイルがダウンロードできる。
http://www.bbk.ac.uk/psyc/staff/academic/moaksford/londonreasoningworkshop
なお、わたし自身の、「後知恵バイアスについての比較文化」についての発表は、19日であった。

 ワークショップで発表し、またベニスも生まれて初めての訪問だったので、いろいろと期待もあるはずなのだが、個人的に少々欝気味だったので、かなりテンションが低下したままの参加になった。さらにその落ち込みに拍車をかけたのが、ここ2−3年の間に、推論研究がさらに進んでいると現実であった。わたしがしばらく比較文化的な文献を読んでいるうちに、メンタルモデル理論、二重過程理論、ロジシズムに対する確率論的理論、合理性についての議論が、わたしの手の届かないところへ到達しているという実感をもった。それから、わたしが興味を抱いていた進化論的な議論は、もうほとんどなされていなかった。また、比較文化研究の発表も、唯一わたしだけであった。メンタルモデル理論は、確率論とも結びつき、またあくまで意味論ベースであって語用論的な理論とは明確に区別されるべきであることが強調されていた。また、二重過程理論では、二つの過程をコントロールするメタ認知的役割をもつ、第3のシステムまで想定されつつある。わたしは、メタ認知は進化的に新しいとする第2の分析的認知システムが担当しうるのではないかと思ったが、時代の流れにはなかなか逆らえない。唯一嬉しかったのは、同じく後知恵バイアス研究を発表されていたポーツマス大学のHartmut Blankさんがわたしの研究に興味をもってくださり、彼に来年の2月にポーツマス大学での講演を依頼されたことである。しかし、わたしは、Blankさんの研究にも圧倒されてしまった。彼によれば、後知恵バイアスは、記憶のゆがみ、予見可能性印象、必然性印象という3つの半ば独立した成分から構成されている。そして、どのようなタイプの後知恵バイアスが生じるかは、この3つの成分がどのように機能するかによって影響され、かつこれらの成分は互いに相関がない。

 ベニスの学会は、サンマルコ広場からさらに船で10分の、San Servolo島で行われた。島全体がベニス大学の所有で、合宿のような学会であった。わたしは、counterfactual、pragmatics、causality、probabilistic reasoning、normative rationalityなどのセッションに参加した。counterfactual研究は、causalityについての知識がどうかかわるかでたいへん興味深い領域だと思う。現実場面におけるcausalityの知識が、どのようにして反実仮想世界に適用されて架空の結論が導かれるのかという点について、多重に世界を構成する必要があるということで、executive functionとの関連や、架空であるという想定を維持するための抑制制御などが議論されていた。

 今年の学会では、招待講演者は、推論研究者はPhil Johnson-LairdとSteve Slomanのみで、あとはどちらかといえば、ちょっと別の領域の有名人を呼んできて、最新の話題を拝聴しようという企画だった。なかでも、心の理論のAlan Leslieと知識発達のElizabeth Spelkeはおもしろかった。Leslieの話は、心の理論がモジュールでありながら、executive functionとかかわり、かつその後生的性質として、信念の帰属とその抑制が重要であることが強調された。また、Spelkeの話は、子ども、乳児から動物にいたるまで、コア知識とは何かを追求したものだった。とくに彼女の研究はコア数字とコア幾何学という素朴知識についてであり、大人になるにつれてその素朴なコア知識がよりフォーマルな数字や幾何学的知識にどう変化するかという議論において、土台となって新しいものができるというよりは、常にコア知識が基礎になってそれに依存しているということが主張された。

 ベニスの学会には、神戸女学院大学出身の中村紘子さん(現大妻女子大学)と新居佳子さん(現大阪大学)も参加されていた(日本人は、これに早稲田大学の中垣啓先生を含めて計4名。ちなみに、韓国からはド・キュンスーさんが参加されていて、アジアからの参加者は計5名であった)。新居さんは、初の英語による口頭発表ということで緊張されていたが、オーガナイザーのトゥールーズ大学のDenis Hiltonさんにサポートされてなんとかやり終えた。わたしも、初の英語の口頭発表では異常に緊張してしまったことを思い出した。なお、下の写真はわたしが撮ったもので、わたしは写っていない。
クリックすると元のサイズで表示します

