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投稿日時 2005/11/27 11:46:26
更新日時 2008/8/29 13:24:20
活字中毒患者にとって、読書は人生の慈雨。いろんな本を紹介できたらと思います。もちろん漫画も良し。
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372 「バカの壁」 養老孟司
投稿者:- 投稿日時 2008/8/29 13:24:20
更新日時 2008/8/29 13:24:20
馬鹿にするのは簡単だけど、実際問題としてバカの壁があることは安心だと思う。

大変に興味深いことに、人間という生き物は自分の立場が安定していることを求めて止まない。家庭における立場であり、職場における立場でもある。また、世の中への視線も安定していることに、安心を覚える。

「右だ、左だ」であったり「保守だ、革新だ」と区分けして自分の立ち位置を誇示することで安心を覚える。「いけてる、いけてない」とか「明るい、暗い」とか、単純に馬鹿でも分るように区分けするのが大好きだ。

老人は頑固だと決めつけ、若者はチャレンジすべきだと思い込む。世の中、そうあるべきだと固定観念に束縛され、真実から眼を背けてまでして安心を求めて止まない。馬鹿の壁は安心を保証してくれる。

馬鹿は戦争は悪いもので、民主主義は良いものだと決め付ける。本当にそうなのか深く思索することを避け、安易に決め付けることで仮初めの安心に安住する。疑問を呈すると、安定した私の幸せにケチをつけないでと頭ごなしに拒絶する。馬鹿と言われようと、凝り固まったイメージにすがり付き、真実から眼を背け続ける。

知らないほうが幸せなんだからイイでしょ!と開き直られたら、何も言い返せない。

私は真実の伝道師ではないし、義務や義理があるわけでもない。だから無理強いはしない。バカの壁に囲まれて安心しきっている幸せも分らないではない。

でも、私自身はバカの壁を乗り越えたいと思う。かつて、落ちこぼれの劣等生であった時から、真面目な優等生に変貌して気がついた、固定概念のバカらしさ。

マルクス主義の洗礼を浴びて平等思想に憧れを抱きながら、その理想がぐずぐずと崩壊していくのを横目に眺めつつ、足早に立ち去った。少し落ち着いて顧みて、そこで気がついた固定概念に囚われる愚かさ。

好きな女の子にちょっかい出せても、本当の気持ちを伝えられなかった臆病さ。自意識過剰で、相手の気持ちを慮れなかった軽率さ。そのことを率直に認めて、自身を守るバカの壁を乗り越えていたならば、きっと違う展開もあったと思う。

バカの壁は、現実逃避の壁でもあり、自らの愚かな虚栄心を守る壁でもある。でも、傷ついた自尊心を優しく包む壁でもあるから、一概には否定しない。それでも越えてみる価値はあると思う。
 
371 「美味しんぼ」 花咲アキラ
投稿者:- 投稿日時 2008/8/28 12:34:12
更新日時 2008/8/28 12:34:12
先月、ようやく親子の和解の場面に至ったのが、表題の漫画だ。グルメ漫画の中興の祖と評しても良いと思うが、反面素人グルメを増殖させた漫画でもある。味覚よりも、知識偏重なグルメを増やした漫画だとも思う。

極論かも知れないが、料理の味なんて気分次第かもしれない。大事な接待の席での料理なんて、味なんてさっぱり記憶に残らない。一方、心安らぐ友人と楽しい会話と共に食べる食事は、大概なんでも美味しい。

味覚が大雑把な私は、快適な雰囲気を提供してくれる店なら、まずまず問題なく楽しく食べられる。少なくとも味だけで判断することはしない。ましてや、素人判断での頭でっかち的グルメに堕することは避けたいと思っている。

美食ガイドブックや、グルメ漫画を当てにして料理を楽しむことは、あまりお勧めしません。私も時々、グルメ情報を当てにして、食事を楽しむことがありますが、滅多に満足することはありません。グルメ漫画は、フィクションとして楽しむに留めたほうがいいと思う。

やはり、自分の舌と感性を信じて判断すべき。それと、楽しく食べる雰囲気を、自ら作り上げること。素人が、出てくる料理にいちいち難癖つけて、自分のグルメ知識を披露しまくる席では、食事は楽しめないと思います。
 
370 「宇宙皇子」 藤川圭介
投稿者:- 投稿日時 2008/8/27 12:21:53
更新日時 2008/8/27 12:21:53
読んでいない本の批判は、フェアじゃないと思うのでしないことにしている

ただ、40巻を超えるシリーズともなると、完読するのも容易ではない。いつのまにやら、読むのを止めてしまったので、感想を書くのを、いささか躊躇う。半分以上は読んでいるとはいえ、やはり最終巻を読んでないので、公正な評価など出来るはずもない。だから、愚痴だと思って、読み流していただきたいのです。

表題の本は、20代の病気療養の時分に読んでいました。20数巻め煉獄編の途中で、読むのを止めてしまったのです。既に完結しており、読み直すかどうか、いささか迷ったが結局読み返す気になれなかった。

平安時代を舞台にした伝奇ファンタジーなのだが、思い出すと妙に気恥ずかしい気持ちにさせられる。読み返す気になれない最大の理由は、主人公のあまりの理想主義者ぶりに付いていけないからだ。

弱い者が権力者の犠牲になる現実社会に絶望し、自ら力をつけて理想の王国を築かんと突き進む主人公だが、その前途は厳しい。仲間を集い、超常的な能力を身につけ、様々な難問苦難に立ち向かう姿は、十代の若者なら共感できるかもしれない。

実際、病気で病み衰えた20代当時の私には、当初は心地よく感じた作品でもあった。しかし、身体が回復してきて、社会復帰に向けて現実的な動きを始めてみると、この主人公の理想主義者ぶりが鼻に付くようになった。その悩みに共感できなくなっていた。それゆえ、完結したのを知りつつ、再び読み始める気になれなかった。

理想という夢をみることは、若者の特権だし必要なことでもあると思う。しかし、大人になっていく過程で、その理想を現実の流れに晒して、磨いて、削り落としていかねば、儚き夢のままで終わってしまう。

少年の夢をそのままに具体化させることは、難しいというより、むしろ幼稚でさえある。夢の根幹をしっかり見据えた上で、現実に可能な計画へと昇華してこそ、夢は実現する。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
369 「世界の駄っ作機」 岡田ださく
投稿者:- 投稿日時 2008/8/26 12:29:12
更新日時 2008/8/26 12:29:12
失敗作って、見ている分には面白い。

飛行機が空を飛ぶようになって、はや100年がたった。世界中の誰もが空を飛ぶことを願い、その夢を実現するためには、どうしたって人力以上のエネルギーが必要だった。

ガソリンを燃焼させることにより、爆発的なエネルギーを得るエンジンを開発したことで、その長年の夢が叶った。後はそのエンジンを載せる機体のデザインだ。これが面白い、いや面白すぎて笑っちゃう。

