2006/9/22 10:20
生きててよかった 分類なし
みなさん、お久しぶりです。僕は生きてこの世に戻りました。すべて、みなさんのおかげです。麻酔から覚めた瞬間、生きているって、こんなにすばらしいのかと思いました。そして、人生観がまったく変わってしまったんです。
今までの小さな悩みもどこかに吹っ飛び、今はやはり人間はいろんな人に支えられて、そして目に見えない何かに支えられながら生きているんだと実感しました。最初はもう、助からないんだろうなと心の底では思っていて、ところが目が覚めたらこの世にいたという喜びはどう表現していいかわかりません。おそらく、文章で現すのは不可能でしょう。竜宮城が絵にも描けない美しさというように、生きている喜びは文章では描写できないほど大きいのです。
他の心臓病患者さんにも聞いてみたら、だいたい8割くらいの人が「命をもらって人生観が変わった」と言っていました。僕も今後、どんなに苦労があっても、この辛い手術を乗り切った自信を支えにがんばれるんではないかと思いました。
今は人工呼吸器の挿管の影響で声帯を痛めてしまい、声がほとんど出ません。最初は少し出ていたんですが、無理して見舞客や同室の男性、看護師さんたちと会話したら数日前から悪くなりました。声が出ないと本当に不便ですよ。
幸い、僕のパソコンには音声合成ソフトが付いていたので、ホーキング博士のようにキーを打って会話したら、みんなに笑われました。今の接続はナースステーションの電話回線から送っています。執筆の仕事を理由に、温情で使わせてもらっているのです。というのも、今はパソコンを自力で持ち上げることはできないから。まだ、骨がくっついていないので、両手でわずかの重さしか持てません。
それから、回復は順調でした。ICUに入っても1日目から歩き、2日目には100メートル歩行テストをクリアして一般病棟へ。食事は翌日のおかゆから全部残さず食べています。医師、看護師も「こんなに回復が早いのは驚きだ」と言いました。ただ、術後の傷の痛みは大変なもので、強い痛み止めを1週間ほどもらってしのいでいました。若い人ほど、痛みに対する感覚は強いのだそうです。
今は痛みもだいぶ和らぎ、今日退院することになりました。あとは自宅療養しながら、リハビリで歩く距離を伸ばし、数ヶ月かけて心機能を回復させます。まだまだ、書きたいことはありますが、それはまた自宅に帰ってからゆっくり書きますね。
みなさんからの、たくさんの激励、うれしかったです。今は長い時間パソコンを接続するのは不可能なので、個々のお返事は自宅に戻ってから安定したADSL回線から送ります。もう少し待ってくださいね。とにかく、生きている喜びがこの文から伝われば幸いです。本当に応援ありがとうございました。みなさんの励ましは生涯忘れません。
今までの小さな悩みもどこかに吹っ飛び、今はやはり人間はいろんな人に支えられて、そして目に見えない何かに支えられながら生きているんだと実感しました。最初はもう、助からないんだろうなと心の底では思っていて、ところが目が覚めたらこの世にいたという喜びはどう表現していいかわかりません。おそらく、文章で現すのは不可能でしょう。竜宮城が絵にも描けない美しさというように、生きている喜びは文章では描写できないほど大きいのです。
他の心臓病患者さんにも聞いてみたら、だいたい8割くらいの人が「命をもらって人生観が変わった」と言っていました。僕も今後、どんなに苦労があっても、この辛い手術を乗り切った自信を支えにがんばれるんではないかと思いました。
今は人工呼吸器の挿管の影響で声帯を痛めてしまい、声がほとんど出ません。最初は少し出ていたんですが、無理して見舞客や同室の男性、看護師さんたちと会話したら数日前から悪くなりました。声が出ないと本当に不便ですよ。
幸い、僕のパソコンには音声合成ソフトが付いていたので、ホーキング博士のようにキーを打って会話したら、みんなに笑われました。今の接続はナースステーションの電話回線から送っています。執筆の仕事を理由に、温情で使わせてもらっているのです。というのも、今はパソコンを自力で持ち上げることはできないから。まだ、骨がくっついていないので、両手でわずかの重さしか持てません。
