| 生活一般 |
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| 2008-06-01 (100)菩提樹 過去のインドの旅で、仏跡をまわり巡回して、インドの歴史に触れ、古代インドの文化のすばらしさに感動して、限られた日程で満足出来ずに、またインドへの旅が続きました。 一言で、インド人と云っても人種は様々で、今でもカースト制度は存在して、古い歴史は引き継がれての生活が見られ、服装を見ますと、男性は洋服になっていますが、女性はインド独特のサリー姿で、女性の服装には、他国では見られない独特な服装で、町中では女性のスーツとか、ジーンズとか、ブラウスなどを売っている店をあまり見られません。 しかし、女学生は通う学校によって違いがあるのでしょうが、制服は近代的に清潔な姿になって、朝は、自転車で登校する姿が美しく見られました。 ちょっと、若い子供や学生の行動に目を移すと、木陰でも、静かな場所では、本を開いて、とにかく勉強している、昔の私たち時代の学生の勉強の姿に似て、これは、将来はすごくなるぞと直感しました。 いつもインドの旅には、古代仏教の研究をしているインドの大学院で博士号を持つ若い学者のスークラさんという青年と、二人旅で、彼は、故郷がブッダ・ガヤーという地の出身。 彼に、インド人の勉強について質問してみましたら、答えは正直で、「インド人はお釈迦様と同様に頭が良いのです。」という答えが返り、「頭の良くなるのは、子供の時の教育が基本で、勉強の好きな人は、なおさらに頭が良いのです。」と答えます。 彼を日本に招待したときに、持って来たものは、私たちの居間に飾られている額の中身ですが、小さな額に入った三枚の木の葉で、この葉は、葉脈だけにされた葉で、葉の形はハート形だが、金色に輝くように美しい。 ブッダ・ガヤーは、今でも昔と変わらない村、ウルヴーダ村だが、釈迦が大きな菩提樹の下で深い瞑想に入り、悟りを開いた所で、その場所の菩提樹は三代目古木で、この葉が額の中身で、スークラさんから送られたものです。 これは桑科の熱帯樹で、日本の寺院などで見かける菩提樹は、中国原産でシナノキ科、葉がハート形で先がとがっている形は、本来のインド菩提樹によく似ていて、代用品なのですが、余計な話ですが、シューベルトの「冬の旅」で歌われる菩提樹は、欧州産のシナノキの類の雑種だそうです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-31 (99)四苦八苦の人生 世情不安定な時代で、幾多の苦難の道を生きて来た私たち老人の人生から、人生とは「苦楽の」中に生かされて来たのだと思うこの頃ですが、楽しさも心の中には多く潜んでいますが、人生観となると、「人生は苦である」という現実に強く突き当たります。 苦を具体的に「四苦八苦」と云いますが、その「四苦八苦」の人生はよく旅に例えられますが、その旅は決して平坦な楽な道ばかりではありません。 それどころか、山あり谷ありの厳しい道のりで、徳川家康の言うように「人の一生は、重き荷物を背負いて坂道を行くがごとし」といったところでしょうか。 人は人生という旅の中でいろんな人と出会いますが、この場合、自分にとって都合の良い人とばかり出会うとは限りません。どうしても馴染めないような人、ときには嫌いな人とも出会い、そして付き合って行かねばならないのです。 日常的に私たちは、苦しい状態を指して「四苦八苦する」と表現しますが、これはもともと仏教の言葉で、いまその四苦八苦の意味を簡単に言いますと次のようになります。 「◎この人間の世界に生まれる苦しみ。◎老いる苦しみ。◎病気にかかる苦しみ。◎死ぬ苦しみ。」が四苦ですが、更に次の「◎愛するものと別れる苦しみ。◎怨み憎んでいるものと会う苦しみ。◎欲しいものを求めても必ずしも得られない苦しみ。◎色・受・想・行・識(人間を構成している)の五つの要素が盛んであることの苦しみ。」を加えたものが八苦と云われます。 良寛和尚の有名な詩に、「生涯身を立つるにものうく 騰々天真にまかす 嚢中三升の米 炉辺一束の薪 誰か問おん迷悟の跡 何ぞ知らん名利の塵 夜雨草庵のうち 隻脚等閑に伸ばす」がありますが、中でも、誰か問おん迷悟の跡以後の詩は、私の大好きな、あまりにも有名な詩の一節ですが、その意味は、「迷いであるとか、悟りであるとか、そんなことは、どうでもいいことであり、またえらくなりたいとか、金持ちになりたいとか、いうようなことも知ったことではなく、わしはただ、草庵の中でしとしととふる夜の雨を、二本の足をのばして、無心にいきている」ということですと。 