とりわけ、複葉機から単葉機になって以降、機体に軽量な金属を活用しだした時代が一番面白い。見た目が流麗で、いかにも華麗に空を飛びそうなのに、地上から飛び立つことも出来なかった飛行機もある。

革新的アイディア満載で、見ているだけでワクワクするのに、実際には満足に飛べなかった飛行機もある。原因はいろいろあるが、空体力学も未発達で、風洞実験技術でさえ未熟だった当時の飛行機業界は、設計者の夢が舞い、投資家の資金が飛散する、なんとも面白おかしい世界だった。

8年ほどまえにヨーロッパを旅行した時、わざわざ航空機が展示してある軍事博物館などを見て回った。表題の本で取り上げていた、奇妙奇天烈な飛行機の実物が保管してあり、実に楽しい見学だった。

アイディアは分るが、本当にこんなの飛ぶのか?と思っていたベルギーの戦闘機など、見ていて乗りたくなるくらい可愛いものだった。時間の都合でイタリアに行けなかったのが残念だ。デザイン倒れの飛行機、ワサワサあるんだよね。

可笑しいのがイギリス。表題の本でも沢山、駄作っ機が取り上げられている。真面目に考えた上での、おかしな飛行機の数々。笑ってもいいのだけれど、この自由な発想に少々羨望を覚える。

実はすべての駄作機が無駄に終わったわけではない。現在、アメリカがほぼ独占的に活用しているスティルス航空機のうち、膨大な爆弾を搭載して長距離飛行が出来るB2は、駄作機から進化したものだ。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
368 「カラス、なぜ襲う」 松田道生
投稿者:- 投稿日時 2008/8/25 12:21:12
更新日時 2008/8/25 12:21:12
ゴミの集積所を荒らすカラスに悩んだことのある人は多いと思う。

私が子供の時には、カラスがゴミを漁るようなことは見たことがない。おそらくは日本の高度成長期以降の現象だと思う。昔から童謡で歌われるほどの、身近な鳥である。しかし、それゆえにその生態がなかなか分りにくかった。

実際に学術的な研究は驚くほど少ない。現在でも、その生息数ですら漠然とした推計値でしかない。近年、バードウォッチャーらの協力を得て、ようやくある程度その生態が分ってきた。

表題の本を読んで実感できたのだが、やはりカラスの食性というか、嗜好が変っていたのだな。

明治時代の鳥類学者の研究では、カラスの食べるものの9割が穀物などの植物性で、虫や小動物などは1割程度であった。ところが、近年のカラスとりわけ都会を中心に生息するハシブトカラスは、その3割から4割を肉食で占めている。

お察しの方もあろうと思うが、その肉の大半が人間の出すゴミから獲ている。雑食性のカラスだが、実は肉が大好きなのだ。肉の味を覚えたカラスは、必然的に攻撃的にさえなる。虫を別にすれば、かつてのカラスは死肉を食べるくらいだった。しかし、現在の都会のカラスは、他の鳥の雛なども襲うという。肉の魅力恐るべしだと思う。

欧米では日本人を「魚食い」と揶揄することがあったとおり、穀物と魚が主食であった。しかし近代化以降、とりわけ第二次世界大戦以降は肉を日常的に食べることが増えたのはご承知のとおり。

私が幼少の時分は、肉は贅沢な食材だった。安い鶏肉や豚肉でさえ、食卓に出ると嬉しく思ったものだ。まして、牛肉になれば眼の色が変った。魚だって美味しいと思うが、それでも肉がないのは寂しい。

雑食という点では、哺乳類屈指の多様さを誇る人間だが、その人間でさえ肉食の魅力からは逃れられない。頭の良さで知られるカラスが肉食に強い嗜好をみせるのも無理ないと思う。

カラスが肉食を好むようになったのは、人間の食生活に迎合しただけだ。つまり、人間が悪い。

あたしゃ、肉食を止めろとは言わない。でも、せめて残すのは止めにしたい。残飯を出さない食生活をすることこそ、カラスを本来の食生活に戻す方法だと思う。
 
367 「嵐の惑星ガース」 E・C・タブ
投稿者:- 投稿日時 2008/8/21 17:37:24
更新日時 2008/8/21 17:37:24
連載が長すぎるのも、どうかと思う。

私が十代の頃に刊行されたのだが、通称デュマレスト・サーガだ。その第一作目が表題の作品だ。当初は面白くて夢中になった。舞台設定が見事だった。遠い未来、人類は宇宙へ飛び出し、遠く銀河の中心まで広がり繁栄を極めた。時が過ぎるうちに、銀河の辺境の地球は人類発祥の地にもかかわらず、忘れ去られた。

それでも細々と地球に暮らす人はいた。久しぶりに地球を訪れた宇宙貨物船に密航した少年は、なぜか船長に可愛がれ、銀河中心域に暮らすようなった。しかし、長じるにつれ郷里を想う気持ちが強まり、帰郷を決意する。しかし、地球はエデンの園と同様な伝説の地と化し、誰もその座標を知らない。

故郷を探し求める主人公は、偶然に精神操作に関る極秘機密事項を知ってしまい、そのため秘密組織サイクランに追われる羽目に陥る。超能力を持つでもない普通の男性である主人公は、生き残る技術の達人だった。素早い動きと狡猾な頭脳、策謀に追い込まれながらも、ギリギリのところで生き延び、逃げ出し、それでも地球を捜し求めることをやめない。

面白かったことは間違いない。ところが連載が長すぎた。16巻を読んだあたりで、私は読み続けることを止めてしまった。話は面白かったが、いつまでも地球の影が見えない展開に飽きてしまったからだ。

以来、20数年が過ぎた。偶然、古本屋で最終巻「最後の惑星ラニアン」を見つけた。ちなみに31巻になる。途中が十数巻抜けてしまったが、迷わず手に取った。このシリーズの良いところは、途中からでも楽しめることだと覚えていたからだ。なによりも、最後の顛末だけは知りたかった。

ところがだ、この31巻のエンディングは期待したものではなかった。変に思い、ネットで検索して調べてみたら、本邦未翻訳の最終巻があった。「The Return」とある。こら、東京創元社!シリーズを廃刊にしたのはともかく、せめてこの本の最終巻を刊行せい!義務だと思うぞ。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
366 「ラスト・ショー」 クライブ・バーカー
投稿者:- 投稿日時 2008/8/19 14:25:06
更新日時 2008/8/19 14:25:06
夏のお楽しみの定番といえば、やはり怪談だ。

でも、私はなんとなく疑問に思っていた。なんで怪談なんだと。そりゃ、怖い話を聞いて肝を冷やすのは分るが、だからと言って気温が低下するわけじゃない。つまり涼しくなるわきゃない。せいぜい、萎縮する程度だ。で、なんで夏に怪談なんだ?

