2008/6/30

仙女、ターシャ・テューダーさん逝く  RECOMMENDATION

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ターシャ・テューダーさんの訃報に接して、肩を落とした人は多いのではないか。
92歳の大往生。しかし、仙女のように永遠に生き続けるように思っていた。テューダーさんの愛する花の季節に逝ったのがせめてものなぐさみである。
最近では、絵本作家というよりも、ガーデニングスローライフカリスマという紹介のされ方が多くて、彼女の毎日の生活ぶりや哲学について取材した番組や出版物がたくさんある。

ご家族の悲しみは、いうまでもないが、ペットたちは、彼女がはかなくなられたときに、どうだったのだろう。とくに、こよなく愛された、コーギー犬たちは。さぞや落胆していることだろう。「世界一美しい犬」とおっしゃられていたから。
猫もたくさんいた。みなどうしているだろう。たくさんの愛を受けられて、幸福だった植物や動物たち。お釈迦様の涅槃絵のように、動物たちが、枕べに寄り添って最期を迎えられたのかもしれない。とにかく、報道されていることは、亡くなった事実と18日だったということだけなので、何もわからない。でも身罷った事実だけで大きな喪失感を感じる。

テューダーさんの生き方を知ったのは、学生の頃だった。もの作りが好きだったので、「装苑」という、洋裁や手芸の専門誌をときどき買っていた。そこで、テューダーさんの生活を特集していて感銘をうけたのだ。当時、家の近くのわりと大きな毛糸屋さん(洋裁用品も売っていた)でアルバイトをしていたわたしは、その特集に載っていたあるブランドのカーディガンの写真があまりにもかわいかったので、自分で編み図をおこして、アルバイト先で客待ちの時間などに編んでいた。もちろん、テューダーさんとそのブランドは何の関係もないのだけれど、雑誌の特集には、テューダーさんのお庭で、その雰囲気にあったかわいらしい洋服を来たモデルさんの写真がいくつか載っていたのだ。

実は、わたしは、編み物が大好きで、旅にはかならず編み棒と毛糸を持参する。乗り物の待ち時間などに、便利なのだ。パズルと同じで、模様は複雑なほどよい。一回の旅行で帽子くらいはできる。カーデガンやセーターを持っていったこともあった。旅と編み物はわたしにとって必要不可欠な関係にある。しかし、このところの暖冬で、わたしのアルバイト先を始め、毛糸屋さんはどんどんつぶれてしまって、身近にはまったく見られなくなった。確かに、今は、フリースとか、安くて暖かくて軽い素材の洋服が便利だから、編み物なんて、すっかりすたれてしまったのだ。でも、テューダーさんは毎年夏のうちから、孫たちのために、クリスマスのプレゼントを入れる靴下を、少しずつ準備していた。その姿を見て、なんだかうれしくなった。そのほか、帽子やショールなど身のまわりのものを手作りしていた。編み物というのは、自分にとって、とても幸せな行為だから、テューダーさんも好きだと知ってうれしくなったのだ。

テューダーさんは46歳で離婚し57歳に田舎に土地を買い、古民家を建てた。そして、広大な庭に何十年もかけて花いっぱいの理想の庭をつくりあげた。
「電気と水道だけを使うのはしかたがない」といいながら、暖炉に薪オーブンを使用。昔からの道具を使って日常生活を送り、大好きな園芸に没頭し、毎日4時には紅茶を飲むのが日課。絵本作りのためにスケッチの時間も欠かさない。食べ物はみな手作り。ジャムやピクルス、パンまでもつくる徹底ぶりだが、わたしにとっては理想の生活だ。
わたしも猫と一緒だがやはり一人暮し。
絵を描いて手芸をして料理をつくり、読書をし、ピアノを弾く毎日を送るのが夢だ。
若い頃は、なんでも精力的にこなしていたが、両親が相次いで病に倒れてからは、介護でそうもいかなくなった。その後ばたばたと両親が鬼籍にはいって数年たった今、ようやく心のささくれを修復しだしたところだ。
介護やなんやかやで自分のしたいことができなくなった時期、テューダーさんが60歳を前にして、やりたかった夢を実現したことをときどき思い出し、自分を励ましたものだった。

きれいな庭や絵やおいしい食事をつくるのに近道はない。じっくり時間と手間をかけるのが大切だ。あちこち回り道をしても、一生という包括的な観点から見れば、ささいなこと。大切なのは、夢をあきらめないことだ。

テューダーさんの人生哲学は、これからも天国からやさしく語りかけてくれることだろう。

ターシャ・テューダーさんの出版物(本人執筆の絵本&生活ドキュメント)

