2008/5/31 21:32
FRICTION at 渋谷クラブクアトロ 音楽
先月に続いて、FRICTION のライヴを聞くことが出来た(5月21日、於渋谷クラブクアトロ)。毎月一回FRICTION とは何と幸せなことだろう!(6月5日には、日本脳炎のライヴにゲストで出演。三ヶ月も続けてとは夢のようだ。)
ライヴから10日経った今でも、その素晴らしさ・かっこよさを的確な言葉で表現することは出来そうもない。新曲2曲(?)を含めて15曲ほど、全部で2時間。FRICTIONとしてはかなり長尺(もしかしたら最長?)のライヴだったが、それこそ、あっという間の濃密な時間が過ぎていった。とにかくかっこよくてさ、としか言いようがないのだが、まずは二点。1/「Pistol」から始まり、他にも「Big-S」・「Crazy Dream」・「Autmatic-Fru」という軋轢期の曲も多かったが、圧倒的な現在性を有している。カラオケにも入っているという「Crazy Dream」を初めとして、下手をすると懐かしいあの曲ということになりかねないが、そんなことはなく、昨日生まれた曲のように瑞々しい。これには、これまた言葉に出来なくて恥ずかしいが、Я eckの歌い方の変化も大きく作用しているように思う。2/前回聞くことが出来たワンマンライヴの会場(恵比寿のLiquid Room)に比べると、渋谷クラブクアトロはやや狭くて、会場の雰囲気自体が親密な感じであるのも手伝ってか、FRICTION に特有の緊張感が親密な緊張感とでもいうものになっていて、その音にただただ圧倒されるというよりは、圧倒されつつも幸せな気分になった。(FRICTION を聞いて幸せなという言葉を喚起されたのは初めてだ。)4月からのツアーがあったために、Я eckと中村達也の関係性が親密な軋轢とでも言うべきものを生み出すに至ったのかも知れない。中村達也の叩き出すビートがЯ eckの奏でるリフと絡み合うさまは、偶然が必然に転化する僥倖の奇跡的瞬間の連続としか言いようがない。ラストの「ZONE TRIPPER」においては、「ウオーン」と狼のようにЯ eckは吠えていたが、(かつて私が用いた言葉で言えば)放蕩の野良猫というよりも狼二匹が生み出す音をいつまでも浴びていたいと思った。私は根本から無神論者だけれども、ロックの神様は存在して、二匹の狼には存分の微笑みを与えている、と回心しそうになった一晩だった。
(文学の神様に愛されているとしか言いようのない桐野夏生の新作『東京島』の素晴らしさにも触れたいが、今日はここまで。)
ライヴから10日経った今でも、その素晴らしさ・かっこよさを的確な言葉で表現することは出来そうもない。新曲2曲(?)を含めて15曲ほど、全部で2時間。FRICTIONとしてはかなり長尺(もしかしたら最長?)のライヴだったが、それこそ、あっという間の濃密な時間が過ぎていった。とにかくかっこよくてさ、としか言いようがないのだが、まずは二点。1/「Pistol」から始まり、他にも「Big-S」・「Crazy Dream」・「Autmatic-Fru」という軋轢期の曲も多かったが、圧倒的な現在性を有している。カラオケにも入っているという「Crazy Dream」を初めとして、下手をすると懐かしいあの曲ということになりかねないが、そんなことはなく、昨日生まれた曲のように瑞々しい。これには、これまた言葉に出来なくて恥ずかしいが、Я eckの歌い方の変化も大きく作用しているように思う。2/前回聞くことが出来たワンマンライヴの会場(恵比寿のLiquid Room)に比べると、渋谷クラブクアトロはやや狭くて、会場の雰囲気自体が親密な感じであるのも手伝ってか、FRICTION に特有の緊張感が親密な緊張感とでもいうものになっていて、その音にただただ圧倒されるというよりは、圧倒されつつも幸せな気分になった。(FRICTION を聞いて幸せなという言葉を喚起されたのは初めてだ。)4月からのツアーがあったために、Я eckと中村達也の関係性が親密な軋轢とでも言うべきものを生み出すに至ったのかも知れない。中村達也の叩き出すビートがЯ eckの奏でるリフと絡み合うさまは、偶然が必然に転化する僥倖の奇跡的瞬間の連続としか言いようがない。ラストの「ZONE TRIPPER」においては、「ウオーン」と狼のようにЯ eckは吠えていたが、(かつて私が用いた言葉で言えば)放蕩の野良猫というよりも狼二匹が生み出す音をいつまでも浴びていたいと思った。私は根本から無神論者だけれども、ロックの神様は存在して、二匹の狼には存分の微笑みを与えている、と回心しそうになった一晩だった。