それがなんとなく分ったのが、高校二年の夏だった。夏山登山の楽しみの一つである沢登りを、奥多摩の御前山界隈で楽しんだ帰り路だった。稜線を下り、崖の下に辿り着いたあたりで異臭がした。黄色いテープで仕切られたあたりには、警察関係の人が5人ほどなにやら作業をしていた。

どうやら朝の新聞で出ていた墜落事故の現場らしい。前日に山菜取りに来ていた男性が、崖から墜落したとのニュースがあった。その後処理をしているようだ。まっすぐ落ちたのではなく、鋭い岩だらけの斜面を飛び跳ねながらの墜落らしく、肉片が飛び散ったらしい。警察の人が近寄ってきて、近づかないよう警告された。もちろん、近づく気はない。

少し遠回りするつもりで、直下する山道を迂回して草むらに入ったところ、先頭の奴が悲鳴を上げた。どうやら警察の方が捜していた遺体の断片が、ここまで飛散していたらしい。

すぐにバックを命じ、一年生に警察の人を呼ぶよう伝えた。一応、確認のために見に行くと、凄い異臭とともに上腕と思われる肉片が木にひっかかっていた。虚空を掴むかのような形で指を開いているさまが見て取れた。人の手だとはっきり分ったが、肌の下で蠢くものに気がついて、吐き気を催した。多分、蛆が湧いたのだと思う。

むかつく気持ちを押さえ、急いで元へ戻り、警察の人と交代した。まだ昨日の事故だというのに、夏の暑さが腐敗を早めたのだろう。その場を足早に離れ、電車にのって帰京の途についたが、脳裏から腐敗した腕と腐臭の記憶が離れないのに閉口した。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
365 「ロードス島戦記」 水野良
投稿者:- 投稿日時 2008/8/14 12:55:50
更新日時 2008/8/14 12:55:50
私が買う本の大半は、いわゆる文庫本だ。置く場所の問題もあり、ハードカバーの新書はほとんど図書館で借りて済ませている。おかげで、文庫本には少々うるさい。

毎月、大量に発刊される文庫本のうち、いまや20%あまりがライト・ノベルで占められるという。私が十代の頃は、ライト・ノベルという呼称はなかったが、おそらくその始まりは朝日ソノラマ文庫だと思う。高千穂遥や夢枕獏、菊池秀行あたりが中心だった。基本的に少年、少女向けの小説であり、学研の青少年向け小説への対抗馬的扱いだった。

学研のそれが学習雑誌の一部であったのに対し、朝日ソノラマ文庫は徹底的に娯楽に絞った。だからこそ、SFや伝奇、ホラーなどが中心となった。そこそこ売れてはいたが、大ヒットには遠かったと思う。

続いて追随してきたのが富士見ファンタジア文庫と、角川スニーカー文庫だった。80年代中盤だったと記憶している。その背景にあったのが、ファミコンに代表されるTVゲームの普及だった。とりわけドラゴン・クエストに代表されるロール・プレイングゲーム(RPG)が小説の世界に与えた影響は大きい。

当初はファミコンをやらなかった私は、この手のファンタジー小説の刊行に売れるのか?と危惧を抱いていた。少し前に早川書房がファンタジー文庫を刊行して惨敗していたからだ。欧米では大人の娯楽として認められた「剣と魔法の物語」は、日本では相手にされず、不遇の分野だった。子供向けのジャンルとして、見下げられていたと思う。

実際、SF好きの私でさえ当初は無視していた。しかし、実際にファミコンをやってみて、RPGゲームの面白さを知ると、その楽しみを本で味わいたい気持ちが湧いて出てきた。その期待に応えてくれたのが、角川スニーカー文庫で発刊された表題の作品だ。

似たタイトルで塩野七生が書かれた本とは、まったくの別物のファンタジー小説だが、けっこう面白かった。人間だけでなく、エルフやドワーフなどの亜人を組み入れた世界での冒険譚は、奇想天外で大人が読んでも楽しめる内容であった。

以来、ライト・ノベルには時々手を出している。子供たちが本を読まなくなったと、しばしば嘆く記事を目にするが、私に言わせれば大人だって本を読まなくなった。だからこそ、全体的に本の売れ行きは落ちている。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
364 「もーれつア太郎」 赤塚不二夫
投稿者:- 投稿日時 2008/8/12 12:20:54
更新日時 2008/8/12 12:20:54
故人を批難していると思われるのは心外なので、いささか書きづらいが、赤塚不二夫の評価は難しい。

「おそ松くん」「秘密のあっこちゃん」「もーれつア太郎」と大ヒット作を持つギャク漫画の大家であることは確かだ。ただ、壊れたギャク漫画家の代表であったことも事実だと思う。

私が漫画を読み出した頃は、既に漫画家としては末期を迎えつつあった。白状すると、すでに面白いとは思えなかった。やはり、人を笑わせることを目的としたギャク漫画を描き続けることは、心を磨耗させるのだろう。

レレレのオジサンやニャロメなどに代表される、可笑しく面白いキャラクターを数多く産出した漫画家だったが、昭和50年代後半には、もう自力で面白いキャラを創ることが出来なくなっていた。「うなぎ犬」というキャラも、読者からのアンケートを元に作り出したキャラだった。これが最後のキャラクターだったと私は考えている。

一番酷かったのは、平凡パンチに連載していた漫画(タイトルを忘れました)だった。松尾芭蕉という先輩を捜し求める大学の後輩のドタバタを描いた作品だったが、その肝心の芭蕉先輩の姿を読者へアイディア募集する有様だった。一部の評論家たちが、実験的作品だと好意的に評価していたが、私にはアイディアが枯渇した漫画家の我侭にしか見えなかった。実際、連載途中で赤塚自身が、「読者の応募が少ない!」と逆ギレしている始末だった。

当然に尻切れトンボで終わった漫画だった。私がもう赤塚不二夫は終わったなと断じた作品でもあった。

後年、既に当時からアルコール中毒に苦しみ、とても創作活動ができる状態でないことを知ったが、赤塚本人はあくまで自分がギャグ漫画家であろうともがき続けた。いつしか、その存在自体がギャクになってしまった。

率直に言って、見るのが痛々しく、もはや笑ってはいけない存在であったと思う。先だってお亡くなりになったが、予想通り報道は賛辞の嵐。故人に対する礼儀として分らなくも無いから、それ自体は批難する気はない。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
363 「封印再度」 森博嗣
投稿者:- 投稿日時 2008/8/11 14:46:48
更新日時 2008/8/11 14:46:48
ミステリーの面白さの一つに謎解きがあると思う。

読者に解かれることなく、探偵の謎明かしまで引っ張らすのが作家の腕の見せ所だ。森博嗣を読む時は、この謎明かしに真剣に挑みたくなる。部分的になら、何度か読んでいる途中で明かしたことがあるだけに、私もけっこう意地になって読んでいる。

もっとも私の推理力では、部分的が精一杯なようで、未だ探偵役の犀川助教授には遠く及ばない。だからこそ読む価値があるのだと思うが、いつか謎解きを先んじてみたいと密かに狙っている。