ですがね、世情不安と社会保障のあやふやな現代は昔の良寛さんの時代の様に、「隻脚等閑に伸ばす」の心境にはなりきれません。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-30 (98)不況トンネル 友人が久しぶりに近くに来たからと訪ねて来ました。 彼の家は昔からの大農家で、戦後になって、今はその土地は、住宅街と化し、事業も手がけているのですが、何となく元気がありません。 事業は別の地で、クリーニングの仕事で、洗剤が高く、集配する車のガソリンは値上がりして、値上げも出来ず、業者の競争も激しいので、「参りました」というのです。 土地を売った後は税金で国に取られ、預金は金利がありませんから、株に手を出して、毎日パソコンと首っ引きで対応していますが、値下がりで、更に娘の大学入学と、老父の養護施設の費用とで金は出るばかり、またまた「参りました」とのぼやきです。 沖縄では梅雨入りしたというニュース、こちらも梅雨入り前で、庭の雑草と、木とかバラにはアブラムシと、梅雨入り前の仕事がいやになりますが、間もなく梅雨に入ると長い1ヶ月となりますが、地震災害にあえぐ中国四川省を思うと、心は湿っぽくなってしまいます。 豪雨とか、台風の被害もなく過ぎてもらいたいと思えど、この期間は暗く不安のトンネルが続きます。 しかし世相をみるに、国会は、権力闘争で、国民不在、老人の保険制度も、働いて働き続けた老体庶民の心を何も考えない。 何でも値上がりで、経済的不況の出口は見つからず、社会情勢は混迷を極め、長く暗いトンネルを抜け出すことが出来ないのは悲しい現実です。 毎日、テレビや新聞は不安定な世界を報道し、各国それぞれの境遇を超えて、どうしても和することのできない国々のエゴに悲しい現実を思い知らされ、そしてこの事は私たちの身近に起る日常の出来事に相乗して、無明なるがゆえの難しさを実感するのです。 穏やかに静寂なときもあれば、荒荒しく感情が揺れ動くときもあり、なかなか定まることのできない時代に生きる、この身の、生きる術は、仏さまのお慈悲すがるばかりです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-29 (97)政治信頼失墜 平成13年6月、支持率九割という小泉内閣の発足、国民の期待は大きかったですね。 またアメリカ大リーグで活躍のイチロウのヒーロー的な活躍に多くの人たちが夢を託していた時代でしたが、イチロウは今でも国民の期待に応えるヒーローに変わりはありません。 この内閣の大ボスとは、別名ライオン丸さん、吠えまくって郵政改革、経済改革と看板は大きかったが、尻ぬぐいもふたも出来ない大糞を残して、政治信頼の国民の夢を朦朧とさせて引退はしましたが、その後の尻ぬぐいは阿部内閣から福田内閣と変転はしましたが、これすべて尻ぬぐい内閣で、国民の怒りは自民党福田内閣に向けられ、支持率は20%そこそこで、これは大変だ。 反面、民主党となると、何でも反対で、国民不在の政権争いに終始していますが、この政党を目を大きく開けて歴史的に見ますと、超右翼と、超左翼と、へそ曲がり自民放出の政治家集団では、頼りになりません。 国民の批判は、長引く不況に喘ぐ経済界を筆頭に、相次ぐ不祥事で国民の信頼を失ってしまった政治家と官僚達に対する警告で、現在の不景気は螺旋状に悪影響が重なるスパイラル現象で、国民の嘆きが、地獄・餓鬼・畜生の三悪道ヘと渦を巻きながら吸い込まれているのではないでしょうか。 しかし日本人には、昔、このような心の危機的状態を乗り越えてきた経験があり、そこには民衆の心を救ってきた、いわば時代のヒーローがいました。 為政者では聖徳太子、明治維新の偉大な改革者達などと、今は、身を棄てて国を救う偉大な政治家の出現を待つのみという悲しさばかりです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-28 (96)医療チーム 中国・四川大地震で負傷した被災者を治療するため、日本の医療チームが二十日深夜、日本からのチャーター機で四川省成都市に到着して、一行は、同省などで約二週間にわたり、負傷者や疾病患者の治療を行うようになりました。。 