2008/5/11 22:55
Matz Ek(La maison de Bernarda/une sorte de ...) Ballet(観るほう)♪
Anne Deniau 写真展より。
↑ガルニエでは再びAnne Deniau によるオペラ座のエトワールたちの写真展が開催されています。(前回について少し書いたのがコチラにあります)
ドロテ・ジルベール、可愛すぎます。
予告を無視して観たばかりのマッツ・エク@ガルニエを。
演劇的舞踊、とその振り付けについてカテゴライズされることの多いマッツ・エク。
今更語るまでもなく独特で秀逸な彼流の読み方でもはや古典ともなった「ジゼル」、
ジークフリード王子のマザコン性にひたすら焦点を当てた「白鳥の湖」、と
古典の独自の読み直しで知られる彼の作品であるが、演劇的なもののみならず、ひたすら
そのランガージュ楽しむかのような作品も多い。
とはいえその作品には常に深い人間への洞察力が潜んでいるところが魅力である。
オペラ座でも彼の作品は定期的に上演されているが、フランス人はよほど彼の作品が好きと見えて、過去、クルベリバレエのパリ公演、リヨンバレエが彼の作品を上演したパリ公演などはいつ行っても満席だった。ただ、今回のは少し、言うなれば”通向け”だった模様で、客席に空きがちらほらとあったのが残念であった。
今回は二作品。ガルシア・ロルカ原作の「La maison de Bernarda (ベルナルダの家)」(1978)、「Une sorte de....(一種の・・・)」(1997)という創作年が20年近くも離れた二作品である。
「ベルナルダの家(原題:ベルナルダ・アルバの家)」の話は、1930年代のアンダルシアが舞台。未亡人となったベルナルダは8年もの間娘たちに喪に服すことを強制し、外出することすら禁じた。娘たちはこの専制君主のような母のもと生活していくのだが、あるとき街一番の美男子が長女と結婚することになる。この男性は長女に会いにくることを許されるが、実は自由奔放な末娘と密通している。このことを末娘は女中と姉に白状させられ、結果、男性はベルナルダによって殺される。そして末娘は自殺する。
作品の中では男性ダンサーが演じるベルナルダが、家庭内で宗教心により恐怖政治を行う様子が描かれる。食卓でお祈りを捧げるシーンではダンサーたちが狂ったように叫ぶところなどは、ベルナルダの狂信性を踊りだけでなく声を伴うことに助けを借りて効果的に表している。(ちなみに「アパルトマン」などでもそうだが彼の作品ではダンサーが声を発することが多い。)
オペラ座にはLigne8(その名はオペラガルニエとバスティーユを結ぶメトロの番線に由来している)という無料誌があるのだが、上演にあたりマッツ・エクのインタビューが載っている。作品に関する解説は彼のものを拝借することにする。
マッツ・エクによれば、ベルナルダは単に母親であるだけではなく、祭司であり同時に専制君主である。ロルカはこの作品を通し、社会における様々な問題、人々の胸の奥に潜む問題を描き出すことに成功したという。例えば個人と個人、個人と宗教、個人とセクシュアリティー、といった関係性である。マッツ・エクはこの作品でこういった人間間の様々な要素を抱えた上での複雑な関係性について描きたかったという。
ベルナルダは男性ダンサーにより踊られる。私が観た回はマニュエル・ルグリ。
引退を控え、神と呼ばれるほどの彼も古典作品では寄る年端には勝てず、といったところだが、こういった作品で見せる、確実な振付への理解力をベースとした彼の表現力は素晴らしい。ベルナルダの威圧感、狂信性、など、文句のつけようのない素晴らしい解釈だった。出演作品を選びまだまだ踊ってほしいと切に思う。
女中役にはジロー。この作品の中で女中は、家庭内ではその身分から、ベルナルダの支配下に置かれているように見えるが、娘たちと違いある種の独立性を持っている。よってこの家庭の狂った様子を「外」から見ているという役割を負っている。
今更私などにジローのこういった作品での存在感を語るべきものなどなかろう。「ジゼル」「アパルトマン」とマッツ・エク作品にはいつも登場しているが、その強い足から生み出される表現力は他のダンサーの追随を許さない。クラシック作品ではともかく、こういった作品ではダンサーは一に足、二にも三にも足、である。エク特有の気持ちの良いほど伸びた両腕に足をアラスゴンドで沿わせる振り、また、大きな二番プリエ、多用されるグランジュテ、など、彼女の足の強さとその容姿で次々と実現されるエクの世界は話の流れとはまた別に見ていて非常に気持ちがよいものである。
娘たちを踊るのはオペラ座の誇るそうそうたるコンテンポラリーダンサーたちである。
プジョル、オスタ、と二人のエトワールに、コンテンポラリーでは階級以上の抜擢を受けているシャルロット・ランソンが末娘役を踊り、さらに前回のコンクールで昇進したオーレリア・ベレ、そしてアメリー・ラムールー。
どのダンサーも素晴らしいの一言で、それぞれについて書き始めたらキリがなさそうである。