ガーデニング

2008/6/23

電気街今昔物語  RECOMMENDATION

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今でもときどきアナログレコードに針を落とす。
レコード盤を拭いたり、レコード針を掃除したりといろいろ手間がかかるのだが、ふくいくたる空気感があって、気分が落ち着く。ジャケットも大きくて、特にロックは凝ったデザインのものが多く、わたしはとても手放す気になれない。

子供の頃、父とよく秋葉原に行った。父は、いわゆるオーディオファンで、オーディオ雑誌を買っては新発売になったものの評をあれこれ読み比べては、おめあてのアンプスピーカーの音を試聴しに秋葉原にいくのだだった。店にはリスニングルームというのがあって、いろいろな機器の組み合わせで、レコードを再生してくれた。当時は今のように、量販店は数えるほどしかなく、小さな店が沢山寄せ集まっていた。大きな店で、気に入った機器があると、小さな店に行って、同じ物を求め、値切るのだ。そして、新しい機器が家に届くと、古い物はわたしにお下がりになるのだった。
今思うと、贅沢な音楽環境だったと思う。お下がりとはいえ、子供がアンプチューナーレコードプレーヤーがそれぞれ独立したものを接続して聴いていたのだから。

スピーカー屋さんというのがあった。今もあるのだろうか。場所も思い出せないのだが、とにかくスピーカーしか売っていない店だ。そこで、例によって、いろいろ聴かせてもらったのだが、ノーブランドながら、職人さんが丁寧につくったとおぼしき木製のスピーカーがあって、店の人に鳴らしてもらうと、とりこになった。父は、わたしにそれを買ってくれた。いくらだったかは忘れてしまったが、父が、安物なのに、良く鳴るな、とわたしが音楽を聴いているといつもいっていたものだった。わたしはもう何十年もそのスピーカーを使っているのだが、大人になって耳が肥えた今でも、これ以外のスピーカーは考えられない。

最近、6年ほど使っていたDENONのCDプレーヤーの調子がおかしくなった。父の形見のアンプもなんだかしっくりこない。そこで、「幸せ計画」というのを立ててアンプCDプレーヤーを一新することにした。晩年、父は、秋葉原まで出るのがおっくうだと言って、近所の電気屋さんのお得意さんになっていた。そこは店構えは小さいけれど、知識と技術の確かな店員がいて、父のあらゆるわがままにつきあってくれた。余談だが、今思うと、父が入退院を繰り返し、いよいよ死を覚悟したのか、用事もないのに、その店員さんを呼んで話し込んでいた。植物と金魚や鳥や猫などとは心が通じ合えたのに、母以外の人間とは、上手く行かない友人のいない父が、最後に話したかった数少ない「人間」だったのだろう。その店とは、私の代になっても親交が続き、最近体調が悪く、秋葉原のにぎわいの中に行くのをためらっている私にいろいろアドバイスをしてくれ、結局マランツアンプとCDプレーヤーにした。

そのCDプレーヤーは、スーパーオーディオCDという規格のCDに対応している。電気屋さんの話の聞きかじりなので、間違っていたら、申し訳ないが、従来のCDというのはデジタル信号でできているので、0と1の信号で成り立っている。しかし、再生するときのアウトプットは、アナログ回線なので、デジタルからアナログに変換するときに何らかの間引きが行われ、何か音質が無機的に感じられてしまう。スーパーオーディオCDの再生に対応しているデッキは、この変換作業のときに、変換された音をそのまま再生するため、原音に近い再生が可能だということだった。ただし、電気屋さんの話では、そういう音にこだわるユーザーというのは、とても限られていて、日本の住宅事情などもあり、この形式のCDのソフトは、まだ少数派なのだそうな。しかし、たまたまバッハの「マタイ受難曲」の新しい録音のものを見たら、スーパーオーディオCDだったので再生してみた。

これがまた、今までの音はなんだったのかというような、暖かみのある豊かな音で、すっかり演奏している教会に紛れ込んだような気持ちになってしまった。その「マタイ」はバッハが4稿書いたうちの、最後の作で、かなり気合いの入った演奏である。他の盤(違う版の「マタイ」だが)とも聞き比べたが、今までCDに感じていたもの足りなさが補われ、「マタイ」の内容は磔刑にされるキリストの受難の顛末なのだが、演奏と音に関しては、まさに「福音」。すっかり幸福になってしまった。

