2008/1/29 13:52
スカイライン(マイカーの歴史:番外編)その2
車
スカイラインといえば、小生の記憶の中では3代目です。ハコスカという愛称で呼ばれますが(多分、当時はハコスカなんて呼んでいなかったのでは?、4代目のケンメリが発売された時に3代目を呼ぶときに使われたのが最初じゃないかなと思うのですが)、その中でも1969年(昭和44年)にS20型エンジン(DOHCエンジン、2000CC)を搭載して発売された、GTRが印象的でした。プリンスが日産と合併し、直6のL20型エンジンが搭載され、プリンスらしさを感じなくなっていた時期でしたので、スカイラインが蘇ったという感じがしました。その後のモータースポーツ界での活躍は凄まじいものでしたし、当時150万円以上したと思いますが、「いつかは買いたい!」という魅力ある車でした。その後、ケンメリやジャパン等など、スカイラインの歴史は続きますが、R32の登場までスカイラインらしいスカイラインは出てこなかったと思います。それというのも、やはりスカイラインの魅力はGTRに他ならないからでしょう(ケンメリ時代のGTRはあまりにも短命で論外)。GTRの存在こそが、スカイラインの魅力なんですから。それにしても、ハコスカを超えるスカイラインは未だに現れませんね!
写真はGTXです。

写真はGTXです。
2008/1/22 22:42
プリンス スカイライン(マイカーの歴史:番外編)その1
車
GTカーといえば、マイカーの歴史の中でこの車抜きでは何も語れません。といっても、現在に至るまでスカイラインを買いたいという衝動は幾度も経験していますが、実は一度もこの車のオーナーになったことはありません。そんな車がスカイラインです。
1957年(昭和32年)、当時の富士精密工業から発売されたALSI−1型がスカイラインの初代とのことですが、この車は全く記憶に残っていません。スカイラインの名を世に示したのは2代目のS50型です。1964年の第2回日本グランプリで生沢徹がドライブするスカイラインGTが一瞬ではあったものの、世界のポルシェを追い抜きトップを走ったという伝説を作った車です。モータースポーツ界で世界から大きく遅れていた日本の中で新しい時代を感じた瞬間だと思います。意味も分からずスカイラインGTAとかGTBとか、車自体を目の当たりにすることはありませんでしたが、友人との話の中で大いに盛り上がった車でした。
写真の車は2代目です。

1957年(昭和32年)、当時の富士精密工業から発売されたALSI−1型がスカイラインの初代とのことですが、この車は全く記憶に残っていません。スカイラインの名を世に示したのは2代目のS50型です。1964年の第2回日本グランプリで生沢徹がドライブするスカイラインGTが一瞬ではあったものの、世界のポルシェを追い抜きトップを走ったという伝説を作った車です。モータースポーツ界で世界から大きく遅れていた日本の中で新しい時代を感じた瞬間だと思います。意味も分からずスカイラインGTAとかGTBとか、車自体を目の当たりにすることはありませんでしたが、友人との話の中で大いに盛り上がった車でした。
写真の車は2代目です。
2008/1/20 11:43
ダットサン フェアレディー(マイカーの歴史:番外編)
車
話が憧れの車になってきましたが、ツーシータースポーツとして、フェアレディーは外せない車でしょう。1958年(昭和33年)の東京モーターショーに出品されたので、正に「三丁目の夕日」時代の車です。1959年から生産開始なんですが、何故かこの時代は記憶に残っていません。フェアレディの名前が小生の記憶に残されたのは、1963年(昭和38年)の第1回日本グランプリで優勝(国内クラス)したことです。1969年のフェアレディZ発売までの間、モンテカルロラリーや日本グランプリGTクラスなど、モータースポーツ界で活躍しました。
でも何故か、小生の記憶の中ではフェアレディのイメージが薄い感じです。いろいろ活躍した割には、鮮烈なインパクトの少ない車だったんでしょうか?

でも何故か、小生の記憶の中ではフェアレディのイメージが薄い感じです。いろいろ活躍した割には、鮮烈なインパクトの少ない車だったんでしょうか?
2008/1/16 10:00
トヨタ2000GT(マイカーの歴史:番外編)
車
日野コンテッサ編で名前が出てきましたが、正に憧れの車です。当時は雑誌やTVでしか見たことがなく、実車を見たのはそれから20年後、近所の販売店のショールームでした。200台程度しか発売されておらず、今でも数千万円で取引きされている幻の車です。それにしてもカッコイイですね(ジャガーEタイプにチョット似ているような気がします)。今でもスーパーGTカーとして十分通用するスタイルだと思います。当時、トヨタの専属ドライバーだった福沢幸雄(福沢諭吉の曾孫)がドライブしている映像が今でも瞼に浮かびます。
今どき、2000GTのような伝説の車って、何かありますか?

