2008/4/10 13:54
そして三たび就職活動(最終回)〜欧州大陸進出!〜 就職活動
3月19日(水)人材紹介会社から電話がある。先に電話面接した大手物流会社からよい返事が来て、私が次のステップに進む可能性が高い旨示唆された。翌20日、最終面接に来て欲しい旨連絡があり、急遽28日(金)に東欧某都市にて面接することとなった。29日に東欧から北欧に戻り、30日は北欧から日本に戻る、という慌しいスケジュールとなった。ま、私はある意味常に慌しいが。
予定通り3月28日(金)東欧某都市にて面接。その場で内定をもらった。可能であれば引継ぎの観点から、3ヶ月のビザなし滞在を利用してすぐに来てもらいたい、ということであった。既に送付した引越しの荷物は近々ほとんど必要のない本、DVD、CDの類が中心であったため、私としては飲み会をキャンセルするくらいで、特段問題なかった。30日の成田行きのフライトについては変更不可のチケットなので、乗っても乗らなくても料金を払わなければならないが、これは駐在帰任費用ということで在職中の会社が払うことになっている。ただし東欧に行くのであれば、この日の営業時間中に成田行きのフライトをキャンセルしておかなければならない。私はその場で北欧の旅行代理店に電話し、成田行きのフライトをキャンセル。代わりに東欧某都市行きの片道チケットを購入した。
物流拠点も二箇所見せてもらい、仕事に関するイメージが湧いてきた。今回は飛行機に乗る出張はゼロで、腰をすえてじっくりと仕事をしていく。やる気と実力次第で営業などになることも可能だ。物流は泥臭い仕事だが、これまでも部品メーカーで泥臭い部分はある程度経験しているし、メーカーからは見られない切り口でビジネスが勉強できる。東欧の現地採用なので給与は高くないが、どの仕事も一長一短であり、楽して儲かる仕事はない。
3月30日(日)予定通りアパートを引き払い、オフィスを片付け、北欧某都市に別れを告げた。東欧某都市の空港には同僚になる方に迎えに来てもらい、会社が用意してくれた借り住まいに入居。4月1日(火)より早速業務についた。
新しい国で、新しい業界で、新しい会社で、新しいポジションで、とすべてが新しい環境の中、私の人生の新たな章がスタートした(「そして三たび就職活動」終わり)。
予定通り3月28日(金)東欧某都市にて面接。その場で内定をもらった。可能であれば引継ぎの観点から、3ヶ月のビザなし滞在を利用してすぐに来てもらいたい、ということであった。既に送付した引越しの荷物は近々ほとんど必要のない本、DVD、CDの類が中心であったため、私としては飲み会をキャンセルするくらいで、特段問題なかった。30日の成田行きのフライトについては変更不可のチケットなので、乗っても乗らなくても料金を払わなければならないが、これは駐在帰任費用ということで在職中の会社が払うことになっている。ただし東欧に行くのであれば、この日の営業時間中に成田行きのフライトをキャンセルしておかなければならない。私はその場で北欧の旅行代理店に電話し、成田行きのフライトをキャンセル。代わりに東欧某都市行きの片道チケットを購入した。
物流拠点も二箇所見せてもらい、仕事に関するイメージが湧いてきた。今回は飛行機に乗る出張はゼロで、腰をすえてじっくりと仕事をしていく。やる気と実力次第で営業などになることも可能だ。物流は泥臭い仕事だが、これまでも部品メーカーで泥臭い部分はある程度経験しているし、メーカーからは見られない切り口でビジネスが勉強できる。東欧の現地採用なので給与は高くないが、どの仕事も一長一短であり、楽して儲かる仕事はない。
3月30日(日)予定通りアパートを引き払い、オフィスを片付け、北欧某都市に別れを告げた。東欧某都市の空港には同僚になる方に迎えに来てもらい、会社が用意してくれた借り住まいに入居。4月1日(火)より早速業務についた。
新しい国で、新しい業界で、新しい会社で、新しいポジションで、とすべてが新しい環境の中、私の人生の新たな章がスタートした(「そして三たび就職活動」終わり)。
2008/4/9 5:42
そして三たび就職活動(5)〜欧州での就職活動〜 就職活動
欧州内での就職活動は芳しくなかった。
12月のクリスマス、1月の年末年始の休暇を挟んだ、というタイミングの問題もあるが、具体的な案件が出てきたのが1月後半から。主にイギリスとドイツの人材紹介会社4社を通じ履歴書を提出するものの、なかなかハマる案件がなく、電話面接まで進めなかった。
まずアメリカに比べて欧州では私の求めるポジションが少ないというのが困難でもある理由。比較的あるのはイギリスとドイツだが、いずれも日本人が多い地域なので、労働許可を持っている人も結構居る、ということだ。「ビザサポートはしない」という企業でも、ダメモトで履歴書を提出するが、やはり先には進めなかった。
3月5日に紹介を受けた東欧での大手日系物流会社のコーディネーターも念のため申し込むが、どのみちビザ取得に掛かるので、一旦は日本に帰国する可能性が高くなってきた。よって3月30日発で成田行きのチケットを予約。これは駐在からの帰任費用ということでアメリカに戻る航空券と引越し代については会社側が出すことで合意していたため、それより安い費用であれば問題はなかった。
