2007/3/31 10:54
TOURI SUGARI 分類なし
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人、ひと、ヒト。
色んな人が居て、通り過ぎて行く。人という外側にとらわれず、
そこに存在しているのは、目に見えない内側の魂だ。別に宗
教じみてそれを論じることも出来ないし、知識も無い。
でも、もしその魂に輪廻が存在して、何度もなんども人生とい
うものが繰り返されているとすれば、私はそれを信じたいしそ
れによって見えてくるものがある。
この人の人生は何度目?何十回いや何百回繰り返されてい
るのだろうか。そう言う目で見ると、納得できることが増えてく
る。輪廻が魂の修行を繰り返して、向上していくという前提だ。
やばい、やっぱり宗教じみてるだろうか。
ある人が、あまりに不運で貧乏で、何をしても上手くいかない
とする。その横で、別の人が幸運でお金持ちで、それでいて
更に宝くじが当たって喜んでいるとする。頑張っても報われず、
夢もなかなか実現出来ないでいる人がいれば何でもポンポン
と手に入れ、欲しいもの、夢というものを、どんどん叶えていく
人だっている。不公平は一杯ある。
でも、これは、同じ時代という時間軸の上で横切りに見て比較
してるだけで、本当は比較してはいけないのかもしれない。自
分の魂は、たった数回しか輪廻を繰り返していないけど、その
幸運な人は、もしかして既に数百回、輪廻をまわしてきて、ス
テージが違うのかもしれない。ただ、偶然にも同じ時代の時間
を共有してるから横比較してしまう訳で、本当は全然比較にな
らないのかもしれない。
そんなことを考えながら、橋を渡って通り過ぎて行く人を見てい
ると、とても自分がちっぽけに思えてきた。他人と比較すること
の馬鹿らしさを感じ、まずは自分の人生を精一杯生きていくこと
の大切さを、切に前向きに感じてくることが出来た。比較するの
は他人でなく、自分自身の心の中かもしれない、って。
こんな人間になりたくない、こんなことをしたくない。自分はこう
ありたいんだ、そんな心のこだわりに対して、今の自分はどこ
まで達成できてるのだろうか。
今日も、また多くの人が通り過ぎて行く。私もその中に混じって
群衆の中に入り込んで歩き出す。自分の道を歩くんだと思いな
がらー。
そしてふと思った。父は、生まれ変わって今どこにいるのだろう。
父の人生は何回目だったのかなー。
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2007/3/25 12:17
NATSU HE 分類なし
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今日から、欧州では夏時間が始まった。
時計の針を一つずらして。。。
夏時間は針を一時間早めるから、何だか時間を損した
感覚に包まれる。それは何とも言えない時差ぼけのよ
うに、身体をどんより包む。
逆に冬時間になったときは、針を一時間遅らせるので、
時間を得した感じなのだから文句は言えない。そうや
って年間のバランスはとっている。
こんなときは、明るくなった太陽の下に飛び出す。太陽
の強い日差しが、まだ眠った感覚の身体を起こしてくれ
る。夏に向かって動き出したことを実感する。
夜中の2時。これが針を変えるタイミングだそうだ。気付
かずに朝を迎えていたら、約束した時間に遅刻してしま
うので少しドキドキする。もし、夏時間のタイミングを忘れ
てしまっていたら、世間からまったく取り残されてしまう。
そもそも、夏時間・冬時間とは電気をあまり使わないよ
うにするための、環境思考から始まったらしい。色んな
ことが、歴史の中で考えられてきたものだ。しかしそれ
を各国が採用し、生活に溶け込んでいるのだから、凄
いことなんだと思う。どうも、日本は、そういう事からとり
残されている傾向にあると思う。
今日から夏!とにかく夏。難しいことは忘れて、夏が始
まったんだと、無邪気に思う。それだけで、何となく心が
軽やかになる思いだ。
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2007/3/17 11:48
KYORI 分類なし
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私は、人生は<運>と<縁>と<タイミング>で
成り立っていると思っている。
どんなに良いことがあっても、嫌なことが有っても、
全てがこの方程式で解けてしまうし、理解できる。
いや、心のどこかでそう理解しようとしているのか
もしれない。でも、今までの色んなことを通してこ
の3つの言葉に絞られ、たどり着いてきたのは事
実である。勿論、自分なりにー。
その中の<縁>という言葉に、<距離>というと
ても重要な要素が隠されている。これは、愛だと
か恋だとか友情だとか、そういった人間のことだ
けではない。仕事だってそうだし、物にだって当
てはまると思っている。
初めて出会ったときに、どこか心の中で決めてい
るし、決まっている。どこまで深入りをするかー。
何の抵抗もなく、のめり込んでいくこともあれば、
どこかで疑い、恐る恐る接したり、時には拒絶す
ることさえある。それが縁の始まりだったり、縁が
ないことの瞬間だったりする。出会ったときに、心
がどこまで開かれ、それを受け入れられたかで、
その後の縁が大きく変わる。