それから、回復は順調でした。ICUに入っても1日目から歩き、2日目には100メートル歩行テストをクリアして一般病棟へ。食事は翌日のおかゆから全部残さず食べています。医師、看護師も「こんなに回復が早いのは驚きだ」と言いました。ただ、術後の傷の痛みは大変なもので、強い痛み止めを1週間ほどもらってしのいでいました。若い人ほど、痛みに対する感覚は強いのだそうです。
今は痛みもだいぶ和らぎ、今日退院することになりました。あとは自宅療養しながら、リハビリで歩く距離を伸ばし、数ヶ月かけて心機能を回復させます。まだまだ、書きたいことはありますが、それはまた自宅に帰ってからゆっくり書きますね。
みなさんからの、たくさんの激励、うれしかったです。今は長い時間パソコンを接続するのは不可能なので、個々のお返事は自宅に戻ってから安定したADSL回線から送ります。もう少し待ってくださいね。とにかく、生きている喜びがこの文から伝われば幸いです。本当に応援ありがとうございました。みなさんの励ましは生涯忘れません。
2006/9/9 22:42
入院中 分類なし
みなさん、お元気ですか?僕は今、病院のベットで書いたメールを公衆電話のモジュラージャックを使って送っています。ここの病院はほとんどがペースメーカーを入れている人ばかりなので、とてもじゃないけど携帯電話を使える雰囲気ではありません。しかも、今は消灯時間なので、監視の目を避けながら術前最後のご挨拶を書いています。
いろいろ不安もありますが、看護師さんが優しい人ばかりで、とても気分よく過ごすことができます。病院食もおいしく、残さず全部食べています。広い病院内をいろいろと探検してみました。屋上は結構、誰にも知られていない穴場なのですが、夕方から夜は誰かしらカップルがいて、昨日は30代の夫婦と思われる2人が抱き合ったまま泣いていました。やはり、みんな手術を受け入れられず苦しんでいるようです。
僕は今の病棟ではかなり若いほうです。ここは老人が多いので、髪が黒いだけで「若いですね」と言われます。最初はパジャマに着替えた瞬間から気が滅入りましたが、今はもう受け入れて平常心に近づいています。僕に冷たくしていた外科医は今日まで夏休みのため、若い外科医と内科医が担当になっています。
看護師も医師も、みんな笑顔で対応してくれて、隣のベットに寝ている76歳のかたも、「ここは看護師さんが優しいよ」と言うので、安心しました。差額ベットの2人部屋に入っているので、亀田興毅のオヤジみたいな人が同室だったらどうしようと心配でしたが、入院の先輩はとても優しい人でした。ただ。そのかたは12日に退院するので、次にどんな人が来るのか気になります。
昨日、おじいさん先生がわざわざお見舞いにきてくれました。それだけで、もう今までの不安な気持ちが和らぎました。こうして書いていながらも、いったい何を書いたらいいのか迷ってしまいますが、みなさんとの出会いの中で「人間は1人で生きているわけではないんだ」と思いました。ここに来る皆様、家族のような存在です。
この病院には戦争を生き抜き、心臓病を克服して帰る老人がたくさんいます。だから、負けてはいられないと思いました。部屋に1人になったとき、少しでも体力をつけるために腕立て伏せをやっていたら、看護師さんに「何してるんですか」と驚かれました。
というわけで、しばらく更新できないかもしれませんが、歩けるようになったら、必ずまたブログを更新します。ただ、パソコンを持ち上げられないので、しばらくかかるかもしれません。では、また再びみなさんとADSL回線を通じてお会いできることを楽しみにしています。では、また。
いろいろ不安もありますが、看護師さんが優しい人ばかりで、とても気分よく過ごすことができます。病院食もおいしく、残さず全部食べています。広い病院内をいろいろと探検してみました。屋上は結構、誰にも知られていない穴場なのですが、夕方から夜は誰かしらカップルがいて、昨日は30代の夫婦と思われる2人が抱き合ったまま泣いていました。やはり、みんな手術を受け入れられず苦しんでいるようです。