さて、二作品目。エクによれば、Une sorte de voyage, une sorte de reve, (なんというか一種の旅であったり、夢であったり)、要は誰かの頭の中の”旅”だということである。徒然なるままに考えをめぐらし、そしてそれを音楽と楽しみ、といったところか。こういった作品こそ振付家の振付そのものを楽しめるところが私は好きだ。
長くなったので続きは次のエントリーで。
彼の振付論がインタビューで語られていて、これがこの作品については評するよりもよほど面白そうなので、翻訳をつけてみようと思う。
2008/2/24 12:17
Paquita Ballet(観るほう)♪
新エトワール、ドロテ・ジルベール。
久しぶりにガルニエを訪れたのは12月。
例年のごとく、この季節は各国からクリスマスイルミネーションに彩られたパリを訪れる観光客が殺到し、バスティーユでは「くるみ割り人形」、ガルニエでは「パキータ」と、二本立てでグラン・クラシックが上演されているにもかかわらず、非常に券の入手が難しい。
そんな中、さらにフランスのお家芸(?)ストライキなんぞもあったわけだが、バスティーユの「くるみ割り人形」(ヌレエフ版)では主役以外衣装なし、大道具なし、という異例な状況で(私はノイマイヤーの「シルビア」を数年前大道具なしで見たのでもはや異例というほどではないけれど)ドロテ・ジルベールがエトワールに任命された。
今回はその新エトワールとルグリ組、そしてアニエスとフロリアンという組み合わせの二回を鑑賞した。
お話についてはDVDも出ていること(アニエス&ジョゼ)、ご存知の方も多いだろう。
時は19世紀初頭、ナポレオン占領下のスペイン。
ジプシーに育てられた娘パキータがフランス人将校・リュシアンを暗殺事件から救う。二人は恋に落ち、そこでパキータは実は貴族の出であることが分かり二人は結婚する。
・・・という何ともまぁバレエ的(?)な単純明快なハナシなのであるが、この作品の楽しみドコロは何といってもスペイン風の踊り、衣装、という19世紀ロマンティックバレエが追い求めた”異国情緒”にあると思う。
初演は1846年、その後プティパなど有名な振付家の手を経ているだそうだが、ピエール・ラコットによるオペラ座の”復刻版”の元は1978年のキーロフバレエにあるらしい。(出典・オペラ座パンフレット)
今回一度目の鑑賞はドロテ・ジルベールとマニュエル・ルグリ。
ドロテは入団当時より数々の抜擢を受けてきたことから、オペラ座が大事に育てているのがよく分かったから、エトワールに任命されたのは驚くことではなかった。
くりくりとした大きな目をしたトゥールーズ出身の彼女にはパキータの役はとても似合っていて、かわいらしいことこの上ない。
これだけ魅力的なダンサーである彼女がエトワールであることに観客としてなんの異議もないが、例えば同じプルミエール・ダンスーズのミリアム(ウルドブラハム)の非常にオペラ座的なことこの上ない洗練された踊りと比べてしまうと、少し雑なところが気になるために、なぜでは彼女のほうが任命が先だったのか、と思ってしまう。今回のパキータの踊りも、その”粗”が気になって、なんとなく決め手に欠ける感じであった。まだ主役を踊るのに必死だからかもしれない。
お相手のルグリ。彼がバレエの神様(?)であることに異議を唱えるバレエファンはいないだろうし、私も彼の大ファンだが、そんなルグリ「様」もそろそろ引退というお年である。このお二人、年の差がありすぎてビジュアル的に釣り合いが悪い。
テクニック云々もうるさく言う割には、お話への感情移入を第一に鑑賞する私としては、なんだかオジサマが若い子をたぶらかしているように見えてしまって、イマイチな上演だった。
それにしてもイニーゴ(ジプシーのボス)のカール・パケットの素晴らしいこと。
このブログでしつこいほど書いているのだが、金髪・青い目の王子系容姿を持つにもかかわらず彼の踊りはあまり王子系ではなく、キャラクターを踊るときに断然その才能を発揮する。
これは彼の踊りの”性質”がキャラクター的なのか。悪く言えばノーブルな踊りが出来ないのかもしれないけれど、そこまで悪く言うほど王子を踊るときに悪いわけでもない。
いずれにせよ、彼は素晴らしいキャラクターダンサーだ、ということだ。
さて、二度目は麗しきアニエス(ルテスチュ)と、若きフロリアン(マニュネ)。
フロリアンは数年前にルグリの代役でシンデレラの王子に抜擢されて以来の大役ではないか?真っ白な肌が輝くばかり、立っているだけで王子になれるだけの容姿を持っている。
深みのある演技が出来るのかどうかまではまだ未知数(?)だけれど、リュシアン役にはそのたたずまい、踊りがぴったりだ。アニエスのお相手には少し物足りない気もするけれど(笑)。
それにしてもアニエスの丁寧な脚さばきを見るにつけ、これが「オペラ座の」エトワールとして必要なものでしょう、と考える。一つ一つのパが本当に丁寧で、気品がある。
こう同じものを数日あけてみて比べてしまうと、やはりドロテの踊りはかなり雑である。
役としてはドロテの若さと可愛らしさはアニエスを上回るのだろうが。
・・・・観客って口うるさいものである。
次はガルニエにお目見えしたボリショイの「スパルタクス」について書きます!
2007/7/23 14:42
Ballet National de Cuba Ballet(観るほう)♪
キューバン・ナイト!