なれば、ミステリーを読むのは夏がイイ。暖房の効いた冬では駄目だ。冷房の効いた部屋で熱いコーヒーを飲みながら、じっくり挑みたい。もっとも現実は、冷房の効き過ぎた通勤電車の車内での読書だから、いささか侘びしい。

最近は滅多にやらないが、お風呂での読書も実はけっこう好きだ。少し温いお風呂に浸かって、のんびり本を読むのは楽しい。昔、湯船でうたた寝をしてしまい、本をびしょ濡れにして以来控えているが、たまにやりたくなる。

本に湿気は禁物だから、大概捨て値で入手した古本か、さもなきゃ四コマ漫画専門の雑誌に限定している。30分程度なら、そう本も傷まないが、さすがに一時間を超えると紙がふやけてくるので要注意だ。

暑い夏に、頭をクールに冷やして挑むミステリーも楽しいものです。
 
362 「瞽女の啼く家」 岩井志麻子
投稿者:- 投稿日時 2008/8/8 14:43:10
更新日時 2008/8/8 14:43:10
私が20代の時に長期入院していた病院には、「天皇様」と呼ばれる患者がいた。

目も見えなくなり、足も切断され、更に週3度の人工透析が必要な老女だった。元気な頃は知らないが、身体が不自由となってからは、おそろしく我がままな人となった。目が見えないにもかかわらず、おそろしく勘が良く、周囲の状況を的確に把握することに長けていた。

介護をするヘルパーさんのみならず、若手の看護婦さんたちからも怖れられていた。喚きたて、暴れだすと手がつけられず、透析室はもちろん、病棟でも問題児扱いされていた。私も透析室で、10メートル以上離れているのにもかかわらず、「天皇様」が投げた食器が、私のベッドに飛んできた経験がある。この人の喚き声が嫌で、わざわざウォークマンを自宅から持ってきてもらったぐらいだ。

ぐれた老人くらい性質の悪いものはないと、病棟でも噂された。若手はもちろん、ベテランの医師の話も聞かず、ひたすらわがままを吠え立てる困った人だった。唯一、主治医であるN教授と総婦長の言うことだけは聞くので、余計に厄介だった。

難病の治療で名医として知られたN教授は、「天皇様」の愚痴にもニコニコと応え、優しく声をかける。入院中の暴力団の幹部でさえ、その迫力に一目置く総婦長は、やはりこの「天皇様」には優しい。噂では総婦長が新人看護婦の頃からの付き合いらしい。この二人のうち、どちらかが近くに居る時は「天皇様」も大人しい。でも、二人とも極めて多忙なんだよね。

私は病棟が違ったので、透析室以外では遭遇することがなかった。ただ、長く入院しているうちに、「天皇様」が病院関係者から怖れられる、もう一つの理由があることを知った。

失明してかららしいのだが、どうもこの方、霊が見えるらしい。見えるどころか、霊の言うことも聞こえるとの噂だった。医師や看護婦のみならず、同じ病室の患者からも嫌われながら、病院に居続けられるのは、どうもこの事が理由らしい。

私は退院後、その病院の看護婦さんと付き合っていたのだが、彼女の話では「天皇様」は、医療ミスなどの患者が知るはずがない話を何故か知っていて、それゆえに強制退院を免れていたらしい。看護婦さんたちの噂では、「天皇様」は死んだ患者の霊から事情を聞き出しているのだろうとのことだった。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
361 週刊ヤング・サンデー誌の休刊
投稿者:- 投稿日時 2008/8/6 4:39:14
更新日時 2008/8/6 4:39:14
ヤング・サンデー誌が売上を低迷させた原因に、前編集長の強引な編集方針の変更がある。なにせ、人気があった漫画を打ちきらせてしまったのだ。これに実力ある人気漫画家たちが反発した。当然に読者も離れた。

編集長を交代させ、元の路線に戻そうとしたが、読者は十分には戻ってこなかった。失った信用を取り戻すのが、いかに難しいかを実感させられたものだ。

幸いにして、大半の人気連載漫画は同じ小学館系列のビックコミックなどへ転載されるようだ。いずれ、ここでも取り上げるつもりだった「Drコトー診療所」や「とめはね!」が再び読めることは、実に嬉しい。

しかし、実験的試みともいえるインタビュー漫画である「絶望に効くクスリ」(山田玲司・著)は転載させずに休刊となってしまった。好きな漫画だっただけに非常に残念だ。作者も忸怩たる思いがあるようで、いずれ再開したいと述べた言葉を信じたい。

雑誌の世界は競争が激しい。毎年、多くの雑誌が創刊され、同じように廃刊の憂き目に遭う。それが市場社会の現実なのだが、良質な商品には生き延びて欲しいものだ。
 
360 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 ジェームズ・ケイン
投稿者:- 投稿日時 2008/8/4 14:02:19
更新日時 2008/8/4 14:02:19
世の中、理屈通りには動かない。

私は論理的に考えるのが好きだし、法律や規則、ルールに従って秩序正しく物事が動いて欲しいと願っている。自分自身もそうありたいと思う。

そんな私にとって、最大の悩みが女性からみの誘惑だ。私はわりとストライクゾーンが狭いというか、偏食とでもいうか、いずれにせよかなりの頑固者なので、妙な誘惑に惑わされることは少ない。税金というか、金銭がからむ話も多いので、この手の怪しい誘惑には十二分に気をつけるよう心がけている。

それでも最大の悩みだといわざる得ないのは、その誘惑がたまたまストライクゾーンに入ってくると、理性では抑えきれないほどの欲望に取り付かれそうになるからだ。

実際、子供の頃から「駄目!」と言われると、殊更やりたくなるひねくれ者だった。やってみて、駄目と言われた理由を実感してみて初めて後悔する間抜けな子供でもあった。いくらバカでも、あれだけ痛い目に会えば、ちっとは賢くなろうってもんだ。

だから大人になってからは慎重な姿勢を崩さないよう、日頃から心がけていた。金の誘惑なら耐えられる。酒や食べ物だって我慢できると思う・・・(多分)。しかし、女性の誘惑は厳しい。正直、絶対大丈夫と断言できるだけの確信はない。

人並みにスケベではあるが、どちらかといえば禁欲的な性分だと思う。つまりそれだけ抑制している部分が多いということでもある。だからこそ、その抑制をはずしてしまうような誘惑が怖い。

これまで、ギリギリの時点で踏み止まってきた。でもねえ・・・実は少し悔いている。誘惑に負ける自分が嫌で、意地になって拒否してきたが、少し臆病に過ぎるとも感じていた。やってみなければ分らないことって、たしかにあると思う。誘惑ではなく、挑戦の機会もあったのではないか?