医療チームは救急医療を専門とした医者、看護師ら二十三人で構成。全国から応募があった約九百人の中から選ばれた人たちです。 「できるだけ早く活動の場を決め、できるだけ多くの人を治療したい」団長の田尻和宏外務省アジア大洋州局中国課地域調整官は空港でと語っていました。 四川大地震の被災者支援にあたる日本の国際緊急援助隊・医療チームは21日、成都市内の病院を視察した後、中国側と協議した結果、同日深夜にようやく話がまとまり、22目は成都市内で活動することになりました。 何故、このような混乱が起きたのかは、私は、日本医療援助隊の無事で、技術発揮の場所の選定に苦慮した物と思います。 医療チームは同日朝、中国側から提案があった成都市第一人民病院を視察して、病院側から、被災者200人以上が入院、骨折などの手術待ちの患者が20入を超えているとの説明を受けたのですが、残念ながら、現地がもっとも求める整形外科医の不足があったのでしよう。 日本の医療隊は、病院側から整形外科医の派遣を求められても、該当する外科手術の医師が少ないため、チームの能力を発揮できないとして別の候補地を検討するよう中国側に要請しましたそうです。 ただ、被災地での活動を望む日本側に対し、二次災害や感染症など安全面への懸念から中国側は渋っていたのは、中国の日中友好の配慮からだったのでしょう。 仏教伝来の地、中国は、元をただせば、日本文化発展の元となる友好国である事を痛感しました。 中国側も、この大災害に混乱しない筈はありません。病院側は、20目深夜に地元政府の担当者から連絡があり、医療チームの視察を受け入れるよう要請されたようですが、出迎えた病院幹部は「急だったので準備が大変たった」と困惑した表情で語ったとのこと。 阪神災害の合い言葉同様に、「中国国民頑張れ」と叫びたい。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-27 (95)不思議な治療 妻は70の半ばも越して、老体になったなと感じるのですが、70以前は元気で、病院大嫌い、あんま、マッサージは、やらず嫌いで、明るい性格の人でしたが、職掌柄、夫婦二人で旅行も出来ず、旅行は交代で友達などと出かけるのですが、ヨーロッパが好きで、主体はヨーロッパ旅行で、友達の誘いがあれば、近くの国々はほとんど出かけていましたが、70過ぎてからは何となく元気がなくなりました、 3年ほど前から、昔、子供の頃「ハシカ」という病気の根が体内に残っていて、顔から頭に出たのが「帯状疱疹」という病気で、病院通いが始まりました。 妻は、大の犬好きで、家にはイギリスから直接買った「ウエストハイランド・ホワイトテリア」が同居していて、朝は6時過ぎには散歩、夕方散歩、夕方の散歩から帰ると夕食の買い物に出かける日課でしたが、これは老人にとっては最高の運動で、活力の元でしたが、朝の散歩で交通事故に遭遇して、今度は整形外科の治療で、その後は腰の骨粗鬆症となり、なかなか治らず、時々寝込んでしまうのが、最近までの状態でした。 子供は幾つになっても母親のこととなると気がかりなのでしょうか。 息子夫婦は別居しているのですが、近くのクリーニングやさんの店番をする奥さんが、腰と足の痛さで歩行器に頼って歩く状態でしたが、ある人の紹介から「だまされたと思っていって診てもらったら」ということから、予約待ちをして、それから治療となりましたが、この先生は、ある、カイロプラクティックを本格的に外国で修行した、診療所でした。 最初に治療したクリーニング屋の奥さんは、帰りは、駅の手すりにもつかまらず、すいすいと帰ってきたそうで、それを聞いた息子は、早速母親に知らせ、ご丁寧にも、例の奥さんからの紹介で予約をしましたら、キャンセルが出たので、翌日診てくれることになりました。 息子は母親と家から電車で1時間以上と遠い診療所に行ってくれたのですが、帰って来た老妻の明るい顔と、曲がった腰は伸びて、頭の痛みまで消えているとのことで、今では週一回、毎回息子が添って、通院5回で、完治の模様です。 今度は、私も昨年1月脚立から足を踏み外して、脊椎骨の圧迫骨折で、苦しんでいましたが、通院を始め、昨日までで、90%以上治ったと思える状態になりました。 痛くも、なにもない不思議な一言で言えば、科学と手の技が融合した治療でした。