暑いとはいっても湿度の低い欧州的な夏のパリに、旋風のごときラテンの熱さを運んできたのがキューバ国立バレエ。
カルロス・アコスタやホセ・カレーニョ、タマラ・ローホといった数々の国際的スターダンサーを次々と生み出しているおそろしく高いレベルらしいバレエ学校を併設したバレエ団であるが、カンパニー全体を観る機会はめったにない。日本で10年ほど前だったか、「ホセ・カレーニョとラテンの旋風(かぜ)」という企画物を見たことがあったが、確かあれは既に海外に出ていたダンサーばかりだったように思う。
バレエ団のディレクターは、かのアリシア・アロンソであるが、今年86歳という高齢にもかかわらず来仏し舞台挨拶にも顔を見せた。
この招聘自体はおととしより"Les etes de la danse de Paris"と名づけられた夏のダンスフェステル企画である。アルヴィン・エイリー・バレエ・シアター、サンフランシスコ・バレエが既に招聘されている。当初はマレ地区にあるArchives Nationales (国立公文書館)の庭にて行われていたのだが、お天気の気まぐれに困らされたのと、客席のキャパが小さいとのことで今年よりグラン・パレに会場を移して行われることとなったらしい。
会場のグラン・パレに入ったとたん、そこには既にハバナのバーにでもいるような雰囲気!南国の植物に囲まれたカフェが設置され、キューバ音楽がかかっているのだ。
うーん。観劇前から気持ちが既に盛り上がる。
(ちなみにここは公演終了後朝の3時まで”ソワレ・キューバン”が催されており、踊りが繰り広げられる模様。サルサ好きの方、是非。)
私は19日のジゼルと、22日のPorte Ouverte(公開レッスン)そして同日夜ドンキホーテ、と3つを見に行ってきた。
全体を通してまず驚くべきことは、ダンサーたちのPieds、足先の強さである。甲も皆よく出ているし、これにさらに下半身全体のバネも手伝って、とにかく踊りが安定している。
そして、いまどきこれだけ全員同じメソッドできちっと踊れるバレエ団があったのかというレベルで統一されたポールド・ブラ。
少しアン・オーのときに開きめなのが特徴で、これによりジゼルなどは、絵でしか観たことのない、かのマリー・タリオーニが実際に踊ったらこのような感じだったであろうという、たおやかさ溢れる優雅な作品に仕上がっていた。
難を言えば、この「開き」から生まれる優雅さが、ジゼルの1幕においては主役ジゼルの少女っぽさ・若さを薄くしてしまい、私には女王が踊っているように見えてしまったのだが、これは好みの問題だと思う。ジゼル2幕においては、この統一性がえもいわれぬ美しさを描き出しており、上記の下半身の強さから来るダンスの安定性と驚くべき軽さも手
伝って、なんとも幽玄的で、本当の妖精たちが踊っているかのような舞台に仕上がっていた。
また、アロンソがオリジナルに近い解釈をしようとしていることもあり、稀に見る古典色の強い、品のある舞台であった。
ドンキ・ホーテについてはお手のものといったところか。
舞台から客席に向かって扇風機で送られてきたかのようなラテンの熱気・パワーに圧倒される。
キトリをこの夜踊ったHayna Gutierrezは、終始安定した足さばきを見せ、3幕のグランパではルルベでのルティレで超人的なバランスを見せた。思わず珍しく「ひゅー」と声まで出してしまった私。
海外で活躍するキューバ人ダンサーについては、アコスタのように超人技を連発しつつもノーブルさを忘れないダンサーもいるが、タマラ・ローホのように技ばかりが目につき実は個人的にはあまり好きではないダンサーもいる。しかし生みの親であるこのバレエ団(バレエ学校)においては、ダンサーたちの動きに品があって非常に好感が持てた。
そして、ドンキにおいてはジゼルよりもさらに際立ったそのコールドの力量。早いパにもかかわらずまったく乱れることがなく、そして、何よりも音楽性が高い。音のとり方が非常に細かく、耳がいいようだ。だから全員が揃っている。やはりあの辺の人たちは小さいころから道端でもリズミカルに踊っているからだろうか!
ちなみに、お国事情を反映してか舞台装置は非常に質素である。後方スクリーンの画はパソコンで映していたらしく、ドンキの最終場面で一瞬デスクトップ画面が見えてしまい客席の笑いを誘ってしまったが、これもご愛嬌。
しかし、資金事情にもかかわらず欧州でもなかなか見ることのできないレベルのダンスを見せてくれたことがさらに感動を大きくした。
衣装についても、質はよさそうには見えないが、キューバ風のアレンジがしてあってとても面白い。ジゼル1幕での男性陣はハバナ帽までかぶっていて、なんとも洒落ている。
アロンソは資料によると主に1930〜40年代にアメリカでキャリアを積んだ人であるのに、当時ロシアから来てアメリカのバレエを引っ張っていたバランシンなどのもとでキャリアを積んだようなのだが、その結果としての現在の彼女のバレエは私の目にはかなり”欧州的”(しかも西の方の)バレエを監修しているところが面白い。彼女の作品についてビデオなどでもっと勉強してみようと思う。
*ブログの更新を随分とお休みしてしまいました。その間も遊びにきてくださっていた方、申し訳ありません。去年の鑑賞記録などまたボチボチとさかのぼりながらやっていくつもりです。
2006/6/20 19:25
旅の愉しみ voyage
遺跡を見たり、旧市街を訪ねたり、美味しい土地のモノを食べたり。
旅の愉しみといえばいろいろあるが、
私にとって旅で一番幸せなひととき、それは朝食である。
フランスのホテルの朝食は、大型ホテルなどに泊まればコンチネンタル式で
あったりするのだろうが、大抵がバゲットかクロワッサン、カフェか紅茶、
それにオレンジジュース、というくらいの簡単なもののことがほとんどである。
先日学会で訪れたボルドーでは、ホテルが素敵なテラスを備えているわけでもなく
イマイチ魅力に欠けたので、近くにちょうどle pain quotidien があることだし、と
そこでいただくことにした。
パリにもチェーン展開しているのに旅先でまで!と思われるかもしれない。
しかし、平日の朝はあわただしく、週末は朝寝坊、と
なかなか朝食を外で食べる機会なんてないのが普段の生活だ。
(大抵の人がそうだろう。)
外で朝ごはんを食べる、というそのこと自体が非日常的で幸せを感じる。
日中はうだるような暑さだったボルドーも、
朝は頭がシャキっとする爽やかさ。
そんな中、瓶ごとサービスされる大好きなここのプラリネクリームを前に、
普段とは違うゼイタクを感じて幸せに浸る。至福の時!