2008/5/3  6:23

衝動買い(compulsive buying)の心理学 ―LJDMセミナーより  思考心理学

 せっかくロンドン大学Birkbeck Collegeに来ても、イースター休暇やら定期試験やらで、わたし自身は論文を読んだり書いたりする以外に何もしていないので、同じロンドン大学のカレッジであるUCL(University College of London)のウェブページを眺めていたら、David Hardmanが中心になって、LJDM (London Judgment and Decision Making)セミナーを主宰しているのを発見した。そして、今年度最後のセミナーが4月30日だったので早速参加した。ウェブーページは以下の通りである。
http://www.psychol.ucl.ac.uk/ljdm/talks.htm

 スピーカーは、台湾から来られていて、ちょうどPhD.を取得されたばかりのHui-Yi Loさんである。タイトルは、’Shopping without pain: Compulsive buying, its determinants and the effects of credit cards’で、ウェブページにアブストラクトがあるので、ここではそれ以上の説明はできないが、簡単に言えば、衝動買いに影響を与える要因の探索的な研究と、ウェブ上で仮想的にどんな購入行動をとるかという、台湾人と英国人を実験参加者とした実験に分けられる。

 探索的な研究では、Faber & O’Guinn(1992)の、衝動買いパーソナリティについての質問紙を改良したものを用いて、どのような人が衝動買いに陥りやすいかが示されていた。おもしろかったが、残念ながら、たとえば自尊心が低い人ほど購買行動をしやすく、購入品によって自分の自尊心を回復するといったように、かなり常識の範囲でわかることの確認といった側面もあったように思う。さらに、この場合、どのようにして自尊心を測定したかが問題である。たとえば、虚栄心はときに自尊心と表面的には混同されやすいが、虚栄心はむしろ衝動買いを促進するのではないだろうか。用いられた自尊心尺度には、虚栄心といった成分もかなり排除するように工夫されているのかもしれない(わたしは、この領域にあまり詳しくないので、虚栄心と自尊心がどのように関連しているかについては良く知らない)。また、仮想実験でも、衝動買いをしやすい人は、商品についての詳細な情報を検討せずに、文字通り衝動的にショッピングカートに入れていくことも確認された。ただし、この結果については、衝動買いをしやすい人は、プラダのバッグなど、商品についての知識も豊富なので、情報探索をする必要がない可能性があることも指摘された。また、台湾人は英国人よりも衝動買いをしやすく、また、衝動買いがクレジットカードによって増幅されることも示された。

 さらに、衝動買いの心理としてLoさんが挙げていたのは、衝動買いパーソナリティと判断される人も、衝動買いのたびにかなり後悔をし、かつ衝動買いをしてしまう前に「これを買ったらまた後悔するだろうな」と予想しながらそれでも買ってしまうという事実である。こういう葛藤については、Loさんの研究ではあまり触れられていなかったが、やはり意思決定過程の潜在性(無意識性)・顕在性(意識性)という区別が重要だと思う。わたし自身はたいへんケチなほうなので、おそらく顕在的に質問紙テスト等で測定すると、衝動買いパーソナリティとは判定されないだろう。しかし、ぜいたく品を持って満足したい欲求は、無意識的にはあるはずだし、単に経済的不安から無理に押さえつけているだけかもしれない。つまり、衝動買いの欲求と、それを抑えるメカニズムは、ひょっとしたら別個かもしれず、そうすると衝動買い的か否かという一次元の二分法は限界があるように思えた。この顕在と潜在のシステムを想定する立場は、わたしが信奉する二重過程理論の特徴で、ひょっとしたらフロイトの意識・無意識という分類にいつかはつながるのではと思っている。しかし、認知心理学と臨床心理学の溝を埋めるのが困難なように、やはり難しいだろうと思う。

 また、衝動買いの人は、クレジットカードを使うと衝動買いがさらに促進されるようなのである。わたしなどは、むしろ、クレジットカードには、自分が見えないところで借金をしたり銀行の預金が減っていったりという不気味さを感ずるのだが、衝動買いパーソナリティの人は、Loさんのタイトルにもあるように、クレジットカードによる購入は、’shopping without pain’らしい。すなわち、現実にお金を出す必要がないので、お金が無くなるという現実感が薄いらしいのである。ちょうど、コンピューターゲーム上で人を殺すようなものなのかもしれない。