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-26 (94)救助隊の帰国 想像するのもつらいが、中国の地震被災地では、まだ多くの人ががれきに埋まったままで、絶望的といえど、いまも細く命の灯をともしているかもしれないが、時間は過ぎ去るばかりです。 命の火は、刻一刻と過ぎてしまい、灯を吹き消して、ご浄土への化身とは、悲しい。 派遣されていた日本の国際緊急援助隊が、21日帰国したが、現地では時間と競争して、秒針の音を聞くような思いだったろうが、懸命の作業にもかかわらず、人命救助のプロフェッショナルでさえ言葉を失うほどの惨状で、生存者を救い出すことはできなかった悔しさが隊員達の報告でした。 被害地で、校舎のがれきをどけると、開かれたままの教科書と、席についたままの遺体を見つけた時には、隣にも、その隣にもという惨状、隊派遣は生存率が急激に落ちる「72時間」を過ぎて現地に到着とは、もう少し早く到着できていれば残念だったと。 倒壊した病院の職員宿舎で、がれきの下で、母親と生後間もない赤ちゃんと寄り添った遺体を収容した時に、隊員は泣くわけにいかず、次の救助活動をするために自分を奮い立たせて活動したそうですが、「つらい」という嘆きの言葉は私たちの心まで泣かせました。 天災の恐ろしさは、隊員達の話で、どの建物もいつ崩れてもおかしくない状況で、隊員の安全管理に一番苦労したそうで、ただただご苦労様と云いたいのです。 だが、救助隊の帰国は、数知れないダムと、山崩れによる自然ダムの崩壊が、想像を越す物であれば、帰国の報に胸をなで下ろしていますが、被災者の山地民族の家族の死骸と別れて、下山避難した被災者の心を思う時に、ふと、唐詩の岑参の詩を思い出しました。 「渭水(いすい)東流して去る 何れの時か雍州(ようしゅう)に到らん 憑(よ)って両行の涙を添え 寄せて故園に向かって流さん」 故郷から流れるこの川の水は、俺の棄てた故郷の亡き家族の涙だと、、気付いてくれているのだろうか、俺も涙していると、解してしまう心境です。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-25 (93)災害国の対応 ミャンマーは5月2、3日の大型サイクロンで死者・行方不明者約13万人、被災者約250万人という甚大な被害を受け、損失額が推計100億ドル(約1兆400億円)に上周り、災害時の支援救済は、時間との戦いで、一刻一秒を急がなければ、尊い命は消えて行くばかりで、ブラウン英首相のいう通り、天災が人災に変わりつつあります。 しかし、ミャンマー軍政はこれまで自国の地震大災害に苦しむ中国、インド、タイなどの隣国・友好国の支援要員は受け入れたものの、欧米などの人的支援の受け入れは拒否しています。 ミャンマーを訪間中の潘基文国連事務総長は23日首都ネピドーで軍事政権トップの議長と初めて会談して、漸く軍政は、これまで一部の友好国以外はかたくなに拒んできた各国の人的援助を一転して受け入れ、ヤンゴンの空港と港を国際援助の基地とすることも認めました。 85年前の1923年、日本では関東大震災の発生で、大被害がありましたが、ミャンマーどころか、災害救援に手を差し伸べてきた外国の善意を被災国が受け入れないのは、今に始まった話ではなく、過去の軍国主義日本にも、情けない姿がありました。 軍国発展時代の日本に、震災発生直後から欧米諸国や中国は、食料や医薬品などの救援物資のほかヽ医師を日本に送ってきました。 ミャンマーと同じく、救援物資は受け入れるが、人の派遣は断ると、政府はそういう方針を決めましたが、実際には、一部の救護団員の入国を認め、米国が建てた臨持病院で負傷者の治療が行われていますが、当時の山本首相は米代表に直接会って謝意を伝えたという歴史が存在しているのです。 共産革命から間もないソ連への対応となると、政府は、社会主義の流入や軍事機密の漏出を警戒して、救援船「レーニン号」が横浜に到着すると、船は軍・警察の厳しい監視下に置かれ、医師の上陸はおろか、救援物資の受け取りも拒んで、船を追い返していまいました。 それから続く軍国主義日本、昭和になってから世界戦争に突入して敗戦、そして現在に続く歴史を知ってもらいたいのです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-24 (92)気付かない いくら熱心に努力しても、小さな出来事に気付かないで過ごす事は、世の中の常です。 