2008/8/25
おひとりさまの憂鬱 RECOMMENDATION
両親の墓のある場所はとても不便なところにある。千葉の奥地だ。
そこの親戚が、わたしを怒っているという。盆にも彼岸にも来ないとはなにごとか。
といっても、行っていないのはここ一年のことで、それまでは、というか父の三回忌と同時に前倒ししてやった母の七回忌までは律儀に行っていた。田舎には、まあ「当主」としてしがらみがやまほどあるし、姉夫婦と草深い田舎町にレンタカーを借りて行くのはそんなに悪いことではない。しかし、帰ってくると、しばらく気鬱がひどくなるのだ。それで、医者も、無理して行くことはないと止めた。
家では猫と二人暮し。毎晩の「おつとめ」は欠かしていない。信心深いわけではないのだが、寺が開いていた幼稚園に通っていたこともあって、なんとなく、そういうしつけがしみついているのだ。それに、ひとりになるとなおさら、両親や祖父母などの菩提を弔うというか、仏壇にその日にあったことなど話しかけたりすると気持ちが安らぐ。不思議だが、仏壇の前にすわると、猫も来る。わたしの横で、神妙にしている。昨年死んだ猫に呼ばれているのかもしれない。
彼岸もお盆(東京なので七月)も、慣習にのっとってやった。菩提寺の住職を呼んでもよかったのだが、今年はしなかった。住職は市会議員もしているので、多忙なのだ。しかし、供えや送り火や迎え火など、儀式はきちんとやった。田舎に墓参りするのは、確かに大事だけれど、後にくる気鬱を思うと、こちらで丁重に仏事をして、両親に許しを請うことにした。
なぜ、気鬱がひどくなるかというと、田舎の人たちの言動のせいだ。
「いつまでもひとりで、この先どうするのだ」
「子供がいなくて、家系が絶える。考えたことはないのか」
「田舎の土地をどうするのだ。売って欲しい」
「お前、太ったな」
あああああっ!うるさいっ! おまけに最後のはセクハラだ。
たとえば、女性は、頭髪の薄い男性に対して「髪が薄くなりましたね」などとは口が裂けてもいわないものだ。それを、男ってものは……(しかし、この体型の問題は、先週の記事をお読み下さい。めでたく改善しつつありますのでご安心を)
しかし、見事としかいいようがないほど、何もかも、人のアイデンティティーの根幹に鋭利なナイフを突き立てるようなことばかり。
とにかく、それぞれが、自分としては何十年も考え続けてきたことである。祖母、母、父と介護と葬式の繰り返しのその間、婿も、孫の顔も見せられなくて、悪かったと思っているのは、このわたし。それにこんな、介護を次から次へとしょいこんでいる女のところに誰がすすんで婿にはいりたいと思うかね。
裏をかえせば、わたしは、ようやくひとりになって、これから自分の人生を歩んでいくスタート地点に立ったところであるのだ。
それにしても、お正月やお盆は、おひとりさまの地獄のときでもある。
対処法としては、まず、外には出ないようにする。
カップルと家族連れであふれているからである。
そして、テレビのニュースはまず見ない。こういうときは「家族連れがどうの」「実家に帰ってどうの」というニュースがかならず流される。たいがい不愉快になるのである。
かえって、仕事をしたほうがいいので、毎年そうしている。
電車もすいているし、オフィスも閑散としていて、業務に集中できるというものだ。
そして、週末は、猫と、家に鍵をかけて、まったり暮らす。料理をしたり、読書をしたり。合間にトレーニングに出て行くくらいはするが。
しかし、わたしは新聞社に長く世話になっていたのだが、お盆の家族連れがどうのとか、季節の話題の原稿を書いている人が、家族円満かというとそんなことはない。崩壊家族の場合もままある。
こういう稼業は、思っていることと別のことを涼しい顔をして書く。心で泣いて顔は笑う。それがプロというものだ。わたしも頭の中の別人格の「こびと」さんが(これがほんとうに働き者だ)、心にもないことをすらすらと書く。仕事と己の境遇は別ものなのだ。テレビでそういったニュースを読んでいる人(お盆も働いている)もそうであろう。作り笑いがあわれをさそう。
マジョリティーから離れてしまったものは、ステレオタイプにくくられるとつらい。はじかれたような錯覚に陥るからだ。「勝ち組」「負け組」という考えはこういったところからきたのではないか。全く不埒(ふらち)な線引き方法だ。