しかし、昔はオーディオファンというのがいて、こういうことにいちいちこだわっていたものだったが、今は、そういう人種はなりをひそめてしまったようだ。わたしも、iPodを持ち歩き、そこそこの音質を日常で聴いて暮らしている。しかし、これからは、家で聴く音楽と、外に持ち歩く音楽は、気分的に使い分けるという風に意識改革された。家では大きな音で、豊かな楽の音を楽しみ、外では、雑踏の音にまじりながら、それなりに音楽を楽しむ、という使い分けである。

しかし、このスーパーオーディオCDはわたしが知らなかっただけで、割と歴史のあるものなのだそうだ。そういえば、いつのまにか、秋葉原通いをすっかりしなくなっていたのだった。電化製品や配線などはさっきの近所の優しい電気屋さんに任せてしまっているし、PC機器などは、ネットで買ってしまっているのですっかりごぶさたしてしまったのだ。

それが、ついこの間、地下鉄を乗り越してしまい、秋葉原の一角の駅で降りた。すっかり様変わりして、店もずいぶん変わっている。金曜の夕方だったので、人もたくさんいた。噂には聞いていたメイド喫茶の呼び込みのお嬢さんたちもいた。でも変わらないこともあった。みんな、自分のそれぞれの楽しみのために、この世界でもめずらしい「電気街」に集っているということだ。

その日の2日後、恐ろしい通り魔事件が起きた。わたしは、愛する街が心ない男による凶行に血塗られ、命を落としたり傷を負った人たちがいることに震撼した。
秋葉原の地理はそらんじている。ニュースでいわれる通りの名は、自分がつい2日前に横切った場所であった。唖然とした。
ああ、事件に遭遇した人はそれぞれ、休日をそれぞれの楽しみを満たすために、はからずもこの街に集ったのだろう。かつての父とわたしのように……。

わたしは、ただ合掌することしか思い浮かばなかった。

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2008/6/16

最近の本屋にはベストセラーしかない  RECOMMENDATION

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本屋はいつからつまらなくなったんだろう。
中学が神保町まで歩いていけたので、学校帰りによく寄った。
こちらは美術の本、あちらは演劇の本、ここは漫画、あっちは楽譜、そして社会や哲学、文学など、それぞれ特色のある古本屋さんがあって、はしごをしてはお小遣いを浪費していた。もちろん、新刊本の書店も、書店によっていろいろ特色があった。神保町の端から、お茶の水の駅まで、レコード屋と本屋とのぞいてまわって満足だった。先日お茶の水に行ったら、お茶の水の駅近くの本屋はついになくなっていた。そういえば、近所の本屋も、何軒も店じまいしてしまった。

大きな本屋に行けば、いまでも様々な本が置いてあるのかもしれない。でも、ワンフロアの規模の本屋は、いつのまにか立ち寄る気がしなくなってしまった。なぜなら、欲しい本がないからだ。あるのは、雑誌やいわゆるベストセラーかどうやったら儲かるかとか、自己啓発本のようなものばかり。

実は、わたしが定期購読している雑誌はなかなか本屋になかったり、発売日に行くのがおっくうだったりするので、近所の個人経営零細本屋に、それこそわたしが生まれた頃からある本屋なのだが、そこに配達してくれるよう、頼んでいる。
そういえば、最近、よっぽどのことがないかぎり本屋で雑誌を探す気にはならない。車刷り(電車の天井などからぶらさがっている広告)広告や、新聞広告を読んでも、ちっとも読みたいと思わない。車刷りだけ読んで、あっそう、である。このごろ増えている無料本も、結局は広告料で成り立っているわけで、不気味なほどニュートラルなポジションをでない記事ばかり。つまり、編集者の意図とか、言いたいこととか、顔が見えてこないものばかりだ。

プロレタリアート文学の「蟹工船」が売れているという。作者の小林多喜二はついには官憲につかまって、ひどい拷問の末、亡くなった。文学は、戦いであった。プロレタリアート文学というと、労働争議とかイマドキの若者が二の足を踏むというか、最近の労働争議は、集団と言うより個人が上役に談判するようなことが多いせいかもしれないが、辛気くさいイメージがあった。
しかし、ある新聞の対談で「格差社会」について話が及んだとき、現在の若者労働者の置かれている位置は、「蟹工船」に出てくる労働者のようではないか、という話になり、それを読んだ、ある書店員が、大きな宣伝文句を手書きで書いて、店内に平積みにしたところ、すぐに反応があり、日に数十冊、多いときは百冊も売れるようになったという。読者は、登場する出口のない悲惨な労働者に自分自身を重ねると同時に「ひとつの目的に対して、一丸となって活動を起こせるというのはうらやましい」という感想があるという。

