2008/1/31  10:18

HaleKaiとのコラボセッション 3月4月  ヒーリングルーム エンジェルソード

たくさんの反響、誠にありがとうございます。
3月と4月にも、継続してコラボセッションを行うことにしました。

3/14(金) 13:00〜15:00 15:30〜17:30
4/23(水) 13:00〜15:00 15:30〜17:30

平日となっておりますので、週末だと難しかった方にも、ご参加いただけるようにしております。

実は、ヒーリングには受けるタイミングというものが、すごくあるんです。行こうかどうか悩んでもなかなか行動に移せないときや、受ける気満々なのに都合がつかないとか、よくあるんですよ。そういう時は、ちょっとタイミングが早いというか、何か機が熟してないものがあるのかも知れないんです。でも、ある日突然パタパタっと勢いで予約を取ってしまったり、悩んでいる友達を差し置いて、なんとなく話を聞いてた別の友達が先にヒーリングを受けてしまったりとか。。。(笑)

焦らなくても大丈夫ですから!おひとりおひとりのタイミングがありますので、うまく予定が合わなくても、がっかりしないで下さい。すべてに意味があるのです!

さて、3月と4月では、どんな方にお会いさせて頂けるのか、私も楽しみにしています!!
詳細は、こちらまで!

2008/1/31  9:18

寒ブリを求めて・・・  おんたけ山

いや〜〜〜〜、行って来ました。
天然の寒ブリを求めて、富山湾まで!!

おんたけの山を抜けて、松本まで行き、そこから北東に白馬の山々を抜けて、糸魚川へ。
さらに立山連峰を抜けて、富山市内に入りました。富山は実に10年ぶり・・・私の記憶とは全然違う市内の街並でしたが、唯一変わらないのが、この市内走る路面電車!!
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その夜は、市内のとっておきのお寿司屋さんで、もう大満足な魚介類を食べ尽くし〜♪

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分厚い刺身は、どれも甘かった〜〜〜 わさびも大根のツマも甘いからびっくり。
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何よりメインは天然の寒ブリ! 刺身の後は、豪快にカマ焼きに舌鼓♪
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〆は、富山湾で獲れた新鮮な魚が、次々に握られてくる・・・もうお腹いっぱい。。。
私の大好きな、生のバイ貝も10年ぶりに頂いたし、名物白エビの軍艦に紅ずわい蟹の握りもあったし、もうどれもこれも、とろける美味しさ〜〜〜〜

翌日は氷見漁港へ向かい、さらに新鮮な魚たちを求めてしまった。。(昨夜は「もう生の魚はしばらく要らない・・・」とか言ってたはずなのに。。(笑))

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こんなん目の前で見せられたら、また食欲が湧いてしまい、港の食堂でさらに定食を頂き、お刺身や、ブリの塩焼きやら、みそ汁にもブリ・・・を頂いてしまったのでした。

そして帰途につき、飛騨高山を経由して山を越え谷を越え。
さすがに寒い山の中、途中にこんな素敵なスポットもありました。

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氷のやぐらで、横の灯籠も雪を固めたものです。山の中で突然出てくるからびっくり!!

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こちらは、天然の氷柱群で、断崖から滲み出る湧き水が、自然と凍り、徐々に大きく育っているのです。ちょっと離れたところからの撮影ですが、それでもかなりの大きさでした。自然の迫力に、思わず呆然としてしまいます。

家に着いて、富山でお土産に買って来た、私の大好物のマス寿司を頂きましたが!!!
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マス寿司にランクがあるなんて、今までまったく知りませんでした。
普通は紺のパッケージなのですが、これはなんと1ランク上の“特選”なのです。見て下さい。この赤いパッケージに透明感のあるマスのピンク色を!! 味も全然違い、マスの酢の〆かたが強すぎず、マスの味わいや優しいコクがしっかりと・・・ マス寿司大好き人間としては、もう目が点にってしまうくらいの衝撃だったんですよ。
ああ〜〜〜、幸せ〜〜〜〜〜♪

でも、今回発覚したのは、この特選だけではありません。さらにその上のランクと、極めつけは“竹筒入り”を発見したのです!!! もうどうなっちゃっているんだろうかと、想像を膨らませながらも、今回はまず特選にし、また次回のお楽しみにしたのでした。

12月・1月と浄化を頑張ったので、そのご褒美旅行!!
心身ともにリフレッシュし、英気と共にウエイトも養った、体も心も大満足の旅でした。
すこし動かねば〜〜〜〜

2008/1/30  13:20

今は旅に出ています。  おんたけ山

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昨日より、山を抜けて海へ。

寒ブリ三昧じゃ〜〜〜〜

2008/1/28  9:22

ズタズタの中学1年生 DNとの因縁  自己ヒーリング

昨日頑張りました。夜明け前の闇が一番暗いといいますか、見える直前が一番辛い。ランエネしてても20分もすれば眠くなってしまうし、でもやり続けていくしかないし・・・
昨日はなんかやらなくてはと思い、気合いを入れてたのですが、やはり眠くて透視するどころではなくて、、、いやになってマナカードで引いてみたら、KANE / KA WAIAKA PILILIKO / PAHU / ALOHA が出てて、生命の源に繋がって、心を静めて見つめなさい、今こそタイミングです、その後には愛が待っている だったので、気合いを入れ直して再度ランエネ。すると、見えてきたというか、感じ取り始めたというか・・・ 過去世のことだと今世の鮮明な記憶のサポートはないので、なんとも朧げですが、それでも自分が納得するのに十分なものとなりました。