(文学の神様に愛されているとしか言いようのない桐野夏生の新作『東京島』の素晴らしさにも触れたいが、今日はここまで。)
2008/5/31 20:41
ZK in JAPAN ROCK BAND FES 2008 音楽
少し時間が経ってしまったが、数年ぶりに、再武装なった頭脳警察を見ることが出来たので報告したい(5月18日、JAPAN ROCK BAND FES 2008、於日比谷野外音楽堂)。
頭脳警察は、いつものごとくザッパの「Who are the Brain Police ?」をバックに、めんたんぴん、紫に続いて三番目に登場(パンタには悪いが、その前のオープニング・アクトというのか、The Duet は醜悪で....以下、自己検閲)。「真夜中のマリア」を皮切りに計10曲、ほぼ一時間の演奏。藤井一彦・JIGEN・よしろうを引き連れてのZKも好きだったが、バンドとして音の練れている特型「陽炎」による後方支援を受けての新たなZKには、心を揺さぶられるだけでなく、今の音が聞こえてきているという新たな感動を覚えた。「真夜中のマリア」にしろ二曲目の「戦慄のプレリュード」にしろ、いかにも70年代の楽曲であり、中山努のオルガンがその雰囲気を強めるのだが、それが同時に現在形の音として聞こえてくる。それには、陽炎のときの甘い音色からソリッドな音へとギターの音質を変更している菊池琢己の存在が大きいようにも思うが、懐古的な気分に陥ることなく、なんてかっこいいんだろうと思うままあっという間に過ぎてしまった。「響」でのヴァージョンを何回も聞いたことのある「七月のムスターファ」はZKヴァージョンとして新たな姿を示していたし、数十年ぶりのシングルとして6月1日に発売される「時代はサーカスの象にのって」と「間際に放て」の二曲は、70年代と21世紀が同時に共存するような力をもって迫ってきた。特に前者は、寺山修司の詩も素晴らしいが、それにも増して、パンタの楽曲の中では「孤独という言葉の中に」や「今日は別に変わらない」といった陰の名曲のラインに位置するもので、この曲がヒットチャートを賑わすといいのに、と思わせる。いずれにせよ、ワンマンライブを見たいと思うのは、この場に居合わせた者皆の願いだと思う。(ファン主体のワンマンライブ開催プロジェクトが成功することを心から祈りたい。)

他の出演バンドに関して記すことは殆どない。それぞれにファンがいるだろうから、批判めいたことを書いても仕方がないと思うからだ。ただ、めんたんぴんは楽しめたものの、紫、Blues Creationに関しては、70年代で時間が止まっているとしか思えず、音楽とどのように関わって来たのか、ということがあからさまに示されていて、ZKの現在との落差が激しすぎ、残酷なものだなという感想を持たざるを得なかった。ロックの神様というものがいるとして、それはみなに微笑んでくれはしないようだ。だからだろうか、ZK のときには、煽動されるように風さえ吹き始めた。
四人囃子の新たなボックスセット『From the Vaults 2』も嬉しい驚きであったが、こちらに関しても新作が聞きたいものだ。
[一部追加。6月6日記]
頭脳警察は、いつものごとくザッパの「Who are the Brain Police ?」をバックに、めんたんぴん、紫に続いて三番目に登場(パンタには悪いが、その前のオープニング・アクトというのか、The Duet は醜悪で....以下、自己検閲)。「真夜中のマリア」を皮切りに計10曲、ほぼ一時間の演奏。藤井一彦・JIGEN・よしろうを引き連れてのZKも好きだったが、バンドとして音の練れている特型「陽炎」による後方支援を受けての新たなZKには、心を揺さぶられるだけでなく、今の音が聞こえてきているという新たな感動を覚えた。「真夜中のマリア」にしろ二曲目の「戦慄のプレリュード」にしろ、いかにも70年代の楽曲であり、中山努のオルガンがその雰囲気を強めるのだが、それが同時に現在形の音として聞こえてくる。