2008/7/5  10:30

「独立記念日」に「独立」ということについて思うこと(後半)  米国政治

(昨日の続き)

翻って、国にとっての独立とは何だろうか。
「独立記念日」にいうところの狭義の独立、すなわち、国家主権の確立を指すこともあれば、国の背骨たる憲法の制定を指すことがあるかもしれない。

ただ、僕としては、国家にとっての独立も、個人にとっての独立と同様、「プロセス」として捉えたい。このプロセスを一言で表すとすれば、それは、政治・経済・文化の成熟プロセス。
加えて、これらと相互作用の働く関係にある国民の意識の成熟プロセス。

後者をもう少し具体的に言えば、
国民一人ひとりの人生をより充実したものとするとの観点から、コミュニティーのあり方、国のあり方、そして世界のあり方についてまで、一人ひとりが能動的に考え、そして行動する。そしてそのこと自体が、一人ひとりの人生を更に充実したものとする。このような意識の向上プロセス。

国の場合、長期的に見れば栄枯盛衰の法則には逆らえないが、個人と異なり、寿命が長い。
その分、独立というプロセスの進展も時間をかけて徐々に進む。
歴史を振り返れば、古代ローマ帝国などは、あの時代にしてはかなりの程度成熟した国家であったと思う。
しかし、今の世界を見渡す限り、それに匹敵するような国家は残念ながら僕には見当たらない。

今僕が住んでいるアメリカという国も、ある意味偉大な国であるとは思う。
今日に至るまでの232年という短い間に、フロンティア精神及び外国との戦争により広大な国土を獲得し、また、国内における南北戦争、参政権拡大、公民権運動といった大きな国内のうねりを乗り越えたこの国は、確実に国力を強化し、いまや世界のヘゲモニーとして君臨している。

しかし、この国には弱みもある。
何か。
個人と国家とを単純に比較するつもりもないが、やはり、国家と国家との関係にも個人と個人との関係と同様、必要とされるべきものがある。
それは相手へのrespect
それがこの国には欠如しているのではないか。
そう思えてならない瞬間が多々ある。

勿論、国際秩序の安定にも寄与しているし、途上国や貧困国にもそれなりに良い意味で関与している。
しかし、この国の出発点は、(良くない意味での)self-esteem(=自惚れ)であって、respectではない。
国がpride(=誇り)を持つことは必要なことだとは思うが、それはself-esteemとは異なる。
prideはrespectと響き合うが、self-esteemとrespectとは相反する。

過度に一般化したくはないが、やはり至るところでこの国の思考には、自惚れが見え隠れしていると思えてならない。
いきおい、思考は、「優」と「劣」とに分けようとする。
「優」は「劣」に対し、compassion(=同情)は抱くが、respectは抱かない。
「劣」も「優」に対し、envy(=羨み)は抱くが、やはりrespectは抱かない。
当然である。
繰り返しになるが、respectは「対等」という概念にこそフィットするものであるからだ。
respectがないとinterdependenceという関係は成長しない。
したがって、国際社会には「絆」という関係は生まれないし、それに基づく究極的に安定的な状態は生まれない。

では、相互のrespectはどのようにして生み出されるのか。
それは、自らが他者に対して能動的にrespectを抱くことにより可能となると思う。
本当の意味でrespectされる国というのは、相手を、「優劣」という関係ではなく、(対等ではあるが差別化される)「彼我」の関係においてrespectする国なのである。

そのような国こそ、相手との間に「絆」とまでは言わなくとも、真の意味での強固な信頼関係を築くことができる。
そのような関係があれば、相手の耳に痛いことをも正面切って言えるし、その言葉に相手も耳を傾けようとするのである。

「各国の利害が複雑に絡み合う、この国際社会において、そんな抽象的なきれいごとを並べたところで何の意味があるんだ。各国は冷徹な思考に基づいて狡猾に行動するものだ。」

こんなお叱りの声が聞こえてきそうだ。

ただ、僕は思う。

事実を冷静に見つめること、そして、行く先のシナリオを可能な限り想定すること。
このこと自体は必要不可欠なことであり、否定するつもりは毛頭ない。

ただ、理念や理想を抱くことすらなく、予定調和的に未来を現実に安易に合わせてしまうことは許されないことであると思う。
そして、相手をやみくもに信じることは無謀無策との謗りを免れないが、自ら働きかけても相手は変わらないとやみくもに信じ込むことも思考停止以外の何物でもない。


日本は、長い歴史を有しているが、(広義の意味での)「独立プロセス」の真っ只中にいる。
僕は、日本という国はもっとrespectされる国に成長できると思うし、そうなって欲しいと思う。
いつ訪れるのか分からないけれど、interdependenceという関係の中で、相互のrespectを育て、究極的な絆を一本でも多く作れる国になって欲しい。

そのためにも、まずは、もっと自信を持って、内向きな姿勢を改め、外に働きかけていく気概を持つという基本的なことこそが第一歩と思えてならない。



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