2008/7/24 18:54
企画書最終提出 美術教育系
それぞれの受講者は、全体を見つめながら各自の役割を演じ15週間という時間を共有した。決して人的余裕のない授業ではあったが、企画は確実に具体性を増し一定以上の完成の高みに到達した。今回のワークショップの目的の心を一人ひとりが十分に理解した上での、若く柔軟な思考と行動力の成せるわざといえるだろう。あとはそれぞれの班が担当する千葉大学附属病院や、西千葉駅及び協力要請する小学校に、明確に企画内容の提示をするばかりである。彼らは現在、テスト期間中となったので再活動は8月半ばからとなる。今後は受け入れ先との企画の更なる調整を課題としながら、ドキュメント2008の作成を意識したデータ収拾および整理が各班の仕事となってくる。実際の実践段階では少人数の班員構成なので、互いが柔軟に連携し全員体勢で対応することが当初から想定していた前提条件となるが、同時に、後期集中の「アートをつくる」にどれだけ有能な人材を各人が自分のこととして責任を持って集められるかが成功の鍵になりそうである。
2008/7/17 18:15
壁画/小学校でのワークショップ予行 美術教育系
彼らが考えた共有空間における壁画というものが担う役割を、小学校の4年生以上という闊達な対象の新鮮な感情を直接壁面に反映させることで果たそうとしている。彼らの制作を直接巻き込む方法として、小学校での制作系ワークショップを行なうこととなったが、今回はその予行である。
最も重要視しているのは、小学生の一人一人が公共の場に使用することを目的とした色彩紙のパーツを、自己の前向きな感情の色として一人ひとりが制作できるかということで、導入部分の役割は特に大きい。
導入部分を、ワークシートに文字を記入するタイミングなどを変え2パターンで試した。
(小学生だったころの自分になりました)
2008/7/16 18:01
病院班のプレゼンおよび予行 美術教育系
2週間前の光のプランに続き、病院班からの提案は今回は2度目となり、2つの内容が提案された。




<手作り音楽祭>
最も慎重に考えていたはずの音に関する提案がでた?? 昨年の授業と異なり、実践は後期と初めから計画することによるプラスとマイナス面。明日するとしたら何が足りないかというくらいの切迫感から来る緻密なシミュレーションの欠如である。また、すでにある事柄をくっつけるだけでは今までの時間はなんであったのか理解できない。まったく新しいことなどはなかなか見つけられるものではないが、条件を熟考するなかから新規性のようなものが見え隠れするものである。題材のスタイルだけ真似たり、単純に組み合わせるだけでワークショップが展開できると考えているのであれば、この授業でわざわざやる意味はない。教育現場でも、その題材が、目の前のその児童生徒になぜ必要で、どのような成長を促すことができるかを想定することなく、ただ面白そうな作業をさせているような現職教員の研究授業や、研究発表を聞くことも実は少くない。そういった教員にならないためにも、この授業が役立つものと考えているのだが。残念である。今回の提案は、演奏するということ(手作り楽器と吹奏楽)、体を動かすということ(手話で踊る)ということが正にかみ合っていない。手作り楽器を作って、あのテンポの曲を手話やって踊れて歌えるくらいなら、はじめから入院していないのでは・・。






<♡オブジェ>
紙粘土でハート形のオブジェを作り、感謝の気持ちを伝えたい人にプレゼントするという内容。
実物はプレゼントしてしまうので、その作品写真をラウンジに展示する。形が手作りの温かハート型なのでたくさん集まったそれらの写真は、フレンドシップキルトのように、空間の雰囲気全体を和やかにすると同時に、さまざまな人に感謝しながら病気に立ち向かおうとする気持ちを確認し合い、互いに支えとすることを期待したものでる。
さらにもう一つの提案は、新館旧館の間の空き地スペースに光のオブジェを作ろうとするもの。中庭の光のオブジェは、患者さんに作ってもらったパーツを学生スタッフが主に制作するものだが、今回のそれは、参加希望の患者さんや付き添いの人を含めて制作しようとしている。もちろん、患者さんの参加の仕方はその人によってさまざまとしているいるようだ。