それには、陽炎のときの甘い音色からソリッドな音へとギターの音質を変更している菊池琢己の存在が大きいようにも思うが、懐古的な気分に陥ることなく、なんてかっこいいんだろうと思うままあっという間に過ぎてしまった。「響」でのヴァージョンを何回も聞いたことのある「七月のムスターファ」はZKヴァージョンとして新たな姿を示していたし、数十年ぶりのシングルとして6月1日に発売される「時代はサーカスの象にのって」と「間際に放て」の二曲は、70年代と21世紀が同時に共存するような力をもって迫ってきた。特に前者は、寺山修司の詩も素晴らしいが、それにも増して、パンタの楽曲の中では「孤独という言葉の中に」や「今日は別に変わらない」といった陰の名曲のラインに位置するもので、この曲がヒットチャートを賑わすといいのに、と思わせる。いずれにせよ、ワンマンライブを見たいと思うのは、この場に居合わせた者皆の願いだと思う。(ファン主体のワンマンライブ開催プロジェクトが成功することを心から祈りたい。)
他の出演バンドに関して記すことは殆どない。それぞれにファンがいるだろうから、批判めいたことを書いても仕方がないと思うからだ。ただ、めんたんぴんは楽しめたものの、紫、Blues Creationに関しては、70年代で時間が止まっているとしか思えず、音楽とどのように関わって来たのか、ということがあからさまに示されていて、ZKの現在との落差が激しすぎ、残酷なものだなという感想を持たざるを得なかった。ロックの神様というものがいるとして、それはみなに微笑んでくれはしないようだ。だからだろうか、ZK のときには、煽動されるように風さえ吹き始めた。
四人囃子の新たなボックスセット『From the Vaults 2』も嬉しい驚きであったが、こちらに関しても新作が聞きたいものだ。
[一部追加。6月6日記]
2008/5/11 2:57
おかしな二人組、大江健三郎/蓮實重彦 文学
『新潮』連載時に読んだ大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』を、遅まきながら単行本版で再読した。それをきっかけにして、共に『新潮』2008年1月号に掲載されていた、大江健三郎のエッセイ「星々と海底の潮の流れ」と蓮實重彦の評論「去年の暮れ、突然に――大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』」を読んだ。
前者においては、次作となるかも知れない「短かめの長編」が『荒地』の有名な詩行に喚起にされてのものであることが示唆されていて、心躍らされた。(矢作俊彦にも『舵をとり 風上に向く者』という題名の短編連作集があるが、大江健三郎は、もちろん深瀬基寛の訳から該当部分を引用している。前作と同様にその詩行から題名を取るとしたら、どの部分が選ばれるのだろうか。)
さて、一読してさらに興奮したのは、蓮實重彦の評論である。2007年9月2日付けのエントリーにおいて私は、「第四章 「アナベル・リイ映画」無削除版」はちょっと凄い。「「赤」の誘惑」どころの話ではない。」と書き、その感想には今でも変わりはないのだが、あたかも『「赤」の誘惑』に対抗して書かれたかのような小説に対して、正面からの読解を試み、この人にしか出来ない批評を提示している。私の力量では、いわゆるネタバレをしないようにして、それを紹介することは出来ないので、現物を読んで欲しいと思う。
四半世紀も前に蓮實重彦の『大江健三郎論』を驚きと戸惑いとを感じながら読んだことを今でもよく覚えているが、その後書きに書かれていたように、大江健三郎と蓮實重彦の関係はとても不思議なものである。ノーベル賞受賞後に柄谷行人と大江健三郎とは対談を行っているが、蓮實重彦/大江健三郎間にはそのようなものはあっただろうか。だが、そのような世俗的・文壇的な交わりとは別に、この二人の間には、それこそ<おかしな二人組>の関係が成立しているように思われてならない。
前者においては、次作となるかも知れない「短かめの長編」が『荒地』の有名な詩行に喚起にされてのものであることが示唆されていて、心躍らされた。(矢作俊彦にも『舵をとり 風上に向く者』という題名の短編連作集があるが、大江健三郎は、もちろん深瀬基寛の訳から該当部分を引用している。前作と同様にその詩行から題名を取るとしたら、どの部分が選ばれるのだろうか。)