最後の活動として3月14日(金)にドイツ・デュッセルドルフにある人材紹介会社を訪問。このエリアに日本企業が約500社あるので、地元の人材紹介会社と仲良くなって案件を紹介してもらおうと思ったためだ。場合によっては日本に戻ってからも紹介を受ける可能性がある。さらに同日、上記物流会社と電話面接をした。電話面接したのはこの企業が初めてで、話した感じは好感触であった。しかしEU内で働けるビザを持っている人が優先、ということで、どのようになるか全くわからなかった。
とにかく北欧某都市からは出なければならない。ドイツ・デュッセルドルフから戻った私はアパートの整理を初め、日本行きの荷物を積め始めた(続く)。
12月のクリスマス、1月の年末年始の休暇を挟んだ、というタイミングの問題もあるが、具体的な案件が出てきたのが1月後半から。主にイギリスとドイツの人材紹介会社4社を通じ履歴書を提出するものの、なかなかハマる案件がなく、電話面接まで進めなかった。
まずアメリカに比べて欧州では私の求めるポジションが少ないというのが困難でもある理由。比較的あるのはイギリスとドイツだが、いずれも日本人が多い地域なので、労働許可を持っている人も結構居る、ということだ。「ビザサポートはしない」という企業でも、ダメモトで履歴書を提出するが、やはり先には進めなかった。
3月5日に紹介を受けた東欧での大手日系物流会社のコーディネーターも念のため申し込むが、どのみちビザ取得に掛かるので、一旦は日本に帰国する可能性が高くなってきた。よって3月30日発で成田行きのチケットを予約。これは駐在からの帰任費用ということでアメリカに戻る航空券と引越し代については会社側が出すことで合意していたため、それより安い費用であれば問題はなかった。
最後の活動として3月14日(金)にドイツ・デュッセルドルフにある人材紹介会社を訪問。このエリアに日本企業が約500社あるので、地元の人材紹介会社と仲良くなって案件を紹介してもらおうと思ったためだ。場合によっては日本に戻ってからも紹介を受ける可能性がある。さらに同日、上記物流会社と電話面接をした。電話面接したのはこの企業が初めてで、話した感じは好感触であった。しかしEU内で働けるビザを持っている人が優先、ということで、どのようになるか全くわからなかった。
とにかく北欧某都市からは出なければならない。ドイツ・デュッセルドルフから戻った私はアパートの整理を初め、日本行きの荷物を積め始めた(続く)。
2008/4/8 4:09
そして三たび就職活動(4)〜失意〜 就職活動
翌3月1日(土)も9時半に同社を訪問。Yさんとではなく、いきなり社長が会いたいという。社長の部屋に通され、Yさんも同席して面談。社長の質問に回答する形で話を進める。話の中で「現在在籍している会社と御社は文化的に似ている部分があり、転職しても順応できる」と言うことを話した際、少々言葉足らずではあった。面談はわずか15分くらいだったろうか。非常に短かった。
その後、待つように言われてYさんの部屋で待つ。非常に長い間だったので、そばにいた日本人の現地採用の方と話をしたり、コーヒーをすすりながら待つ。
20分後くらいだろうか、ようやく戻ってきたYさんは口を開く。
Yさん:「結果については皆と相談して、来週なるべく早いタイミングで回答します」
「あれっ!?」と思った。「内定です!」という返事を期待していたので、予想外の控えめなコメントと浮かない様子のYさんに私はすぐに異変を察知した。率直に教えて欲しいと突っ込むと、社長がNoを出したそうだ。私が両企業を「似ている」と表現した事に関して、「潰れそうな赤字企業と優秀な当社を一緒にされた」と捕らえたそうだ。また、同企業の文化に私が合わないのではないか、さらには20代後半の若い奴がよいのではないか、というフィードバックだった。
私は事実上内定が出ていた、と安心していた面もあり、確かにガツガツアピールする、というよりは自然体だった。確かに面談での受け答えもよくはなかったが、それだけで不採用になるほど酷いとも思えなかった。しかも20代後半の若くて元気な奴がよければ、履歴書時点で私は最初から除外されなければならない。どうやら中途採用の離職率の高い企業の社長は、私がこの企業の文化に合わず、長続きしないのではないか、とカンピューターで判断したようだ。
Yさんはこれまで私を採用する気満々であり、面談した他の日本人スタッフも私を評価してくれていたので、Yさんは「試用期間3ヶ月間だけでもやらせてくれ、などと社長ともう一度話をしてみる」と言ってくれた。ただ私の中で、その可能性はないことはわかっていた。強烈な縦社会の企業で社長の決定はファイナルだし、社長が反対している人物の採用に固執すればYさんの立場も危うくなる。仮にオファーを受けたとしても、私の採用について納得していないトップがいる企業に行くのはどうかとも思う。