はっきりいえば、「蟹工船」は暗い話である。その後の小林多喜二の凄惨な運命もあいまって。それに「文学だし」という距離感もあることは否めない。敷居が高いように学校で刷り込まれてしまったのだ。ダサイの一言で、誰も見向きもしなかった。それにこういった小説は、学校の課題図書なんかになったりするが、ほとんどの学生は学校という聖域のなかにいるので、勤労学生以外は、書いてある内容を己に照らし合わせて見ることは出来ないだろう。それゆえ、図書館でもほこりをかぶり、本屋でも置いてあるかないか。それこそ、受験なんかの文学史の試験のために「『蟹工船』小林多喜二」と呪文のように丸暗記するくらいの存在であったのだ。それが、光の当て方で、このように変わってくるのだ。純文学は売れないといわれるけれど、きちんとした作品は、それこそ「源氏物語」のように千年も読み継がれる。
太宰治の「人間失格」なんかも、いけるかもしれない。社会に万延している喪失感や敗北感。しかし、この小説を読んだら、逆に勇気がわいてくるように思うのだ。太宰治には悪いけども。あと、芥川龍之介の「河童」なんて読んだら、自分はいたってまともである、とかえってすがすがしい気持ちになるかもしれない。

本が売れない、売れない。それ故、ベストセラーに頼る。ある意味正論かも知れない。しかし、どうなんだろう。書店の売り方で、変わってくるのではないか。
私が言いたいのは、本屋が取り次ぎ(問屋)からやってくる本をただただ何の戦略もなく、版元の営業にいわれるがままに並べているだけなのではないか、ということだ。今や、編集者は、リストラやらなんやらで、閉塞感に満ちている。はっきり申し上げれば、気概のある筆者や編集者はお茶をひいている状態である。なにしろ、2万部売れればうれしいなんていう、はやっている漫画同人誌なんかの部数の何十分の一の売り上げで、大手出版社社員は多額の給料をもらっているのだ。作り手の状況がこんなことでは、会社経営や予算などにしめつけられ、経営者のいわれるがままになるのは必定であろう。あえて言おう。今や編集者は木偶(でく)である、と。

作り手の発信された本が、ダメ本かどうか、書店の方は、能動的に判断せねばならない。昔の書店の店員や責任者は本当に本を愛していた。だから、知識も豊富だったし、売れそうもない文学書も良書であれば、内容をアピールして、売るようにし向けていた。売れない、売れないと嘆く前に、まず、どうしたら、売れるのか、それこそ文学史やら(サラリーマン向けに)経済の本でも読んで、戦略を練ったらどうかと思う。まあ、本屋も愚痴を言う前に、頭や体を使って汗をかいているのか? ということ。

ネットの社会では、一体何人の人が、どれだけの時間その記事を見ていたか、ということが瞬時にわかる。出版の社会では、返品の量がいくらかで、手応えがあったかどうか漠然と把握するしかない。雑誌でもどこのページが読まれたかなんていうことは、雑誌のプレゼント付きのアンケートに答えた人の意見しかよりどころがない。そんなアンケートを出す人は、プレゼント目当てにしても、好意的な人がほとんどだから、忌憚ない意見というのはきわめて稀だ。あれがすばらしい、これがよかった、そういうことに終始する。確かにそういった点では、本の作り手というのは、曖昧模糊とした対象に向かって石を投げているようなところがある。でも、それも甘えだ。営業の人に任せっきりにせずに、自らも書店に立てばよいのだ。今、編集者で、そういうことをしている人はどれほどいるだろうか。昔はそれが当たり前だったけれども。

筆者は中世の哲学や社会学とか思想書が好きである。そういう本は、初版1万部あるかないかである。だから、近所の本屋にはまず売っていないし、宣伝費もかけられないから、ひっそり出版されている。つまり、欲しい人に情報が届いていないのだ。しかし、最近、ある老舗の本屋がメールをくれて、わたしにとって、よだれがでるような本ばかりピンポイントで並べて営業をかけてきた。あれやこれやで、たちまち2万円も浪費する羽目になった。ネット販売だけの本屋はそういうピンポイントの営業をかけやすいこともあるだろうが、この本屋は、いわゆるネット販売で創業した大手の本屋ではない。古くからある老舗の本屋なのだ。ネットに客を取られた、という人もいる。それだったら、自分もネット販売をすればいいのだ。

