| 学問(文系) |
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このプログトークは東北地方に埋もれている歴史の掘り起こしです。事実に基づくお話ばかりで無く伝承話でも結構ですから多くの皆様方のご参加をお待ちいたします。
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中国の文化大革命時には文人への迫害が有ったのですが、毛沢東のお眼鏡にかなった者はだだ一人魯迅だけで有った。魯迅は明治時代中期に仙台の来て「仙台医学専門学校」に学んでいたようです。「藤野先生」はこの時に書かれたものだと言う。魯迅の仙台時代の生活は良くわかっていない様です。煙草が好きで毎日50本以上吸ってたと言われる様です。魯迅の仙台時代に詳しい方はいないでしょうか。
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これは福沢諭吉が連発してた話だが(勝海舟座談)なんとも強烈なお話な様です。彼は九州生まれで有るから、当時を代表する言葉では有ったのでしょうか。残念!
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東北地方生まれの私は「官軍」と言う呼び名が未だに嫌いなのです。奥羽鎮撫総督の参謀を出発間際になって、経験不足で短慮な若者に変更し、復讐だけが目的の戦争を仕掛けたのです。例えば福島県で暗殺された世良修蔵等はその代表で有ったのです。無頼漢の世良修蔵を参謀にしたのが奥羽戦争の悲劇で有ったのです。
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二宮尊徳を知ってる人は多いとは思うのですが、その業績を知ってる人は少ない様です。焚き木を背負って本を読んでた人では無いのです。尊徳先生は江戸末期疲弊した農村を改革した事で知られるのだが、それは福島県相馬藩で結実したので有る。尊徳先生は直接相馬藩には来なかったが尊徳先生の高弟で有った「高田高慶」が相馬藩生まれで彼の指導で藩は立ち直ったのです。具体的な方法としては資本を投下して農民にヤル気を起させたので有るが、尊徳先生をして「私の仕法は相馬藩で成功した」と言わしめたのである。なお高田高慶は尊徳先生の長女を嫁さんに貰ったし、尊徳先生の長男も相馬藩に来て骨を埋めたから、尊徳先生の偉業は相馬藩が引き継いだわけです。東北の寒村にも偉大な先人がいたのです。
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丸子とは古朝鮮の「ワニ」は船で「マル」は馬らしい。すなわち丸子氏は船と馬を扱った渡来系部民で有って「北上川」で道嶋水軍として活躍してたらしい。同族に騎射が巧みな武人の「道嶋嶋足」がいるが、これは蝦夷政策に利用する為の中央から派遣されたもので有ろう。これについて詳しい方がいれば教えて下さい。
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高知県で和船を建造してるAOLブログ仲間がいます。もしも個人、企業体、役所関係で和船の購入を希望してる方があれば是非ともご連絡して下さい。これは日本伝統の和船つくりが消滅寸前に有って、この火を絶やさない為に立ち上がった者が居て私も応援しているのです。ご存じの様にFR船は老朽化すると粗大ゴミとなり始末に困り地球環境も汚すのです。しかし木造和船で有れば、伝統の匠の技の継承にもなりますし、自然環境には優しいので有ります。木造和船を購入希望が有れば是非とも御一報をお願い致します。http://diary.jp.aol.com/556hcmcxuny/
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「将来の東北」と呼ぶ本は有りますが、これは我が郷土の実業家「半谷清寿」が書いたもので、東北人にとっては読んでも損の無い本の様です。明治39年の著作で有るから些か古いので有るが、温故知新と言う事も有って寝る前に読んでも良いかも知れない。なおこの本は昭和52年にモノグラフ社から復刻されていますので古書店等で探せるかも知れません。
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| これらの系図に詳しい方は教えて下さい。また茨城県下妻市に有る宗任神社書かれている松本親子についても探しています。鳥海山の神職との事ですが 何故、坂東地方に移動したのでしょうか。松本親子とは蝦夷(俘囚)だったのでしょうか。
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平安時代になると蝦夷の反乱が起きた様ですが、この反乱の真の原因は奥州で採れる砂金や馬や鷹の羽が欲しかったからと思うのですが、如何なものでしょうか。帰服した蝦夷を俘囚等と呼んで懐柔した様ですが、これら俘囚達を関東地方に移住させた理由は荒地の開発開墾だった様です。こちら関東地方には我々の先は俘囚だったと言う者も見られる様です。
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こちらのサイドに移動して来ましたのでよろしくお願い致します。あちらはチャンネルが違う様です。
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福島県石川地方に有る「大雷神社」には、将門の末弟で有る「将為」が天慶の乱で敗れた時に、この地方に逃れたとの伝承が有るそうです。これについて知ってる方がいればご教示下さい。
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東北地方は天明や天保期の悲惨な凶作を知っているが、その原因とは天気異変であったのです。夏の気温が20℃以上にならないと稲の成育が悪く凶作になる様です。それではその反対の旱による災害で、多くに人が亡くなられた記録は東北地方にも有るのでしょうか。一般的に旱と害虫(ウンカ)の災害は西国に多い様な気が致します。