「たら」「れば」の話はしてもあまり意味がないが、「顧客との緊急ミーティングがなければ」、「本社の社長がアメリカに来ていなければ」「仮に一週間ずらしたタイミングで面接があったのなら」と考えると、いつもは能天気な私でも、大きな期待を胸に北欧からはるばるやってきて、さすがにガッカリした。当然アパートの契約など出来るわけがなく、代わりに買い物をし、ジョン・トラボルタ主演映画のDVD「Civil Action」を見て、アメリカにいる友人二人にこの件を話して少々気を紛らわせた。
翌週、北欧に戻った私は、予想どおり不採用通知のE-mailを受領した。
一度掴んだと思った「アメリカでの再スタート」はウナギのように私の手からスルリと離れていった(続く)。
その後、待つように言われてYさんの部屋で待つ。非常に長い間だったので、そばにいた日本人の現地採用の方と話をしたり、コーヒーをすすりながら待つ。
20分後くらいだろうか、ようやく戻ってきたYさんは口を開く。
Yさん:「結果については皆と相談して、来週なるべく早いタイミングで回答します」
「あれっ!?」と思った。「内定です!」という返事を期待していたので、予想外の控えめなコメントと浮かない様子のYさんに私はすぐに異変を察知した。率直に教えて欲しいと突っ込むと、社長がNoを出したそうだ。私が両企業を「似ている」と表現した事に関して、「潰れそうな赤字企業と優秀な当社を一緒にされた」と捕らえたそうだ。また、同企業の文化に私が合わないのではないか、さらには20代後半の若い奴がよいのではないか、というフィードバックだった。
私は事実上内定が出ていた、と安心していた面もあり、確かにガツガツアピールする、というよりは自然体だった。確かに面談での受け答えもよくはなかったが、それだけで不採用になるほど酷いとも思えなかった。しかも20代後半の若くて元気な奴がよければ、履歴書時点で私は最初から除外されなければならない。どうやら中途採用の離職率の高い企業の社長は、私がこの企業の文化に合わず、長続きしないのではないか、とカンピューターで判断したようだ。
Yさんはこれまで私を採用する気満々であり、面談した他の日本人スタッフも私を評価してくれていたので、Yさんは「試用期間3ヶ月間だけでもやらせてくれ、などと社長ともう一度話をしてみる」と言ってくれた。ただ私の中で、その可能性はないことはわかっていた。強烈な縦社会の企業で社長の決定はファイナルだし、社長が反対している人物の採用に固執すればYさんの立場も危うくなる。仮にオファーを受けたとしても、私の採用について納得していないトップがいる企業に行くのはどうかとも思う。
「たら」「れば」の話はしてもあまり意味がないが、「顧客との緊急ミーティングがなければ」、「本社の社長がアメリカに来ていなければ」「仮に一週間ずらしたタイミングで面接があったのなら」と考えると、いつもは能天気な私でも、大きな期待を胸に北欧からはるばるやってきて、さすがにガッカリした。当然アパートの契約など出来るわけがなく、代わりに買い物をし、ジョン・トラボルタ主演映画のDVD「Civil Action」を見て、アメリカにいる友人二人にこの件を話して少々気を紛らわせた。
翌週、北欧に戻った私は、予想どおり不採用通知のE-mailを受領した。
一度掴んだと思った「アメリカでの再スタート」はウナギのように私の手からスルリと離れていった(続く)。
2008/4/7 5:21
そして三たび就職活動(3) 〜最終面接 in ダラス郊外〜 就職活動
2月28日(木)、私はパリ経由で再びアメリカ・ダラスに到着した。到着しホテルにチェックインした後に、Yさんから電話がある。
翌29日にYさんと面談予定だったが、顧客との重要なミーティングが入ってしまい、本社から社長も急遽ダラス入りしたので、29日は会えない、という。ただし29日は電話面接した2名との面談、プラス社内見学を行い、翌3月1日にYさんと面談することとなった。
29日(金)は予定通り朝9時半に訪問。日本人役職の2名と個別に1時間ずつ面談したうえで、以前私が住んでいたアパート近くのベトナム料理屋で昼食を取る。これは以前からニアミスしていたに違いない。午後は別の日本人2名にオフィスと倉庫を見せてもらい、色々な質問をして話を聞く。話の中で、少々気になったのはこの企業は非常に体育会系で、残業が非常に多く、本社にて中途採用される人間の離職率が高い、と言う点。また日本からの駐在員は土曜日も半日出勤しているという。
アメリカにある日本企業は時差の関係で、アメリカ時間夜から日本の勤務時間が始まるので、どうしても残業が多くなりがちになる。この点は以前も経験済みだし、体育会気質と離職率が高い、と言う点もアメリカ現地採用ならば日本の本社に行く機会がないそうなので、対応可能だろう、と考えていた。もちろんあらかじめ知っておくことはよいが、会社というものは入社してみないとわからない部分が多いので、なんやかんや入社しない理由はいくらでもつけられる。私は既にこの企業で働くことを決めていた。