そういえば、我が家に定期購読の本を届けてくれる本屋は、いっこうにつぶれない。なぜなら、周辺の美容院や医者に、営業して、毎日それぞれのニーズに合った本を届けているからだ。客が来ないのなら、自分から出向いてはどうか。まあ、最近はご近所づきあいも希薄になっているから、難しいのだろうけれど、うちのような下町では、昔は本屋も電気屋も、なじみというかご用ききがいて、客のニーズをしっかりとつかまえていたものだ。我が家はもう両親がいないけれども、祖父母の時代からつきあいの商店が、いまだにご用ききにくる。今はセキュリティーとかの問題で、新しく越してきた人などには難しいのかもしれないけれど、「ジモティー」のわたしは、その恩恵に浴している。

話がそれた。
つまりは、ベストセラーありき、ではなく、きめ細かい商売というか、今の世の中、好みが多様化しているのだから、営業力や本の中味についての知識を蓄えて今のニーズに合うような本を選び取って書店側からベストセラーを発信してみせる、そういった情熱や発想の転換をするというようなことが必要ではないかと思うのだ。

でもこれって商売の基本じゃないですかね。口をあけているだけでは、王様でもないかぎりおいしいものはいただけませんよ。


本の情報いろいろ

芥川龍之介の「河童」をオンラインで読もう

2008/6/9

サラダは主役を張れるごちそうなのだ  RECOMMENDATION

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日本のレストランもこの20年でずいぶん様変わりして、海外で見聞きしたようなことが、大いに役立てられているように思う。しかし、喫茶店のサラダに関しては、良くも悪くも日本風でありつづけているところが大半。特に地方にいけば行くほど、そうだろう。これがニッポンの味ということで、なくなるとそれはそれでさびしいのだが、たいていキンキンに冷えていて、キャベツの固い千切りにレタスがちょっぴり、トマトのかけらとキュウリがのっていて、市販のドレッシングをかけるあるいはすでにマヨネーズがかかっているというものだ。20余年前は、付け合わせのサラダといえば、こんなものだった。日本は野菜が高いから、それほど冒険できないのだろうが、ほんとうに味気ないものだ。これなら、ないほうがましだなあと常日頃思っていたのだ。

フランスのカフェは日本語に訳せば喫茶店であるが、出されるものがかなりことなる。まず、まずいものは紅茶とココア(ショコラ)であって、これらは、ティーバッグと粉末ココアがいきなり出てきくることがある。紅茶は、別に「サロン・ド・テ(ティー・サロン)」なるものがあり、あらゆる種類の紅茶が飲める。そして、おいしいお菓子やアイスクリームがもりだくさん。ここは若い女の子がむらがっているかというと、そういうことはなく、主婦やお年寄りがよりあって、もりあがっている。ときどき男性もいるが、稀である。以前、フランス人男性でコーヒーが飲めない友人に強引につきあわされたことがあったが、確かに、内装はロココ調で、男性には敷居の高い場所ではある。

話がそれたが、以上の二点を除けば、カフェは、うまいものが安く飲み食いできる大衆食堂のようなものである。シャトレの由緒あるカフェにお昼に入ると、そこは、金と暇がありそうなみなさまであふれかえっていた。一瞬引いたのだが、すでに一歩入ってしまい、ギャルソン(給仕をする人)にも案内されつつあったので、ビロードの椅子に腰掛けた。なんと耳に覚えのある世紀末の劇場(シャトレとは劇場である)の近くにある、カフェそのもの。劇の前や後に、着飾った男女が、カフェに入ってオニオングラタンスープを頼む、というステレオタイプなストーリーが、語学学校の文法書のレッスンの中にあったのだ。それを思い出していた。
「鮭はありませんか?」「もちろんありますよ、マダム。」「それじゃ、鮭と、ロゼワインを下さい。」パリは鮭がおいしいのだ。で、出てきた物は、日本のグレードでいえば、高級フランス料理店でもこうはいかない、というもの。平べったいクリームソースのパスタにほうれん草が混ぜてあり、香辛料をかけてグリルした鮭の切り身がどんと乗っていて、日本で言うイタリアンパセリが添えてある。もちろんフランスパンもついていて、これで1000円行かなかったと思う。味はというと、ひとくちでクリームソースというが、このカフェで仕込んだと思われるブイヨンに、香り高いバター。鮭の方は、あっさりグリルしてあるが、塩もミネラルが十分で、ロゼのワインとの調和がにくらしい。この料理は、鶏のグリルと同様、フランスのカフェではどこでも食べられるもの。いわば定番メニューであるので、あちこちでためしてみたが、このシャトレのものが一番おいしかった。