<手作り音楽祭>
最も慎重に考えていたはずの音に関する提案がでた?? 昨年の授業と異なり、実践は後期と初めから計画することによるプラスとマイナス面。明日するとしたら何が足りないかというくらいの切迫感から来る緻密なシミュレーションの欠如である。また、すでにある事柄をくっつけるだけでは今までの時間はなんであったのか理解できない。まったく新しいことなどはなかなか見つけられるものではないが、条件を熟考するなかから新規性のようなものが見え隠れするものである。題材のスタイルだけ真似たり、単純に組み合わせるだけでワークショップが展開できると考えているのであれば、この授業でわざわざやる意味はない。教育現場でも、その題材が、目の前のその児童生徒になぜ必要で、どのような成長を促すことができるかを想定することなく、ただ面白そうな作業をさせているような現職教員の研究授業や、研究発表を聞くことも実は少くない。そういった教員にならないためにも、この授業が役立つものと考えているのだが。残念である。今回の提案は、演奏するということ(手作り楽器と吹奏楽)、体を動かすということ(手話で踊る)ということが正にかみ合っていない。手作り楽器を作って、あのテンポの曲を手話やって踊れて歌えるくらいなら、はじめから入院していないのでは・・。
<♡オブジェ>
紙粘土でハート形のオブジェを作り、感謝の気持ちを伝えたい人にプレゼントするという内容。
実物はプレゼントしてしまうので、その作品写真をラウンジに展示する。形が手作りの温かハート型なのでたくさん集まったそれらの写真は、フレンドシップキルトのように、空間の雰囲気全体を和やかにすると同時に、さまざまな人に感謝しながら病気に立ち向かおうとする気持ちを確認し合い、互いに支えとすることを期待したものでる。
さらにもう一つの提案は、新館旧館の間の空き地スペースに光のオブジェを作ろうとするもの。中庭の光のオブジェは、患者さんに作ってもらったパーツを学生スタッフが主に制作するものだが、今回のそれは、参加希望の患者さんや付き添いの人を含めて制作しようとしている。もちろん、患者さんの参加の仕方はその人によってさまざまとしているいるようだ。
2008/7/14 16:40
暑い日/トラストウォーク 美術教育系
<ペアの顔を見て描いたあとは、記憶に残った印象で顔を描く>


<体全体で感じて描く/土・太陽の熱・風>
描いたあとは発表。クイズ形式で、3つのうちのどれを描いたのかを鑑賞者は想像し、土・太陽の熱・風のそれぞれに挙手してもらう。その後、制作者に実際のところを発表してもらうが、それを正解とするのではなく、作者が何を根拠にそのように描いたかということの事実確認とし、鑑賞側にも、なぜそのように感じたかという根拠を発表してもらった。大切にすべきことはなぜそのように表現したか判断したかという自分の尺度と触れ合うことなのだということを確認する。
(描く際、視覚情報を入れないために目を瞑ったり、手のひらを広げている人が見られた。)



<トラストウォーク開始>
目隠ししながら歩くことで、五感を働かせてさまざまなことを感じながら。
その感じることが主目的ではあるが、人工物と樹木の表面をフロッタージュすることを作業として組み入れている。あとでどの物体に触れたかを、フロッタージュを見ながら探し出すクイズにもなるからである。しかし実際のねらいは「表面をさらさらとフロッタージュするだけでは正解は得られないよ」と言うためで、体全体で対象物を確認することを学び、日頃の生活姿勢についても振返ってもらうためである。
効率的に五感に響かせるためには一定上の危機感を持たなくてはならない。そのためにはまず、本人がどこに向いてるかを分からなくすることと誘導者が目隠しした人間に触れないこと。(その分、いっそう誘導者はペアに怪我をさせぬようにサポートしなくてはならない)







<特色のあった目隠し例>



<体全体で感じて描く/土・太陽の熱・風>