今どき、2000GTのような伝説の車って、何かありますか?
2008/1/11 18:28
日野コンテッサ(マイカーの歴史:番外編)
車
フランスのルノー社のライセンス生産をしていた日野ルノー(4CV:フォルクスワーゲン似の車)の経験を活かし、1961年(昭和36年)に発売したのが、日野コンテッサ900です。当時、近所のタクシー会社で日野ルノー(タクシ−として使われていた)を見ていましたので、コンテンサ900の発売を知っていましたが、日野コンテッサに興味を抱いたのはそれから3年後の1964年にイタリアの著名なデザイナーであるミケロッティーがザインした、コンテッサ1300です。近所の原っぱが整地され新しい団地(当時、文化住宅と呼ばれていました)が出来、そこに越してきたある家の前に真赤なコンテッサ1300がとまっており、時々、その家の父親と息子さんが仲良く洗車している情景を垣間見て、羨ましく思ったものです。結局、日野が国内で発売した、最初で最後の乗用車がコンテッサということですね。
ちなみに、当時、私が感じた文化住宅とは、「風呂がある」、「台所が家の中(土間ではない)にあり、レンジ(カマドではなく石油ガス式のレンジ台)がある」でした。よく遊びに行った友人宅には今で云う「リビングとダイニングキッチン」があり、リビング兼ダイニング兼寝室といった我が家に比べ、憧れの的でした。

ちなみに、当時、私が感じた文化住宅とは、「風呂がある」、「台所が家の中(土間ではない)にあり、レンジ(カマドではなく石油ガス式のレンジ台)がある」でした。よく遊びに行った友人宅には今で云う「リビングとダイニングキッチン」があり、リビング兼ダイニング兼寝室といった我が家に比べ、憧れの的でした。
2008/1/8 18:37
憧れのコスモスポーツレストア日記13(一応、完結) 自動車
塗装後の磨きが、又、大変でした!吹きつけが上手ければ後の磨きも楽でしょうが、なんせ吹きつけが下手くそなので、磨きに手間ヒマが掛かりました。プロ用のポリシャーを購入し荒研磨から超微粒子まで、とにかくポリッシングは手間が掛かります。その上、塗装のタレを磨き落とそうとして塗膜が剥がれて再塗装などなど、やり直しを重ね、何とか仕上がった状態です。これなら街乗りも恥ずかしくない?

2008/1/5 11:04
ホンダN360(マイカーの歴史:番外編)
車
スバル、キャロルと来れば忘れてならないのは「ホンダN360」です。1967年(昭和42年)に31万円という低価格で発売され、わずか数ヶ月で軽自動車販売台数のトップに立った伝説の車です。値段が安いこともありますが、OHC空冷2気筒エンジンで、31馬力、最高速度115キロと、軽自動車の常識を変える程の魅力ある車でした。近所の金持ちの先輩がセカンドカーとして発売と同時に購入しましたので(ちなみにファーストカーはMGでした)、乗せてもらった記憶があります。先輩の話ではカーブを曲がる時に曲がりすぎてしまう(オーバーステア気味)と言っていました。当時では珍しかったFF駆動でしたので、それが理由だったのかなと思いますが、残念ながら自分自身では運転する機会が無かったのでそれ以上のことはわかりませんでしたが、免許を取ったら最初に乗ってみたいと感じた車でした。

2008/1/5 8:25
ホンダZに子猫もうっとり?
車
ホンダZ(360)の上で、近所の野良猫が気持ちよさそうに昼寝していました。以前、猫の様な足跡が付いていましたので、車の上を通り道にしているのかなと思っていましたが、犯人はこの猫の様です。ところで話は変わりますが、この手の車(昭和40〜50年代のオールドカー)の愛好家の方、懐かしい当時の話や維持管理する上でのアドバイスやドライブのお誘い等、レスを下さい。会社の同僚にもK−CARの愛好家がいてエンジンのパワーアップが好きですが、60年頃のスズキセルボ(660cc)で、100PS達成と云ってました。そんな話題で愉しみましょう。ちなみに水冷Zツインキャブはネットで36PSです。


2008/1/2 9:40
ホンダZ360も冬支度
車
スタッドレスに履き替えました。昨年、南関東では一度も活躍する場面がありませんでしたが、今年はどうでしょうか?




