2007/2/24  15:27

ガラスの12歳(2)  エロ話

 性描写が含まれています。苦手な方は読まないほうがいいと思います。それでも読みたい方は「Read More」よりお入りください。
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2007/2/18  21:53

ガラスの12歳  エロ話

 人はなぜ数字に支配されるのだろう。何歳で結婚したか、何歳で課長になったか、年収はいくらか、など数字の話題ばかりだ。女子高生の中には10代のうちにバージンを失わないと恥ずかしいと、出会い系で処女を散らす子もいるという。僕たちも20歳前には童貞を捨てないと恥ずかしいということで、友人たちは19歳でソープランドに走った。

 学生時代、彼女いない歴が実年齢という輩も多く、友人のほとんどは童貞だった。そんなソープ派の中で最も悲惨だったのが江藤だった。彼は19歳で某場末のソープ街に行った。部屋に入ると50代半ばと思われる掃除婦のおばさんが、デッキブラシで風呂のタイルを掃除していたという。「いつになったらこのおばちゃんが帰るのか」と思っていたら、掃除を終え「じゃあ、そろそろ始めましょうか?」と言った。なんとこの女性がソープ嬢だったのである。それでも、玄人の愛撫で下半身を元気にさせられた江藤は、総額1万5千円で童貞を失った。そのときは、かなり落ち込んだらしい。

 運よく彼女ができた友人もいたが、処女と童貞の組み合わせなので、お互いうまくゆかない。どこに入れるのかわからなくて、彼女の肛門に無理矢理入れそうになったのは沼崎という友人だった。みんなさまざまなドラマがあったようだが、「やはり初めての人は忘れられない」と言っていた。

 20代前半の頃、仲間と酒を飲んで会話が盛り上がると「童貞はいつ失った?」という話題になることが多かった。みんな、他人は自分と比べて早いのか遅いのか気になるようだ。僕は「17歳のとき、当時の彼女と結ばれた」とずっと友人に嘘をつき続けた。事実があまり思い出したくない出来事だったからだ。

 本当に童貞を失ったのは12歳。小学校6年生のときだ。相手は当時34歳の叔母。この時期、母が椎間板ヘルニアで入院し、父は別居中だったので、叔母の家に妹と2人で預けられることになった。期間はちょうど1ヶ月。叔母といっても血のつながりはない。父の弟の奥さんなのだが、叔父は仕事の都合で東京に行き、年末にしか帰ってこなかった。叔母は「寂しいから、ちょうどよかった」と、とても優しくしてくれた。叔母は料理もうまくて、母のように怒鳴ったりヒステリーを起こすこともなく、慣れてくると家にいるより快適だと感じた。

 居候してから数日後、夜にすごい雷が鳴った。すると叔母が「怖いよ。私、雷だけはダメなの。怖いからそっちのお布団に入らせて」とおびえながら布団に入ってきた。それから、「やっぱり男の子がいると頼もしいわ」と僕の手を握りながら笑った。妹はすでに叔母の部屋で熟睡している。

 そのとき僕は風邪ぎみで、少し体が熱っぽかった。叔母はしっかり僕を抱きしめながら、「あら、熱があるみたい。私の体は冷たいから、氷枕のように冷やしてあげるよ」と僕のパジャマを上半身だけ脱がして、ネグリジェのまま自分の体を重ねた。僕は叔母は本当に優しい人だと感じて無抵抗だった。うなじからとても甘い香りが漂ってきた。ここで叔母は、信じられない行動に出たのである(以下次号へ)


2007/2/12  22:10

泣く男  分類なし

 昨日、学生時代の友人から電話があった。かかってきたときから、彼はもう泣いていた。彼は5年前に奥様の浮気を知って離婚したのだが、もと奥様は彼に内緒ですぐに住所を変えてしまい、音信不通になってしまった。そのために、前妻に引き取られた当時5歳だった息子とは、離婚後一度も会っていない。奥さんの実家に電話しても「私たちだってわからないんだ。もう連絡しないでくれ」と取り合ってくれない。