この日は将来同僚になる人たちと予定外に長く話をしていたので、午後3時前にYさんが戻ってきた際に会うことができた。Yさんと軽く話しをすると、本社社長が私に是非会いたいそうなので、翌3月1日(土)に急遽社長とも面談することになった。
この後、私は以前住んでいた近くによいアパートがあることを知っていたので、土曜日の午後に予約を取り、他によさそうなものを幾つかインターネットで調べておいた。アメリカで住所が決まらなければ車を買うことができないので、土曜日に見学して問題なさそうならばアパートの契約をしてしまおうと思っていた。
また欧州に残された時間を使ってどこを観光し、3月下旬に有給休暇を利用して、いつダラス入りし、銀行口座を開いて、どこで車を購入して、などの計画を立てた。それにしても昨年12月末にダラスを訪問した際に銀行口座を閉じてしまったのは早計だった、と後悔した(続く)。
翌29日にYさんと面談予定だったが、顧客との重要なミーティングが入ってしまい、本社から社長も急遽ダラス入りしたので、29日は会えない、という。ただし29日は電話面接した2名との面談、プラス社内見学を行い、翌3月1日にYさんと面談することとなった。
29日(金)は予定通り朝9時半に訪問。日本人役職の2名と個別に1時間ずつ面談したうえで、以前私が住んでいたアパート近くのベトナム料理屋で昼食を取る。これは以前からニアミスしていたに違いない。午後は別の日本人2名にオフィスと倉庫を見せてもらい、色々な質問をして話を聞く。話の中で、少々気になったのはこの企業は非常に体育会系で、残業が非常に多く、本社にて中途採用される人間の離職率が高い、と言う点。また日本からの駐在員は土曜日も半日出勤しているという。
アメリカにある日本企業は時差の関係で、アメリカ時間夜から日本の勤務時間が始まるので、どうしても残業が多くなりがちになる。この点は以前も経験済みだし、体育会気質と離職率が高い、と言う点もアメリカ現地採用ならば日本の本社に行く機会がないそうなので、対応可能だろう、と考えていた。もちろんあらかじめ知っておくことはよいが、会社というものは入社してみないとわからない部分が多いので、なんやかんや入社しない理由はいくらでもつけられる。私は既にこの企業で働くことを決めていた。
この日は将来同僚になる人たちと予定外に長く話をしていたので、午後3時前にYさんが戻ってきた際に会うことができた。Yさんと軽く話しをすると、本社社長が私に是非会いたいそうなので、翌3月1日(土)に急遽社長とも面談することになった。
この後、私は以前住んでいた近くによいアパートがあることを知っていたので、土曜日の午後に予約を取り、他によさそうなものを幾つかインターネットで調べておいた。アメリカで住所が決まらなければ車を買うことができないので、土曜日に見学して問題なさそうならばアパートの契約をしてしまおうと思っていた。
また欧州に残された時間を使ってどこを観光し、3月下旬に有給休暇を利用して、いつダラス入りし、銀行口座を開いて、どこで車を購入して、などの計画を立てた。それにしても昨年12月末にダラスを訪問した際に銀行口座を閉じてしまったのは早計だった、と後悔した(続く)。
2008/4/6 20:01
そして三たび就職活動(2) 〜Back in the USA〜 就職活動
ところが、である。
2008年2月初旬、アメリカ事務所の上司がダラス郊外の某日系メーカーが日本人の営業マンを探している、という話をしてくれた。これは、アメリカ事務所にいる同僚Mがかつて別の会社で購買をやっていたときに取引があった企業で、ダラス郊外にある日本料理屋でYさんという人と再会し、「20代後半の現地採用の日本人が退職してしまい、代わりを探している」話を聞いたそうなのだ。そして同僚Mも御丁寧に、「以前ダラス郊外におり、現在北欧にいる営業マンが会社を辞めようとしている」と簡単に私のことを紹介してくれたそうなのだ。
私は早速同僚Mから先方の電話番号を教えてもらい、2月8日、出張先のドイツのホテルから電話。一度目は留守録に自己紹介を残し、ドイツ時間深夜になって二度目の電話。今回は取ってくれたので仕事内容を確認しつつ、自分を売り込んだ。30分程度話してメールアドレスを聞き、履歴書を送付した。
それから5日後の2月13日、夜9時前に自宅ソファーで少し横になっていたら突如携帯電話が鳴る。先日お話したYさんだ。
Yさん:「できればこれから45分後くらい、あるいは明日に電話面接したいのですが、御都合は如何でしょうか?」
突然ではあったが、ウェブサイトも見て先方企業についての下調べはしておいたし、準備はできている。私は今からでも問題ない旨伝えて電話を待つ。そして45分後にYさんと他の日本人駐在員二名、合計3人との電話面接が始まった。英語で数分自己紹介し、30〜40分程先方の質問に答える形で話をした後、Yさんはしばらく電話を保留にした。