特に、女性の場合、結婚している人としていない人、あるいは子供がいるかいないか、独り者か、あるいはシングルマザーかといういくつかグループに分かれる。これらのグループは、表面上は愛想よくするが、お互いの間に深くて暗い溝がある。お互いがお互いの苦労をわからないだろう、と腹の底で思っているのだ。したがって、それぞれに接点はなく、歳を重ねるごとに友人関係は希薄になっていく。
正月の空も、お盆の空も、限りなく青く高い。
だれの上にもおんなじに。そして同じ速度で時も過ぎていく。
お互いに孤高の年老いた男女が、バーで「ちいさな幸せなんてしなくていい」という境地に至った二人の、漠々とした砂漠のような人生に、一筋のおいしい水がたらされているような情景を歌っているムーン・ライダースの歌に、ほろりときた。
そう、無理して幸せを探すこともない。
お願いだから、どうか、猫をかたわらに、心静かに読書をしているわたしを、ほおっておいてはくれまいか。
そうはいってもお相手探し
その前に恋愛運を占ってみよう
人生の伴侶、かわいいペット
2008/8/18
脂肪憎しでついに走りだしてしまった RECOMMENDATION
病の事情があり、仕事の他の時間は数年ほど眠るという時期があったが、快方に向かい、昨年の春頃から、「冬眠」で脂肪化した筋肉を取り戻すべく、運動を始めたと、以前書いた。→ 「汗しぼりて新世界見ゆ」 (2007/7/23)
わたしは、やり始めると、しつこいほうなので、平日はダンベル&ストレッチ30分、駅と家まで約2kmを歩く、週末及び祭日などは、日の出の頃に起きて(というか猫に起こされるのでしぶしぶ)、ダンベル&ストレッチをして、小一時間ほどウオーキングの旅に出ていた。みなさんはびっくりするかもしれないが、病のための薬が、代謝を抑える効果があったため、やむを得ない事ながら「三年寝太郎」を数年したら、とんでもなく体重がふえてしまった。しかし、寝るのは、医者の至上命令で、仕方がなかったのだ。
さて、その病も出口がようやく見えてきて、運動して憎い脂肪を減らすべく、続けること1年間。どうだったかというと……なんと体重は減っていないのだ。全くショックであった。
実は、治療の一環でマッサージに週一度行っているのだが、マッサージの先生によると、最近は、背中も足も腕も、筋肉に変わっているという。医者によれば、一連の運動で脂肪が筋肉に取り変わったのだろう、といっていた。
栄養面では、プロの栄養士さんが100点を付けるほど、コントロールしている。これほど努力しているのに、時間をかけてふえてしまった脂肪を退治するのは難しいのだった。つまりは、腹筋運動(もちろんしている)などは、表層的なものであって、わたしの脂肪は、内臓などにしっかりついてしまっているのだ。仕事を1カ月ほど休んで、ダイエットだけに集中すれば、もっと結果がでてくるのだろうが、働きながらでは、なかなか難しい。
さて、ダンベルなどの筋肉をつけて、代謝を高める運動を無酸素運動という。ウオーキングや、エアロビクスなどの飛んだりはねたりする運動を有酸素運動という。わたしの場合、筋肉は増量したわけだから、一定の成果をあげたと見てよい。さらにシェープアップと筋肉増量のために無酸素運動はこのまま持続し、有酸素運動をもう少し増やしたらどうかと考え、ウオーキングのルートの半分を走ることにした。長さにして2kmくらいになろうか。
周りの人に、急にやると大変だよ。といわれたので最初は500mくらいにしてみた。でも走ってみたら、結構簡単だった。ダンベルやストレッチで体が出来ていたのだろう。気持ちもさわやかになって、頭の回転もよい。そうか。欠けているのは駆けることだったか、とオヤジギャグを心の中でつぶやきつつ、走る距離を徐々に伸ばしていった。
すると、どうだろう。
手足や、首周りなどは、ダンベルとストレッチで細くなったのだが、お腹がぽっこり出ていた。それが、走り始めて4カ月もしたら、ぽっこりがなくなってきたのだ。
へーすごいや。
わたしは、目が悪いのだが、週末ということと(週末くらいコンタクトはとりたい。眼鏡は汗をかくと落ちる)、土地勘があるということもあり、眼鏡もコンタクトもせずに(考えてみたら危ないな)トレーニングに出かける。でも、最近は、土手を走っていると、やはりトレーニングしている人たちがあいさつしてくれる。視力が弱いので、顔が全然覚えられない。でも服装なんかはわかる。これってなんだか「一人でやっている感」がなくて、大変力強い。細身の人もいるが、かっぷくのいい人、高齢で、足を鍛えている人、犬の散歩など、さまざまだが、日の出とともにわらわらでてくるわたしも含めたこの輩は、みな同士だ。ただすれちがって行くだけなんだけども「脂肪が憎い」あるいは、「体力が衰えるのが嫌」という共通項がある。