鶏のグリルは、単に、鶏をグリルしたように見えるのだが、フランスに某米国のフライドチキン店が根付かないワケは、これを食べればわかる。これはレンヌ通りの某地下鉄駅の近くにあるカフェのものが一番おいしかった。一体どうやって味をしこんでいるのだろう、と思うほど旨い。鶏そのものも旨いのだが、焼加減、仕込み、全てがこのカフェならではの独自のものなのだ。これも1000円もしないで、食べられる。日本では、3000円は行くだろうし、おそらく再現するのは無理だ。

そして、サラダである。最初にパリに行ったときは学生あがりだったから、お金もないし、レストランなんて入れない。だから、その辺のパン屋でバゲットサンドをほおばるか、ギリシャやトルコの屋台のような料理屋のサンドイッチを外で歩き食いである。しかし、ある日、歩き疲れてカフェで昼ご飯を食べることにした。ふと、サラダに目が行った。これなら、バゲット(フランスパン)もついてるし、お得だと思ったのだ。で、出てきたものに驚愕した。大きなボールに香味野菜が沢山入っている。室温なので、味がよくわかる。さすが農業国フランスである。ひとつひとつの野菜に深い味がある。わたしは初めて野菜を食べたような気がした。そして、特筆すべきはソース(ドレッシング)である。すでにかかっていたのだが、日本ではたべたことのないような味。これは何が入っているのだろう。やけに凝っているのだ。塩、こしょうそして、ハーブにビネガー、オイル……それにしてもえもいわれぬおいしさだ。喫茶店でこんなものが出てくるのか。どう考えても、ここのカフェで作っているオリジナルソースである。
「うーん。」
わたしはうなってしまった。もちろん、バゲットはおいしいにきまってる。(バゲットがまずいと、まず暴動になる)そして、野菜の風味と種類の多さ、オリジナルソースのハーモニー。日本のサラダは、サラダではないな。これが結論であった。

当時のわたしは、若さにまかせてパリの美術館という美術館を観てやろうと意気込んでいた。自分の好み、仕事の方向性を確かめるために、苦手と思われるものも、みんな観てみようと思っていた。幸い滞在期間も長かったので、そんな計画になってしまったのだが、そういうわけで、きのうはこちら、きょうはあちら、とパリの隅から隅まで行脚することとなった。それを幸いに、もう一つ目標ができた。
パリのサラダを征服する。

名高いフランス料理研究家の辻静夫氏の本に、一流のものをとにかくたくさん食べること。これが一流料理人になる第一歩。食べられなくなったらおしまい、というようなことが書いてあった。当時のわたしは、それを絵や彫刻に置き換えていたのだが、ついでにサラダも探求してみようと思ったのだ。

ある日、ルーブルに行った。京大生(しかもわざわざ医学部だと聞きもしないのに教えてくれた)が声をかけてきた。金魚のふんのようについてくる。フランス語がわからないので、案内してくれないかという。こっちとしては、美術鑑賞の邪魔そのものである。うるさいなあ、と思いながらも「わたしの好みでよければどうぞ。」と一緒に観ることにした。そして、帰りにルーブル近くのカフェで昼ご飯にしよう、ということになった。わたしはそれまでにもうかなりの種類のサラダを食べていた。中でも「生肉のサラダ」はなかなか気に入っていた。何かおいしい物はないのか。と京大生が聞くので「そうねえ。この生肉サラダはいけるわよ。」といったら、「あのー……学校で生肉は絶対食べちゃダメだって、教わったんですけど。」とかいう。「あら。郷には入れば郷に従えというじゃない。病気になったら、あなたが直してくれるんでしょう?」と言って強引に勧めた。彼は泣きそうになりながら食べ始めたが、あまりのおいしさにびっくしりたようだった。
とにかく、あまたのカフェでサラダを試したのだが、同じソースであることがまずない。これは市販品を使っていないということである。たかがカフェと思うなかれ。そこには、客をもてなすために、料理人が、真剣に工夫を重ねているのだ。

フランスの食文化というのは、本当に懐が深い。貧乏人から金持ちまで、ほとんど味のクオリティーという点では、高度なものを食べている。安いものから高い物までどれをとっても、旨いのだ。唯一いただけないな、と思ったのは、パリのイタリア料理だった。

ここまでひっぱておいて、レシピを書かないのも何なので、研究成果を発表しよう。

・野菜
 できれば、有機野菜などの味の濃いもの、畑などでよく売っている路地ものの不ぞろい完熟野菜などがあるとよい。日本ではサラダといえばレタスだが、レタスを選ぶなら、サラダ菜など香りのある物を選びたい。今回は今旬のクレソンのサラダにしよう。