まず最初に出て来たのは、ヨーロッパのどこかで、まだ女性は黒い皮のブーツに、プリーツたっぷりの足首の長さのスカートをはいていた頃でした。私は決して裕福な環境ではなく、どこかのお屋敷で下働きをしている女性でした。そんな中、私は身ごもり赤ちゃんを産んでしまうのです。これでは今まで通り働くことができないし、生活を支えることもできない。旦那の姿は無く、どうやって生きていくか途方に暮れていました。万事休すという切迫した状況の中で、けいこがとった行動は、生まれて間もない赤ちゃんの首を絞めてしまったのです。その赤ちゃんがどうやらNのようなのです。そしてその罪悪感は一生けいこを苦しめました。そしてカルマが生まれ、ベネチアへの繋がるのです。

ベネチアでは、政治状況の不安定により、一触即発というか、やるかやられるかというような切迫した状況にありました。そこで、今度はNが私を殺したのです。つまり同じことを逆転した立場でやりあったのです。そして彼女も罪悪感を持ってしまったようで、それが次の芸妓の前世へと繋がりました。

そこで私は置屋のお母さんの娘、彼女は売られて来た田舎の娘で、まだ妹分になる前の下働きでした。もう舞妓としてお座敷に出始めている私とは、かなりの力の差があります。そんなある日、私は舞妓としてバレたら致命傷なことをしでかしたのです。(恋愛を禁止されている身ですから、男絡みだとは思いますが・・・)その切迫した状況の中で、彼女に濡れ衣を着せ、尻拭いをさせたのでした。彼女は置屋から追い出され、そんな売られて来た子が行き着く先は女郎小屋しか当時なかったんですね。そこで売春することでしか生きていくことができず、数年後には生きていくことすら諦めて、自ら命を断ってしまったのです。それはもちろん私の耳にも入りました。私が殺したも同然ですから、その重みを胸に抱えたまた、今世へのカルマとなったのでした。

私はまるで映画でも見るかのように、ただそれを中立に受け止めました。激しい感情が沸き上がることもなく、すべてが繋がっていたことにただただ納得したんです。なぜなんども「もう自殺しよう」とまで思わされたのか、なぜ私を見るNの目に激しい憎悪の炎が燃えているのか、なぜ私には覚えのないほどの妬みと恨みをあらわにしたのか・・・!(ことの発端はMちゃんとS子ですから!)そして、一週間前のパニックが何を意味していたのか、相手が自殺してしまうのではないかという不安感で消耗しきってしまうようなパニック感を私は以前にも味わっていて、パニックを起こしたとき、最初にこのことを思い出していたんですが、ここで繋がってくるなんて・・・ さらにおまけのように判ったことなのですが、その昔のパニックの原因はBちゃんという別の人で、これまた私の人生の汚点とも言える出来事なのですが、そのBちゃんがベネチアの後ろから押さえてた残りの人だったのです。

これで駒がそろったと言いますか、あとは浄化をするだけです。まずはヨーロッパの画像を浄化し、さらにもう一度ベネチアの画像もきれいにしました。そして、芸妓の画像と罪悪感を手放し、今世の私の記憶に残っているNの表情から、憎悪と恨みを抜き、愛で満たしました。今回見せてもらえたのは3つの過去世でしたが、もしかしたらそれ以前にも延々とこの因縁が続いているのかもしれないと思い、彼女との間になにか契約がないか見てみました。すると、『生まれ合わせた時には、お互いを犠牲にしてまでも自分が這い上がる』とでも言うようなものが見つかり、それを破棄して新しく『生まれ合わせた時には、お互いを尊重し、楽しい時間を共有する』というものに書き換えました。そしてカルマの解消を上に申請したのでした。そしてついでに、Bちゃんのことも、私の中に残っている罪悪感を出来る限り浄化しました。これを持ち続けていると来世にカルマを生んでしまいますから。。 きっと今世でNは、なにか切迫した環境の中にいたはずなんですね。例えば両親の離婚とかで、心が荒廃しきった中でのフラストレーションが私に当てられたのかも知れないし・・・どのみち彼女もなにか大変な時期だったはずなのです。なんだかすべてが覚知され、私の心は穏やかでした。