加えて、夏だからというのもあるのだが、水をたくさん飲むことにした。これが予想外の効果を生んでいる。普通にしていても、1日1リットルは飲んでいるらしいのだが、さらに意識的に1リットルの水を、1日何度にも分けて飲む。そうすると、尿の回数は増えるのだが、ある日、「肌がキレイになったね。」と何人もの人に言われた。始めてたった1週間である。医者に話したら、これは、腎機能に問題がある人はNGだそうだ。腎臓が健康な方だけお試し下さい。
腎機能で思い出したが、人間ドックがあり、実はそこで体重がひとつも減ってないという衝撃的な事実をつきつけられたのだが(はっきりいって、こまめに体重計に乗るのは、ダイエットの基本なのだが、「三年寝太郎」などして爆発的に体重が増えると、体重計そのものが怖くて乗れないのだ。「怖いことは、無理してしないほうがいい」と医者も言ってくれたので、そうしている。情けないことにほんとに怖いのだ)、腎機能、肝機能、血液の成分、コレステロール、中性脂肪などの数値が、劇的に良くなっていた。若者といってもよく、「健康優良児」のスタンプがもらえるほど。つまり、表面的な体重は減っていないが、血液をふくんだ内臓器官の革新はこの1年で行われたということだ。地道なトレーニングの積み重ねは、全く無駄ではなかったようだ。
実は、初夏に、ちょっときつめのトレーニングウエアを買った。お腹がぽっこり見えて、とっても醜かったのだが、最近、ぽっこりがなくなってきてうれしい。すこしゆるみもでてきたくらい。トレーニングの後の庭仕事も、汗だくになって、いいのかもしれない。なにより、1週間の宮仕えの垢をぎゅーっとしぼりだせるのがいい。今は夏だから、庭仕事が終わると、水風呂にはいる。これがまた、気持ちいい。水風呂といっても、夏の水だから、ぬるま湯なんだけどね。
その後、台所仕事をやる。「三年寝太郎」だったときには考えられない。これは普通の仕事だけれど、あまりにも疲れすぎると、普通のこともできなくなってしまうのだ。そして、医者の助けをかりて、ようやくまた普通のことができるようになった。色々なことの相乗効果なのだろうが、「脂肪憎し」のモチベーションが、自然と体を動かせるように働いて、結局体の中身はキレイになってきた、ということなのだろう。
いつになるかわからないけど、目的達成して、脂肪撲滅に成功しても、トレーニングは続けようと思う。いまさらであるが、運動はなかなか壮快である。
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2008/8/11
君はニャロメが描けるかね? シェーッ! RECOMMENDATION
赤塚不二夫氏の葬儀で、弔辞を読んだのはタモリだった。
万感をこめて「わたしもあなたの作品のひとつでした」と言って遺影を凝視した。
大阪万博の太陽の塔(岡本太郎作)の下で「シェー」をしたのは何を隠そうわたしと姉である。写真が残っているから、隠しようがない。当時は、女の子も男の子もみんな、カメラを向けられると「シェー」をした。そんなこと、今の時代で、あるだろうか。
「シェー」は「おそ松くん」の登場人物、おフランスかぶれの「イヤミ」がやるのであるが、「○○ざます」といやらしい言葉遣いの「イヤミ(しかしすごいネーミング)」が、突然、驚くと「シェー」っとへんなポーズをやるので、そのギャップのおかしさが、子どもたちの心をわしづかみしたのだ。
いまやわたしは、「イヤミ」に負けない立派なフランスかぶれになったが、どちらかというと、一年中「シェー」としているのがフランス人のような気がして仕方がない。日本人のほうがとりすましていて、よっぽど「イヤミ」である。ねえ、福田首相。たとえば、ほら、あなたですよ、あなた。
昭和30年代後半から40年代に子供だったら、みんな、画用紙にそらでニャロメが描けるはずである。これは年齢リトマス紙、いわば踏み絵である。