描いたあとは発表。クイズ形式で、3つのうちのどれを描いたのかを鑑賞者は想像し、土・太陽の熱・風のそれぞれに挙手してもらう。その後、制作者に実際のところを発表してもらうが、それを正解とするのではなく、作者が何を根拠にそのように描いたかということの事実確認とし、鑑賞側にも、なぜそのように感じたかという根拠を発表してもらった。大切にすべきことはなぜそのように表現したか判断したかという自分の尺度と触れ合うことなのだということを確認する。
(描く際、視覚情報を入れないために目を瞑ったり、手のひらを広げている人が見られた。)
<トラストウォーク開始>
目隠ししながら歩くことで、五感を働かせてさまざまなことを感じながら。
その感じることが主目的ではあるが、人工物と樹木の表面をフロッタージュすることを作業として組み入れている。あとでどの物体に触れたかを、フロッタージュを見ながら探し出すクイズにもなるからである。しかし実際のねらいは「表面をさらさらとフロッタージュするだけでは正解は得られないよ」と言うためで、体全体で対象物を確認することを学び、日頃の生活姿勢についても振返ってもらうためである。
効率的に五感に響かせるためには一定上の危機感を持たなくてはならない。そのためにはまず、本人がどこに向いてるかを分からなくすることと誘導者が目隠しした人間に触れないこと。(その分、いっそう誘導者はペアに怪我をさせぬようにサポートしなくてはならない)
<特色のあった目隠し例>
2008/7/13 22:25
雪の科学館 エッセイ
先日、金沢に行き、雪の科学者 中谷宇吉郎氏の研究業績を展示する博物館を見学をした。私が最も共鳴したところは、彼は科学者でありながら、哲学者であり、また詩人の心の持ち主というところである。館の展示も、そのような本人の性格をそのままに、本人作の掛け軸や油絵、さらに日舞であろうか本人が舞う写真なども、研究に関する資料とともに並んでいるのだ。また、展示ばかりではなく、館内では頻繁にスタッフによる小実験が繰り返され、快活なその取り組みのテンポも中谷氏の展示空間には不可欠な要素となっているように思えた。
ともすると感覚の偏りがちな専門領域の研究者が、自然の壮大なることを敬いながら、バランスよく文化を受け入れ生活と向き合う姿に、豊かな人間性を感じた。本人が言った「雪は天からの手紙」という言葉は、単に叙情的な表現というだけではなく、人と自然の関係性や距離感、人は自然から受け取り学ぶという謙虚な姿勢までもを、降る雪のように静かに諭しているように感じる。どの領域であっても専門領域を極める人は、その研究領域から始まり最終的には「考え方・生き方」そのものに到達するようだ。
会場では20分ほどの映像も上映されていた。自然と向き合う一つの形態としての「研究者」という生き方を、自然の映像や当時の記録映像を交えて作成されている。私は雪が空から絶え間なく降ってくる映像を見ながら、北海道に住んでいた幼い頃、正にどこから降るのだろうと暗闇の空のずっと遠くに焦点を合わせようとしていた自分の記憶に触れ、実は一人涙してしまった。
冷ややかな氷や雪の展示を見ながら、明らかに私は人の温かさを感じていたようである。
2008/7/13 22:09
気化 写真
2008/7/8 21:52
西千葉駅壁画ワークショップのプレゼン 美術教育系
「アートをつくる」の授業内で計画を発表した翌日そうそう、西千葉駅に計画の説明に伺いました。説明担当は栗山さんと銭谷さん。前日の発表の際に、受講者から指摘された箇所の修正を済ませ、いっそう明確な説明となっていたように思います。駅責任者の方もとても親切に対応していただき、何点か注意点を確認されましたが、協力していただけることとなりました。いよいよ実践活動の開始です。
2008/7/3 20:37
千葉二紀支部展から 美術・アート
本展覧会における私の出品は、鉛を使用した3点。
パネルの形体は極力説明を避けた単純な形体とし、「絵具」という道具によるイメージの描写ではなく、実体素材の色彩を利用している。家型の作品に刻んだメッセージはWhat Have We Preserved and Lost ?