Yさんは他の二人と相談して私を最終面接に呼ぶことを即決したようで、給与の話をしてきた。Yさんは数日中に本社の社長の承認を得る、という条件付きではあるが、退職した営業マンがもらっていた金額に上乗せした額をオファーしてくれ、最終面接に来てもらいたい旨の発言があった。私はパッケージで考慮する、と返答し、最終面接に掛かる交通費、引越代、ビザ移転代、健康保険、年金について確認し、納得できる回答を得られた。その週の末までに本社社長の承認が降りれば、その条件での正式なオファーとなり、最終面接を経て採用予定だ、という。ダラス訪問の希望日、フライトを予約するかしないか、そして4月1日から業務開始であれば、アパート探しでもう一往復したいところだが時間がない、などという話をしていたら、Yさんは驚くべきことに下記発言をした。
「もちろん社長のOKの後でもいいですが、Yoshiさんの希望日で問題ないので、フライトはもう予約されてもいいと思いますよ。最終面接は、顔みせと実際に働く職場を見ていただいた方がよい、と思いまして。それから最終面接の際にはアメリカのビザを申請した際の書類も持ってきてください。アパート探しも最終面接で訪問する際に済ませてしまえばいいと思います。」
私は冷静を装ったが、明らかに興奮していた。これは実質上の内定である。最終面接で会う一番上の方はこのYさんだ。現場を見て私さえよければ採用してくれるような物言いだ。アメリカにいる日本人駐在員の営業で一番上なので、彼に決定権がある。ほとんどあきらめていたアメリカでの仕事を強烈に手繰り寄せ、その晩は興奮で一睡もできなかった。
そして予定通り2月15日(金)にYさんからE-mailを受領。本社社長と電話で相談し、OKをもらったので最終面接に来て欲しい、という旨の連絡だった。私はすぐにダラス行きのフライトを手配した(続く)。
2008年2月初旬、アメリカ事務所の上司がダラス郊外の某日系メーカーが日本人の営業マンを探している、という話をしてくれた。これは、アメリカ事務所にいる同僚Mがかつて別の会社で購買をやっていたときに取引があった企業で、ダラス郊外にある日本料理屋でYさんという人と再会し、「20代後半の現地採用の日本人が退職してしまい、代わりを探している」話を聞いたそうなのだ。そして同僚Mも御丁寧に、「以前ダラス郊外におり、現在北欧にいる営業マンが会社を辞めようとしている」と簡単に私のことを紹介してくれたそうなのだ。
私は早速同僚Mから先方の電話番号を教えてもらい、2月8日、出張先のドイツのホテルから電話。一度目は留守録に自己紹介を残し、ドイツ時間深夜になって二度目の電話。今回は取ってくれたので仕事内容を確認しつつ、自分を売り込んだ。30分程度話してメールアドレスを聞き、履歴書を送付した。
それから5日後の2月13日、夜9時前に自宅ソファーで少し横になっていたら突如携帯電話が鳴る。先日お話したYさんだ。
Yさん:「できればこれから45分後くらい、あるいは明日に電話面接したいのですが、御都合は如何でしょうか?」
突然ではあったが、ウェブサイトも見て先方企業についての下調べはしておいたし、準備はできている。私は今からでも問題ない旨伝えて電話を待つ。そして45分後にYさんと他の日本人駐在員二名、合計3人との電話面接が始まった。英語で数分自己紹介し、30〜40分程先方の質問に答える形で話をした後、Yさんはしばらく電話を保留にした。
Yさんは他の二人と相談して私を最終面接に呼ぶことを即決したようで、給与の話をしてきた。Yさんは数日中に本社の社長の承認を得る、という条件付きではあるが、退職した営業マンがもらっていた金額に上乗せした額をオファーしてくれ、最終面接に来てもらいたい旨の発言があった。私はパッケージで考慮する、と返答し、最終面接に掛かる交通費、引越代、ビザ移転代、健康保険、年金について確認し、納得できる回答を得られた。その週の末までに本社社長の承認が降りれば、その条件での正式なオファーとなり、最終面接を経て採用予定だ、という。ダラス訪問の希望日、フライトを予約するかしないか、そして4月1日から業務開始であれば、アパート探しでもう一往復したいところだが時間がない、などという話をしていたら、Yさんは驚くべきことに下記発言をした。
「もちろん社長のOKの後でもいいですが、Yoshiさんの希望日で問題ないので、フライトはもう予約されてもいいと思いますよ。最終面接は、顔みせと実際に働く職場を見ていただいた方がよい、と思いまして。それから最終面接の際にはアメリカのビザを申請した際の書類も持ってきてください。アパート探しも最終面接で訪問する際に済ませてしまえばいいと思います。」
私は冷静を装ったが、明らかに興奮していた。これは実質上の内定である。最終面接で会う一番上の方はこのYさんだ。現場を見て私さえよければ採用してくれるような物言いだ。アメリカにいる日本人駐在員の営業で一番上なので、彼に決定権がある。ほとんどあきらめていたアメリカでの仕事を強烈に手繰り寄せ、その晩は興奮で一睡もできなかった。
そして予定通り2月15日(金)にYさんからE-mailを受領。本社社長と電話で相談し、OKをもらったので最終面接に来て欲しい、という旨の連絡だった。私はすぐにダラス行きのフライトを手配した(続く)。
2008/4/5 20:02
そして三たび就職活動 就職活動