 セミナーのあとはパブだったが、これがこの会の通例のようだった。UCLの北西の、大英博物館とは反対側にある界隈にある気さくな雰囲気のパブだった。Loさんは、台湾に高雄の出身で、台湾に職が見つかってこのタームが終了したら帰国されるようである。現在、台湾と英国の違いが、西洋と東洋の違いといえるのかどうかを検証するために、日本のデータも取られる予定とのことだった。その場にいた、UCLのNigel Harveyの「この後の研究をどう発展させるのか」という質問には、消費者行動の心理学としていくと答えられていていたが、Harvey先生もわたしも、それはちょっと狭いのではないかなという感想をもった。もちろん衝動買いによる自己破産者を減らしていくためには、具体的に要因を拾い上げて一つ一つに対処することも重要だろうが、衝動買いを通して見えてくる人間という視点がより重要なのではないかなと思う。

2007/10/20  21:50

思考心理学者のアイデンティティ(日本心理学会)  思考心理学

 日本心理学会の最終日である9月20日に、太田信夫先生と多鹿秀継先生の企画による「認知領域の知覚・記憶・思考研究間のつながりを考える」というタイトルのワークショップがあり、話題提供者の一人として発表の場をいただいた。最近、日本心理学会のワークショップは数が多くなりすぎて、「なんだこれは?」と思うような期待はずれのものも少なからずあるのだが、太田先生と多鹿先生企画のワークショップは、少なくともクォーリティという点で心配はない。話題提供者も、東北大の行場先生、京大の乾先生、大阪外大の苧阪先生で、それぞれの領域で日本のトップクラスの方々である。さあどういうふうに知覚、記憶、思考研究のつながりを考えていくのか楽しみであった。

 ところが、3名の先生とも、ご自分の実証的なデータを中心にして、これが知覚・記憶・思考の三領域にどう関わるのかという話題が中心であった。最終発表者であるわたしは、愕然としながら聞いていた。というのは、わたしは、こういう大きなテーマでは、大風呂敷を広げた考え方の枠組みを話せばいいと思っていたので、そういう話題しか用意していなかったからである。そうなのだ。えてしてわたしたちは、大風呂敷を広げた話をしたがるが、はやり実験心理学の基本は、データから何を言えるのか忠実に論じていく必要があるのだ。その上で、それらの知見が、他領域にどのような意味があるのを議論すればいい。

 ただ弁解をさせていただければ、やはり思考研究は知覚や記憶の所産がどのような思考に使用されるかを問うものといえるので、大風呂敷でも仕方がない部分もある。わたしがまず話したのは、「還元主義者のジレンマ」という点である(この用語はわたしの造語のつもりだが、ひょっとしてかって呼んだ本の中に書いてあった言葉かもしれない)。思考では、初期状態から目標状態までどのような過程が関わっているかを考えるとき、化学反応を理解するのに量子力学を用いるように、心的過程を一段階還元すると、その過程を「理解」した実感が得られる。ところが、思考の一過程について、より還元的に検討しようとすると、それは必ず知覚や記憶の研究になり、すでに膨大な研究がなされているということがしばしばである。たとえば、思考の過程の一つにイメージの操作があったとしよう。そこで、イメージ操作についてより追求しようとすると、山のようなイメージ研究の文献にぶち当たり、そこまで行くと自分はお呼びではないなと思ってしまう。

 では思考研究者というのは、思考の過程をいくつかの段階に分析して、「これは知覚研究の領域」、「これは記憶研究」という分類を行う交通整理係なのか。これでは、とても思考研究者というアイデンティティは得られない。そこで、わたしは、現在の自分のテーマは「ヒトの思考の合理性」ということで、進化的合理性と規範的合理性という二種類の合理性を想定して、進化と文化に興味を持っているという話をした。