生きるなかで自分が守ったものと失ったものを考えることを鑑賞者にも投げかける作品。
もちろんその問いかけは、自分自身のなかにある自己からの問いかけでもある。現代社会の喧噪のなかで、家という形を守って家庭という形態を欠く場合もあるだろう。しかしその家型は、単に個人の「家」に留まらず、国家や人種という集合体としての意味も範疇として含めている。
凸型の連作に付した文章は、それぞれ
To What, Have We Been Saying Yes ?
To What, Have We Been Saying No ?
自分たちは何に対して、YESと言い、NOと言ってきたかについての再考を促すものである。
その文章を読んだとき、人との協調だけを優先してYESとし、自己を見つめることさえなかった自分を向き合うこともあるだろうし、自分に閉じこもり外から差し伸べられた優しさに対して壁を築き、NOを繰り返していた自分を発見することもあるかもしれない。
もう少し、社会的に見れば、非武装に対するYESとそれを持とうとする考えに対するNOもあるだろう。核の保有や憲法にも繋げて考えることも可能だ。まず、個々が考えることの必要性の提案である。人によっては、美術は美しいイメージを追いかけるものと考える人もいるだろうが、アートの表現範囲やその可能性は、彼らの想像以上に広範囲なのである。言い換えれば、それに気がついた者で、作り手と鑑賞者の良好な関係性を繋ぎ保つための期待をし、人が良質に連携することを信じられる人にとっては、責任にも近い役割として作品制作が位置するということもあるのだ。この連作のパネルの形体は、軍略図に登場する「力」の方向を示す記号を模していて、人の個々の発言や判断が、結果的に攻撃的で決定的な力にもなってしまうことを示している。
[以下は、今回初出品の千葉大学関係者の作品紹介]
(さらに詳しい内容は、土曜日午後1:30から会場で行なわれるギャラリートークで本人からお聞きください)
<学生:伊東一誉> 「奨励賞」受賞
「愛」をテーマに綴られた4部作である。ここでいう「愛」は、無理矢理美化されることの多い一過性の恋愛のような華やいだものではない。その対象としているのは、年齢・性別・宗教・国家を越えたところにある人という存在全体で、極めて壮大である。確実に存在はするが無形なるその存在を哲学し、正面から向き合い視覚化しようとした本人の3ヶ月間の痕跡なのである。[インスタレーション・コラボレーションin館山海岸での作品制作のスタッフリーダー]
<桐原まこ>
「燃えるたてがみ」と題された肉厚の表現のなかに秘められた思いは、作品の表面の表層上の塗りなどを問題視しすぎた観点よりも、遥かに深くそして強い。「美しさ」という言い方の曖昧なボカシは存在しない。具体的なタイトルではあるが、それを説明するための描写を最小限とすることで、本人の主張が浮き彫りとなるということを十分に発揮させている。木馬が燃えるという状況の意味するところは、それが穏やかな時間が経過する日常を象徴しているものであるだけに、作者が込めた思いは強烈で、向き合う鑑賞者は直接的な投げかけを受けることとなる。
<NEO CHIPS:石黒智絵>
昨今の社会不安、環境問題等を危惧するところから、本人は様々な形で国内外で活動を繰り広げている。今回の作品制作も発端はそこから始まる。しかし本人の前向きな思考スタイルは、表出されるものを陰的なものとはしていない。作品には希望の方向を示す光さえ感じさせられる。[佐倉循環バスメッセージシートプロジェクトのスタッフ]
<学生:志鎌真澄>
書道では当然の文字による表現を、絵画領域において屈託なく表現手段として受け入れている作品である。自分の言いたいことをダイレクトに、人間が人間である証拠としての文字を使用して作品の表面に記していくという作業形態には、その「行為」の意味にも注目させてしまうような深さと潔ささえ感じることができるのである。
絵画領域に携わる学生(千葉大に限られるかもしれない)や、考えなく長期間描くことだけしてきた作家たちが、「何を表現しようとされているのですか」というと質問に対して、作品解説のときに良く口にする言葉で「言葉でいえないから描くのだ」という気の利いた言い回しがある。そうそう「見た方が感じるように感じていただければありがたい」という言い方も同様の存在であるが、どこの誰でも作者の言いたいことのすべてを言葉で説明してもらおうなどとは思っていまい。ただ聞く側としては制作動機や制作上のこだわりが関心事で、共通の価値観なのか理解の範疇なのか、重なる点があればそれを分かち合いたいと感じているのであろう。懇切丁寧過ぎると思われる言い方でいえば、「制作者が意図しているところで、言葉でいえるところまでを言ってほしい」という言い方となるのであろうか。ともあれ制作者は、質問された際、困惑することなく制作意図を述べるべきだし、それが明確に表現されているかどうか以前に、困惑することのないような姿勢で「制作」という行為と向き合っているかどうかを考える必要がある。長期間制作に取り組んできてであろうに、思考・コンセプトの部分をどこかに置いてきてしまった人も少なくはないのである。
