2008/5/11 22:55
Matz Ek(La maison de Bernarda/une sorte de ...) Ballet(観るほう)♪
Anne Deniau 写真展より。
↑ガルニエでは再びAnne Deniau によるオペラ座のエトワールたちの写真展が開催されています。(前回について少し書いたのがコチラにあります)
ドロテ・ジルベール、可愛すぎます。
予告を無視して観たばかりのマッツ・エク@ガルニエを。
演劇的舞踊、とその振り付けについてカテゴライズされることの多いマッツ・エク。
今更語るまでもなく独特で秀逸な彼流の読み方でもはや古典ともなった「ジゼル」、
ジークフリード王子のマザコン性にひたすら焦点を当てた「白鳥の湖」、と
古典の独自の読み直しで知られる彼の作品であるが、演劇的なもののみならず、ひたすら
そのランガージュ楽しむかのような作品も多い。
とはいえその作品には常に深い人間への洞察力が潜んでいるところが魅力である。
オペラ座でも彼の作品は定期的に上演されているが、フランス人はよほど彼の作品が好きと見えて、過去、クルベリバレエのパリ公演、リヨンバレエが彼の作品を上演したパリ公演などはいつ行っても満席だった。ただ、今回のは少し、言うなれば”通向け”だった模様で、客席に空きがちらほらとあったのが残念であった。
今回は二作品。ガルシア・ロルカ原作の「La maison de Bernarda (ベルナルダの家)」(1978)、「Une sorte de....(一種の・・・)」(1997)という創作年が20年近くも離れた二作品である。
「ベルナルダの家(原題:ベルナルダ・アルバの家)」の話は、1930年代のアンダルシアが舞台。未亡人となったベルナルダは8年もの間娘たちに喪に服すことを強制し、外出することすら禁じた。娘たちはこの専制君主のような母のもと生活していくのだが、あるとき街一番の美男子が長女と結婚することになる。この男性は長女に会いにくることを許されるが、実は自由奔放な末娘と密通している。このことを末娘は女中と姉に白状させられ、結果、男性はベルナルダによって殺される。そして末娘は自殺する。
作品の中では男性ダンサーが演じるベルナルダが、家庭内で宗教心により恐怖政治を行う様子が描かれる。食卓でお祈りを捧げるシーンではダンサーたちが狂ったように叫ぶところなどは、ベルナルダの狂信性を踊りだけでなく声を伴うことに助けを借りて効果的に表している。(ちなみに「アパルトマン」などでもそうだが彼の作品ではダンサーが声を発することが多い。)
オペラ座にはLigne8(その名はオペラガルニエとバスティーユを結ぶメトロの番線に由来している)という無料誌があるのだが、上演にあたりマッツ・エクのインタビューが載っている。作品に関する解説は彼のものを拝借することにする。
マッツ・エクによれば、ベルナルダは単に母親であるだけではなく、祭司であり同時に専制君主である。ロルカはこの作品を通し、社会における様々な問題、人々の胸の奥に潜む問題を描き出すことに成功したという。例えば個人と個人、個人と宗教、個人とセクシュアリティー、といった関係性である。マッツ・エクはこの作品でこういった人間間の様々な要素を抱えた上での複雑な関係性について描きたかったという。
ベルナルダは男性ダンサーにより踊られる。私が観た回はマニュエル・ルグリ。
引退を控え、神と呼ばれるほどの彼も古典作品では寄る年端には勝てず、といったところだが、こういった作品で見せる、確実な振付への理解力をベースとした彼の表現力は素晴らしい。ベルナルダの威圧感、狂信性、など、文句のつけようのない素晴らしい解釈だった。出演作品を選びまだまだ踊ってほしいと切に思う。
女中役にはジロー。この作品の中で女中は、家庭内ではその身分から、ベルナルダの支配下に置かれているように見えるが、娘たちと違いある種の独立性を持っている。よってこの家庭の狂った様子を「外」から見ているという役割を負っている。
今更私などにジローのこういった作品での存在感を語るべきものなどなかろう。「ジゼル」「アパルトマン」とマッツ・エク作品にはいつも登場しているが、その強い足から生み出される表現力は他のダンサーの追随を許さない。クラシック作品ではともかく、こういった作品ではダンサーは一に足、二にも三にも足、である。エク特有の気持ちの良いほど伸びた両腕に足をアラスゴンドで沿わせる振り、また、大きな二番プリエ、多用されるグランジュテ、など、彼女の足の強さとその容姿で次々と実現されるエクの世界は話の流れとはまた別に見ていて非常に気持ちがよいものである。
娘たちを踊るのはオペラ座の誇るそうそうたるコンテンポラリーダンサーたちである。
プジョル、オスタ、と二人のエトワールに、コンテンポラリーでは階級以上の抜擢を受けているシャルロット・ランソンが末娘役を踊り、さらに前回のコンクールで昇進したオーレリア・ベレ、そしてアメリー・ラムールー。
どのダンサーも素晴らしいの一言で、それぞれについて書き始めたらキリがなさそうである。
さて、二作品目。エクによれば、Une sorte de voyage, une sorte de reve, (なんというか一種の旅であったり、夢であったり)、要は誰かの頭の中の”旅”だということである。徒然なるままに考えをめぐらし、そしてそれを音楽と楽しみ、といったところか。こういった作品こそ振付家の振付そのものを楽しめるところが私は好きだ。
長くなったので続きは次のエントリーで。
彼の振付論がインタビューで語られていて、これがこの作品については評するよりもよほど面白そうなので、翻訳をつけてみようと思う。