思い出してみると、私の場合、朝食を中心に旅の記憶が展開しているような
気もする。各国の朝食文化ってかなり違うから面白くて印象に残るのだろう。
随分前、アルルでの飲みきれないほどたっぷりのカフェオレの入ったポットは
なんてことないものなのに、フランスをまだあまり旅したことなかった私には
感動のかわいさだった。
素敵なテラスでいただく朝食に、これぞフランス、と思ったものだ。
食べきれないほど朝食を出してくれた、ドイツにノイシュバインシュタイン城を
見にいったときに泊まった下の街フュッセンの宿の老夫婦はまだご健在かしら。
朝から塩辛い魚のマリネがあってチェコのホテルでは驚いたっけ。
研修で行った韓国では、一泊ホームステイまであって、
朝からタコのお味噌汁に辛い炒め物に・・・と夕ご飯のようなものが出てきて
胃が悲鳴をあげていたっけ。しかもステイ先のお母さん、
「チヒロのにはタコが少ない」って自分のお箸で私のお椀にどんどん入れてくれて、
優しさに感謝すると共にそのカルチャーにも驚いたものだ。
(そういえば中国の友達を泊めたときにも思ったことだけれど、
日本に比べてこのお隣二国では朝食が欧米化されていない様子。)
10年前、モロッコの砂漠まで行こうとしていたとき。
メルズーカという街で夜行バスを降りたところで砂漠行きの
長距離バンの値段交渉のために入ったお宅(事務所?)の美味しいパンと素朴なスープ
は、夜行バスで冷え切った体に温かく、とても印象的だけれど、
その後ここでは同行の友人がアクセサリーを押し売りされそうに
なったというオマケがついてきてしまったこと。
去年行ったマラケシュではヨーロッパのとは違いモチモチとした美味しいクレープを
女の子が熱い鉄板と格闘しながら一生懸命焼いてくれたっけ。
笑いといえばやっぱり、フィガロ・ジャポンで特集されていた、ブルゴーニュ地方の
素敵なオーベルジュに泊まったときかしら。
宿の裏に広がる農場を目前に、なんともすがすがしい気分での素晴らしい朝食。
そこで出されたジャムを見て、当然手作りなんだわ!と
思い込んだ私(いや、その雰囲気たるや、誰でもそう思わされることでしょう)、
「これ、自家製ですか?」と聞いたところ、一言マダム、
「ノン!」
そんなことを考えていたら、たまにはパリでも非日常を味わいに朝食を外に食べに出かける余裕を持ちたいものだなぁ、なんて。
2006/6/16 21:42
僕の名前は♪ 日常生活
先日偶然用事があったマレの北、3区の区役所近くで
行われていたブロカント(のみの市)。
これ、自宅で天気予報ごっこでもするのでしょうか・・・?
彼(?)がどうやってフランスまで来たのか考えるだけでも楽しくなってしまいました。
ところで、後方に写っているようなアンティークの洋服。
レベルが高いものばかりで、さすがモードの国フランスといったところです。
特にマレだったからでしょうか。質のいいお洋服でしたがお値段も、
古着といって気軽に買うお値段ではありませんでした。
モノを大事にするフランス人。
こんなボロボロの家具、誰が買っていくのかしら?と思うようなものも売られて
いるけれど、綺麗に色を塗り替えて自分のインテリアの好みに合わせてしまったり
するあたりは脱帽です。
ちなみにこの日結局買ったものは、茶色い籐のカゴのハンドバッグ。
籠狂の私、ついつい見ると買ってしまいます。
もう入れるものなどないほど家に溢れているのに・・・。
2006/6/4 16:04
Jeunes Danseurs Ballet(観るほう)♪
↑プログラムの写真にもエスプリを効かせたさすがのジョゼ(振付)・アニエス(衣装)プロデュース・「Delibes-Suite」。
5月下旬、ガルニエでは数年に一回、若手ダンサーにチャンスを、という企画、「Jeunes Danseurs」があった。
外国人のキム・ヨンゴルが遅く入団したためか32歳と最年長であるが、それ以外はほとんどが20歳前半、最年少は17歳(Aubane Pholbert/Eleonore Guerineau)。
オペラ座は世界一平均年齢が若いバレエ団だと聞いたことがあるが、そのオペラ座を支える若手層のみずみずしさに溢れた舞台が繰り広げられた。
私が見た日(23日)の演目は以下の通り。
☆Paquitaより3幕グランパ(パ・ド・トロワを挿入):Sabrina Mallem, Yong Goel Kim(グランパ)、Laurene Levy, Ludmila Pagliero,Gregory Gaillard 他コールド
☆眠りの森の美女より青い鳥のPDD:Aubane Philbert,Mathias Heymann
☆コッペリア(パトリス・バール版)よりエピローグ:Christelle Granier,Jean-Philippe Dury, Samuel Murez
☆Abel etait...(SujetのダンサーMallory Gaudion振付):Cyril Chokroun,Gregory Dominiak
☆Bergamasques(エトワールJean-Guillaume Bart振付):Eleonore Guerineau,Marc Moreau
☆Delibes-Suites(エトワールJose Martinez振付、Agnes Letestu衣装):Mathilde Froustey,Josuia Hoffalt)
☆白鳥の湖より黒鳥のグランパ(ヌレエフ版):Alice Renavand,Vincent Chaillet,Sebastien Bertaud
☆JoyeuxよりDiamantsのアダージオ(バランシン):Laura Hecquet, Audric Bezard
全体の印象からいうと、このレベルの高さがオペラ座のコールドの底力なのか、と納得したというところか。どの人も、エトワールになれなくとも、主役をやる機会さえ与えれば、他のバレエ団のソリスト級のことくらいはこなしてしまうのがオペラ座のようである。
特別印象的だったのは最後を飾ったDiamantsのLaura Hequet。Sujetクラスだから今回の出演者の中では出来て当然という方もいるかもしれないが、私には驚きのレベルだった。
「チャンスをいただいたので頑張りました!」というのが他の演目のレベルだったとすれば、この人は「ワタクシ、これ、本公演でも代役をやらせていただけるレベルなんですけれど。」と言いたげなほどの落ち着きぶり、完成度、なんという音楽性。
他には、先日の郊外ガラでも見た「青い鳥」の二人。なんという若々しさ、みずみずしさ、溢れるエネルギー!特にMathias Heymannは、郊外の狭い舞台からはみ出さんばかりに踊っていたダイナミックさを広いガルニエ宮でも見せてくれ、そのまま空に飛んでいってしまいそうな素晴らしいブルーバードを踊った。きっと、飛び物といえば、というEmmanuel Thibault に次ぐダンサーになるに違いない。
それから、ジョゼ振付による「Delibes-Suite」。バルナで金・銀をとったカップルMathilde とJosua は一緒に踊ることが多いせいかとても互いに慣れた様子で、息のあったすばらしいPDDを見せてくれた。Mathildeの細く長い足から紡ぎだされるジョゼのエスプリの効いたパの楽しかったこと!