<学生:菅原雅弥>
人間不在の街を高みから見下ろした構図と、画面上にあまりにも大きく配置された時計台の文字盤に、現代人の心の深くにある潜在意識を感じずにはいられない。また、その時計の文字盤は、風景のなかの一要素として存在するものなのか、実はそれとは別種の絶対的基準として存在し、むしろ作品と向き合う鑑賞者側と空間を共有し、さらにその空間さえも包括してしまうような役割を演じかねない、あっけらかんとした無感情の冷たささえ感じさせられる。
2008/7/2 18:26
具体化する企画/プレゼン・リハーサル 美術教育系
2班に分かれてそれぞれ進めていた企画も、その後の2週間を経ていっそう具体性を増した。
今回はいよいよその発表にあたる。現地での企画説明や実践が日数的に近くなることで、時間的距離感として実感できるようになってか、明らかに学生ひとりひとりの眼差しも鋭くなってきた。切実感こそが人が伸ばす必須条件ということである。如何に適切な高さを設定し(簡単に飛び越せるということではなく、個々に合ったギリギリな高さの設定という意味)、そのハードルをどれだけ多く経験しているかが、その人の実践力となってかえって来るのだ。私はそのハードルの高さ調整を多少手伝っていることとなる。「私はあんなふうにアートに熱くなりたくない/好きなものを好きなように描いていれば良いと思う」と、私は学生に囁かれるタイプだが、思うに、学生時代にそれを経験しないものは、その後の一生においても、自己の力量の発揮しどころさえ分からず、または身の程知らずの壁にただただ叩き付けられることとなる。大学で学ぶことは知識と同等の、その応用力・展開能力と言え、それは自分から積極的に望まなければ手にし難いのである。この授業の受講者においてはその心配は特にない。
<西千葉駅構内における壁画に関するプランの発表>



駅構内の制作系のワークショップにおいて、その目的としているところは3つ。
@自分と向き合う空間の提供
A大人と子どもの関わりを考える提案となること
B自分の街の玄関として明るさを感じられる空間づくり
作品テーマは目的に即して「希望」で、私たちが勝手に描くのではなく、より多くの人の気持ちを引き出す方法を考え、その代弁者または翻訳者として壁に投影し、地域的価値として互いが共通認識しようとするもの。
当初から意識していた、駅利用者と壁画の意識的距離感を狭めることについても適切に対応され、「自分たちの駅、その壁」と思えるしっかりとした構造が組み立てられている。
(西千葉駅構内における壁画プランについては、明日、西千葉駅側に説明することとなっている。)
<附属病院ワークショッププランについての発表およびリハーサル>






病院班からの企画書もかなり整理され、見やすい内容となっていた。発表についても、先の班は法律、今回は工学部、ともに明確に伝えるための訓練を多くしてきた学生だからであろうか、その内容はしなやかに私の脳にも注がれていくような感触である。
ワークショップの目的は、院内で共同生活をしている患者さんが、協力して一つのモノを作り上げることで、互いに一体感を感じてもらおうとするもの。下見のときに気になっていた中庭の薄暗さを逆に利用して、光を扱った作品制作を提案している。当初、患者さん各自に作ってもらった作品を、学生スタッフが大型オブジェに取り付ける予定であったが、ワークショップ参加者に材料としての枝に作品を取り付けてもらったものを、オブジェに使用するという内容に変化されていた。少しでも患者さんに自らの達成感や参加したことの実感を感じてもらおうとする彼らの工夫なのである。さて発表に続いて行なったのは、他班のメンバーを患者さんとして見立てた、ワークショップ本番を想定したリハーサルである。当然、さまざま多くを想定して準備していても、不足な点や今後の課題が出てくるが、それがリハーサルの目的であるから、それは正に想定内。意見を受けたところや自ら気がついた点をもらさず、如何に改善するかが重要となる。今回のプランは軽度な患者さんを対象としている。
(附属病院でのワークショッププランについては、活動可能なスペースごとに企画した第2・第3のプランを待って、来週以降、附属病院での説明を予定している。)
会計担当者からは、「物品購入に関しての流れ」について明確なプリントが配付された。 ・・正確で分かりやすい!