Nのことを思い浮かべても、今はもう心が痛みません。私の中に刺さってた、大きなトゲがまたひとつ抜け落ちたような感覚です。もう彼女との因縁は二度と繰り返さないから、ここで輪を閉じて、いろいろごめん、そしてありがとうという気持ちと一緒に手放してしまおうと思います。後は、この時に封じ込めてしまった、素直な自分の気持ちを表現していくことだけにフォーカスして行こうと思います。大きなブロックが外れたはずだから、絶対にできるようになるはずです!楽しみだな〜〜♪
終わった後にマナカードを引きました。一枚目がPUOLO でそのあと4枚が飛び出しました。そこには、HUNA / TI / MAUI / ANOANO下向き が出ました。それは、なにかが解放され自分がリセットされた。生まれる前からの契約とカルマの解消。思いっきり楽しみなさい! 上から下りてくるものをそのまま受け止めなさい。というカードでした。大きなカルマの解消のような浄化をした後には、不思議とTIのカードが出るんです。そして今回はHUNAまで登場!!それは生まれる前からの彼女との契約と同時に、自分との契約でもある自分の元の姿に戻るんだなぁ〜と思いました。

気がつけば、もう最初のランエネからすでに2時間以上が経過していました。
寒い窓を開けて縁側に座り、山里を流れる冷たい風にいろんなものを吹き飛ばしてもらいました。頭も心もオーラも軽くなっていくようです。気持ちいい・・・

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こんなふうにして、いったいいつまで浄化は続くのだろうかとぼんやり考えながら、その答えは多分一生なのかも知れないと、心の底で感じとっているのでした。


2008/1/27  11:43

今回の滞在に持参した石たち  ヒーリンググッズ

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ジャジャ〜〜〜ン!
この子たちが、今回の長野滞在に持参した石たちです。
私は、毎回ここに来る時に、なにかしらの石を持参します。
石にもそれぞれに波動があり、どれが気になるかで自分が何を必要としているかが、分かったりするんですよ。自分の顕在意識よりも、ずっと正直だから笑っちゃいます。
ヒーリングが終わった後にも、クリスタルケースから、ヒーリーさんに気になるものを手に取ってもらったりすると、その方の乱れていたチャクラに対応するものを、自然と選ばれているので、人間の本能というものに驚かされます。

そして、数ある石の中から、今回選抜されたのが、上の5点だったのです。
どれも強い力のある石で、透明や白色系のクオーツ系が多かった。第7チャクラを刺激して、研ぎ澄ませたいんだなぁ〜と思うと同時に、石ごとに自分の細かいテーマが見えて来ます。最初に手に持ちたいのがこれ↓

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一番ちっちゃくて、無くしてしまいそうなこれは、ペルビアンクオーツ。
なんだか、オーラがもやもやしていると感じる時に、手のひらに乗せると、なぜだがス〜〜〜ッとするから不思議。。。 頭も気分も、ちょっとクリアになるんですよ。学校の先生が言ってたけど、???ホンマかいな。。。と思ってた。実際手にとってみると、本当だから、驚きだ。少しクリアになったところで、次に持ちたいのがこれ↓

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これは、チベッタンクオーツです。これも最近購入したもので、過去世からのカルマ解消を助けてくれるらしい・・・。 多分、今自分の中でフォーカスされている、中学のいじめの体験を、過去世から見つめてカルマの解消をしたいからだと思う。ただ、今これをにぎにぎしていると、急にオーラの画像が光るみたいで、眠くなってしまうのだ・・・
もうちょっとがんばって浄化しなければ! それがクリアになったら持ちたいのがこれ↓

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これは、スピリットクオーツ。自分の中のこども、インナーチャイルドの癒しや、子供のような気持ちの解放を助ける石です。今は、押し込められている本当の自分を、素直に表現することが課題なので、それを少しでも助けてもらえればと思っています。持っていると、なんだか和み、もっと自由にいてもいいかなぁ〜と思わせてくれます。

そして、今すごく楽しいのがこの子↓
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先日、学校のショップで売られてて、一目で気になり、手に持ったらもう離したくない・・・ そんな衝動で買ってしまったのが、このジェイド・オブ・エンシャントです。クリスタルの中には、太古の知恵や記憶を持つものがあります。アトランティスの記憶を持つレムリアンクオーツは、その代表的存在。他にも三角形のレコードキーパーと呼ばれる跡を持つクリスタルがあるんです。これは、古代のジェイド(翡翠)で、第二のレムリアとも呼ばれているらしい。。。 おしゃべりな石で、いろんなことをビジョンや声などを通じて教えてくれると言う。持ってすぐに波の映像や、そこの断崖絶壁の上にある平地に咲く花などの景色を見せてくれました。きっと自分が来た場所なのかなぁと思いました。時間があるので、こっちでゆっくりと話をしてみようと思っています。なにを教えてもらえるのか、すご〜く楽しみ!!

どうやら、昔からですが、私は石が大好きなんです。小さいころは、普通に石と話をしているような子でした。(傍目から見ると、変な子だったのはよく分かっています。)高校生の頃、クリスタルショップみたいなところに行くと、うるさくてうるさくて長居できなかったのです。それぞれの石が出す波動が、おしゃべりのように感じて、ワイワイガヤガヤ・・・。お花屋さんも同じなんですよ。花たちのしゃべり声がうるさくて。。でも石とはトーンが違い、もっと高く柔らかい感じですが。
エッセンスも数々ありますが、花系のものよりも、石系のものの方が、自分には効く様に思います。そんな石たちとの会話を、ゆっくり楽しむ予定です!!