知らないことは、パソコンで調べても解ることも多いのでが、専門外の事になると、調べる事も無く、自己流に思慮を巡らせて、「これで良し」となって自己満足になると、世間の目は厳しく、気付くこともなく過ごしたならば、人気失墜となります。 寺院の中でも、浄土真宗のお東さんは、仏壇の中の倶足が真鍮製で、伝統的に磨いてピカピカにしているのが常識で、特に寺の場合はこの倶足が大きいので、お磨きと称して大変な仕事になるのです。 昔は灰で磨いたと聞いていますが、昭和初期には、真鍮磨きという物が市販され、今でも雑貨スーパー店の塗料売り場に行くと、「ピカール」という缶入りの商品が売られていますが、最初はこれを、かるく擦り付ける様に簡単に磨き、次には乾いた布とか紙、新聞紙などで丁寧に磨くと、新品以上の輝きの美しさになります。 決して商品の宣伝ではありませんが、最近は、科学的に発展して、仏具店で売られている無色透明な液体で、「ニューテガール」という商品、水で30倍程度に薄めて30秒程度、銅、真鍮の物を入れて、スポンジでこすると瞬間的に美しくなり、これを水道水でかるく洗い流して、乾いた布で拭けば、それで終了ですが、私は更にピカールで簡単に再度磨きをしますから、更に美しくなります。 先日、法要の跡で、おトキの料亭での食事接待を受けましたが、ここは神奈川県川崎市の鷺沼にある大変有名で混雑している特殊な懐石料理の店、店構えから庭も立派で。料理の器は美しく立派でしたが、終わりに近くなって土鍋の料理となり、持ち運びのガスレンジは立派な銅で作った容器で飾られていたのですが、なんとこの銅板が青錆と、灰か何かで磨いたのだろうか、白くぶちで、立派な以前までの器の美しさをぶちこわしているのです。 銅板の磨きを知らない板前さんでは、フランス料理のコックさんから料理人の心を教わりなさいと云いたいのですが、彼らは銅の鍋はピカビカにしています。 私は、帰り際に、受付の女の子に、小声で、「気付かない」出来事の対応を話して帰りました。 このお店は、改善するだろうかと、気になる出来事でした。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-23 (91)裁判官の逮捕 私はブログを始めてから、3月08日に、(18)魔羅と題して、色っぽい話でなく、その語源についてお知らせしましたが、魔羅とは梵語マーラに起源する仏教語からの字句で、 魔羅とは男根の表現ですが、これは悪魔を意味するが、仏教本来の意味は自分の仏道修行の妨げになるもので、生命活動については、重要な器官でありながら、一度魔性がおきると、たちまち自分の意のままにならなくなる男性性器の仏道修行の妨げの、清浄悪魔なのです。 動物の持つ本能は、種族保存の原則で、人間といえども、男はひとたびこの魔性が生じた時は、いかなる聖者、学者、法務に携わる男でも、理性という抑制が無くなると、性欲の満足に向かってしまう悪魔と化してしまいます。 5月21日、人間の生死まで決定出来る権限を持つ裁判官、宇都宮地裁判事の下山芳晴容疑者(55)・東京が、女性の携帯電話に、約一ヶ月の間に、山梨県内に住む知り合いの20代の裁判所職員の携帯電話に「今度いつ会えるかな」、「こんばんは、今、何しているの」などという文面のメールを十数回にわたって送りつけるストーカー行為をした疑いで、山梨県警は21日、ストーカー規制法違反の疑いで逮捕しました。 彼の弁明「恋愛感情があってやったのではない」=正義の御方殿、嘘いっていやがる! 日本には、立法、司法、行政が確立して、国民の生活の安泰に世界に誇れる治安国家として成り立っておりましたが、敗戦後の60年を経た現在は、いずれを見ても現実的に情けないという他に言葉が見つからない程に、国自体が悪魔に取り憑かれているようです。 立法府の国会は、勢力権力の闘争の場と化し国民不在、行政に到っては借金地獄にあえいで、立法、行政の責任逃れと、政治改革の名の下に、国民を泣かす悪糞の垂れ流しで、今度は、裁判官まで性欲で人間性を失う事件とは、日本沈没の予告が始まりました。 昨日夕刊朝日新聞の「素粒子」欄、これは。うまいなーと感心しました。 「男はつらいよ・メール篇」 【あらすじ】◎恋に落ちた寅次郎、今回は思い告げたいと「いつ会えるかな」メール十数回。