実は2007年10月から地味に就職活動を行っていた。イギリスにある人材紹介会社二社に登録し、ロンドンで面談も済ませていた。ところが12月までに紹介を受けた案件は2件しかなく、履歴書を提出しただけでそれより先に進むことはなく退職を申し出てしまった。10〜11月は全くの受身で「人材紹介会社から紹介されて、いいものがあれば」というベースだったが、12月になって啖呵を切ったのでいよいよ本格的に就職活動をしなくてはならない。今回が大学卒業後、大学院卒業後、に続いて三度目の就職活動だ。
優先順位は欧米で経験を積みたいので、欧州あるいは北米での仕事であること。そして私がこれまでやってきたB to B(法人)ビジネスの営業かコーディネーターで、英語を多用するものであれば、何でも検討するつもりだった。予定としては下記のとおり考えていた。
1)北欧に滞在している3月末まで欧州現地採用のポジションを探す
2)4月に一旦日本に戻り、欧州あるいは北米の駐在ポジションを探す(駐在を約束されていれば研修目的で1〜2年日本での仕事も可)。
3)上記2)で3ヶ月間活動し、引っかかるポジションがなければ、欧米企業の日本でのポジションも探す。
上記1)で北米を狙わなかったのは単純に面接が困難だから、という理由。退職の申し出をしていたので、有給休暇は取りやすいが、引継ぎを含めてまだ出張も多い。北欧からアメリカに面接に行くのであれば、週末を活用しても最低2日間は休まなければならない(例えば木曜に北欧を出発するとアメリカに同日夜着く。金曜に面接して、土曜アメリカ発だと日曜に北欧着となる)。このような往復を何度もやるわけには行かないし、アメリカには多くの日本人が居るので、雇用主もわざわざ北欧〜アメリカ間の往復航空券代を負担してまで私を採用したいと思う可能性は低い。私が保有しているアメリカのH1-Bという労働ビザが有効なので、有効期間内は別の雇用主に移転することも可能だが、規定上は在職中に移転しなければならない。つまり会社を一旦辞めてしまって空白期間を作ってしまうと移転できないシステムなので(実は一部弁護士によっては可能、という説もあるが)、3月末に会社を一旦辞めた後、アメリカに戻って就職活動する、という選択肢はリスクが大きすぎる。
このような理由から「3月一杯欧州で粘って決まらなければ、一旦日本に戻ろう」と考えていた(続く)。
優先順位は欧米で経験を積みたいので、欧州あるいは北米での仕事であること。そして私がこれまでやってきたB to B(法人)ビジネスの営業かコーディネーターで、英語を多用するものであれば、何でも検討するつもりだった。予定としては下記のとおり考えていた。
1)北欧に滞在している3月末まで欧州現地採用のポジションを探す
2)4月に一旦日本に戻り、欧州あるいは北米の駐在ポジションを探す(駐在を約束されていれば研修目的で1〜2年日本での仕事も可)。
3)上記2)で3ヶ月間活動し、引っかかるポジションがなければ、欧米企業の日本でのポジションも探す。
上記1)で北米を狙わなかったのは単純に面接が困難だから、という理由。退職の申し出をしていたので、有給休暇は取りやすいが、引継ぎを含めてまだ出張も多い。北欧からアメリカに面接に行くのであれば、週末を活用しても最低2日間は休まなければならない(例えば木曜に北欧を出発するとアメリカに同日夜着く。金曜に面接して、土曜アメリカ発だと日曜に北欧着となる)。このような往復を何度もやるわけには行かないし、アメリカには多くの日本人が居るので、雇用主もわざわざ北欧〜アメリカ間の往復航空券代を負担してまで私を採用したいと思う可能性は低い。私が保有しているアメリカのH1-Bという労働ビザが有効なので、有効期間内は別の雇用主に移転することも可能だが、規定上は在職中に移転しなければならない。つまり会社を一旦辞めてしまって空白期間を作ってしまうと移転できないシステムなので(実は一部弁護士によっては可能、という説もあるが)、3月末に会社を一旦辞めた後、アメリカに戻って就職活動する、という選択肢はリスクが大きすぎる。
このような理由から「3月一杯欧州で粘って決まらなければ、一旦日本に戻ろう」と考えていた(続く)。
2006/12/4 0:40
就職活動 就職活動
人生においては常に就職活動が必要だと考えている。
会社が傾く恐れがあれば、潰れる前に出ておくことは重要だし、金銭を含めた条件面でよければそれだけの理由でもよいだろうし、違うことがやりたくなったり、新しい仕事が自分の目指しているものにより近いと思えれば、転職要素になりうる。だから必ずしも現在の仕事に決定的な不満はなくとも、他の会社に移ることを常に念頭に置いておくことは悪いことではない。
ただし仕事をしながら就職活動をするのは結構骨の折れる作業である。
まず第一に、情報に目を光らせていなければならない。私は日本語/英語が必要なアメリカでの仕事情報を毎日メールで配信してくれるサービスに登録している。そのためMonster.comやCareerbuilder.comなどの転職サイトでいちいち検索する手間を省いているが、それでも一つ一つの募集要項などを確認し、カバーレターを書いて履歴書を送付するだけでも結構な作業だ。
