2006/5/14  23:40

Alexendre Brussilovsky Concert  音楽
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↑前回の記事にも書いたのですが、パリは今緑に溢れ花が咲き乱れる美しい季節なのですが、お天気になかなか恵まれず、お出かけした日に限って綺麗な色で写真が撮れません。というわけで白黒にしてしまいました。

昨日、シャンゼリゼ・劇場にてヴァイオリンのAlexendre BrussilovskyをディレクションとするEnsemble Recercata de Parisなるグループが"ショスタコーヴィチへのオマージュ”なるテーマで行った演奏会へ行ってきた。

普段、ダンス公演だけは見逃したくないので、学業を行いながらだと時間の点でもお金の点でも、なかなか音楽のコンサートまで行く機会はない。
それがなぜまた、ショパンやチャイコといったもっとイージーリスニングなものならともかく、ショスタコーヴィチの音楽など聴きに行くことになったかというと、このブルシロフスキー氏は非常に仲良くしている友人のお父上にあたる方なので、なんて言い方と思われるかもしれないが、彼女に呼んでいただき、要はお断りすることができなかったのである。

クラシックは聴くのは好きだし、ピアノは4歳から20年以上やったが、音大に行ったわけでもなし、そう、いわゆるイージーなものなら聴くだけのドのつく素人である。
そんなわけで正直、もっと聴きやすいものならともかく、20世紀か・・・・と気が重く、義理のつもりで出かけたのだが、結果的には感動で鳥肌が立つ思いで家路についた。
とりわけ、第二部のピアノ協奏曲の素晴らしかったこと!!
しかし素人目に見ても、ショスタコーヴィチって弾くの大変そう・・・。

専門的な批評はそんなわけでできないが、お父様のこれまでのご苦労を友人より話に聞いているだけに、彼の奏でる音の一つ一つが私には重みが感じられた。

公人であろうから書いてもいいと思うのだが、彼は、ソ連時代、1975年にロン・ティボーの前身、ジャック・ティボーコンクールで1位を取るという輝かしい成績をおさめた。
が、しかし、その際同じソ連からチェロで来ていた音楽家がコンクール後に亡命したことで、一緒にいたのになぜ見逃したのか、とKGBに責められ、亡命したチェリストのかわりに、帰国後兵役に送られ、一年間ヴァイリンどころか、軍のトイレ掃除などをさせられたそうである。
その後、家族のことを考え、正式なやり方での亡命申請(国を徒歩で出たイランのS氏のようなのではなく、この時代ソ連では”二度と戻ってこない”という条件のもと、こういった”正式な”亡命申請というやり方があったそうである)を申請すること7年。やっとフランスの地を家族とともに踏むことができたとか。

お父様の言う「仕事(音楽)は私の人生だ」という言葉、本当にこういう人生を経た人からの音楽への想いとは壮絶なものがあるんだろうなぁと彼の音楽を聴きながらずっと考えていた。

翻って現在、サルコジによる移民法が可決されるのかどうか注目されている。昨日もかなり大規模なデモがあったそうだ。
RMI申請、家族手当などをもらうばかりの”お金のかかる移民”にフランスが手を焼いていることも事実だが、政治亡命者を受け入れてきた懐の深いフランス、という面を誇りに思っているフランス人も少なくない。それによってフランスが国際的にある一定の地位を保ってきたことも確かだ。この二つの間をうまくコントロールしていくのは、どんな政治家にもかなりの難題だとは思う・・・。




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