2008/1/26  7:16

すべてが凍る朝 in おんたけ  おんたけ山

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今朝の朝焼けは6時半すぎでした。
その時の気温が、

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ひょえ〜〜〜
朝やすべてのものが凍っています。たとえば、窓や窓枠、そしてドアの鍵まで・・・

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部屋のストーブが切れると、数分で身震いする寒さになります。
必要な荷物を全部カバンに集めて、部屋の移動を最小限にしています。

昨日一日のんびり過ごし、徐々にこちらの気温に慣れつつありますが、
それでも陽が昇る前の時間は、前回よりも全然寒い!!

それに、東京に住む人間には、すごく妙なのが、、、

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こんなに雪が積もった中での、お布団を干す感覚。。。 晴れてはいますから・・・
そして料理を取り分けるお皿は、事前に暖めておかないと、よそった料理がすぐ冷たくなってしまう・・・ 東京では滅多にしない一手間が、こちらでは必須なのです。

そしてお日様が高くなり、全体的に暖まってくるのは、11時頃でしょうか。
昨日は朝−14℃でしたが、昼間は2℃まで上がりました。今日は0℃ぐらいは上がって欲しいものです。正直、10時を過ぎるまでは、あまり体が動かず、こうしてPCに向かったり、本を読んだり、ランエネしたり、瞑想したりになります。

ニュースで、東京もずいぶん寒いようですから、みなさん風邪引かないように。

2008/1/24  13:51

ズタズタの中学1年生 Cイタリアの前世  自己ヒーリング

私は20歳の時に、イタリアへ2週間ほど旅行をしたことがあります。なぜイタリアだったのかは分かりませんが、なぜかどうしても行きたくなったのです。そこで、学校の卒業旅行ロスとハワイをキャンセルし、そのお金を元にしてイタリアへ行ったのでした。

中でも特筆したいのが、ポンペイとベネチアです。ポンペイでは入り口の一枚しか写真が写っていなく、後は全部白い光が入ってしまい、ろくに写っていませんでした。火山の噴火により悲劇にも一瞬にして灰と化した場所ですから、いろんなものが漂っているのかも知れませんね。後に、退行催眠によって自分にポンペイの前世があったことを知りました。火山の被害は一瞬であり、訳も分からないまま死んでいたようです。ポンペイの暮らしはレクリエーションが豊富で、気楽で豊かなものでした。当時、私は男性で、壁の石に彫刻したりする仕事をしていたことを、クリスタルヒーリングを受けた時に思い出しました。

さぁ、前座はこれくらいにして、問題はこのベネチアです。サン・マルコ寺院をウロウロしていると、大きな会議に使われていた部屋に出ました。私は「ふ〜〜〜ん」と思って歩いていただけなのですが、次の瞬間その部屋は昔の服を着た人でごった返し、自分もその人込みの中に赤い軍服を着ていたのです。そのビジョンは一瞬だったのか、時間は全く分かりませんが、気づいた瞬間に全身に鳥肌が立つかのようでした。そんな体験をしながらも、次のこの時の体験を思い出したのは、数年前の話です。ある日急に「きっと前世の体験だったんだ」ということがひらめき、忘れかけていた記憶がよみがえりました。そして、徐々にもっと知りたくなり、前世への退行催眠を自分でやり始めたのが、去年の2月頃でした。

違う前世ばかりで、その前世を見れるまでに時間がかかりました。多分、それだけ準備が必要なくらい重いものだったんですね。そしてついにその時は来ました!!
その時の私は、軍服を着た若くて背の高い男性でした。妻がいて息子がいるのが見えますが、どうやら妻は今の私の姉で、4歳くらいの息子は今の姪っ子(長女)です。政治情勢が不安定で、たびたび罵声の飛び交う議会が開かれていました。その議会の中で、なにやら不本意なことが強行的に可決されたらしく、私は憤りと先への不安を感じています。そのことが元で、所属している部隊も、分裂を始めていたのです。そして数日後のある夜、私は無防備にも夜の街を一人で歩いてしまいました。家に帰る途中のサン・マルコ広場のそばで(実際に通った場所でした・・・)、3人の同僚の軍人に囲まれたのです。2人の男に後ろ手に押さえられ、前の男に胸の辺りに剣を突き立てられました。即死ではなく、自分の身体から流れる血を見ながら、出血多量で死にました。