さて、一読してさらに興奮したのは、蓮實重彦の評論である。2007年9月2日付けのエントリーにおいて私は、「第四章 「アナベル・リイ映画」無削除版」はちょっと凄い。「「赤」の誘惑」どころの話ではない。」と書き、その感想には今でも変わりはないのだが、あたかも『「赤」の誘惑』に対抗して書かれたかのような小説に対して、正面からの読解を試み、この人にしか出来ない批評を提示している。私の力量では、いわゆるネタバレをしないようにして、それを紹介することは出来ないので、現物を読んで欲しいと思う。
四半世紀も前に蓮實重彦の『大江健三郎論』を驚きと戸惑いとを感じながら読んだことを今でもよく覚えているが、その後書きに書かれていたように、大江健三郎と蓮實重彦の関係はとても不思議なものである。ノーベル賞受賞後に柄谷行人と大江健三郎とは対談を行っているが、蓮實重彦/大江健三郎間にはそのようなものはあっただろうか。だが、そのような世俗的・文壇的な交わりとは別に、この二人の間には、それこそ<おかしな二人組>の関係が成立しているように思われてならない。
2008/5/10 15:31
ベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通 哲学
「貴兄がお送り下さった著作に対して、それを読む時間が出来てから御礼を申し上げようと思っておりました。名誉なことに貴兄が私に割いて下さった研究は、とても密度の濃いものですし、仕事で手一杯で、それをじっくりと読んで検討するためには先週まで待たねばなりませんでした。今でも表面的な仕方でしか出来ていませんが。読み返すつもりです。ですが、まずは、貴兄が私の哲学に対して描いて下さった<忠実な>肖像画がどんなに私の関心を引いたかということを、お伝えしたいと強く望むものです。」
ベルクソンがドゥルーズに宛てて送った未公刊書簡の冒頭である。年老いたベルクソンが、Le Begsonisme を送られたことに対してドゥルーズにお礼を述べている。この書簡を含むベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通がこのたび公刊された。一通目の書簡は、方法としての直観をめぐって、ベルクソンがドゥルーズの解釈を称え、最後には、自らに固有の哲学を「貴兄の固有の名前で、洗練させて展開すること」へ誘い、その哲学は「差異、もっと言えば純粋差異の哲学になるでしょう」と予言した上で、会いに来ないかと誘い、追伸では、ベルクソン著作抜粋集 Mémoire et vie へのお礼を述べて閉じられる。ベルクソン研究にとってもドゥルーズ研究にとってもこれほどまでに貴重な資料がこれまで刊行されなかったのは不思議なことである。
というのは、勿論半ば冗談で――ベルクソンが逝去したのは1941年――、今をときめく Elie During によって「想像された」三通の書簡が公刊された(Critique, Mai 2008, 732)。二通目は、1967年12月に博士論文『差異と反復』の最初のヴァージョンをもとに交わされた会話を受けての、ベルクソンによる『差異と反復』に対する感想を述べたもの。三つ目は、『アンチ・オイディプス』(?、もしかしたら『千のプラトー』?)に関する感想を述べている。こんな書簡があったら、研究史も様々な意味でひっくり返るであろうと思わせる、刺激に満ちた楽しい企画である。
『差異と反復』について論じる二通目の書簡においては、問題としての理念と微分に関する議論にとりわけ関心をもったこと、「思考のイメージ」をめぐる第三章が成功していると思われる、といったことが述べられる。三つ目の書簡においては、『アンチ・オイディプス』(もしくは『千のプラトー』)のパッチワークのような叙述の仕方とウイリアム・ジェイムズの「地図製作」とを関係づけた上で、「構築主義」を示唆し、また書簡での議論をもとに「リゾーム」概念を肯定的に評価し――どうも、著作としての『リゾーム』の刊行を勧めたのはベルクソンらしいのだ――、自らの場合と同様に、著作を読みもしない者どもによって誤解されることの危険性を老ベルクソンが示唆する。そして、最後には、哲学の方法をめぐる著作の執筆を勧め、また、映画論執筆の企画を喜んでいる。