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東北人で平将門の伝承を知ってる方がいれば、些細な事でもお聞かせ下さい。
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将門の本拠地は将門記を読む限り茨城県の旧猿島郡及び結城郡かと思われる。ゆかりの神社仏閣等を訪問していたら、始めて「相馬小次郎将門公」の位牌を拝する事が出来ました。場所は茨城県坂東市神田山の延命寺に有る「将門胴塚」です。
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福島県会津地方は山に囲まれた盆地で有り、江戸時代に産米を江戸に運ぼうとしても有力な河川がなかったと思われる。最近茨城県の地方史を読んで驚いたが、ナント鬼怒川の水運を利用した事が書かれている。鬼怒川は利根川とつながっているからこれを利用したらしい。この水運に詳しい方がいればご教示下さい。鬼怒川の上流栃木県には阿久津河岸が有って、ここを出発点にしたらしい。
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江戸時代後期になると、一揆や打ち壊し等が多く発生している様です。これは東北地方ばかりでは無く全国規模の様です。いま寛政6年1月に、福島県白川郡で起こったと言われる一揆騒動は事実だったのでしょうか。一揆騒動を調べていると、意外にも事実と相違する事が多い様です。松平家冬之記(巻1)を読むと、会津藩士が367人領境まで出張した記事を見られますが、これが白川郡の一揆騒動と関係が有るのでしょうか。なお会津藩の「家世実記」には何故か寛政6年1月の分が抜け落ちているようです。もし、この白川一揆についてご存知の方が居ればご教示下さい。
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文政7年5月21日に福島県相馬地方の海岸(釣師浜)に於いて、異国船を見たとの記録が有ります。一隻は帆柱が3本が有り、もう一隻は帆柱が2本で有ったと言う。この頃は、アメリカの捕鯨船が東北地方海岸沖で操業していたらしい。この様な情報の古文書を知ってる方はいませんでしょうか。日本の開国は捕鯨船によって始まったと思うのです。また釣師浜とは釣糸浜と言うかも知れません。
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| 和船船大工弟子入り日記様は、自家屋敷に和船を造る小屋を設けたそうです。この小屋を高知県桂浜地方では「コク屋」と呼ぶそうです。このコク屋の原意が不明です。わかる方がいれば教えて下さ さい。日本の匠の技が消滅すれば、大切な日本の言葉(地方語でも)も消滅するのです。
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| 土佐の高知で、日本伝統の和船造りの燈を消さない為に頑張っているAOLプログの友達を御紹介致します。伝統の和船造りは現在風前の灯で御座います。日本伝統の匠の技が消滅した時には、日本古来から継承された基礎産業もまた消滅する危険が有るでしょう。例えば、タンカーの流線型は素晴らしく格好の良いものですが、あれも職人技で造り出したものなのです。もしも個人や自治体等にご勤務されて、和船が御必要の方がいれば「和船船大工弟子入り日記」様までご一報下さい。和船は木造船ですからFRP船等と違え環境に優しく、地球を汚す事はございません。 「和船船大工弟子入り日記」様 http://diary.jp.aol.com/556hcmcxuny/
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磐梯山は宝の山で知られるが、ここ茨城県の筑波山でも徳一菩薩が修行したとが書いて有ります。(茨城県史、原始古代史編)故郷福島県の徳一菩薩の事跡に付いて知りたく、ご存知の方はご教示を頂きたいと願っています。
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寛政9年頃、仙台伊達藩に於いて、農民一揆が有ったとお聞きしていますが、それに詳しい方がいれば教えて下さい。伊達藩では米を江戸に売っていた事が武江年表等で知られます。また、伊達藩では農民から米を強制的に買い上げていて、これが一揆に繋がったものでしょうか。
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茨城県稲敷地方には大杉神社が有り、この神社は通称「あんば」様と呼ばれて漁業民達に信仰されている。語源の「あんば」に就いては定説が有りませんが、このあんば信仰は茨城県の海岸から福島県や宮城県の海岸地帯に広く信仰が見られると言う。あんば信仰のあんばとは何を指すのでしょうか。
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過日、福島縣の太平洋沿岸部の故郷に、墓参の為に常磐自動車道を利用して帰って来たが、有名な福島県の勿来の関は実在したのか、詳しく知りたいのですが、若し分かる方がいればご教示ください。
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過日、妻の故郷福島県会津地方に行って来たが、この会津地方西方の町の古代社会は日本海文化が発展したようで有る。つまり新潟県の阿賀野川を遡って文化の流入が有ったらしい。会津の地名起源もに蝦夷征伐に行った親子が、この会津で出遭ったと言う伝承(古事記)には日本海文化の香りがするようです。
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金達寿氏によれば三島は御島とも書かれ朝鮮を意味すると考えられている。すなわち三島(御島)は古い朝鮮の異名で有って、この三島は日本全国に三島神社として分社されて各地に残っているそうで有る。北は北海道から九州まで存在し、その数凡そ10,318社になるそうで有る。恐らく百済系の移民がもたらしたものと思われる。
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