いくつもの謎が解けました。まず、
○私は血液恐怖症なのです。血や血を連想させる赤いものを見ると、握力がスルスルと抜けてしまい、ヘナヘナになるのです。
○姉は、ある程度大きくなってからは、なぜか『守る対象』だったのです。実際、離婚をして姪っ子二人を連れて実家に帰ってきたときには、姉親子の部屋を確保するために、私が実家を出て独り暮らしを始めたのでした。
○上の姪っ子は下の子と違い、私のことが大好きなのが、彼女が書いてくれる絵や、持たせてくれる手紙にひしひしと感じていました。下の子にとっては、おまけ程度の存在なのですが(苦笑)。そして私もこの子がすごく気になるのです。しっかり見届けなくては と思っていたのです。
○弾圧的な政治や、民衆を考えない横暴な輩には、過剰なほどの嫌悪感を持っています。
○生まれつき心臓の心室に穴があいていました。成長とともに問題はなくなったのですが、中1の13歳の時に一度検査で引っかかってしまいました。今はもう平気です。

そして、この時私の後ろにいた男のひとりがS子なのです。そして、前からブスッと刺し殺して下さったのがNだったのです。そして今世で二人に会った時、私は「死のうか」と思うほどの苦しみを与えられ、さらに心臓の穴が再発したのでした。
恐ろしい〜〜〜〜〜〜〜、こんな繋がりがあったなんて・・・・・!!! 終わったことだなんて油断は出来ません、まだ後ろのもう一人には出会っていませんから。。今世で会うのか、別の時か・・・

そして先月やっと、この時のキズをヒーリングしなくてわ!と気がつき、剣を抜いてキズをふさいで、しっかりと愛のエネルギーでキズを治したのでした。そして血だらけで座り込んでいた画像を、しっかりと浄化しました。ことのほか赤い血はしっかりと抜いたのでした。しかし、まだスッキリしきれてないんですね。その時は大丈夫と思ったのですが、それは単なる枝葉であり、まだ大元の幹と根が残っているように思いはじめたのです。

その感覚が確かなものになったのは、先日の痛かった恋愛の画像を浄化した時でした。なぜなら、私は今世のことばかり見てて、過去世に自分がしたことが招いたカルマだったことに気づいてしまったのです。そうなるとこのいじめも・・・あの恋愛よりも数百倍の痛みを負った訳ですからカルマじゃないはずがない!!そして既に分かったイタリアの前世でも殺されているとなると、、、私は一体なにをしたんだろうか??? どうしてもそこを知らなくてはいけない。それなしに、彼女達を心の底から許すということが出来ないのです。

カルマは罪悪感によって生まれると言われます。つまり、何かしても罪悪感を持たなければカルマは発生しないのです。カルマではなく、また別の方法で償いがあるのかも知れないですね。前世の1つと今世でここまでの苦しみを、自ら負うほどの罪悪感を持った過去世・・・
ちなみに、認めたくない事実ですが、私は今回の人生のシナリオを自分で選び、負ったカルマをすべて解消し、魂の学びを進めるために生まれてきているのです。私だけでなく、この世に生を受けた人は、すべて同じです。そして今やっと、その法則を含めて、すべての事実をまっすぐに見つめる準備ができたんだと思います。

この先は、まだ白紙です。長野で見えるか、東京で分かるか、はたまたもっと時間がかかるのか・・・ やらねばならない大きな壁ですが、私はやりますから、気長に続編を待ってて下さいね!

2008/1/23  17:30

ズタズタの中学1年生 Bヒーリング第一弾  自己ヒーリング

もうやるしかない・・・ 今朝やっと重い腰を上げて、その子のヒーリングを始めました。

まずは、キャンプファイヤーの1コマから、エネルギーを抜いて行きます。これがしつこいのなんのって!!!全然抜けやしない!ひたすら抜き続けて、次に高い波動で満たしました。すると、これはお初見ですが、もう私の周りは黒い卵の殻で覆われているのが出てきました。確かに、あの時黒い闇の殻に閉じこもり、姿をくらませたらどれほど楽だったか・・・ まず殻ごとけいこを画像から出して、しばらく抱きしめてあげることしか出来ませんでした。その時のすべての気持ちを、ひと掴みずつ取り出しては浄化し続けました。感情が高ぶる時のスピードは、ものすごい勢いで、やり続けるのです。落ち着いてくるまでそれを続けてから、まずけいこに、オーラを強化しようと思ったのですが、ズタボロのオーラだったので、新しいものと交換しました。そして高い波動で満たしたら、少しオーラが暖かくなってきたのです。そこで、黒い卵の殻をコツコツ・バリバリ・・ボロボロ・・・と壊し、ちょっとずつ取り去って行きました。この時点での、『自分の素直な気持ちを表現することへの許可レベル』はたったの6%・・・私の中の許可レベル、最低記録を更新じゃ・・・

こうなるともう、その許可を阻んでいるエネルギーを、オーラから取り出していくしかありません。浄化し続けること、1時間半、とにかく自分の中から、まだ感情のエネルギーが出てるなぁ〜という感覚が収まるまで、やり続けるしかないのです。そして、以前にもやったように、オーラを強化し、けいこを守るシールドを与え、画像にいるNとMちゃんに対して、けいこに言いたいことを言わせましたが、それだけではスッキリせず、けいこはおもむろに画像の中の二人を蹴散らし、踏み潰し、何度も何度もジャンプしては押しつぶすのです。やがて漫画で見るように、二人はペシャンコでぺらぺらになりました。