やっぱり私は迷っていた。自分の判断が正しかったかどうか、今では分らない。ただ、それでも犯罪に加担することだけは、断固として拒否してきたことは間違いではないと思う。

犯罪への誘いは、甘く悩ましげで、蜃気楼のごとく儚い。冷たい現実的な判断という風が、あっというまにその蜃気楼を吹き飛ばすが、気がつくと形を変えて腰に手をまわして擦り寄ってくる。いつのまにやら、絡み取られて、犯罪への甘く腐った道程を歩みだした人は多いのだろうと想像できる。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
359 「第三の男」 グレアム・グリーン
投稿者:- 投稿日時 2008/8/1 12:34:55
更新日時 2008/8/1 12:34:55
「君は正しい目的こそが、あらゆる手段を正当化するという。だが、私に言わせれば、正しい結果こそが、あらゆる手段を正当化するものだ。」

出典は忘れたし、誰の科白かも忘れたが、忘れ難い科白だった。いくつか、バリエーションがあったと思うが、私の脳裏に一番深く刻まれたのが、冒頭の科白でした。

ただ、非常に危うい考え方だとも認識している。結果を出すためなら、何をやっても良いとする考え方であるがゆえに、危うさも秘めている。

何をやっても良いのだから、結果を出す過程でちょいと一儲けを企んだとしても、要は結果さえ出せばいい。いつのまにやら、そのちょいと一儲けが本業になる連中は枚挙に暇がない。

スパイなどが活躍する諜報の世界では、しばしば行われてきたことでもある。日本だって、旧・満州や香港、上海などで暗躍した諜報員たちが、私財を蓄え戦後、右翼の大物としての活動していたことが知られている。

多額の金、物資が飛び交った冷戦下のヨーロッパも似た様なものだったのだろう。目的を忘れた手段の濫用が蔓延る世界に飲み込まれた友人を巡る、複雑怪奇な事件を描いたのが表題の作品だ。

元々は映画のシナリオとしての依頼なのだが、グリーンが小説は書けるがシナリオは書けないと言い出して、先に小説を書いて、それを元にあの名画が撮影されたとされる。

映画があまりに有名なため、原作は忘れ去られた不遇な作品でもある。グリーンの短編集にひっそりと納められているのが、私としてはいささか寂しい。

でも、映画の出来が非常に良いため、無理に読むものでもないと思う。それを敢えてわざわざ読む私も、相当なひねくれ者だな。
 
358 「動物の言い分、人間の言い分」 日高敏隆
投稿者:- 投稿日時 2008/7/31 12:13:48
更新日時 2008/7/31 12:13:48
犬と仲良くなるには、どうしたらよいか。

映画「リーサル・ウェポン3」でメル・ギブソンが良い見本を見せてくれている。ギブソン演じるヴィッグス刑事が敵方のアジトに侵入したところ、番犬に見つけられた。唸り声を上げる番犬に銃を向ける同僚の女性刑事を制して、寝転んで、クッキーを見せて、一緒に食べて遂には仲良くなってしまう。

おお!俺と同じだと、感嘆したものだ。警戒心を見せる犬と仲良くなるには、まず目線の高さが大事となる。間違っても上から見下ろしては駄目だ。出来るなら犬と同じ、もしくはその更に下まで目線は下げる。これが非常に重要となる。

食べ物を分け与えるメル・ギブソンの方法は実に有効だ。これで仲間意識を共有できる。クッキーがなくても大丈夫。私は犬に腕を咬ませる。下から腕を差し出し「咬んでみ」と声をかける。咬まれれば少し痛いが、ここは我慢して犬を褒める。ほとんどの犬は、ここで力を緩めて、後は一緒に遊んでくれる。

咬むという行為は、犬にとって重要なものだ。私は挨拶の仕方の一つだと考えている。もし、犬が敵対心をもって、本気で咬まれたら、人間の腕など簡単に引き裂かれる。だからまず、下からの目線で敵対心をほぐす。つぎに咬ませて、こちらに敵対心がないことを証明する。疑っている犬も、咬んでも怒らない相手になら気を許す。私はこの手で、大概の犬と仲良くなれる。

ただし、番犬として本格的に訓練を受けた犬には通じない。この見極めが出来ないと大怪我するので要注意だ。また、人間に苛められて、心がねじれてしまった犬も、簡単には心を許してくれない。哀しいことに、都会の犬には時々散見する。まあ、吼え方と攻撃姿勢から読み取れるが、これが分らない人は真似しない方がイイと思う。

犬にとっては、咬んだり、舐めたり、匂いを嗅ぐことは極めて重要なコミュニケーションだ。犬には犬のやり方があることを理解することが大切だと思う。でも、このことを分らない人は極めて多い。

動物を擬人化して楽しむのはいいが、動物は人間ではない。動物のやり方を理解した上で交流しないと、お互いに不幸なことになると思う。表題の本は、その動物のやり方の理解の参考になると思います。機会がありましたら是非どうぞ。
 
357 「ここまで変わった木材・木造建築」 林知行
投稿者:- 投稿日時 2008/7/29 18:14:03
更新日時 2008/7/29 18:14:03
知らなくても良いことって、絶対あると思う。

なんでも女性のハイソックスとミニスカートの間に覗ける足の部分を「絶対領域」と呼ぶらしい。

ば、バカらしい・・・こんなクダラナイ知識のために浪費した脳細胞返せと言いたくなる。いったい、誰が呼ぶんだ?

実際、現代社会は情報に溢れている。TV、ラジオ、新聞、雑誌にインターネットと情報媒体は腐るほどあり、その提供される情報が玉石混合だ。必要な知識、知りたい知識、知っているべき知識は数多あるが、それ以上に無駄な知識も多い。

知らなくとも困らない知識も数多ある。身近なことなのに、知らずに済ませていることもけっこうある。そんな知識を、改めて学ぶと、殊更驚かされるものだ。

日本では古くから住宅建築は、木造が中心だった。しかし、近代化を進めるなかで、次第に木造建築は数を減らしつつあった。なかでも太平洋戦争による空爆で簡単に延焼した木造家屋に対する政府の視線は厳しいものであった。

加えて海外からの安い輸入木材の普及もあって、国内の木造家屋は長く暗黒時代を余儀なくされた。安さだけが木造家屋のメリットとされてしまった。実際、私の周囲で家を新築した連中の大半が、木造よりも軽量鉄骨の家を建てている。

うちの事務所のクライアントには、建築会社関係が多い。やはり軽量鉄骨の家が中心なのだが、最近少しずつ木造家屋を扱うケースが増えてきていた。安いからだと思っていたが、その安さが尋常ではない。坪当たり30万円前後で建てられている。どんな秘訣があるのだろうと不思議に思っていた。

表題の本を読んで初めて知ったのがエンジニアード・ウッド(通称EW)だ。従来の木を切って、形を整えただけの建材とは、似て非なる新たな建材だった。このEWがあって初めて木造建築に構造計算が活かされ、安くとも安全な家が建てられるようになったとは知らなかった。(1000字超のため、続きはダイアリー)
 
356 「桃尻娘」 橋本治
投稿者:- 投稿日時 2008/7/28 12:05:41
更新日時 2008/7/28 12:05:41
夏の空は、いつだって蒼くて眩しいものだった。そしてその眩しさに目がくらみ、間違いをしでかしたこともある。