というわけで、1966年から1970年代(もしくは80年初頭)という時期にわたるベルクソンとドゥルーズ交友関係が捏造され、『リゾーム』も『哲学とは何か』もベルクソンの強い勧めのもと執筆されたことになった。単なる遊びといえばそれまでだし、ベルクソンの文体のパステイシュが成功しているかどうかは私には評価できない。また、『差異と反復』第四章におけるベルクソンの潜在性概念に対する批判にベルクソン=During がどのように応接するのか、ということも知りたいとは思う。だが、この遊びを通して、ベルクソン/ドゥルーズ関係の広がりが興味深い仕方で示されたのも事実である。(とてもよく考えられた遊びで、冒頭の「忠実な」という措辞は、抹消されているとのことらしい。)
なお、この「未公刊」書簡は、「戦場の[斜交いの?]ベルクソン」という小特集の一つで、他には、 シャルル・モーラスに関する書物と François Azouvi によるベルクソン受容に関する書物への書評(Antoine Compagon)、先日来日した Pascal Engel によるジュリアン・バンダ/ベルクソンに関する論考、そして、昨年京都でベルクソンの哲学史関係講義録に関して情報量の多い発表を行った Camille Riquier による、 « Bergson (d')après Deleuze »という題名の最近のベルクソン研究とその意義を俯瞰するような見事な書評が掲載されている。
ベルクソンがドゥルーズに宛てて送った未公刊書簡の冒頭である。年老いたベルクソンが、Le Begsonisme を送られたことに対してドゥルーズにお礼を述べている。この書簡を含むベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通がこのたび公刊された。一通目の書簡は、方法としての直観をめぐって、ベルクソンがドゥルーズの解釈を称え、最後には、自らに固有の哲学を「貴兄の固有の名前で、洗練させて展開すること」へ誘い、その哲学は「差異、もっと言えば純粋差異の哲学になるでしょう」と予言した上で、会いに来ないかと誘い、追伸では、ベルクソン著作抜粋集 Mémoire et vie へのお礼を述べて閉じられる。ベルクソン研究にとってもドゥルーズ研究にとってもこれほどまでに貴重な資料がこれまで刊行されなかったのは不思議なことである。
というのは、勿論半ば冗談で――ベルクソンが逝去したのは1941年――、今をときめく Elie During によって「想像された」三通の書簡が公刊された(Critique, Mai 2008, 732)。二通目は、1967年12月に博士論文『差異と反復』の最初のヴァージョンをもとに交わされた会話を受けての、ベルクソンによる『差異と反復』に対する感想を述べたもの。三つ目は、『アンチ・オイディプス』(?、もしかしたら『千のプラトー』?)に関する感想を述べている。こんな書簡があったら、研究史も様々な意味でひっくり返るであろうと思わせる、刺激に満ちた楽しい企画である。
『差異と反復』について論じる二通目の書簡においては、問題としての理念と微分に関する議論にとりわけ関心をもったこと、「思考のイメージ」をめぐる第三章が成功していると思われる、といったことが述べられる。三つ目の書簡においては、『アンチ・オイディプス』(もしくは『千のプラトー』)のパッチワークのような叙述の仕方とウイリアム・ジェイムズの「地図製作」とを関係づけた上で、「構築主義」を示唆し、また書簡での議論をもとに「リゾーム」概念を肯定的に評価し――どうも、著作としての『リゾーム』の刊行を勧めたのはベルクソンらしいのだ――、自らの場合と同様に、著作を読みもしない者どもによって誤解されることの危険性を老ベルクソンが示唆する。そして、最後には、哲学の方法をめぐる著作の執筆を勧め、また、映画論執筆の企画を喜んでいる。