 今は小学5年生になった息子のことを思うと、泣けてくるという。特に同じ年頃の子がランドセルをしょって道ばたを歩いている姿を見ると、息子と重なって泣けてくるようだ。今まで一度も涙を見せたことのない彼が泣いているのだから、よほど悲しいのだろう。

 一週間前には小学校の友人から20年ぶりに電話があった。彼は緑内障が進み、今失明の危機が近づいているという。しかも会社からはリストラの対象にされ、ひどいいじめを受けているようだ。会話しているうちに彼も泣いた。最近、やたらと電話が多いのは、年賀状に心臓手術をしたことを書いたからだと思う。

 きっと心と身体の痛みを経験した僕だから、自分の痛みもわかってもらえるんじゃないかと思い、みんな電話をかけてきたように感じた。一方、このブログによく登場する後藤君という後輩も、手術の成功を知ったとき、「よかった。本当によかったです」と泣いた。自分のために泣いてくれるなんて、すごく嬉しかった。僕にとって、手術は人の優しさを知るいい機会だった。

 今後悔しているのは、僕もそのとき、いっしょに泣けばよかったということ。祖父が厳しい人で「男なんだから泣くな」と子どものころに泣いていると、ひどく叱られた。それがトラウマというか、呪縛となって、自分は長い間泣けなかった。

 最近、風見しんごが愛娘を事故で亡くし、痛々しいまでに泣いていたが、その姿に感動した。本当に悲しいときは、泣いていいし、男女の区別などないんだと感じた。これからは、自分のためだけではなく、人の傷みを理解して泣ける男になりたい。そして、このブログを熱心に読んでくれている、あなたに悲しいことがあったら、その言葉に耳を傾けながら、ただ黙って涙を流したい。そんな自分になれればと思った。あなたは最近、どんなことで泣きましたか?


2007/2/7  15:41

オッサンミュージシャン  分類なし

 先日、ドライヤーが壊れてしまったので、買い換えようと思い、常磐線沿線のK市まで行った。そこの駅前には若者のストリートミュージシャンが多い。この日は寒いせいか、普段よりミュージシャンは格段に少なかったが、その中で特に目立っているミュージシャンがいた。

 彼はもう50歳代と思われる、普通のオッサンだった。アコースティックギターはチューニングがずさんなせいか、音が微妙に狂っているし、歌も音痴でかなり外れている。おまけにバンダナを巻いた頭は薄く、頭頂部はバーコードのように薄くなっていた。

 最初はだれも聴いていなかったが、ドライヤーを買ってその場に戻ると、30人くらいの人だかりができていた。ほとんどはスカートの短い女子高生で、リズムを取りながらそのオッサンの歌を聴いている。

 会社のために尽くしたのに会社に捨てられ、家族からも捨てられ、親は亡くなってひとりぼっち。自分の居場所がないという内容を、明るいメロディーに乗せて歌っていた。彼の言葉は、世代を超えた人を、こんなにも立ち止まらせることができるのか・・・。僕はこの現実に驚いた。

 演奏が終わると女子高生のグループが近づいて「オッチャンよかったよ。いつから始めたの?」と質問した。彼は「半年前かな。会社クビになって、女房にも逃げられて、家に帰っても寂しいからね」と笑った。

 僕はこの会話を聞きながら、誰かに自分のメッセージを伝えようと思ったときは、経験や容姿も年齢もまったく関係ないんだと知った。やはり、何かを始めようと思った瞬間に行動することが大事なのかもしれない。

 たいていの人は「これをやりたい」と思っていても、日常に流されてなかなか実現できないまま年を取る。また、ある年齢で新しいことを始めると「世間の目」が気になるという人もいる。成功するのか、失敗するのか気になって躊躇することもあるだろう。

 だが、このオッサンは純粋に音楽がやりたかったんだと思う。心の声に耳を澄ませば、きっと自分のやりたいことが見つかるだろう。20歳で見つかる人もいれば、70歳で見つかる人もいる。あなたが本当にやりたいことは?忘れかけていた夢は何ですか?

 

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