十代の頃は、山に海に遊びまわっていた。山は縦走登山か沢登り、海は遊び・・・ではなく、民宿の手伝いの合間に遊んでいた。伊豆の片隅にある、小さな浜の一角にある民宿だった。

初めて行ったのは小学生の頃だった。母子家庭だった私は、なぜかその宿の親父さんに可愛がれ、中学生の頃からお盆の時期の、民宿の繁忙期に手伝いに行くようになっていた。

浜の朝は早い。朝食の炊き出しの手伝いに始まり、海の家への荷出し、部屋や風呂の掃除と日中は休む暇もない忙しさ。それでも時折休みを貰って、いそいそと磯遊びに行ったものだ。

そのうち、海の家の泊まり番もやるようになった。地元の青年たちと一緒で、毎年忙しい時期にやってくる私も、便利な助っ人として受け入れられていた。大半が未成年だったが、酒やタバコはもちろん、いろいろな遊びを教えてもらったものだ。

あれは大学一年の夏だ。お盆の繁忙期を終え、そろそろ涼しい風が吹き、クラゲが流れ込む夏の終わりを予感させた日の夜だった。その日の夜は、地元の青年と一緒に泊まり番だった。海の家に行くと、なぜか女性が一緒に居た。嫌な予感・・・

案の定、お前俺の車の中で寝ろと言い渡された。逆らっても仕方ないので、駐車場に停めてあった車のキーを預かり、そこで夜を過ごすことになった。

寝つきのいい私が、車のシートを倒して、一人健やかに眠っていると、深夜いきなり起こされた。件の青年が女性を連れて、車外に立っていた。ドアを開けると、いきなり「急用が出来たから、早退する。後を頼んだぞ」と言いたれた。なんなんだ?

致し方なく、車を降りて、呆然と深夜の駐車場に立ちすくんだ。女性が泣いていたように見えたが、事情はさっぱり分らない。この青年、普段はとっても面倒見の良い、頼りになる兄貴分なんだが、こんな日もあるのだろう。海の家に戻ると、いささか散らかっている。ため息ついて、片づけをして、改めて再度寝入る。

ところが、一時間もしないうちに誰かが入り口を叩く。青年が戻ってきたのかと思い、開けてビックリ。さっきの女性が一人で立っている。忘れ物ですか?と問うと、何も言わず、いきなり座り込まれた。(1000字超なため、続きはダイアリーで)
 
355 「エアマスター」 柴田ヨクサル
投稿者:- 投稿日時 2008/7/24 12:22:56
更新日時 2008/7/24 12:22:56
集中力って大事だと思う。

分っちゃいるが、なかなか自由にならないのが集中力だ。怠け者の私の場合、追い詰められないと集中力が発揮されない。夏休みの宿題なんぞ、大概が8月の下旬に大慌てで片付けたものだ。

おかしなもので、最初から準備よく、コツコツとやっておいた宿題よりも、ギリギリになって追い込まれてやった宿題のほうが、後で先生の評価は良い場合が少なくないから困ったもんだ。

さすがに仕事となると、申告期限ギリギリでは困る。納税資金の準備の問題もあるので、2週間は余裕をみて決算を仕上げることを目標にしている。それでも、場合によっては期限ギリギリの仕事もないではない。ミスを見直す余裕がないので、思いっきり集中してやるようにしている。

仕事にせよ、何にせよ集中力が発揮されている時は、時間の流れが違う。体感時間が明らかに変わっている。こんな時の仕事は、我ながら驚くほど頭がよく回る。いつもこうありたいものだが、やはり追い詰められないと、この集中力は発揮されない。

追い詰められるのは嫌だが、集中力は欲しい。世の中、上手くいかないものだ。

現在、フジTV系列で「ハチワンダイバー」というドラマが放送されている。週刊ヤング・ジャンプ誌で連載されているマンガのTVドラマ化だ。異様な集中力を発揮する、アマチュア棋士が主人公のマンガなのだが、正直私は驚いている。

この作者は、ここ十年以上ヤング・アニマル誌で活躍していた。当初は「谷仮面」という仮面を被った高校生の学園ドラマを描いていた。妙に濃い筋書きと、切り絵のような絵柄が目立つ、不思議なマンガだった。5年近く連載が続いていたにもかかわらず、人気があるんだか、ないんだか分らないマンガでもあった。

その次に連載が始まったのが表題の作品。リタイヤした女子体操選手が、持て余した能力を路上の喧嘩に活かして暴れるといったアクションものだった。体操という競技は、人間の身体能力を極限まで酷使する。その鍛え上げられた能力を格闘技に活かしたら、たしかに凄い戦力になるのは確かだ。(1000字超なため、続きはダイアリーで)
 
354 「マークスの山」 高村薫
投稿者:- 投稿日時 2008/7/22 12:23:47
更新日時 2008/7/22 12:23:47
大きいと、それだけで畏怖を覚える。

日本列島の7割は山岳地帯で占められている。なかでも巨大なのが赤石山脈だ。通称南アルプス。信州の諏訪盆地の南端の甲斐駒ケ岳から仙丈ケ岳へと続き、本邦第二位の高峰北岳から赤石岳へと3000メートル級の高峰が続く。やげて、次第に高度を下げて、最後は御前崎あたりで海に尽きる。

北海道から九州まで、いろいろな山を登ったが、巨大さという点では南アルプスが群を抜いていた。懐に深い森を抱え、尾根筋を一日かけて登り、森林限界を超えて突如現われる巨大な山塊。山の大きさならば、北アルプスも負けないが、北は一度森林限界を越えれば、後は開けた山稜を伝うだけだ。

しかし、南アは開けた山稜を登頂した後、再び森林限界まで下がり、再び登って山稜に挑まねばならない。アップダウンの激しさは本邦一だと思う。大学の頃、3週間かけて三伏峠から遥か南端の光岳まで縦断したので、その巨大さは身にしみて分る。

とりわけ印象に深いのは、荒川岳から眺めた聖(ひじり)岳だ。巨大な壁に見えて仕方がなかった。荒川岳を下り樹林帯のなかの宿営地で、メンバー一同明日の聖の登りを想像して、胃がキリキリ痛む思いをしたものだ。巨大な山の壁が夢に出たのか、深夜うなされるメンバーも出る始末だった。そして、翌日は根性が熱く燃える一日だった。

巨大な自然に対する畏怖は、必然的に人間の矮小さを自覚させる。その矮小な人間がやらかす犯罪を解きほぐす刑事たちの苦労は深く濃厚だ。南アルプスの巨大な山を舞台に、複雑に絡まりあう犯罪を描いたのが表題の作品。

ミステリー界の女王様こと高村薫の渾身の一作。特異な犯罪者マークスもさることながら、警察や検察といった巨大組織のなかで蠢く人間模様の複雑怪奇さを、じわじわと展開させる手法に感服。