◎なのに訴えられ、手が後ろに。法廷で裁判官席を見上げれば、な、なんと話題のストーカー判事。このお裁きや如何に。◎と、その時目覚め、ああ夢かと胸なで下ろしポツリ。「それをやっちゃあおしまいよ」。相手の気持ち最優先の虎でした。 欽ちゃんじゃないけれど「何でこうなるの」 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-22 (90)生き残りの出会い 五月の連休に入って、関東に住む息子達家族を訪ねて、戦争中に予科練出身で、特別攻撃隊の生き残りの知人が訪ねて来て、戦争当時の思い出話で、酒を交わしました。 私は学生航空隊から学徒特攻隊員として生き残り、訓練はほとんど変わりないのですが、当時の予科練こと「海軍飛行予科練習生」とは、どのようなものか、体験者の話から、現代の若者にお知らせします。 「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨」この『若鷲の歌』は、若者をあこがれの予科練入隊へかり立てました。 太平洋戦争が始まると、予科練出身者が航空機搭乗員の主力を占めるようになり、予科練の採用人員も急増し、敗戦前一年間には、十万人以上が入隊しています。 敵国アメリカに対抗するには、より短期間での習得が必要になり、「月月火水本金金」の猛訓練で、入隊者には教官から、「お前らは、地獄の八丁目へ来たと思え」という檄が飛び、あまりの厳しさに自殺する者もいたようです。 前線へ送られた予科練生の戦死率が、とりわけ高かったのは、速成教育のせいで無理もありませんが、実戦が訓練でもあり、小さなミスが死に直結する極限状態だったのです。 私が、海軍の管理下で飛行練習する羽田飛行場では、予科練の分遣隊があり、アルコール燃料で訓練する隊員は、促成実習訓練で、複葉の93型中級練習機の離陸とともに羽田沖に墜落して、毎日死傷者が出ているのを見てきました。 敗色濃厚となった昭和19年、神風海軍特別攻撃隊の、関大尉率いる敷島隊の艦船に体当たりする出撃が始まると、予科練出身者も、その中核を担い、特攻は飛行機に限らず、全長五メートルのベニヤ板製モーターボートのへさきに、爆弾を抱えて体当たりする攻撃や、いわゆる人間魚雷もあったのです。 発足から敗戦までの十五年間に、二十四万人が予科練に入隊し、戦死者は1万9千人で、その内で千五百人あまりが、神風特攻隊として死にました。 戦後帰国して、世間の目は変わり、死への目標を失って、価値観を失った時に、戦争は、土地だけでもなく、人身をも荒廃させ、国に命を捧げた若者は、不敗を謳った国にも裏切れましたが、考えた結果は国土再建という目標で、働いて働き続けた人たちです。 ともに、立場は違えど、特攻隊の生き残り、働き続けて80半ばに近い歳となりましたが、二人の意見は、世の中は平和になったが、お互いに「生きることは難しいものですね、これからは長生きは苦しいですね」と。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-21 (89)故郷の友 人間死ぬまで故郷は忘れる事のない思い出多い場所です。 私の学生時代は、戦争と云う怪物にかき回されて、故郷から離れて生活する身であれば、いま、隣に小学生当時に机を並べていた同級生がいたとしても、全く知らない人で、名乗るチャンスが無ければ、無邪気な子供時代をともに語る事は出来ません。 旧制中学時代は、長野県の県立上田中学で過ごしましたが、私にとっては一番いたずらで面白い時代で、学校の教育は、校長先生よりも威張っていた配属将校の思うがままの軍隊教育に等しく、38銃担いで軍事演習の連続でしたが、それでも一番は勉学に勤しむものですが、学友との絆は連帯感の強いものでした。 その当時のクラスのクラス会は、私たちのA組だけは、毎年続き、別所温泉同級生の「つるや旅館」で信州弁丸出しの同級会、他の組の学友が、A組の会に入れてくれと云われる程に、これは、今でも続く人生通じて最高の集まりです。 戦時中に卒業して、旧制高等学校に学びましたが、私は、現在も続く日本学生航空連盟(当時は学生航空隊)の操縦部にはいり、家から羽田飛行場通いでした。 