サンルイ島のセーヌの流れの淵に座って、ふとレ
ンズを向けた時、一人で立っている街灯とアパル
トマンの微妙な距離が気になった。まるで、自分
の姿を見た思いだった。大きなマスに距離を置き、
いつも一人で立とうとする自分。大きなものが前
に立ちふさがれば、挑もうとする自分。でも本当
はとても小さな自分。力なんか限られている。
<孤軍奮闘やなー>。街灯に向かって、私は思
わずつぶやいてしまった。それでも生き方を変え
られない私は、明日からも頑張ろうと思ってしまう
のだ。あの街灯のように。
あとはそれを支える運を祈り、力を充填し発揮で
きるタイミングに合うことを祈るだけだ。
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2007/3/8 1:14
MATI NI UMORETE 分類なし
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久しぶりに背伸びをして、深呼吸をした。
やっと仕事で一歩前に進めたからだ。どうやら自分
なりに、長いトンネルをくぐっていたらしい。迷走して
いたのかもしれない。
何がしたいのかは、分かっていた。自分だけのマイ
ワールドを、日本から遠く離れたこの欧州で築きた
かったのだ。
ただ、人の中で生きていると、色んなことに出くわし
てしまう。波長の合う人、感覚の違う人。気付けば、
振り回されて、遠回りをしてしまった。いや、振り回
されたのでなく、本当は自分を貫くに付け、荒波に
揉まれてしまったかもしれない。
しかし、今やっとトンネルを抜けて最初の扉をあける
ことが出来るようになったのだ。
でも昔から信じていた生き方がある。野球のボール
を投げるとき、キャッチャーのミットを見ながら投げる
から、そこにボールが向かっていく。目を離せば、ど
こへいくか分からない。レースで、高速でコーナーを
弧を描きながら回る時も、目の前を見てはいけない。
しっかりコーナーの出口を、自分の行くべき方向に
向かってしっかりと睨む様に見つめるのだ。すると、
自然とそこに向かって自分が加速を始める。それと
生き方が同じだってことを、信じていた。
例え、やりたいことを見失い、方向がそれてしまって
も、心の中に自分が行きたかった方向や夢を、忘れ
ずに刻み、時に取り出して想いを忘れないようにして
おくこと。すると、きっと忘れた頃に、それがやって来
る。。。はずだ。信じることは、救われる。そして、誰
が味方か敵かも見えてくる。ただ、人によってその時
間軸がことなる。長ければ焦る。心の修養が問われ
る。でも、例えそれが、ロングランでも、必ずやって来
ると信じる。天命を待つのだ。
やっと辿りついたね、スタートラインに。でも、此処か
ら前に進む自分の力が試されるとき。長く待った分だ
け、力を溜めれたのかを。
大きく背伸びをして、無心に久しぶりに自分にカツを
入れる。でも、人の行き交うこの街で、誰もそんな私
の気持ちの動きを知らない。きっと、他人から見れば、
とってもちっぽけな自分の野望だからだ。
<幸せは自分の心が決める>。そんな誰かの言葉
を思い出し、私は再び大きな背伸びをした。
街は、相変わらず時を刻み、無機質な喧騒に包まれ
ている。ひとり私だけが、特別な空を眺めている。
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2007/3/4 13:56
KAMISAMA HENO ITO 分類なし
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教会にいくと、無意識に講堂に入ってしまう。
別にクリスチャンでもなんでもないのに,人の姿の
まばらな暗い講堂の片隅に静かに座って、手を
合わせる。真摯なクリスチャンの方から見れば、
私は異教徒であり、こういう行動すら非難される
のだろう。ごめんなさい。
でも、神様に手を合わせて祈る。心を真っ白にし
て祈るその姿自体は、きっと許して頂いていると
信じてる。
何を祈るのかは、その時々で異なる。でも、自分
のことよりも、自分にとって大切な人たちのことを
想って祈っていることが多い。
時に、何も祈っていない。ただ、手を合わせ心を
真っ白にするためにだけ、手を合わせ目を閉じる。
自分の醜い心に触れた時に、卑しい自分を戒め
る懺悔のような気持ちの時もある。
神様っているのだろうか。会ったことも見たことも
ない。でも、助けて欲しい、守って欲しい、力が
欲しい、という祈る心の中に、きっと存在している
のだろうと思っている。だから、宗派にこだわらな
い不届き者の私が、此処に居る。
とにかく落ち着くのだ。何故だろう。静かだ。誰も
いなくなったようだ。少なくとも、此処は神様と私
を繋ぐ唯一の窓口だのだ。心の拠り所になってし
まった気がする。そして、特にすることもない一人
の週末は、また此処に来てしまう。
教会の上に空が広がっている。いつもは盲目に
中に入り込むのに、今日は少し下がって教会を
見上げてみた。
神と私を繋ぐ場所がこの講堂なら、教会と神様
を繋ぐ糸は、どこにあるのだろうか。教会の塔の
真上に見えない糸が、張られているのだろうか。
見えた気がする。見えなかった気もする。でも、
きっとそこにある、そう信じるように見上げてみ
れば、何かが違って見えたパリの午後であった。
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