ニャロメは赤塚氏がむちゃくちゃにいじめた猫がモデルで、何度いじめても帰ってきたということをどこかできいたことがある。いじめつつも猫は大好きだったようで、ほほえましく猫と写っている写真を見たことがある。
女の子たちはみんな「ひみつのアッコちゃん」が大好きだった。画用紙にクレヨンで何度も書いたものである。今だって描けるに違いない。しかし、原作が「おそ松くん」の赤塚氏だったとは知らなかったので、大きくなってから知って、その違和感がなんだかショックだったが、アッコちゃんのボケぶりとか、まわりの登場人物の強引ぶりとか、ぶっとびぶりを考えてみると、つじつまが合い、「レレレのレ」と、おのれの敗北を認めざるを得ななかったのであった。それに、あのアッコちゃんの髪型は、女の子から見ると、再生不可能であり、女性作家でないことは、一目瞭然である。(女性作家だったら、再生可能な髪型しか描かぬものである)
そんなレレレの世界がさらに広がったのは高校生の頃である。
当時は、濫読をしていて、SFでは筒井康隆を同級生と貸し借りしあって、当時出ていた物は読破していた。まったく女子高校生のやることではないが、あのエロで破天荒なドタバタの連鎖に見え隠れするインテリジェンスが、なんともたまらない魅力だった。同じような文体のジャズピアニストの山下洋輔の本も、その頃、授業中我々の机の下を回っていた。そのエッセイにタモリとの出会いが出てきて、驚いたものである。
そのエッセイによると、当時、山下洋輔のトリオは九州に演奏旅行に行っていた。いつもどおり演奏よりも、打ち上げの方に、エネルギーを燃やしていた。やはり、そのときも、サックスの坂田明以下、旅館でどんちゃんさわぎをしていた。そこに、ひょっこりあらわれた、見知らぬ男が現在のタモリだった。もうすでに「四カ国語麻雀」や「イグアナ」などの芸が完成しており、山下たちは、その斬新さに驚き、あんまり腹を抱えて笑ったもので、これをは仲間に見せるしかない、と強い決意を持って帰京したのだった。
そして、タモリを九州から呼び寄せ、新宿のいきつけのバーで「仲間」の筒井康隆御大、赤塚不二夫氏などの前で、延々五時間も密室芸を披露した、と書いてあった。
そこでこの赤塚、山下トリオ、筒井、タモリがみんなつながっていたのかと合点がいった。彼らの笑いというのは、何というか、共通項があるのだ。上方や浅草などの芸人の笑いとも違うし、落語などとも違う。いわば一匹オオカミのような孤高の笑いなのだ。
漫才ブームのとき(1980年代)友人とタモリ派かビートたけし派かということで論じ合ったことがあったが、たけしの笑いというのは、浅草の芸人魂が見え隠れする、そういう笑いをさらに過激にしてスピード感をつけたもので、タモリの笑いというのは、そういうものとは次元のちがって、ストーリー性はまるでないのだが、筒井文学のエスプリのような、天分でやっている知的なゲームのような、どちらかといえば、パロディの世界なのであった。たぶん、いまだにたけしとタモリは話が合わないと思う。笑いの哲学というか、人生哲学の立ち位置が全く違うのだから。
さて、赤塚氏は、タモリに一目惚れしてしまい「九州にこの男を帰さない」と、自宅に住まわせることにした。といっても当時は超売れっ子作家だったから、赤塚氏は仕事場に寝泊まりしてた。そこでタモリは赤塚氏のマンションに住まうことになった。ときどき山下氏が行くと、ガウンなんか着ちゃって、一番いい酒を飲んだりして、オーナーきどりだったという。
それから、赤塚氏がいろいろ売り込み、タモリは毒のあるタレントとして、頭角をあらわし、「笑っていいとも」ですっかり国民的人気を手に入れた。山下氏によると、赤塚氏にさんざん世話になっておきながら、タモリは赤塚氏にへこへこすることもなく、お礼をいうこともなかったという。当の赤塚氏は「俺はおまえの才能に惚れたんだからな。」といってはばからなかったという。全くあっぱれなる関係である。
そのタモリが、弔辞で、自らを赤塚氏の「作品」と称し「礼」を言った。
弔辞を読んでからすぐに「笑っていいとも」の生放送にタモリは出ていた。
笑ってはいたけれど、どこか寂しげで、実態がなくって、なんだかみていられなかった。
彼の胸に去来するもの、喪失感の大きさは、彼にしかわからない。
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今こそ数々の名作を読み直そう
あのキャラクターがキュートなグッズに!