ちなみにこの作品、私は初演を数年前にロワッシーの小さな小さな劇場で見たのだが、その時はIsabelle Ciaravoraが女性パートを踊った。(男性は失念。)
彼女にとても似た体型のマティルドが今回選ばれたあたり、何かジョゼとアニエスのプロダクションのイメージする女性像を見た感じがする。細く、針金のように強い身体を持ちながら、コケティッシュなダンサー。
(この作品、3年前の東京の世界バレエフェスティバルではアニエスが熱を出していたのでアダージオしか観客は見られなかった。今年、やっとジョゼとアニエスという製作した本人たちで踊られるそうだから、楽しみである。)
足先といえば、バールの作品を踊ったEleonore Guerineau。
昔コンセルバトワールにバールが教えにきたとき、彼は皆の足先に耐え切れず、おそろしくしつこく注意をし続けた、とダンサーキョウコちゃんが話してくれたことがある。彼のこだわりは振付(床をたくさん使う足先!)にも出ているし、Eleonoreというきっとオペラ座ではナタリー・オーバンに次ぐ強そうな甲を持ったダンサーを選んだあたりにも出ている気が。
これだけ高いレベルのダンサーたちの中で昇進していくのはいかに大変なことか、とまたその競争の激しさを想像しため息をついた一晩であった。
2006/5/28 16:58
映画三昧@テレビ Cinema
フランスのテレビは概して日本のテレビより面白くないという人が多い。
確かに、ぱっとみた素人の印象として、地上波に限っていえば、多分メディアに携わる人の人数、それから予算は日本よりかなり少ないと思う。というのも、生番組が少なく、誰が見てるのかわからないような再放送の(しかもアメリカとかの)ドラマが多い。
でも日本でも元々バラエティなどはあまり見ない私にとって、そんなに不便を感じることはなく、それどころか当たりはずれはあっても夜21時のゴールデンタイムにはどこかの局で必ず映画をやっているフランスのテレビは結構好きだ。
私が特に好きなのはARTE。ドイツとフランスの共同チャンネルらしい。
日本の教育テレビをもっと文化的でオシャレにした感じとでも言えばいいだろうか。
(このチャンネル、ちなみに、国のある調査機関の大規模な留学生アンケートによると、留学生が一番好きなチャンネルらしい。うん、特集なんかはとても勉強になるし。)
ARTEがどんな”文化的かほりのする”チャンネルかというと、フランス人の友人が言った
「女性のヌードがばんばん出てくる映画なんかを、芸術だといってどんどん放映しちゃうのがARTEだよね」
という言葉がよく説明してるかなというところだろうか(笑)。
さて、そのARTEチョイスの映画はかくいう私も大好きで、映画館には行きそびれたけれど見たかった映画なんかをこの番組で見ることが出来てとてもお世話になっているけれど、現在カンヌ映画祭が開催中のためかそのチョイスにはますます磨きがかかっていて、ここ数週間でかなりいろいろ見てしまった。
まずは「Valmont」↓

これ、かなり古い映画で、89年のらしい。最近では「真珠の耳飾りの少女」に主演したコリン・ファース主演。(邦題は「恋の掟」らしい。相変わらず日本の映画のネーミングは、面白いけど、困る!だって、こちらにきて、「ねぇ、あれ見た?」って昔の映画の話をしていても、元の題とあまりに違うので、話が通じないのだ。)
有名なド・ラクロスの「危険な関係」という小説を下敷きにしていて、何でも同じ頃に同じ題材で「危険な関係」という映画が出たのが大ヒットして(私は見てないが)、公開されるのが遅れたとかなんとか。比べて見てないので分からないが、これ、宮廷文化に豪華衣装、と見ながら実に優雅な気分になりつつも恋の話に久しぶりにドキドキしたりして、とても気に入ってしまった。
さて、お次はARTEでこれを見るのは何度目か!というほどフランス人に人気らしい「In the mood for love」(邦題「花様年華」)。↓

私もウォン・カーウェイは大ファンなので渋谷の文化村シネマには公開された時にすぐにかけつけたっけ。サントラも買ったし、パリに来てからもリバイバル上映で見に行ったり、テレビで見たり、次はチャイナドレスでも購入か?という勢いで好きな映画である。
それから、ARTEの本領発揮、面白かった!というのが、L'Iran, une révolution cinématographique、というイラン映画の歴史と変容とを激動のイラン社会を追いつつまとめたドキュメンタリー。この晩はイラン映画特集で、そのあと続けて「Sang et Or」(「血と黄金」?Or は話の内容からいって、金、より黄金と訳して良いと思うのだけれど)というカンヌで「ある視点賞」を取ったとかいう映画もやっていた。↓

これ、相当オススメである。「久しぶりに面白い映画を見たなぁ」という感じ。
イスラム革命後あれこれと秘密警察が取り締まりにうるさいイランが舞台。ピザ宅配人のフセインが、配達先の金持ちの生活を垣間見るうちに、他の様々なことも重なって、人生に嫌気が差してきて最後は宝石商を殺し、彼自身も自殺してしまうのだが、映画はその結果の場面からはじまり、そこにいたるまでを描く。
というわけで映画館に行く時間はないけど、ご飯を食べながらのカウチシネマも悪くない。とはいえ、「トーク・トゥ・ハー」の鬼才アルモドバール監督の新作とあっては、ペネロペ・クルス主演の「Volover」は見逃せない。映画館に行く時間をどこかで見つけなくては!