今回はいよいよその発表にあたる。現地での企画説明や実践が日数的に近くなることで、時間的距離感として実感できるようになってか、明らかに学生ひとりひとりの眼差しも鋭くなってきた。切実感こそが人が伸ばす必須条件ということである。如何に適切な高さを設定し(簡単に飛び越せるということではなく、個々に合ったギリギリな高さの設定という意味)、そのハードルをどれだけ多く経験しているかが、その人の実践力となってかえって来るのだ。私はそのハードルの高さ調整を多少手伝っていることとなる。「私はあんなふうにアートに熱くなりたくない/好きなものを好きなように描いていれば良いと思う」と、私は学生に囁かれるタイプだが、思うに、学生時代にそれを経験しないものは、その後の一生においても、自己の力量の発揮しどころさえ分からず、または身の程知らずの壁にただただ叩き付けられることとなる。大学で学ぶことは知識と同等の、その応用力・展開能力と言え、それは自分から積極的に望まなければ手にし難いのである。この授業の受講者においてはその心配は特にない。
<西千葉駅構内における壁画に関するプランの発表>
駅構内の制作系のワークショップにおいて、その目的としているところは3つ。
@自分と向き合う空間の提供
A大人と子どもの関わりを考える提案となること
B自分の街の玄関として明るさを感じられる空間づくり
作品テーマは目的に即して「希望」で、私たちが勝手に描くのではなく、より多くの人の気持ちを引き出す方法を考え、その代弁者または翻訳者として壁に投影し、地域的価値として互いが共通認識しようとするもの。
当初から意識していた、駅利用者と壁画の意識的距離感を狭めることについても適切に対応され、「自分たちの駅、その壁」と思えるしっかりとした構造が組み立てられている。
(西千葉駅構内における壁画プランについては、明日、西千葉駅側に説明することとなっている。)
<附属病院ワークショッププランについての発表およびリハーサル>
病院班からの企画書もかなり整理され、見やすい内容となっていた。発表についても、先の班は法律、今回は工学部、ともに明確に伝えるための訓練を多くしてきた学生だからであろうか、その内容はしなやかに私の脳にも注がれていくような感触である。
ワークショップの目的は、院内で共同生活をしている患者さんが、協力して一つのモノを作り上げることで、互いに一体感を感じてもらおうとするもの。下見のときに気になっていた中庭の薄暗さを逆に利用して、光を扱った作品制作を提案している。当初、患者さん各自に作ってもらった作品を、学生スタッフが大型オブジェに取り付ける予定であったが、ワークショップ参加者に材料としての枝に作品を取り付けてもらったものを、オブジェに使用するという内容に変化されていた。少しでも患者さんに自らの達成感や参加したことの実感を感じてもらおうとする彼らの工夫なのである。さて発表に続いて行なったのは、他班のメンバーを患者さんとして見立てた、ワークショップ本番を想定したリハーサルである。当然、さまざま多くを想定して準備していても、不足な点や今後の課題が出てくるが、それがリハーサルの目的であるから、それは正に想定内。意見を受けたところや自ら気がついた点をもらさず、如何に改善するかが重要となる。今回のプランは軽度な患者さんを対象としている。
(附属病院でのワークショッププランについては、活動可能なスペースごとに企画した第2・第3のプランを待って、来週以降、附属病院での説明を予定している。)
会計担当者からは、「物品購入に関しての流れ」について明確なプリントが配付された。 ・・正確で分かりやすい!