私が普段怒ることは、OLを辞めてからほとんどないのですが、自分の中にこんなにも怒りが溜められていたことに、正直驚きました。今まで発散はおろか、表現すらされることもなく、私の中に押し込められていたのです。あの時私が自殺しなかったのも、あいつらが原因で自分が死ぬなんて、悔しいという怒りの気持ちがあったからなんだと思いました。怒りは良くない感情のように思われがちですが、決してそれだけではないんです。怒り続けて、怒りを手放せないのは良くないですが、怒りを表現するのは悪いことでもなんでもないんですよ。表現することで怒りを体の外に出すことが出来るんです。一番いけないのは、怒りを表現せずに押さえ込んでしまい、自分の身体に溜め込むことなんです。これは内臓にストレスを与え、人によってどこに出るかは様々ですが、消化器の疾患に繋がったり、脳血管の疾患に繋がることもあるんです。怒りの一番の対処法は、パッ!っと発散して、すぐに忘れることなんですよ〜!

もう20数年押さえられていた怒りがついに噴出し、私の二人の踏み潰しは止まるところをしりません。やがて踏み潰しに飽きたのか、ぺらぺらになった二人をさらに引き裂きだしたのです。まるで、うどんが足踏みによって延ばされ、さらに適度な大きさにちぎられて行くような感じです。そして、バラバラにされた二人は、グチャグチャに混ぜられてからまた2つの塊に丸められました。ここまでくると二人の面影すらありません。そして出来上がったのが、二つの墓石でした。キャンプファイヤーが終わり、暗闇に飲み込まれた後にも、その墓石は動けないまま、そこに取り残されるのです。追い討ちをかけるように、けいこはさらにその墓石をハンマーで叩き、ボロボロの見た目にしたのでした。  うわ〜〜〜〜〜〜、めっちゃダークやわ・・・・・・・・

これでやっとスッキリしてきたのですが、そのけいこの徹底ぶりにはもうビックリ!本当に怒りと恨みを溜めて来たんだなぁ〜と実感しました。怒りを抑えるのって、一見いいことのように思いますが、本当は恐ろしいことなんですね!今はこうした自己ヒーリングの中で噴出させているので、実生活には問題はありませんが、もしこのまま溜め込んでいたら、いつか何かが引き金となって、実生活で噴出したかも知れませんし、身体に顕著な病として現れたかも知れないのです。まさに自分の振りみて、我が振り直すって感じでした。

その後の仕上げは、いつも通りで、もう一度けいこの身体を高い波動と愛で満たしました。新しいシールドで守られたけいこをキャンプファイヤーと墓石が映る画像に戻し、もう一度画像そのものを高い波動で満たしました。そして再度許可レベルを計ってみると、45%・・・意外と根が深いかも。。。でも6%から上げたんだから、よく頑張った!!!と思い、これからの課題になりました。画像をしまい、今の自分からもいろんなものを取り出して浄化し、愛で満たしました。これで終了〜〜〜 お疲れ様でした。。。疲れた・・・ でも暖かい。

でもこれは、一連のことの小さな1コマであり、まだまだやることが満載というか、辛いことがいっぱいあったのです。
ことに、ここに出てくる主要な登場人物は、私のイタリアの過去世でも会っていることを、私はもう思い出しているのでした。。。

2008/1/23  16:27

ズタズタの中学1年生 A恐怖のキャンプファイアー  自己ヒーリング

日曜日の透視の授業で、透視されるリーディーになりました。
そこで、いろんなリーディングをされるのですが、中でもオーラの色を読み、その意味を見ていくオーラリーディングでは、いろんなものを見せつけられました。その中に、素直に自分の気持ちを表現する、人とのコミュニケーションにあるブロックを指摘されていたのです。自分でも分かっているのですが、誰にでも私はオープンであり、公正であると同時に、心の奥底ではがんじがらめにブロックしている部分があるのです。この部分は特に親しい関係にある人との、深く込み入ったコミュニケーションの時に問題が発生するのです。本当の自分を素直に表現する、、、それを阻止することになった決定的な事件は、中学1年の夏休みに起こっていたのです。

まだ学校が楽しかった頃、夏休みに全学年の希望者で行う、2泊3日の富士山登山ツアーに申込をしていました。しかしそれから状況は一変、楽しいはずのツアーは恐怖の3日間となり、キャンセルしたいにも、まだ子供の状況を知らない親に怪しまれるのも嫌で、無理無理にない勇気を振り絞って、背後霊のように参加したのでした。
クラスの元友達にはいじめられていましたが、同学年の他クラスの友達は、まだその事実をしらなかったのか、クラスごとにならなくていい時間だけ、なんとか居場所を確保することができました。そしてメインの富士山登山ですが、よくあの時の体力と精神力で登ったもんだと、今でも感心してしまいます。まだその時点では気づいていないのですが、先天性の心臓疾患がその時にはもう再発していたのです。2学期の途中からはプールや水泳・長距離走などがドクターストップになっていたのです。(この件に関する前世にまつわるカルマの話は、後述します) もちろん高山病になり頭がガンガンしながらも、登り続けたのでした。多分、途中下山することによって、目立つのが嫌だった(後でなにを言われるか分かったもんじゃないですから!!)のと、これで負けたら、全てに負けてしまうのではないかという気持ちと、ただ足かせをつけられた奴隷がひたすら歩くのと同じ心境だったのかも知れません。5合目から5時間半かかって、ポンコツな心臓で、ボロボロでコードだらけのオーラをした私は、富士山の山頂に到着しました。ほんの少しの自由と自信と勇気と心の休息をそこでもらいました。しかし今でも忘れられない1コマは、その日の夜、最終日のキャンプファイヤーで起こったのです。