二つ目の困難は面接のための時間がとりにくいこと。私はよさそうな募集があるたびにスポットで申し込みをしているのだが、10月下旬にサンホゼとシカゴでの2ポジションに申し込んだ。すぐに両方とも電話面接がしたいということで連絡が来た。そのとき私は西海岸を出張中。投資先の社長と一緒に回っていることもあり、なかなかまとまった時間が取れない。結局シカゴの方は断念することとした。当然面接に望むからにはある程度その企業に関する知識を頭に入れ、志望動機や自分の経験について体系付けて話ができるように準備しておかなければならない。仕事が忙しい場合にはこれも結構大変な作業だ。
三つ目の困難は、二つ目とも関係しているが、職場の人に就職活動をしていることを公にできないことだ。上記サンホゼのポジションは電話面接後、是非実地面接をやりたいとその日のうちに連絡が来た。そうすると休みを取っていかなければならない。法律上は休暇を取るのに理由を言う必要はないが、日本人の人間関係上なかなかそういうわけにもいかない。ストレート勝負の多い私でも、さすがに「面接するので休みをください」とはいえない。ただ言わないと疑われる可能性もあるし、嘘を言うのも気が引ける。私のいるような小さな会社なら尚のことだ。まあ、状況次第では会社の中で立場が悪くなるリスクを取って、正直に言ってもいいのかもしれないけど。
残念ながらサンホゼのポジションには同じ業界での経験者が決まりそうだとのことだが、ダメでもともと。今後とも良さそうなポジションがあれば適宜申し込みをしていくつもりだ。
会社が傾く恐れがあれば、潰れる前に出ておくことは重要だし、金銭を含めた条件面でよければそれだけの理由でもよいだろうし、違うことがやりたくなったり、新しい仕事が自分の目指しているものにより近いと思えれば、転職要素になりうる。だから必ずしも現在の仕事に決定的な不満はなくとも、他の会社に移ることを常に念頭に置いておくことは悪いことではない。
ただし仕事をしながら就職活動をするのは結構骨の折れる作業である。
まず第一に、情報に目を光らせていなければならない。私は日本語/英語が必要なアメリカでの仕事情報を毎日メールで配信してくれるサービスに登録している。そのためMonster.comやCareerbuilder.comなどの転職サイトでいちいち検索する手間を省いているが、それでも一つ一つの募集要項などを確認し、カバーレターを書いて履歴書を送付するだけでも結構な作業だ。
二つ目の困難は面接のための時間がとりにくいこと。私はよさそうな募集があるたびにスポットで申し込みをしているのだが、10月下旬にサンホゼとシカゴでの2ポジションに申し込んだ。すぐに両方とも電話面接がしたいということで連絡が来た。そのとき私は西海岸を出張中。投資先の社長と一緒に回っていることもあり、なかなかまとまった時間が取れない。結局シカゴの方は断念することとした。当然面接に望むからにはある程度その企業に関する知識を頭に入れ、志望動機や自分の経験について体系付けて話ができるように準備しておかなければならない。仕事が忙しい場合にはこれも結構大変な作業だ。
三つ目の困難は、二つ目とも関係しているが、職場の人に就職活動をしていることを公にできないことだ。上記サンホゼのポジションは電話面接後、是非実地面接をやりたいとその日のうちに連絡が来た。そうすると休みを取っていかなければならない。法律上は休暇を取るのに理由を言う必要はないが、日本人の人間関係上なかなかそういうわけにもいかない。ストレート勝負の多い私でも、さすがに「面接するので休みをください」とはいえない。ただ言わないと疑われる可能性もあるし、嘘を言うのも気が引ける。私のいるような小さな会社なら尚のことだ。まあ、状況次第では会社の中で立場が悪くなるリスクを取って、正直に言ってもいいのかもしれないけど。
残念ながらサンホゼのポジションには同じ業界での経験者が決まりそうだとのことだが、ダメでもともと。今後とも良さそうなポジションがあれば適宜申し込みをしていくつもりだ。
2005/11/30 21:16
明暗 就職活動
以前シカゴで再会し、このブログでも紹介した台湾人クラスメートBさんが希望していた仕事を取った。金融機関向けのITコンサルといった赴きで、給料は私のほぼ倍!卒業後半年も就職が決まらなかった人が、うちの大学院卒業生の平均給与を上回る高給での就職。例えれば8回裏二死からの逆転3ランホームランくらいのインパクトがある(←よくわからない例えですみません)。今年適用された大学院生用のH1Bビザ20,000のうちあと3,000ほど残っているそうで早急に申請が必要だ。この会社は外国人を雇ったことがなく、当然H1Bの申請も初めてだそうなので、彼女に対する期待が伺える。確実にビザが取れるまで予断を許さないが、来年1月から業務開始とのこと。プロジェクトマネージメントの資格を取らなければならないなど、業務は激しいと思われるが、まずはおめでとう!Bさん!
