50代
429 尻尾の取れない人間になりぞこないの猿の悩み。
投稿者:- 投稿日時 2008/8/16 10:50:48
更新日時 2008/8/16 10:50:48
 戦没者追悼式で河野衆院議長発言
「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一つにして追悼できる施設の設置について真剣に検討を」と述べた。

 現在の靖国神社は、戦没者とともに戦争犯罪者が祀られたことが、戦争の被害の傷を持つアジア諸国で特に受け入れられない。
また、世界各国からは、人間を神として祀った、聖書で禁じられている偶像礼拝施設として拒否反応が示されている。
それ故、近隣アジア諸国のみならず、世界各国からの要人も、特別な例外を除いて追悼に来ることはない。立ち寄らないのである。

 日本は神道の国として古くから自然や動物、人間を神として祀る慣習があった。西洋をはじめとする世界各国はどうであったろうか。
ローマが4世紀以前は太陽を神として礼拝し、皇帝は太陽神でもあった。
周知のように、クリスマス12月25日はその太陽神の祭り日である。キリスト教がすんなりと根づくためにそうしたと言われている。
そればかりでなく、イジプトなど中東諸国、いやイスラエルを除くすべての国がアニミズムと言って自然崇拝の国々であった。
それから1千数百年の戦いを経て、自然や人間は創造神の造った被造物と理解するようになった。
それは、聖書を通して語る創造神のみことばが、被造物を礼拝することを禁じていたことが世界の民に浸透していったのであろう。
人は神の子で、神に向けられて造られており、神のことば「愛」によって養育され、人間として成長し動物的な性格から切り離されていくという教えである。実際に各国は教会をいたるところに造り、人間教育をしたのである。

日本は極東にあったこと、キリスト教を徳川から明治初期まで禁じていたこと、また帝国主義時代に国家神道によって国民全体を束ねたこともあって、人間を神に祀る慣習から抜け出しきれずにいるのが現状である。
われわれ日本人にとっては心の抵抗もあろうが、国の顔でもある戦没者追悼施設は、特定の宗教によらない世界に開かれた施設とすべきではないだろうか。

 
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