◆材料
[野菜]
・クレソン
・ルッコラ
・細いアスパラ
・ラディッシュ(なくてもよいが)
・彩りにグレープフルーツなどをむいて乗せてもよい……A
・木の実などもあれば炒っておく……………………………B
・木の実の変わりにクルトンを作っても良い………………C
 残り物のバゲットや食パンを1センチ角くらいに切ってにすり下ろしたニンニクを絞って、塩をふる。これを油で揚げる
[ソース]
あくまで基本。
これにマスタードやサワークリーム、ヨーグルトなど野菜の種類によって入れ作り方の4(下記レシピ参照)で撹拌する。
・塩(ゲランドの塩を使うとなお良い。日本の塩なら赤穂の塩などミネラル豊富なものを)
・ワインビネガー(フランス製のものがあるとよい。イタリアのバルサミコでもよい)
・すり下ろしたニンニク(野菜の量によって加減する)
・オイル(わたしはピュアオリーブオイルを使っている。サラダオイルは風味がないから)
・胡椒(挽きたてがよい)
・お好きなハーブ

[作り方]
1.クレソン、ルッコラ、ラディッシュはよく洗い水を切っておく。好みの大きさに切る。手でちぎってもいい。ラディッシュの葉っぱは切ってこれもサラダに入れる。ラディッシュの実は薄く輪切りにする。
細いアスパラは塩ゆでにする。心が残らないように、また彩りよく仕上げ、冷水で冷やし、水を切っておく
2.ソースは野菜の量によって加減する。ワインビネガー1に対してオイル1の割合。これに塩をひとつまみ少し多いかな、と思うくらい入れる(フランスのサラダは味が濃い)
3.さらに胡椒、ハーブなどを入れる。
4.泡立て器で拡販させる。塩がよく溶けるように
5.野菜を彩りよく飾って、ABCをかけてから4をかける方法と、ボールに野菜を入れ、4をかけて手でよくまぜるてから、皿に盛り、ABCを散らす方法がある。どちらでもお好みで。

以上です。ゲランドの塩は、ミネラルが多く含まれていて、一度使うと、単なる「塩」は使えなくなるほど美味です。フランスでは一般家庭で使われている「普通の塩」です。これが普通なんだから嫌なりますね。また、生ハムやアンチョビやゆで卵などもトッピングは工夫次第で無限の可能性があります。是非お試し下さい。

ゲランドの塩

ワインビネガー(フランス製)

2008/6/2

チンピラに神の綱をつける資格はない  RECOMMENDATION

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現フランス大統領のサルコジ氏は日本に鼻もひっかけないどころか、親日家のシラク氏が大統領だった頃、相撲好きを辛辣に揶揄したことは記憶に新しい。曰く「相撲は知的なスポーツとは思えない。なでつけたポニーテールの太った男同士が戦うことに、誰がそんなに魅了されるのか」まあね。

しかし、サルコー(猿…じゃない、サルコジ氏の俗称)、日本人が、貴国にいくらお金を落としているか知っておるのかね。日本人は、フランスに片思いして久しいのだ。大量のブランド品購入、観光、食料品に酒類……日本人は平和ボケというか、寛容だから君の発言にそれこそ鼻もひっかけなかったが、対日本の貿易勘定書きを見たことを君はあるのか。そして、世紀末のフランス文化に革命をもたらしたのは、日本の文化であったことを、忘れているのか知らないのか。もし知らないとしたら、君こそ教養を疑うね。いずれにせよ、当時は内相であったが、次期大統領を狙っていた人間のいうこととは思えない発言であったことは確か。まあ、この暴言はシラク大統領を挑発する発言とされている。そうやってあちこちにケンカを売るのが彼の常套手段なのである。

シラク氏が、フランス人にとって、いい大統領だったかというとそれはまた別の問題だが、対日本に関しては、並々ならぬ愛を叫んでいた。「源氏物語」の新訳を楽しみにしたり、日本の要人に会う機会あればかならず相撲の動向を聞いていたというし、大統領職をしりぞいた今も、パリで行われる盆栽の博覧会を心待ちにしているという。
なにしろ、シラク氏が訪日するのは、決まって相撲の本場所が行われている時期であった。特別機で九州場所まで行っていたのを見るにつけ、一体誰のお金で見ているのか、ということはしばしば話題になったが、まあ、そこのところは今は置いておいて、日本人にとっては、外国の元首が日本の文化に理解を示してくれたことがうれしいことであったものだ。

現在、相撲の上位力士は外国人で占められている。日本人力士の影の薄いことといったら。なんだか、今場所などは、某大関など、ケガで泣いているのをいいことに、投げやりな取り組みが目立ったが思い過ごしか。