確かに、ぱっとみた素人の印象として、地上波に限っていえば、多分メディアに携わる人の人数、それから予算は日本よりかなり少ないと思う。というのも、生番組が少なく、誰が見てるのかわからないような再放送の(しかもアメリカとかの)ドラマが多い。
でも日本でも元々バラエティなどはあまり見ない私にとって、そんなに不便を感じることはなく、それどころか当たりはずれはあっても夜21時のゴールデンタイムにはどこかの局で必ず映画をやっているフランスのテレビは結構好きだ。
私が特に好きなのはARTE。ドイツとフランスの共同チャンネルらしい。
日本の教育テレビをもっと文化的でオシャレにした感じとでも言えばいいだろうか。
(このチャンネル、ちなみに、国のある調査機関の大規模な留学生アンケートによると、留学生が一番好きなチャンネルらしい。うん、特集なんかはとても勉強になるし。)
ARTEがどんな”文化的かほりのする”チャンネルかというと、フランス人の友人が言った
「女性のヌードがばんばん出てくる映画なんかを、芸術だといってどんどん放映しちゃうのがARTEだよね」
という言葉がよく説明してるかなというところだろうか(笑)。
さて、そのARTEチョイスの映画はかくいう私も大好きで、映画館には行きそびれたけれど見たかった映画なんかをこの番組で見ることが出来てとてもお世話になっているけれど、現在カンヌ映画祭が開催中のためかそのチョイスにはますます磨きがかかっていて、ここ数週間でかなりいろいろ見てしまった。
まずは「Valmont」↓
これ、かなり古い映画で、89年のらしい。最近では「真珠の耳飾りの少女」に主演したコリン・ファース主演。(邦題は「恋の掟」らしい。相変わらず日本の映画のネーミングは、面白いけど、困る!だって、こちらにきて、「ねぇ、あれ見た?」って昔の映画の話をしていても、元の題とあまりに違うので、話が通じないのだ。)
有名なド・ラクロスの「危険な関係」という小説を下敷きにしていて、何でも同じ頃に同じ題材で「危険な関係」という映画が出たのが大ヒットして(私は見てないが)、公開されるのが遅れたとかなんとか。比べて見てないので分からないが、これ、宮廷文化に豪華衣装、と見ながら実に優雅な気分になりつつも恋の話に久しぶりにドキドキしたりして、とても気に入ってしまった。
さて、お次はARTEでこれを見るのは何度目か!というほどフランス人に人気らしい「In the mood for love」(邦題「花様年華」)。↓
私もウォン・カーウェイは大ファンなので渋谷の文化村シネマには公開された時にすぐにかけつけたっけ。サントラも買ったし、パリに来てからもリバイバル上映で見に行ったり、テレビで見たり、次はチャイナドレスでも購入か?という勢いで好きな映画である。
それから、ARTEの本領発揮、面白かった!というのが、L'Iran, une révolution cinématographique、というイラン映画の歴史と変容とを激動のイラン社会を追いつつまとめたドキュメンタリー。この晩はイラン映画特集で、そのあと続けて「Sang et Or」(「血と黄金」?Or は話の内容からいって、金、より黄金と訳して良いと思うのだけれど)というカンヌで「ある視点賞」を取ったとかいう映画もやっていた。↓
これ、相当オススメである。「久しぶりに面白い映画を見たなぁ」という感じ。
イスラム革命後あれこれと秘密警察が取り締まりにうるさいイランが舞台。ピザ宅配人のフセインが、配達先の金持ちの生活を垣間見るうちに、他の様々なことも重なって、人生に嫌気が差してきて最後は宝石商を殺し、彼自身も自殺してしまうのだが、映画はその結果の場面からはじまり、そこにいたるまでを描く。
というわけで映画館に行く時間はないけど、ご飯を食べながらのカウチシネマも悪くない。とはいえ、「トーク・トゥ・ハー」の鬼才アルモドバール監督の新作とあっては、ペネロペ・クルス主演の「Volover」は見逃せない。映画館に行く時間をどこかで見つけなくては!