というわけで、1966年から1970年代(もしくは80年初頭)という時期にわたるベルクソンとドゥルーズ交友関係が捏造され、『リゾーム』も『哲学とは何か』もベルクソンの強い勧めのもと執筆されたことになった。単なる遊びといえばそれまでだし、ベルクソンの文体のパステイシュが成功しているかどうかは私には評価できない。また、『差異と反復』第四章におけるベルクソンの潜在性概念に対する批判にベルクソン=During がどのように応接するのか、ということも知りたいとは思う。だが、この遊びを通して、ベルクソン/ドゥルーズ関係の広がりが興味深い仕方で示されたのも事実である。(とてもよく考えられた遊びで、冒頭の「忠実な」という措辞は、抹消されているとのことらしい。)
なお、この「未公刊」書簡は、「戦場の[斜交いの?]ベルクソン」という小特集の一つで、他には、 シャルル・モーラスに関する書物と François Azouvi によるベルクソン受容に関する書物への書評(Antoine Compagon)、先日来日した Pascal Engel によるジュリアン・バンダ/ベルクソンに関する論考、そして、昨年京都でベルクソンの哲学史関係講義録に関して情報量の多い発表を行った Camille Riquier による、 « Bergson (d')après Deleuze »という題名の最近のベルクソン研究とその意義を俯瞰するような見事な書評が掲載されている。
2008/5/1 20:34
訂正 哲学
先頃刊行された拙稿「ドゥルーズ」(『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』責任編集 鷲田清一、中央公論新社、2008年、所収)に思わぬ誤りがあったので、この場を借りて訂正する。(二刷りの際に、正式に訂正したい。)
662頁の最後から三行目から二行目において、私は「冒頭に引用したフーコーの言葉は、条件法で記されていた。」と記したが、これは、とても恥ずかしいことだが、「冒頭に引用したフーコーの言葉は、未来形で記されていた。」の誤りである。したがって、三行目から一行目にかけて、正しくは次のように訂正したい。
「冒頭に引用したフーコーの言葉は、未来形で記されていた。この世紀の思考をドゥルーズ哲学によってさらに活性化させることは、私たちそれぞれの手に委ねられている。」
未来形で書かれていると覚えていたが、この稿を執筆中に、条件法で書かれているということに、どういうわけか誤って気づいた、というか妄想してしまった。原文にもあたったはずなのに、生じてしまった妄想である。読者の方々には謝った情報を伝えてしまったことを深くお詫びしたい。
また、こちらは単なるケアレスミスだが、768頁中頃、『カントの批判哲学』に関する説明中にも誤りがあった。「最大の敵ニーチェ」とあるが、もちろん、これは「最大の敵カント」の誤りである。こちらも訂正したい。
662頁の最後から三行目から二行目において、私は「冒頭に引用したフーコーの言葉は、条件法で記されていた。」と記したが、これは、とても恥ずかしいことだが、「冒頭に引用したフーコーの言葉は、未来形で記されていた。」の誤りである。したがって、三行目から一行目にかけて、正しくは次のように訂正したい。
「冒頭に引用したフーコーの言葉は、未来形で記されていた。この世紀の思考をドゥルーズ哲学によってさらに活性化させることは、私たちそれぞれの手に委ねられている。」
未来形で書かれていると覚えていたが、この稿を執筆中に、条件法で書かれているということに、どういうわけか誤って気づいた、というか妄想してしまった。原文にもあたったはずなのに、生じてしまった妄想である。読者の方々には謝った情報を伝えてしまったことを深くお詫びしたい。
また、こちらは単なるケアレスミスだが、768頁中頃、『カントの批判哲学』に関する説明中にも誤りがあった。「最大の敵ニーチェ」とあるが、もちろん、これは「最大の敵カント」の誤りである。こちらも訂正したい。
2008/5/1 0:04
中原昌也『ニートピア2010』 文学
これまたひょんなことから中原昌也『ニートピア2010』の書評を、本日発売の『論座』2008年6月号に書いたので、関心のある向きは(ご購入の上)読んで下されば幸いである。
同じ号には、笙野頼子に関する充実した特集もあり、お買い得であることも言い添えておきたい(大西巨人も寄稿している)。
同じ号には、笙野頼子に関する充実した特集もあり、お買い得であることも言い添えておきたい(大西巨人も寄稿している)。