確か、学年ごとにいくつかのグループ決めがされてたと思います。そのグループでは不運にも一緒に申し込んだ元友達たちがずらり・・・そのグループごとにキャンプファイヤーでは出し物をしなくてはならず、私の胃は縮むばかり。。 結局なんだかんだいいながらも目立ちたがり屋のNがメインとなり、Mちゃんがその合い方に起用され、出し物の準備は整いました。このNが私の2学期からを過酷にし、周りの元友達ももうたくさんという雰囲気が漂うほど、徹底的にやり込めた人物です。(このNも過去世にも登場していたので、後述を乞うご期待!!) 恥ずかしいのかMちゃんは、「いやだ〜、やりたくない〜〜」を繰り返し、キャンプファイヤーが始まってもそれは続いていました。そして意地悪にも、私に「代わってよ!」と言ってみたり、Nが「それじゃ私やらない」とか、もううざ過ぎる・・・こっちだって関わりあいたくないから背後霊に徹しているのに、むやみに声をかけるなー!とも言いたいところですが、素直で道徳的なけいこは消えそうな声で「が・がんばって・・・」と言うのが精一杯。。。しか〜し!そんな励ましのつもりの一言を、Mちゃんは嫌味と捕らえ、逆上したのだった。「なによそれ!自分がやらなくてすむからって!すっげえ嫌味!!超〜ムカつく!!!いい気になってんじゃねーよ!!!!」という罵声の嵐。それに反応してその一味は視線は、私にブスブスと刺さり、罵声を煽り、敵意を顕わにする・・・ 心臓は止まり生きた心地のしない瞬間だった。ただ涙をこらえ、そんなつもりじゃなかったと、むなしい叫びが自分の中にこだまし、もう二度と何も絶対に話さないと心に誓い、心と喉に重い蓋をして、ただ黒い闇に消されてしまいたかった。  そしてもう何も見れなかった。ただキャンプファイヤーの炎を見つめて、その時間がひたすら過ぎてくれることだけを願っていた。

この1コマは、私が自分の心を表現することの恐怖を決定的にしました。その影響は今でもまだあり、重くのせられた蓋は、心からも喉からも取り去られていないのでした。どうせ自分の気持ちは誰もわかってくれないと、心底思っているのです。だって、はじめて味わった一番辛いこの経験を、だれが分かち合ってくれたのでしょうか?誰が味方をしてくれたのでしょうか?誰がかばってくれたのでしょうか?−−−誰もいないのです。話を聞こうとしてくれた人すら、家族を含めていませんでした。
この1コマにいるけいこをヒーリングしてあげなくては、今の私も本当の自分を素直に表現なんてできないのです。その後も、言葉を飲み込むことは多々ありましたが、喉のブロックを外すには、まず原因とも言えるこの画像を癒すことを、第一にしなくてはいけないのです。

2008/1/23  15:12

ズタズタの中学1年生 @いじめの兆し  自己ヒーリング

これもちょっと長い、連載のブログになりそうです。それに、まだ全容が見えていないので、どうなっていくのか、なにが見えてくるのか、自分にも全く判らないのです。判っているのはただ、そろそろ一番辛いことの1つである中学1年生の記憶を、癒してあげなければいけないこと。そのタイミングが来つつあるようなので、今から徐々に書き出そうと思います。

中学に入学し、友達もたくさんでき、ワイワイキャーキャーと楽しい生活を送っていたのですが、夏休みに入る10日ほど前だったでしょうか、それは突然津波のように私の現実に押し寄せてきて、当時の私の全てを壊し、さらって行きました。
その日突然、昨日までとは違い、なんともよそよそしく戸惑いながら接する友達がいました。私はなにをした覚えもなく、何のことだかサッパリ・・・ 釈然としないながらも家に帰りましたが、翌日にはさらにその空気が顕著なものになっていました。そして日に日に友達の私に対する態度は激変し、誰がどう見ても『いじめ』られ始めたのです。私にはその原因が分からないまま、途方に暮れるしかなく、「何かが私の学校生活を狂わせ始めている」という恐怖と戦慄にただ立ちすくむばかり。そんな中、友達の一人が教えてくれました。その原因は、私が友達のMちゃんの悪口を言ったというものでした。身に覚えがない話に唖然としてしまい、誰がその言いだしっぺかを聞くと、S子だったのです。