2006/5/28 13:47
愛情表現 ふらんす語
我々アジア人のイメージの中で一般に愛のお国とイメージされるフランス。
さすがと思うところの一つに、愛するお相手の呼び方のヴァリエーションの豊かさというのがある。
ma cherie 僕のいとしい人、女性から男性へはmon cheri
mon amoeur 僕(私)の愛する人、
mon ange 僕(私)の天使
mon coeur (僕・私の「ハート」とでも訳したらいいのかしら)
mon bebe(僕・私のベイビ〜・汗)
なんていうのは序の口、
mon lapin(僕のウサギ)
ma puce(僕のノミ・・・小さければ可愛いってものなのかしら)
とまぁ、私はこのくらいしか知らないが、文学が専門の方、あるいは、実際にフランス人のお熱い彼がいる方はもっといろいろとご存知のことと思う。
男女間ならいいのだけれど、こういう愛情表現、友人間にもあって、私が何年たっても使えるようにならないものの一つだ。一般的に、自分の文化の中では訳しづらい言葉というのは、場数を踏まないといけないから、使えるようになるのに時間がかかる。
今日も友人の携帯に電話。携帯だから私の名前が表示されているわけで、出たとたん、
「salut ma belle !」
直訳すれば、「こんにちは私の美女」
だけど、そんな意味なわけはない。
まぁ日本語の電話の出だし、「げんきぃ〜チヒロぉ〜(注・友情たっぷりに)」
くらいの意味でしかない。
まぁ美女と呼ばれるのなら気分はいいが(笑)、SMS(携帯のショートメール)で
coucou ma poulette!
とか仲がいい友達が書いてくるとフクザツである。
(coucou は「やっほー」、「はろぉ〜」くらいの意味)
私は人に向かって「私の小”鶏”(しかも”鳥”じゃないところがミソ)」とか言う気にはなれない。相手にとっては友情の表現であって、pouletteの意味まで考えて使ってるわけないのは分かっているし、ミニ・チキン・・・!?なんて訳してフクザツな気持ちになっているのはまぁ私くらいだと思うけれど。
(ちなみにこの語尾変化、poulet(鶏)→poulette、fille(女の子)→fillette
という風に変化させると、”小さくて可愛らしい”くらいの意味が加わるものなのである。)
かといって、ビズー(頬と頬とをくっつけてのご挨拶)にしてもそうだが、恋人、友人を問わず、自分の愛情というものをスキンシップや言葉で表現する文化に慣れてしまうと、なんだか日本に帰ると寂しい感じがするのも事実。そういえば我が家、小さい頃は寝る前に両親にフランスでいう「ビズー」をしてから寝るのが習慣だったけれど(うちの親ってば、そんなことさせて、かぶれてたのかしら)、いつのまにか、しなくなってしまった。今更年老いた両親に向かって愛情を感じるからといってそんな習慣を復活させようとは思わないけれど・・・・(笑)
2006/5/16 23:23
NDT U&V Ballet(観るほう)♪
↑ガルニエでは現在Anne Deniau という写真家による、「Double jeu」 と題したダンサーの写真展が開催中。これはソワレ服をまとったエトワールダンサーたちをオペラ座内の”知られざる”各所で撮影したもので、公式サイトによると、これからエトワール以外のダンサー、Maitre de Ballet、Repetiteur (つまり、イレールやドラノエもということですね!?)なども登場し”カンパニーのアルバム”なるものになるとか。何とも素敵な企画。
先日、ガルニエ宮にて招待カンパニーとして、NDT(ネーデルランド・ダンス・シアター)が公演を行った。
NDTはTがメイン、Uがジュニア、Vがシニアであるが、今回はUとVが同日に行ったプログラムを鑑賞した。(別日程で行われたNDTTの公演は本業で、とある締切りに迫られ、泣く泣く断念。)
NDTはシャイヨ宮で行った前回のパリ公演、そして前回のガルニエ公演とを見ているが、クルベリバレエの記事でも書いたように、最近のキリアンの作品はある意味熟成を超えて老成していて、後継者にあたるのであろう振付家二人(Paul Lightfoot,Sol Leon)の作品のほうが勢いがあるという印象を持っている。
今回のプログラムは、まず「Sleepless」というキリアンによる作品(NDTUにより上演)から始まった。舞台後方には横長の、薄いリノリウムできているような張りのある素材でできた布が広がっている。等間隔で割れ目が入っており、カーテンのような状態である。
振付けはこの布をスクリーンのように使ったり、その割れ目を利用したりと面白い趣向のものであった。ダンサーが布に倒れ掛かったと思ったら、裏には他のダンサーがいて、人の支えなしではできない面白いポジションでポーズをとったり、である。
趣向は面白かったのだが、キリアンの大ファンとしては、繰り返しになるが、老成を感じるばかりである。キリアン的ランガージュがそこにはちりばめられているのだが、侘び寂びの境地のように、より以前の作品よりもシンプル化されたものを感じる。
2作品目もNDTUによる上演。これが上記の後継者(?)の二人の作品である。
見ていてほっとする。シャイヨ宮でこの二人がNDTUに振付けた作品(名前は失念したが、絨毯の真ん中で女性が一人踊り、これを数人の男性が絨毯ごとまわしたりする美しい作品)に出会って以来、私はすっかり惚れこんでしまった振付家たちである。
その美的センス、まさに「今の本人」ではなく「ブランドと化した(?)」”キリアン”なのだ。
この二人自身がキリアンファンなのだろうと、キリアンファンから見て思う。キリアンのエスプリが本人の作品からでなく後継者からより芳しく漂ってくる。
この作品、湯浅永麻・小尻健太というNDT所属の日本人ダンサーのデュオの見せ場もあった。アジア人特有の手の先に魂を感じる踊りで素晴らしかった。
3作品目はNDTVによるキリアン振り付けの、「バースデー」。