僕は今の病棟ではかなり若いほうです。ここは老人が多いので、髪が黒いだけで「若いですね」と言われます。最初はパジャマに着替えた瞬間から気が滅入りましたが、今はもう受け入れて平常心に近づいています。僕に冷たくしていた外科医は今日まで夏休みのため、若い外科医と内科医が担当になっています。
看護師も医師も、みんな笑顔で対応してくれて、隣のベットに寝ている76歳のかたも、「ここは看護師さんが優しいよ」と言うので、安心しました。差額ベットの2人部屋に入っているので、亀田興毅のオヤジみたいな人が同室だったらどうしようと心配でしたが、入院の先輩はとても優しい人でした。ただ。そのかたは12日に退院するので、次にどんな人が来るのか気になります。
昨日、おじいさん先生がわざわざお見舞いにきてくれました。それだけで、もう今までの不安な気持ちが和らぎました。こうして書いていながらも、いったい何を書いたらいいのか迷ってしまいますが、みなさんとの出会いの中で「人間は1人で生きているわけではないんだ」と思いました。ここに来る皆様、家族のような存在です。
この病院には戦争を生き抜き、心臓病を克服して帰る老人がたくさんいます。だから、負けてはいられないと思いました。部屋に1人になったとき、少しでも体力をつけるために腕立て伏せをやっていたら、看護師さんに「何してるんですか」と驚かれました。
というわけで、しばらく更新できないかもしれませんが、歩けるようになったら、必ずまたブログを更新します。ただ、パソコンを持ち上げられないので、しばらくかかるかもしれません。では、また再びみなさんとADSL回線を通じてお会いできることを楽しみにしています。では、また。
2006/9/3 22:29
もう信じるしかない 分類なし
3度目の貯血を終えて、1週間以上経ったら、だいぶ体調も回復してきた。あとは、入院を待つのみになった。それにしても、「その日」を待つというのはつらいものだ。特攻隊員もこんな気持ちで出陣を待っていたのかな?死刑囚は、やはり不安を抱えながら執行の前日は眠れなかったんだろうか?こんなことを、つい思ってしまう。
今回は何の不安もなく、大船に乗ったつもりで手術を受けようと思っていた。ところが最近、大きなトラブルが。おじいさん先生と病院の外科医が検査と手術法でもめて、どちらも譲らないというシーンがあった。お互い電話で連絡を取り合い、激論を交わしたという。
その後、僕が手術を受ける病院の外科医から「僕とおじいさんと、どっちの方法を採用したいですか?」と言われて、しばらく考えた後「おじいさんのほうを・・・」と言ったら、不機嫌そうに「わかりました」と診察を終えて、それからの診察はほぼ1分ほどで終わるようになった。2人の主治医を持つような環境では、2人の考えの違い、プライドがぶつかり合うものらしい。
それからの診療は何か質問しても、「詳しくはおじいさんから聞いてください。あなたの主治医なんですから」と言って、何も説明しない。トラブルの前までは、とても優しい医師だったのに。他の患者には20分くらいかけて、優しく談笑している声が聞こえてくる。これはつらいことだが、僕が選んだ道だから我慢する。
先日、おじいさん先生に最後の診察のために会いに行き、「手術を終えた後、どのくらいいらっしゃるんですか?」と聞いたら、「悪いがすぐに帰る」と笑いながら言った。以前、おじいさんは患者が心配で朝まで待機していたのだが、それをやると、どこの病院でも看護師や外科医が「私たちを信用しないんですか」みたいな態度を取って、居場所がないんだとか。だから今は、手術を終えてすぐ術後管理をバトンタッチするという。その後、引き継いだ外科医には、診察時のように冷たくされるのだろうか。
外から外科医を連れてくることがこんなに大変だったとは・・・。僕は手術闘病記を別ブログで書こうと思っているが、このブログと同じように、すべて真実を書きたい。もし内容に嘘や脚色が混じると、読み手は間違った情報に混乱するだろう。時には医師から暴言を浴びせられ、検査に苦痛を感じ、希望を失った時期もあった。発作を起こして死ぬ恐怖も味わった。そして術後にはどんな運命が待っているのか?これらもすべて書きたい。