そろそろ梅雨明け。クーラーの効いた部屋で、じっくり夏の読書を楽しむのが嬉しい季節になりました。なかなかに読み応えのある一作です。未読でしたら、是非どうぞ。
 
353 「アグネス・ラムのいた時代」 長友健二・長田美穂
投稿者:- 投稿日時 2008/7/18 17:15:27
更新日時 2008/7/18 17:15:27
商品と作品は違う。

ビジネスのための仕事と、芸術のための仕事では、当然に求められるものが違ってくる。ややこしいことに、しばしばこの両者は重なり合うことがある。結果的に芸術がビジネスに直結することもある。しかし、いかに芸術がビジネスに活用されようと、本質は違うと思う。

客が求めるものとしての商品と、芸術の追求の結果としての作品は分けて考えるべきだと思う。たとえ重なる部分があるとしても突き詰めれば、売れなくとも芸術は作品として残るが、売れない商品は屑でしかない。

私の下の妹は、一時期プロ・カメラマンを目指していた。今でも時折雑誌などに作品が載ることもあるようだが、せいぜいが小遣い稼ぎ程度のものだ。とても生計の立つものではない。

売れなかった最大の理由は人脈作りに失敗したからだと思う。末っ子で甘えん坊の妹は、どうしても自分の感性に拘る。いくら師匠に客の求めるものを出せと言われても、自分の主観を第一にした仕事をしていた。これじゃ、新しい仕事は来ない。師匠とは縁を切ったと胸を張っていたが、如何せん「芸術家きどり」のアマチュア・カメラマンの作品に金を払う人はいない。

学生時代のつてで、旅行雑誌で仕事を回してもらっているようだが、年に数回では多寡が知れる。ビジネスの世界は結果が全て。良くも悪くも諦めの早い奴なので、夢にこだわりすぎて不幸に陥ることはないようだが、それでも失敗は失敗だと思う。

写真家・長友氏の名前を知らなくとも、この人の撮った写真を見たことのない日本人はまず居るまい。かつて全盛を誇った芸能プロダクション、渡辺プロの専属カメラマンとして、また裕次郎や赤木圭一郎の活躍した日活の映画スターの写真を始め、長年にわたり芸能写真を撮り続けた人だ。

私個人としては、長年愛読していた車雑誌「ベストカーガイド」の表紙の写真の印象が強い。この雑誌の表紙は、20年以上にわたり、車と女性タレントを使っていた。ちなみに長友氏の死去以後は、車の写真だけとなっている。女性の表情を上手く捉える人だと思っていた。タイトルにも上がっているハワイの褐色の美女、アグネスを最も魅力的に写した写真家が長友氏だと思う。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
352 「ぎゃんぶらー自己中心派」 片山まさゆき
投稿者:- 投稿日時 2008/7/17 12:38:11
更新日時 2008/7/17 12:38:11
どうも私はギャンブルは向いてないらしい。

一部から嘘付け!と言われそうだが、18でパチンコから足を洗って以来、ギャンブルはやらないようにしている。パチンコには、相当熱中したし、そこそこ稼いでいた。予備校の頃なんざ、開店から閉店までパチンコ漬けで、合間に授業に出る有様だった。一応勝っているつもりだったが、冬休みの頃に冷静に計算してみると、それほど勝っていたわけでないと気がついた。

投資額と、回収額の差額を計算して、次回の投資額を差し引けば、一日1500円程度の稼ぎでしかない。これなら、喫茶店のバイトのほうがマシだと分った。25年以上前のパチンコだから、投資額も一日1000円程度で、日がな一日遊べたことを思えば、そう悪い稼ぎでもないが、やはり真面目に働いた方が稼げる。

稼ぎの多寡もさることながら、受験勉強を犠牲にしてまでしてパチンコに熱中していたことは、結果的に愚かなことだったと、今にして思う。唯一つ、良かったことは、自分がギャンブルに向いてないことが分ったことだけだ。

私はけっこう負けず嫌いで、ギャンブルでも勝とうと真面目に努力してしまう。その真面目さが冷静さを奪い、負けを重ねる要因になる。遊びなのだから、楽しめば良いのだが、勝とうと意地になってしまう。勝てば金になるので、そのことが殊更冷静さを失わせ、金を注ぎ込ませる。理性が麻痺して、中毒のようにギャンブルにはまってしまう。

自分だけは大丈夫だと言い聞かせたが、結果的には私も例外ではなかった。一年浪人したにも関らず、成績があまり向上しなかった最大の要因はパチンコだと思う。以来、ギャンブルには距離を置くようなった。その唯一の例外が麻雀だ。

麻雀だけは社会人のマナーとして必要になると思い、ルールを覚えた。最近はほとんど廃れたようだが、あの頃の麻雀は、大人の付き合いの一環だとされていた。そのことを知っていたので、主に大学の頃に先輩や同期と内々で遊んだ。

これは本当に面白い遊びだった。複雑なルールではあるが、新しい手を覚えるたびに、遊びたくなったものだ。部活で汗を流し、飲み屋で一杯やった後、しばしば雀荘に入り浸ったものだ。率直に言って、知的遊技としての面白さは群を抜くと思う。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
351 「動機」 横山秀夫
投稿者:- 投稿日時 2008/7/16 12:31:20
更新日時 2008/7/16 12:31:20
二十歳ぐらいだと思うが、当時の私は自分の将来の役割を、組織のなかにおける歯車だと見定めていた。

一個人として、とくにみるべき才能はなく、リーダーシップもさして高くない。されど、集団のなかにおいて、一部の役割を任されれば、それなりに役をこなすことは十分できると踏んでいた。出来るなら、信頼性の高い良き部品でありたいと考えていた。

今にして思うと、いささか自己分析が甘かった。元々逆らい癖があり、小学校の時から気に入らない先生には食って掛かっていた。気に入れば、苦行であったとしても受け入れたが、どうみても素直な子供ではなかった。

大学を卒業して、最初に赴任した支店でも、初日に支店長と議論しているオバカな新人が私だった。組織の歯車が聞いて呆れるわな。

とはいえ、学生時代の友人は皆、会社という組織のなかで頑張っている。坊ちゃんお嬢ちゃんの多い大学の連中はともかく、喧嘩早い奴が多い高校の友人は、とても会社勤めは無理かと思っていたが、無事卒業しただけに、それなりに辛抱しているようだ。

上司と部下との板ばさみに悩み、取引先の横暴に嘆き、家に帰れば家族の問題に頭を痛める。それでも皆組織の歯車として、立派に頑張っていると思う。

人間の集団に過ぎない組織には、様々なルールがある。組織の維持のため、理不尽ともいえるルールもある。ほんの僅かな気の緩みからルールに抵触して、人生の歯車を狂わすケースだってある。

組織のルールにがんじがらめになって、人間性を喪失したかのような硬直化に遭遇することもある。逃げ出してしまいたい、あるいは、ぶっ潰してしまいたいとの誘惑に囚われた瞬間は、組織の中で働く人なら誰にでもあると思う。

