2008/9/1 14:26
幕末に於けるもう一つの大船つくりと「社の大ケヤキ」 日本文化史
ペリーが浦賀に来てから幕府は鎖国から目覚めて、国中を上げて騒がしくなったわけですが、海国日本とは言えながら、幕府の国防対策はそれまで、殆ど無かったと言っても良いだろう。今考えてもヒヤヒヤする様な無策では有ったのです。幕府よりか民間の識者の方が、これらを憂いていたのです。例えば、仙台藩の林子平等は「海国兵談」を寛政年間に著したのがそれである。
天下泰平の夢が破れた後の嘉永6年9月になると、遅まきながら「大船禁止令」の解除が出されたのですが、禁止令からは200年程経過していたのです。その太平を貪っていた時に欧米諸国は着々とアジア地域を侵食していたのです。(アヘン戦争等)
夢から覚めた幕府とお金に余裕が有る諸藩は(例えば、水戸、薩摩、佐賀、土州、長州等)漸く「西洋型帆船」の建造に着手して、海外に対し目を向けたので有る。始めて造った西洋型帆船は幕府の「鳳凰丸」だったと言う。鳳凰丸が完成すると諸外国に対し日本船で有る事を証明せねば為らず、此処に「日の丸」の旗が国旗として正式に制定されたので有る。(但し、これ以前に諸国からの幕府城米船には、日の丸の旗を使用していたが国旗では無かった。)
さて、この様な大船建造ブームに於いて、幕府や諸藩はハタと気づいた事が有る。これは大船を作る為の大木(金属不足も有ったが、これは梵鐘を調達した)の不足で有る。大船を造る為には、その辺に聳える平凡な樹木では用を成さず、素性の良い大木に育ったケヤキや杉やヒノキで有る。これらは何処に有るのか、直ぐに気が木が付くのは神社や寺の森で有る。この様な訳で社(ヤシロ)の大木が造船の為の対象になったのです。
私の手元には、その西洋型帆船を造船の為の古文書が有って、これを読み易い様にして示せば次の様である。
恐れながら書きつけを以て申し上げ候
今般申し上げ候は、御公儀様、大船ご製造に付き、○○村成就院支配所○〇明神の地内にケヤキ二本これ有り候に付き、御用ご用を仰せ付けられ候間、伐採致し度き段申し上げ候。右ケヤキ、但し、目通一丈二尺廻り右代金は相当の直段を以て、金拾両也下げ下され候の筈に御座候。この段書面を以て御届け申し上げ御聞済み下され、御用相勤め候はば有り難く存じ奉り候 以上
嘉永七寅年三月 〇〇村諏訪明神氏子
〇○助右衛門
○〇山 御役僧衆中
これは諏訪神社境内のケヤキ(一丈二尺廻り)の木を伐採する事を、上級の寺で有る〇○山の僧侶に承諾する事を示したもので有ろう。当時末寺は本山の許可を得なければ何事も進まなかったから、この様に文書で提出したのです。(江戸時代から日本は全て文書のやり取りの国で有ったのです。)
ここで切り倒されたケヤキの大木は、恐らく舟とか筏に積まれ鬼怒川から利根川及び江戸湾に運ばれ造船所(恐らく幕府の造船所浦賀)まで運ばれて、西洋船に使われたと思うのです。これは造船の為の大木を必要とした古文書で、その他には寺の梵鐘を欲しがったのです。
天下泰平の夢が破れた後の嘉永6年9月になると、遅まきながら「大船禁止令」の解除が出されたのですが、禁止令からは200年程経過していたのです。その太平を貪っていた時に欧米諸国は着々とアジア地域を侵食していたのです。(アヘン戦争等)
夢から覚めた幕府とお金に余裕が有る諸藩は(例えば、水戸、薩摩、佐賀、土州、長州等)漸く「西洋型帆船」の建造に着手して、海外に対し目を向けたので有る。始めて造った西洋型帆船は幕府の「鳳凰丸」だったと言う。鳳凰丸が完成すると諸外国に対し日本船で有る事を証明せねば為らず、此処に「日の丸」の旗が国旗として正式に制定されたので有る。(但し、これ以前に諸国からの幕府城米船には、日の丸の旗を使用していたが国旗では無かった。)
さて、この様な大船建造ブームに於いて、幕府や諸藩はハタと気づいた事が有る。これは大船を作る為の大木(金属不足も有ったが、これは梵鐘を調達した)の不足で有る。大船を造る為には、その辺に聳える平凡な樹木では用を成さず、素性の良い大木に育ったケヤキや杉やヒノキで有る。これらは何処に有るのか、直ぐに気が木が付くのは神社や寺の森で有る。この様な訳で社(ヤシロ)の大木が造船の為の対象になったのです。
私の手元には、その西洋型帆船を造船の為の古文書が有って、これを読み易い様にして示せば次の様である。
恐れながら書きつけを以て申し上げ候
今般申し上げ候は、御公儀様、大船ご製造に付き、○○村成就院支配所○〇明神の地内にケヤキ二本これ有り候に付き、御用ご用を仰せ付けられ候間、伐採致し度き段申し上げ候。右ケヤキ、但し、目通一丈二尺廻り右代金は相当の直段を以て、金拾両也下げ下され候の筈に御座候。この段書面を以て御届け申し上げ御聞済み下され、御用相勤め候はば有り難く存じ奉り候 以上
嘉永七寅年三月 〇〇村諏訪明神氏子
〇○助右衛門
○〇山 御役僧衆中
これは諏訪神社境内のケヤキ(一丈二尺廻り)の木を伐採する事を、上級の寺で有る〇○山の僧侶に承諾する事を示したもので有ろう。当時末寺は本山の許可を得なければ何事も進まなかったから、この様に文書で提出したのです。(江戸時代から日本は全て文書のやり取りの国で有ったのです。)
ここで切り倒されたケヤキの大木は、恐らく舟とか筏に積まれ鬼怒川から利根川及び江戸湾に運ばれ造船所(恐らく幕府の造船所浦賀)まで運ばれて、西洋船に使われたと思うのです。これは造船の為の大木を必要とした古文書で、その他には寺の梵鐘を欲しがったのです。