一方、私と仲の好かったもう一人の中国人クラスメートYさんは未だ無職。お兄さんのいるサンフランシスコに居るが、こちらは精神的に疲れ果てているよう。こちらは9回二死からの逆転ホームランが出るかどうか。暖かく見守りたい。
一方、私と仲の好かったもう一人の中国人クラスメートYさんは未だ無職。お兄さんのいるサンフランシスコに居るが、こちらは精神的に疲れ果てているよう。こちらは9回二死からの逆転ホームランが出るかどうか。暖かく見守りたい。
2005/8/7 11:32
MBAの進路 就職活動
久しぶりにMBA時代の台湾人クラスメートBさんに電話した。Bさんは卒業後3ヶ月を経ってもまだ就職が決まっていない。外国人なので、英語力とH1Bビザをサポートしてくれる会社でなければいけないのも制約。ただ彼女はニュージーランドの高校、大学を卒業し、訛りはあるものの英語は私より上手いし、若い。私に言わせれば1件チャンスはあったのだが、IT専攻でプログラミングも出来る彼女の理想は少し高いのかもしれない。自分のやりたいことと、自分が出来ること、さらには実際に掴めるチャンスの間にはギャップが存在するので、どこまで理想に近づけるか、どこで妥協するかは、非常に個人差がある。
彼女は既に大学のある田舎町を離れ、インド人同級生Nさんのところで少し世話になっている。明日親戚のいるシカゴに発つという。人材派遣会社も使って1ヶ月半粘って駄目だったら台湾に帰るという。彼女は第二次大戦後に台湾入りした中国人の血なので、台湾ではいじめられ、居心地が良くない、と以前から言っていた。でもアメリカで思うような仕事を取れなければ仕方ないね。
卒業時、就職先が決まっていなかったメンツも殆ど決まりつつある。私が知る限り残っているのはBさんを含めて数人のみ。ファイナンス系のアメリカ人M君は就職先が決まらず、金に困ってバーテンダーをやっているという。M君は金銭的な問題からか、ノースカロライナのド田舎で車を持たず、自転車で2年間通学していたツワモノである。私の知る限り二年間そんなことをやっていたのはM君しかいなかった、しかもアメリカ人で。私のやっている営業もMBAの仕事ではないかもしれないが、MBA取ってバーテンダーとはね・・・。もちろんそれは就職先が決まるまでのつなぎであろうが、こうゆうこともあるからMBAの費用対効果が議論されることになる。私の学校は常にランキングで全米50位以内のそれ程悪くないMBAプログラムで、大抵は年俸6万ドル以上の中規模〜大手企業に就職する。中にはいきなり会社の取締役になったり、ファイナンス系で10万ドル以上稼ぐ人間もいる。一方で卒業後3ヶ月経っても就職が決まらず、バーテンダーをやっている人間がいるから、一括りにMBAといっても多様な人間が混在している。
お友達のBさん、そして誰にでも愛想がよいM君、是非希望するような仕事を取って欲しい。離れたテキサスから応援していますよ!
彼女は既に大学のある田舎町を離れ、インド人同級生Nさんのところで少し世話になっている。明日親戚のいるシカゴに発つという。人材派遣会社も使って1ヶ月半粘って駄目だったら台湾に帰るという。彼女は第二次大戦後に台湾入りした中国人の血なので、台湾ではいじめられ、居心地が良くない、と以前から言っていた。でもアメリカで思うような仕事を取れなければ仕方ないね。
卒業時、就職先が決まっていなかったメンツも殆ど決まりつつある。私が知る限り残っているのはBさんを含めて数人のみ。ファイナンス系のアメリカ人M君は就職先が決まらず、金に困ってバーテンダーをやっているという。M君は金銭的な問題からか、ノースカロライナのド田舎で車を持たず、自転車で2年間通学していたツワモノである。私の知る限り二年間そんなことをやっていたのはM君しかいなかった、しかもアメリカ人で。私のやっている営業もMBAの仕事ではないかもしれないが、MBA取ってバーテンダーとはね・・・。もちろんそれは就職先が決まるまでのつなぎであろうが、こうゆうこともあるからMBAの費用対効果が議論されることになる。私の学校は常にランキングで全米50位以内のそれ程悪くないMBAプログラムで、大抵は年俸6万ドル以上の中規模〜大手企業に就職する。中にはいきなり会社の取締役になったり、ファイナンス系で10万ドル以上稼ぐ人間もいる。一方で卒業後3ヶ月経っても就職が決まらず、バーテンダーをやっている人間がいるから、一括りにMBAといっても多様な人間が混在している。
お友達のBさん、そして誰にでも愛想がよいM君、是非希望するような仕事を取って欲しい。離れたテキサスから応援していますよ!
2005/5/6 15:12
就職先決定! 就職活動
6月からテキサス州にある日本企業S社にて働くことが決まりましたので取り急ぎご報告します。大手のT社は明確にもう少し経験の少ない人間が欲しく、給料のレベルも低く抑えたい意向がはっきりしたこと。もう一つの大手K社はもともと給料のレンジが低く、私が主張した最低額が彼らの最高額であったこと、そして「もう1週間待って欲しい」といわれたことから、明らかに私以外の候補者を求めていることが感じ取れました。さらに内定をくれたS社は当方からの5,000ドルのベースアップ要求、さらにはアパート探しにかかるフライト&ホテル費用負担にも合意したことから決意しました。
これで長かった就職活動も終了!昨年夏に池袋のキャリアフォーラム出展企業にエントリーし始めてから丸一年。真っ暗闇の中からスタートして先が見えない中走り続けました(いくつか蜃気楼は見ましたが・・・)。何キロ走ったかわかりませんが、ようやくゴールにたどり着きました。
これまで私の就職活動で相談に乗ってくださった皆様、そして応援してくださった皆様、この場を借りまして厚くお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
これで長かった就職活動も終了!昨年夏に池袋のキャリアフォーラム出展企業にエントリーし始めてから丸一年。真っ暗闇の中からスタートして先が見えない中走り続けました(いくつか蜃気楼は見ましたが・・・)。何キロ走ったかわかりませんが、ようやくゴールにたどり着きました。
これまで私の就職活動で相談に乗ってくださった皆様、そして応援してくださった皆様、この場を借りまして厚くお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