そんな瞬間を救ってくれるのは、不思議なことに組織のルールに縛られて硬直していると思っていた人間であることがある。叱られるならまだしも、ルールを踏み越えてまでして助けてくれる。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
350 「犬たちの隠された生活」 エリザベス・M・トーマス
投稿者:- 投稿日時 2008/7/14 13:08:53
更新日時 2008/7/14 13:08:53
先だって秋葉原で起きた大量殺傷事件。犯人の青年は、派遣労働者として満たされぬ気持ちを解雇の噂でかき乱され、自暴自棄になって見知らぬ他人を殺めたという。

甘ったれた野郎だと唾棄したくなる一方で、冷静に考えると孤独な青年だったのだろうと思う。

人間は万物の霊長などと言ったって、所詮は二足歩行哺乳類の一種に過ぎない。それも社会性の極めて強い動物だ。その社会のなかで安定した地位を持っていたならば、このような狂気に身を染めることはなかっただろうと思う。

犬もまた、きわめて社会性の強い動物だ。犬が群れを作った場合、出産が許されるのは一位のメスだけだそうだ。下位のメスが子を産んだ場合、その子供は上位のメスに殺されることがあるらしい。

表題の本の著者の家庭では、実際にその子殺しが行われた。不思議なことに、父親とみられるオス犬も、兄妹の犬も遠くから傍観するばかり、目の前で産んで間もない子犬を殺されるメス犬は、ただ怯えるばかり。冷静に殺戮は行われる。

その後は何事もなかったかのように平静を取り戻す。犬の社会における階級は、かくも重たい。子を殺されても、その下位のメス犬は、群れの階級を乱すことなく、自らもその位置に安住することを望んだ。社会性の強い動物にとって、社会における自分の位置が確保されることは、極めて重要な問題なのだ。

人間もまた同じなのだろう。少子高齢化社会を迎え、グローバリズムに振り回され、その変化に対応できずに、ゆるやかに下降線を辿る日本は、従来の常識が信じられない時代を迎えている。

世界の国々のなかでも、犯罪率は低く、失業率もそれほど高くはない。不況といいつつも、アジア、アフリカの不況よりははるかに恵まれた国であるのも事実。それでも、人々は不安を隠しきれない。

現状に満足できず、将来に希望を持てない人は、自暴自棄になり犯罪に走る。人間は社会性の強い動物だ。その社会のなかで安定した位置を保持しているのなら、貧しくとも過酷でも耐えられる。

社会のなかで安定した位置を持たない人は、当然に社会を逆恨みして、その破綻を望みさえする。秋葉原の殺傷事件は、ある意味起こるべくして起こった事件なのだろう。

犬に失礼な言い様だが、あの犯人は犬にも劣る畜生だな。
 
349 「ハツカネズミと人間」 スタインベッグ
投稿者:- 投稿日時 2008/7/10 12:16:28
更新日時 2008/7/10 12:16:28
どうしようもない、哀しい選択って確かにあると思う。

人一倍身体が大きく、力も強いレニーは、残念ながらお頭が弱い。根は善人だが、力の加減を知らない。だから、小さくて可愛いハツカネズミをもらっても、いつのまにやら死なせてしまう。

心優しく、臆病ですらある巨漢レニーは、いつも相棒のジョージと一緒だ。ジョージは愚痴をこぼしつつも、レニーを連れて歩く。お荷物だと、面倒だと言いつつ、いつもレニーを気遣うジョージ。

ふと目を離した隙に、レニーがしでかした取り返しのつかない事件。司法制度が未発達で、憤る人々のリンチで殺されるはずのレニーを救う手はないのか?

助けを求めるレニーに対し、最善の手を尽くしたジョージの苦悶が脳裏に深く刻まれる。私にはジョージにかけてやる言葉が見つからない。今も見つからない。

夏休みの宿題に妹が選んだのが、この本だった。多分、薄っぺらで読みやすいと思い込んだのだろう。読んだら哀しくなって、とても感想文が書けないと泣き付かれた。私もあっという間に読みきったが、やるせない気持ちが邪魔して感想文など書けなかった。

だから、妹には書けない気持ちをそのままに書けとアドバイスした。私に代筆させたかったようなので不満そうだったが、字が下手な私と、何故か字は上手い妹ではすぐバレル。もっとも、後で先生に褒められたと言っていたから、分らないものだ。

多分、妹の感想文は理に適った文ではないと思うが、情緒に繊細な奴だから、そこが活きたのだろう。世の中、道理で割り切れることばかりではない。割り切れない人生には、割り切れぬ端数を曖昧に優しく包むやり方が相応しいこともあるのだと思う。

理に走りがちの私は、今でも苦悶するジョージにかけてあげる適切な言葉が見つからない。でも、きっと妹の奴ならそれが出来るのだろうな。進歩ないね、私は。
 
348 「トリフィッドの日」 ジョン・ウィンダム
投稿者:- 投稿日時 2008/7/8 17:01:07
更新日時 2008/7/8 17:01:07
この季節は、草の匂いが濃厚に漂う。

雨が降った翌日に、森や公園に行けば、草の匂いがいつもより強く漂っていることに気がつくと思う。雨を吸い取った土壌が微生物の活動により豊饒な栄養を植物に供給する。植物は太陽の光を得て、光合成を活発化させて、その葉孔から酸素を放出する。

雨で埃を洗い流された草木が、太陽の光を反射して緑に輝いてみえる風景は、見た目には美しい。近づけば、草の匂いが衣服に浸み込むほど濃厚だ。草の匂いは、豊かな自然の証であるが、正直言って私は少し苦手だ。草木の逞しさに圧倒された経験が、思い起こされるからだ。

山に登るには、通常尾根道を辿ることが多い。尾根道以外だと、沢筋を登り詰める。整備された登山道は、ほとんどが尾根道か沢筋道だ。人が頻繁に歩く道は、踏み固められ、快適に歩ける。

しかし、尾根道だろうと沢筋道だとろうと、人が通わなくなった道は、あっという間に草木に占拠され、藪のなかに道は埋もれる。かろじて、野生の動物が動き回ることで出来る獣道が、藪の中にトンネルを作る。

この藪のなかの獣道を歩くと、膝から上は草に邪魔されることとなる。その草を手で漕ぎ分けながら、分け入って歩く。これを藪漕ぎと言う。たかが草というなかれ。覆いかぶさる草を手でどかしながら歩くのは、体力的に相当しんどい。コツがあって、泳ぐように草を掻き分け、膝下で草の茎を押しのける感じで歩くと、比較的疲労が少ない。

それでも、一日藪の中を漕いでいると、夕方には疲労困憊になる。衣服には草木の匂いが浸み込み、茨や刺で皮膚は裂け、傷だらけになる。馴れないと、一日でへたばると思う。

昔、童話で「おじいさんは、山に芝刈りに行きました」なんて書いてあったが、もの凄い重労働だと分ったものだ。草なんて、たいしたことないと思う人は、一日草と格闘してみれば、いかに草が強固な存在だか思い知らされると思う。(1000字超のため、続きはダイアリーで)
 
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