一連のことが起こる前に、中学時代はよく授業中に手紙というかメモのやり取りをするのが流行っていて、そのS子から3通の手紙をもらったのです。私の中学は3つの小学校から生徒が部分的に集まっており、MちゃんとS子は同じ小学校から来ていました。他の友達は別の小学校。自分の小学校からは、私ひとりのグループでした。仲がいいとばかり思っていた二人ですが、S子の手紙の内容はどれも、Mちゃんの悪口でいっぱいでした。小さい時から、人のことを影で悪く言うのはよくないことだと、素直に道徳的な子だったので(この時まではの話ですが・・・)、もらった手紙に対する返事の義務に私は困っていました。私が返した手紙は、「へぇ〜、そうだったんだ。全然知らなかった。S子は大丈夫?」という当たり障りのないものに終始し、Mちゃんの悪口を書くことはなかったのです。なぜなら、その時までのMちゃんには、私はなにも悪いことを思っていなかったので、心にもないことを書けるほどの文章力と機転は、当時持ち合わせていませんでした。それがどう転がったのか、S子が悪口を言ってたのはけいこだと言いふらし、私は濡れ衣を着せられていたのでした。

さぁ、困りました。証拠になるS子の手紙は、3通とも家にありました。これを証拠として突き出せば、私の無実は証明され、楽しい学校生活が戻ってくるかも知れません。でも3通目の手紙の最後に、「絶対に誰にも言わないで」と書かれているではありませんか!
なにをアホなことを悩んでいるのじゃ!!と今の私は思います。答えは1つ、手紙を突き出して無実を証明し、私の変わりに犯人であるS子がいじめられるべきなのです。しかし、当時の素直に道徳的なけいこは、人を裏切るという行為が、先に裏切られているにも関わらず、出来なかったのです。夏休み直前、私はS子に言いました。「あの手紙、今でも全部あるんだけど・・・」その瞬間のS子の青ざめて引きつった顔は今でも忘れられません。開始から10日弱でもう十分にいじめはエスカレートしていましたから、その状況に自分が放り込まれたところでも想像したんじゃないでしょうか? なぜだか分かりませんが、私がとった行動はこれだけで、残りの8ヶ月間は、ひたすらいじめに耐えることになったのです。多分、あの引きつった顔のS子に、同じ思いをさせたくないというへんな正義感とでも言うのでしょうか? いつでも手紙をチラつかせ、S子を肝を冷すという脅迫じみた仕返しもできただろうし、全てを証拠とともに暴露することも出来たのに、けいこはしませんでした。多分、『約束を破る』という裏切り行為は、人にはされても、自分の中で冒したくないことだったのでしょう。たとえそれがどんな状況で、どんな結果が待っていようとです・・・

アホな選択をしました。もう今だったら信じられないくらいアホです。自分の正義すら主張する強さがなかったのか?なぜ自分が犠牲になることを選んだのか、それは弱さと優しさと妙な正義感がすべて合いまったものだったのかも知れません。その後のS子の心境を知る由もありませんが、多少なりとも罪悪感を持っていたと思いたいものです。じゃなければ、その時のけいこは浮かばれません。問題となった手紙を捨てたのは、中学を卒業する時でした。Mちゃんは同じ高校に行き、また同じクラスになりました。そんなある日の放課後、私はいとも軽く昔話をするかのように、「あれ本当は私じゃなくてS子だったんだよ!」と笑いながら話しました。その時のMちゃんの微妙な表情も忘れられません。それで全てが終わったとは言いませんが、遅ればせながら事実を誰のお咎めもない状況で、語れるようになるまでに、随分と時間がかかりました。

その8ヶ月間が私に及ぼした影響は多大で、被害甚大とでもいいたいところですが、同時に強さもくれました。絶望の淵で自殺したい人の気持ち、死ぬことによって永遠の仕返しをしたいという憎しみ、人の気持ちの脆さ、心ある人の気持ちの暖かさ、集団行為の恐ろしさや脅威、孤立無援の孤独感、言葉による暴力、気配を察知する力、誰にも受け入れてもらえない人の哀しみ、自己存在が崩壊するということ、などをかなりスパルタな体験で教えられたのです。ご想像に違わず、親もけいこの力にはなってくれませんでした。当時家では、「あんたがもっとしっかりしてないからいけないのよ!」と今の世の中では、いじめられている子に絶対言ってはいけない言葉を、よく浴びせられたものです。そして見事なほどに、学校からも家からも居場所を失ったのでした。表情はなくなり、身体は痩せ細り、元気の欠片も吸い取られ、生きる屍とはまさにああいうことだと思います。私はただそこにいました。出来る限りの存在感を消し、誰にも気づかれないようにと小さくなり、いつも針山の上を歩かされているような緊張で消耗し、いっそ透明になってしまいたかったのです。自分が生きている意味なんてなにもなく、ただいつ終わるかわからない暗いトンネルの中を、ひっそりと足音すら立てずに、ひとり歩くしかなかったのです。。。

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