2008/8/4
教師は聖人ではない 奔放なるルソーの昔から RECOMMENDATION
「そんなにまでして、校長になりたいんでしょうかねえ。」
あるTV局社員のベテランキャスターが、一連の教員汚職の話題にコメントした。校長や副校長になるために、心付けとして教育庁などの関係者に金や金券を送っていたという一連の問題についてである。
確かに正論だが、就職活動などで、有利になるようにコネをつかったりするというのは行われているのは公然たる事実で、放送局も例外ではないはずである。まあ、それが直接合否に結びつくかどうかとかは別だし、金品とかはないのかもしれないけれど。
わたしの家は代々教育一家である。
なので、このニュースを聞いても「何をいまさら。」というのが正直な感想であった。教育界というのは、学校が閉じた社会であるのと同じように、教員の人間関係も閉じた社会である。それが嫌な故、わたしは、大学で断固として教職課程をとらなかった。わたしが教職につこうと思えば、知り合いだらけである。きっともっと簡単な人生だったと思う。でも、だからこそ、嫌だったのだ。学校の敷地内の中しか知らない「世間知らず」になりたくなかった。
教員になると、ヒラ→学年主任→教務主任とお鉢がまわっていく。教務主任になると、管理職試験、つまり、校長、副校長(昔は教頭と言った。以下は、昔の話なので、教頭と書くことにする)になるための試験を受けないか、といわれる。母は現場が好きなので断った。父は、受けることにした。
それまで、家族は毎夏旅行に行っていた。しかし、父が教頭試験→校長試験を受験することになってからは、それに専念するため、全く行かなくなってしまった。大阪万博のころであった。大阪万博から紀伊半島を一周する旅にでたのが、最後の家族旅行だ。それから、父は10年近く受験生として、大変な苦労をする。眼底出血にはなるわ、高血圧になるわ、怒りっぽくなるわ、まあ、家庭崩壊一歩手前である。
当時の管理職試験は、筆記(記述式小論文)と面接だった。それのための塾もあって、祖母の後輩であった、口八丁手八丁の女校長の紹介である塾に所属した。通常業務をしながら、早朝と夜と、勉強の日々が始まった。父は、どちらかというと、文章を書いたり、本を読んだりするのは好きだったので、そちらの方は割合順調だったようだ。
しかし、致命的な欠点があった。それは、父が全く社交的でなかったという点である。同僚と飲みに行くこともなく、仕事が引ければ家に直帰。好きなオーディオと園芸三昧だった。昭和一桁、山形生まれで七人兄弟の三男坊、玄人はだしの俳人で商店を経営していた父の父親は、早くになくなってしまい、一家は路頭に迷う。三男坊はごくつぶしとばかりに、里子につぐ里子、たらい回しにされた父は、すっかり人間不信になってしまっていたのだ。
社交的なことがなぜ大切かというと、試験官などと顔見知りになったり、他の校長などとコネをもったり、という政治的な戦略がどうしても必要なのだ。
教育界は閉じた世界である。大学を出てから、すぐに教室で生徒を任され、王様のように君臨する。教室に入ってしまえば、そこは密室。誰も文句がつけられない。お互いを「先生」呼ばわりし、それぞれの授業には干渉しない。毎日毎日自分の城の中で暮らすがゆえ、世の中で常識的なことを知らなかったり(例えば、母は、しばらくの間、キャッシュカードを知らなかった。昔は用務員さんが振り込みなんかもしてくれたりしたみたいだ。今はそんなことないと思うけども)、酒を飲みながら授業をするような非常識がまかりとおったりするような、村社会だ。そんな中で、クチコミで、どうやったら試験をクリアーできるかということが連綿と伝えられていく。有力者に心付けをあげることが恒常的な地域では、それが常識になっていただろうことは想像に難くない。そして、それに対して、誰も疑問を感じない。だから、今度の事件は、別に特別でもなんでもなくて、各自治体をたたけば、全自治体から、似たような話が山のようにでてくるに違いない。