そうそう、取り組み、といえば、最近の本場所の観客動員は若・貴時代の狂想曲のような大入り満員が少なく、野球と同じく、景気が悪い。わたしなどは、「巨人・大鵬・卵焼き」の世代で、大横綱・栃錦の実家が近くにあったりしたものだから、本場所があると、毎日中入り後からはテレビで相撲をだらだら見るのが普通であった。しかし、最近はそうではないらしく、同僚の若い子などは「取り組み」を「試合」というのであった。そうなのか。若者の相撲離れは本当だったのだ、と実感する今日この頃。

わたしも、決まり手や所作や細かい決まり事など、くわしいことはわからないのだが、物心ついたときから相撲は空気のように身近な物だった。先ほどの「トチ(栃錦)」のこともあるが、子供の頃は、相撲部屋が近所にいくつかあって、鬢付油の香りをぷんぷんさせた力士が、そのへんを大股で闊歩していたし、小錦が現役の頃までは、近所の寺で花相撲が行われ、みんなで見に行ったものだった。

相撲の特色というのは、観客がにこにこして見ていることだと思う。格闘技なのだが、他の格闘技、例えば、ボクシングやプロレスなどは、観客が、興奮したり、たけだけしかったりするものだが、相撲の観客は違う。力士を応援して、勝っても負けても、がんばれとばかり、にこにこしている。番狂わせなどあれば、座布団が飛び交うが、怒号は飛び交わない。これは、たぶん、相撲が様式美であり、土俵は神聖なもの(いまだに女性は入れない。これについての賛否は今は問わないことにする)、横綱は神というような、礼節と品格と神聖化が本質にあるからだと思う。栃錦大鵬がいまだに大横綱として尊敬されるのは、そうした神にも似た神々しさと、所作の品格ゆえであろう。野球でいうと、現ソフトバンク・王監督などに似たものがある。求道心というか、武芸者として、技を極めるという日本古来の美学がそこにあるのだ。

若・貴には悪いが、あの時代以降、相撲界に世間は重箱の隅をつつくように醜聞を探し求めるようになった。そして、多くの外国人力士の台頭。親方衆はそれをもてあまし、異文化から来た闘争心に満ちあふれた力士たちと、敬語などまるで使えない、あいさつもそこそこというイマドキの若者力士に精神教育をうまく行えなくなったのではないか。

また、口より先に手が出るのが相撲の社会であることは、昔から知られてきた。それの是非を問うかのような、先頃の不幸なリンチ死亡事件などは、親方の指導力の低下を如実に物語っている。もともと、力士は饒舌ではない。しかし、昔と今では状況が違う。時代にあった指導法をそろそろ自覚し、勉強してもらいたいものだ。

それにしても、今場所の結びの一番は凍り付いた。
千秋楽の結びの一番に観客席の笑顔が消え、沈黙するなどということは、前代未聞である。
私はテレビで観ていたが、朝青龍がダメ押し(北の湖理事長は流れであるといったが、どう考えても過剰である)をし、それをひじだか肩だかで白鵬がどつき、両者、やくざのようなにらみ合い。なんという潔くない、見苦しい所作であろうか。これが最高位の横綱の取り組みの所作なのか。長年観ているが、こんな子供のけんかのような幼稚な横綱は見たことがない。そう、この両横綱は、威厳とか、近寄りがたさとかそんなものがないのだ。怖さの種類がちがう。チンピラみたいなのだ。もはや神聖な綱をつける資格はない。とっととおやめになって、別の現代的な格闘技に鞍替えしたらいかがなものか。

金を稼ぎにきた、有名になりたい、そういうモチベーションは結構。しかし、それだけなら、別に相撲の世界に入る必要はない。格闘技ならあまたある。品格だの、伝統だの、礼儀だのあれこれいわれない世界に行けば良いではないか。
サルコジ大統領に「知的なスポーツではない」と今いわれたら、わたしは、返す言葉がない。
「おすもうさん、おすもうさん」
幼いとき、近所で力士をみかけると、子どもたちは、みな尊敬のまなざしをきらきらさせて、近寄っていった。八百屋さんや魚屋さんや主婦や老人たちも「がんばれよっ」と大きな声を出して激励した。力士たちも、そんな近所の人々の親しみや優しさや応援を胸にきざんで、土俵に立っていた。今、相撲部屋の近所の人たちは、そういう声をかけていますか?

まさに、昭和は遠くになりにけり。
人情を置いてきぼりにして、時間だけが過ぎ、殺伐さだけがただよっている。

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