これは、あまりに楽しい作品なので、見たことない方のためには種あかしはしないほうがいいだろう。
キリアンはどうも、昔の貴族の宮殿でのやりとりに想像力をかきたてられるらしい。
2004年にオペラ座に振付けた「Il faut qu'une porte...」は確か、ルーブルにある貴族を描いた絵にインスピレーションを受けたとか読んだ記憶があるが、美しい衣装をつけた貴族の男女が扉をめぐって繰り広げる踊りは目に麗しく、美しかったと同時に、ユーモアのある作品だった。
この「バースデー」は、それより前の作品(2001)だが、”貴族なんて今では絵画の中で美しい姿で残っていることが多いけど、綺麗な格好して結構馬鹿な話とかして、人間くさくて、こんな感じだったんでしょう・・・”と彼がイマジネーションを働かせて楽しんでいるようである。悪ふざけの粋でもあり・・・。私は映像のアイデアに感嘆し、ひたすらに声をたてて笑いながら鑑賞し、それ以上の深読みなんぞはしなかった。これ、何か他に読み方でもあるのだろうか。
上演後、この日は一部から激しいブーイングもあった。
例えばその方が、キリアンの作品を多く見ているキリアンファンというよりは、オペラ座でのキリアンを見ているだけの方であれば、例えば「優しい嘘」「ベラ・フィギューラ」あたりを見て、見に来られたのであろう。そんな方にはまぁブーイングをするほどある意味ショッキングな作品だったのかもしれない。私はキリアンのこういうユーモアセンス、好きなのだが。
それにしても踊る側には相当人気が高いと思われるキリアン。
ルフェーブル監督はもちろんのこと、美男美女揃いのオペラ座のダンサーを舞台外でこれだけ一度に見られることは他になかろうというほど結構大勢見にきていた。目の保養。
招待カンパニーといえば、来年は市川団十郎と海老蔵がガルニエで公演を行うそうで驚きである。オペラ座のプログラムには「オペラ」「バレエ」「フロンティエール(境界)」とあるが、これが「境界」でなく「バレエ」のカテゴリーで、というのも面白い。
ルフェーブル監督はパリで行われる他カンパニーの公演を実によくチェックしていて(よく他劇場で見かける。)、昨年シャイヨ宮で海老蔵の襲名披露公演を見たときにも来ていたから、前衛的プログラムを組みたいというやり方の彼女、あれを見て決めたに違いない。
ちなみにこの件、「KABUKI」と来年のプログラムにあったのを頭の固いバレエファンの私は、よく読まずにちらっと見たきり、てっきりベジャールの「KABUKI」が上演されるのかと思い込んでいて、ユリから聞いたときには実に驚いたものだ。
2006/5/14 23:40
Alexendre Brussilovsky Concert 音楽
↑前回の記事にも書いたのですが、パリは今緑に溢れ花が咲き乱れる美しい季節なのですが、お天気になかなか恵まれず、お出かけした日に限って綺麗な色で写真が撮れません。というわけで白黒にしてしまいました。
昨日、シャンゼリゼ・劇場にてヴァイオリンのAlexendre BrussilovskyをディレクションとするEnsemble Recercata de Parisなるグループが"ショスタコーヴィチへのオマージュ”なるテーマで行った演奏会へ行ってきた。
普段、ダンス公演だけは見逃したくないので、学業を行いながらだと時間の点でもお金の点でも、なかなか音楽のコンサートまで行く機会はない。
それがなぜまた、ショパンやチャイコといったもっとイージーリスニングなものならともかく、ショスタコーヴィチの音楽など聴きに行くことになったかというと、このブルシロフスキー氏は非常に仲良くしている友人のお父上にあたる方なので、なんて言い方と思われるかもしれないが、彼女に呼んでいただき、要はお断りすることができなかったのである。
クラシックは聴くのは好きだし、ピアノは4歳から20年以上やったが、音大に行ったわけでもなし、そう、いわゆるイージーなものなら聴くだけのドのつく素人である。
そんなわけで正直、もっと聴きやすいものならともかく、20世紀か・・・・と気が重く、義理のつもりで出かけたのだが、結果的には感動で鳥肌が立つ思いで家路についた。
とりわけ、第二部のピアノ協奏曲の素晴らしかったこと!!
しかし素人目に見ても、ショスタコーヴィチって弾くの大変そう・・・。
専門的な批評はそんなわけでできないが、お父様のこれまでのご苦労を友人より話に聞いているだけに、彼の奏でる音の一つ一つが私には重みが感じられた。
公人であろうから書いてもいいと思うのだが、彼は、ソ連時代、1975年にロン・ティボーの前身、ジャック・ティボーコンクールで1位を取るという輝かしい成績をおさめた。
が、しかし、その際同じソ連からチェロで来ていた音楽家がコンクール後に亡命したことで、一緒にいたのになぜ見逃したのか、とKGBに責められ、亡命したチェリストのかわりに、帰国後兵役に送られ、一年間ヴァイリンどころか、軍のトイレ掃除などをさせられたそうである。
その後、家族のことを考え、正式なやり方での亡命申請(国を徒歩で出たイランのS氏のようなのではなく、この時代ソ連では”二度と戻ってこない”という条件のもと、こういった”正式な”亡命申請というやり方があったそうである)を申請すること7年。やっとフランスの地を家族とともに踏むことができたとか。
お父様の言う「仕事(音楽)は私の人生だ」という言葉、本当にこういう人生を経た人からの音楽への想いとは壮絶なものがあるんだろうなぁと彼の音楽を聴きながらずっと考えていた。
翻って現在、サルコジによる移民法が可決されるのかどうか注目されている。昨日もかなり大規模なデモがあったそうだ。
RMI申請、家族手当などをもらうばかりの”お金のかかる移民”にフランスが手を焼いていることも事実だが、政治亡命者を受け入れてきた懐の深いフランス、という面を誇りに思っているフランス人も少なくない。それによってフランスが国際的にある一定の地位を保ってきたことも確かだ。この二つの間をうまくコントロールしていくのは、どんな政治家にもかなりの難題だとは思う・・・。