 わたし自身、これでやっと自分の研究領域のアイデンティティができたと思っているのだが、後から反省すると、ひょっとして思考心理学者というのは、アイデンティティを持ってはいけないのかとも考えている。思考は、白昼夢から国家の政策まで極めて広範囲な領域を持っている。また、アプローチもさまざまで、文化という点では社会心理学や文化人類学、進化という点では生物学、合理性という点では哲学、論理学、言語学、場合によっては法学や経済学も含まれる。アイデンティティをもてないことを悲しむよりは、誇れるようになることが今後のわたし自身の課題かもしれない。
クリックすると元のサイズで表示します

2007/9/3  20:12

London Reasoning Workshop  思考心理学

 8月の28日と29日にUniversity of LondonのBirkbeck Collegeで、The 2nd London Reasoning Workshopが行なわれたので覗いてきた。昨年は、David E. Overの60歳記念ワークショップが、彼が博士号を取得したBirkbeckで行なわれたので発表をさせていただいたが、British Academyからグラントが取れたので、それを第1回目として、今後毎年続けることになったようである。

 今年のテーマはConditionalsで、わたしの専門にも近いのだが、とくに新しいデータもアイデアもなかったので、発表を見送った。このワークショップは、思考の中心は推論であり、さらにその中心は条件推論であると考えている、思考心理学の最もコアな連中が集まっているといっていいだろう。残念ながら、メンタルモデル理論のPhil Johnson-Lairdや二重過程理論のJonathan Evansは来ていなかったが、彼らの弟子たちや、Mike Oaskford、David O’Brien、David Over、Ken Manktelow、Walter Schroyensなど、そうそうたるメンバーが集まっていた。日本からは中垣先生が発表されていた。

 個人的におもしろいなと思ったのは、Valerie ThompsonとIra Noveckの発表である。Valerie Thompsonは、モジュール形式の進化的に古いシステム(システム1)と汎用的な進化的に新しいシステム(システム2)を想定する二重過程理論を、よりプロセス重視にしたモデルに発展させて発表していた。システム1によるオートマティックな推論において、矛盾が生じた場合にシステム2が起動してfeeling of rightnessが生ずるというものである。ただし、見方をかえれば、このアイデアは、メンタルモデル理論において、まず習慣的なモデルから暫定解をもとめ、その暫定解と矛盾がなくなるまで可能なモデルを探索するという主張と非常に似ているなという印象も受けた。それから、システム2におけるfeeling of rightnessと、オートマティックなバイアス下にあるにもかかわらず正答として自信があるような場合とどのような質的な差異があるのか、さらにそれをどう測定するかという点をもう少し聞きたかった。

 Ira Noveckは、わたしの共同研究者であるJ-B Van der Henstと同じLyonのInstitut des Sciences Cognitivesにいる。従来、そして現在も、pragmatic推論はどちらかといえば自動的で迅速であり、それに対して、正答とされるlogical inferenceは時間がかかると考えられてきた。たとえば、「もしpならばq」からついつい「もしpではないならばqではない」を導いてしまうのは自動的なpragmatic推論であるとされている。この推論は論理的には正しくない。しかし、pragmaticsからみれば、「もしpではなくてもqである」ならば、わざわざ「もしpならばqではない」という必要がない(情報として価値がない)ので、「もしpならばq」は「もしpではないならばqではない」を意味するわけである。そして、この推論はほとんど自動的であるというのが従来の見解である。ところが、彼は、logical推論がpragmatic推論よりも速いというデータを示している。ただし、彼のいうlogical推論は、どちからというとモジュール的で、並行して行なっているニューロイメージングによって、脳の特定の部位として示されるものである。わたしはlogical推論の本質は、柔軟性と内省性にあると考えているが、今後、logical推論をどのように考えていくかについて、示唆を与えてくれる研究だった。

 このワークショップは、来年は、8月末にベニスで行なわれるThinking2008の学会の直前か直後にしようということになった。そうすれば、ヨーロッパ以外からの参加者も増えるというわけである。テーマは、今のところcross-culturalかcounterfacturalかである。わたしの現在の研究は、後知恵バイアスについての日韓英仏比較研究なので、どちらのテーマでもよいが、できればcross-culturalにして欲しいなと思っている。

RSS1.0