父は、論文試験ではいつも成績が良かった。
こういうことは内々のルートで試験の翌日かその日の深夜にはわかってしまうのだ。それも異常なことだが、誰も異常とは思っていない。しかし、問題は、面接である。人付き合いが下手な父は、面接で点を稼ぐことができず、何年も浪人した。年下の論文の点がはかばかしくない仲間に先をこされることもあった。「一体なぜ!?」と呻吟した。とうとう、ストレスで眼底出血になり高血圧になった。子供たちは、進学などの重要な時期である。しかし、そんなことにかまう暇はない。子供は親に不信感を持った。なによりも父の試験が家庭では優先される。子供のことはほとんど無視に近かった。
それでも何年かして、やっと教頭試験に受かった。しかし、人脈にも頼らず、おべっかもつかわなかった父がどういうところに赴任させらるかというと、先生たちが組合活動に没頭しているところである。教育現場というのは、みなが思っているほど楽ではない。生徒を管理し、勝手きままに一国の主となっている先生たちをまとめていかなくてはならない。特に苦労するのは組合の強い学校である。そこでは、管理職の言うことは全部ノーである。こういう学校は、概して生徒も荒れる。先生が自己の権利を守ることに腐心するあまり、教育に愛を持つのを忘れるからだ。教育というのは、自分を捨てて、人を育てることだと私は考える。よって、自己の権利を一義に考えることと、子供に愛をそそぐことは共生しないとわたしは考える。もちろん、人権は大切だが。
しかし、現実は現実。「組合活動命」の先生方に対抗するという苦労をしながら、今度は校長試験にトライすることになる。
さすがに、父も、校長試験のころには、処世術も少しはできてきたらしく、それほど苦労することはなかった。しかし、家族はすっかり疲弊しきっていた。わたしも姉ももう自暴自棄である。十年近く親との親密な会話はなきに等しく、進学先も悩みも何もかもみんな自分でなんとかした。よくまあ、家庭内暴力が起きなかったと思う。それほど、管理職試験というのは、家族を犠牲にして成り立つものなのだ。やっと父に余裕が出た頃、子供との距離は想像以上に開いていた。今でも姉とよく話すのは「お父さん、ヒラでもよかったのにさ」であった。
さて、校長になった父は、児童相手に爆発する。趣味の園芸を教育現場で推進させたのであった。自然と親しむ、という大きな教育的目的はあったのだが、全校生徒に朝顔くらいならまだしも、蘭だの菊作りまでさせるというのは父くらいのものだ。(まあ、これはなかなか世間的にも評判が良かったらしいが)さぞかし天国でも園芸をしていることであろう。
さて、最近の教育汚職であるが、これは、とにかく根が深い。まず全国的に行われていると考えて良い。今、各自治体の教育庁は、軌道修正に必死なはずだ。
なにしろここまで書いてきたように、かくも管理職試験は、犠牲にするものが多いのである。したがって、そこにつけこみ、楽にクリアーできるよう、金品を要求するような輩が現われるのは、安直にも古くからあったことなのである。
金、コネ、愛想、実力はその次くらい。
試験に没頭しているときは、仕事は二の次。
ヒラの先生方は組合活動に邁進。
子供が荒れるのも仕方のないことではないかとつくづく思う。
勉強が上手で学校では成績優秀、弱者の苦労を知らずに、いわゆる文部科学省のキャリアになった現場知らずのエリート役人たちがそれを統べるのであるから、何をかいわんやである。
■自分のライフスタイルを見つめなおす
■今年は親子でチャレンジ夏休み自由研究
■楽しむ学ぶ世界の知育玩具
■学ぶ楽しさをもう一度「大人の科学」
熱血教師 古今東西
■3年B組 金八先生
■ROOKIES
■いまを生きる

