2008/8/5  22:24

北京五輪に関する報道のあり方  米国社会

開会式を3日後に控えた今、ふと母国日本では五輪についてどのような報道がなされているのか気になった。
当地のNHK海外放送でたまに流れるスポーツニュースを見ていると日本選手の意気込みがひしひしと伝わってくる。
プレッシャーはあるだろうが、是非ベストを尽くして欲しい、そう思わずにはいられない。

ただ、何となく違和感を覚える。
何故だろう。
日本では、五輪直前になると、テレビのスイッチを入れれば、いずれかのキー局で五輪関係の特番が組まれるほど、国民的関心事となるのが常。

しかし、アメリカにいると、少なくとも現時点では五輪熱がメディアを通じてそれほど伝わってこない。
勿論、陸上や水泳を始めとする有力選手の姿がスポーツチャネルなどで放映されることはあるのだが、日本にいた時のような熱狂的な盛り上がりは少なくとも僕には感じられない。
日本が特別なのか、米国が特別なのか、よく分からないが、その点については正直どちらでもいい。

違和感を抱いた大きな理由は、そもそも日本よりも相対的にプレイダウンされていることもさることながら、今回は中国がホスト国ということもあり、米国内では、北京五輪は純粋なスポーツというよりも、寧ろ政治的色彩を帯びたものとして報道されている点だ。

日本でどのように報道されているのかは知らないが、推測するに通常の五輪同様、選手のパフォーマンスに焦点を当てた報道が主となっているのではないだろうか(例外はあるにしても)。

実は正確に言えば、違和感を抱いたのは、米国における報道の仕方ではなく、(僕が勝手に想像している)日本における報道の仕方(間違っていたらこの後は読む必要ありません)。

「五輪は政治とは一線を画するべき」との点で表面的には一致しているブッシュ大統領と胡錦濤国家主席であるが、米主要マスコミ(テレビ・新聞)の報道の仕方にはその国における五輪の位置付けが明確に現れているように思える。

飛ぶ鳥を落とす勢いの中国の経済成長は誰もが認める光である。

一方で、その裏に厳然と存在する、

抑圧される人権、
汚染される環境、
拡がる格差。

中国が抱えるこれらの影に米マスコミは焦点を当て、国民の関心を掻き立てている。

どちらかといえば否定的なトーンの報道の背後には、これらの影を単に批判するという意図を超えて、中国が近い将来、ヘゲモニーとしての米国に並び又は取って代わる可能性を認めたくないという米国民の一般的な意図を促進・確認する姿勢が見え隠れする。

潜在的な恐怖の裏返しなのか否かは一概には言えないが、いずれにしても、米国メディアの北京五輪に係る報道には、五輪そのものに焦点を当てたパフォーマンス重視の報道を超えて、五輪を取り巻く環境と五輪がそれに対して与える影響とを、より大局的かつ政治的視点から報じる姿勢が明確に存在する。

例えば、金メダルの数にしても然り。
ソウル五輪では米国36(3位)、中国5であったのが、アテネ五輪では米国36(1位)、中国32(2位)。
旧ソ連・東ドイツ型の国家主導の英才教育により躍進著しい中国に対し、米国民は危機感を抱いているようだ(事実最近のワシントン・ポスト紙にもこの点について社説で触れられていた)。
それは単なるスポーツ大国としての地位への拘泥を超えたコンテクストに位置付けられる。

今回、中国は、躍進著しい軍事力・経済力というハードパワーに加えて、オリンピックの開催及び金メダルの量産というソフトパワーを効果的に世界に示すことにより、国威発揚を図ろうとしているのは間違いない。

まさに、今回の北京五輪は国家の威信を賭けた闘いの様相を呈している。
奇しくも、7月29日に、ワシントン最大とされる中国大使館が新築され、そして、8月8日、北京最大とされる米国大使館の開館式がブッシュ大統領同席の下で開催される。
二つの「大国」の関係は、強化されつつも、互いに牽制しあう微妙なものへと成長しつつある。

このような中で今回の五輪は、単なる四年に一度のスポーツの祭典という枠を超え、政治・経済・文化的implicationを幅広くもたらすものと位置付けられるのだ。

我が国のメディアはこの五輪をどのように報じているのかふと気になった。
そして、我が国の政治家そして国民がこの五輪をどのように捉えているのかふと気になった。

別に米国の報道のあり方が常に正しいといっているわけではない。
ただ、同盟国である米国が東アジアをどのように見ているのかという点については常に意識しておく必要がある。
因みに、先週金曜に行われた内閣改造から5日が経過した。
日本メディアの関心は集めただろうが、当地有力紙のワシントン・ポスト紙を隅から隅まで読んでみても、残念ながら、その件については結局1文字たりとも報道されなかった。
日本国内で捉える東アジア情勢は、時として米国内のそれとは大いに異なる。

繰り返しになるが、この五輪は単なる五輪ではない。
我が国にとっても、通常の五輪とは異なる意味合いがあるはず。
国民がしっかりと判断できるためにも、日本国内で公正かつ適切な報道がなされることを期待している。


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