今言ったような内容を知り合いの内科医に話したら、「そのおじいさんはくせ者だ。外科医っていうのは切るまでは優しくて、切ってしまったら冷たいもんだよ。珍しい症例に興味があるだけじゃないのか?外部の外科医なら、まずはチームワークに問題があるだろう。大丈夫か?」と言われた。外科医と内科医はどこの病院でもたいてい仲が悪いから、彼はかなり批判的だった。
また、他の友人からは「今から貯血を無駄にしても、手術をキャンセルするべきだ。フリースタイル弁は破裂事故が学会で数件報告されている。知らなかったのか?つまりアメリカ製の生体弁には少なからず不良品が混じっているってことだ」と助言された。
僕は過去の一切のコネを使わず、自力で外科医を見つけようと思っておじいさんに巡り会った。「それが裏目に出たんじゃないか」、「もっと早く俺たちに相談してくれたら」と今になって周りから散々言われた。だが、もう後戻りはできない。自分が目を合わせた瞬間に何かを感じたおじいさんは、周りがなんと言おうと最後まで信じたい。信じるしかない。そう自分を納得させて、もうすぐ病院に向かう。
今回は何の不安もなく、大船に乗ったつもりで手術を受けようと思っていた。ところが最近、大きなトラブルが。おじいさん先生と病院の外科医が検査と手術法でもめて、どちらも譲らないというシーンがあった。お互い電話で連絡を取り合い、激論を交わしたという。
その後、僕が手術を受ける病院の外科医から「僕とおじいさんと、どっちの方法を採用したいですか?」と言われて、しばらく考えた後「おじいさんのほうを・・・」と言ったら、不機嫌そうに「わかりました」と診察を終えて、それからの診察はほぼ1分ほどで終わるようになった。2人の主治医を持つような環境では、2人の考えの違い、プライドがぶつかり合うものらしい。
それからの診療は何か質問しても、「詳しくはおじいさんから聞いてください。あなたの主治医なんですから」と言って、何も説明しない。トラブルの前までは、とても優しい医師だったのに。他の患者には20分くらいかけて、優しく談笑している声が聞こえてくる。これはつらいことだが、僕が選んだ道だから我慢する。
先日、おじいさん先生に最後の診察のために会いに行き、「手術を終えた後、どのくらいいらっしゃるんですか?」と聞いたら、「悪いがすぐに帰る」と笑いながら言った。以前、おじいさんは患者が心配で朝まで待機していたのだが、それをやると、どこの病院でも看護師や外科医が「私たちを信用しないんですか」みたいな態度を取って、居場所がないんだとか。だから今は、手術を終えてすぐ術後管理をバトンタッチするという。その後、引き継いだ外科医には、診察時のように冷たくされるのだろうか。
外から外科医を連れてくることがこんなに大変だったとは・・・。僕は手術闘病記を別ブログで書こうと思っているが、このブログと同じように、すべて真実を書きたい。もし内容に嘘や脚色が混じると、読み手は間違った情報に混乱するだろう。時には医師から暴言を浴びせられ、検査に苦痛を感じ、希望を失った時期もあった。発作を起こして死ぬ恐怖も味わった。そして術後にはどんな運命が待っているのか?これらもすべて書きたい。
今言ったような内容を知り合いの内科医に話したら、「そのおじいさんはくせ者だ。外科医っていうのは切るまでは優しくて、切ってしまったら冷たいもんだよ。珍しい症例に興味があるだけじゃないのか?外部の外科医なら、まずはチームワークに問題があるだろう。大丈夫か?」と言われた。外科医と内科医はどこの病院でもたいてい仲が悪いから、彼はかなり批判的だった。
また、他の友人からは「今から貯血を無駄にしても、手術をキャンセルするべきだ。フリースタイル弁は破裂事故が学会で数件報告されている。知らなかったのか?つまりアメリカ製の生体弁には少なからず不良品が混じっているってことだ」と助言された。
僕は過去の一切のコネを使わず、自力で外科医を見つけようと思っておじいさんに巡り会った。「それが裏目に出たんじゃないか」、「もっと早く俺たちに相談してくれたら」と今になって周りから散々言われた。だが、もう後戻りはできない。自分が目を合わせた瞬間に何かを感じたおじいさんは、周りがなんと言おうと最後まで信じたい。信じるしかない。そう自分を納得させて、もうすぐ病院に向かう。