当時の学友は勉強も出来ず勤労動員で、飛行機部品の製造工となっていて、学校で会う友達も少なく、大学は苦学ですから、友人として現在まで続いているのは、学生航空隊から天虎学徒特攻航空隊の友人が主体で、80を越した老人は、特攻隊で生き延びても、依る年波には勝てずに、ほとんど他界して、生きていても老体は「会いたいな」と電話をすれども、行動はありません。 ところが、私の妻の方はもっとすごく、昨日は雨の中、ちかくの大宮市に住む男性友達が川越駅で老妻と待ち合わせして、新宿で子供会をすると出かけたのですが、戦前の甲府市の商店問屋街に住んだ、無邪気な子供、ご近所友達の集まりで、甲府市が戦時中爆撃消失前の歴史の語りべの集まりです。 老妻には、もう一つ楽しみがありますが、それは東洋英和女学院、当時の学年で、たった学年合計で50人しかいないクラス会で、女は嫁に行きますがみんな散り散りですが、今はみんな大家のお婆ちゃんたち、15人程度ですが毎年楽しそうに集まるのです。 やっぱり、故郷の思いの強い集まりが最高です。 Guzou88の、人のごとです。 2008-05-20 (88)「道に歌あり」 私には忘れ得ない友がいますが、平成18年11月末に急死された童謡作詞家の元キングレコードの専属で、その後ははフリーで活躍され、日本レコード大賞童謡賞、日本童謡賞とか多くの賞に輝く川越市在住の名村宏、本名堀田勇さんは、富山県の出身で、「あざみの歌」などの作詞家として知られる横井弘氏に師事して、多くの歌詞を残された苦労人ですが、平成8年からは教育出版中学校音楽教科書「音楽のおくりもの」編集委員として活躍されていました。 名村さんは、富山県の浄土真宗の門徒の家庭で育った方ですが、苦労の末に最愛の奥様を癌でなくされ、平成八年に「道に歌あり」という詩集を出版されましたが、妻と母に捧げる詩でもありました。 5年ほど前、五〇歳代で亡くなられた女性の葬儀、式中に故人の友人代表の弔辞での詩の朗読に、以前似たような詩を聞いた覚えがありました。 ふと新聞の紙面に同じような詩のことが書かれていて、誰がつくったのかわからない一遍 の詩は、日本では、「あとに残された人へ1000の風」として出版されていて、私はこの詩の話を彼には話したのですが、彼は早速、本を読んだのでしょうか、しばらくしてから、自分の作詞で、作曲と唄は「たいら いさお」のCD「ありがとう さようなら」を届けてくれました。 聴けば聴くほどに音楽も歌も詩も最高の、素晴らしい心の歌でしたが、その後、NHKの紅白歌合戦で、披露されて大ヒットの「千の風」は有名になりましたが、私はこの歌以上に素晴らしい歌だとの思いも強く、この唄を皆様にお知らせします。 ありがとう さようなら 作詞/名付 宏 唄/たいらいさお あなたに会えて 幸せでした ありがとう さようなら 涙の向こうへ 旅立つあなた ありがとう さようなら 心に残る あなたの笑顔 ありがとう さようなら あなたのすべてを 忘れはしない ありがとう さようなら 思えばいつも あなたに会える ありがとう さようなら 花にも星にも あなたがいます ありがとう ありがとう 花にも星にも あなたがいます ありがとう ありがとう 聴いたら涙が出るような、素晴らしい音楽でした。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-19 (87)海は命の母 海はあたかも母のごとき生命の本源だとよく言われます。 新聞紙面から知った知識ですが、海と母をだぶらせて思案することは、古くから行われていたようですが、因みに漢字の海という字には母という字が組み込まれて出来ているし、綴りは母が(mere)海は(mer)で、日本語とは逆に、母の中に海が入っている形になっていて、フランス語では海と母は同発音だそうです。 世界を包んで、人類は母と海の酷似するイメージに想いを寄せていたのだろうが、ともあれ、海と母の文字上の不思議な一致が、世の東西で見られることは甚だ興味深いことですね。 又、日本の有名企業が行ったアンケートによると、「ふるさとを漢字一字で表現すると何ですか」との問いに対し、「山」が一位で、海が二位。三位が母だったそうです。 人間の社会を見ますと、子は母の慈愛が無ければ生きて育つことは出来ません。 ここでも海と母への共通した思いが浮かび上がってくるのですが、先日のミャンマーの台風被害は、母なる海の怒りに似て、仏教国のヤンゴン周辺の流域と穀倉地帯を高波の急襲で破壊してしまいました。 20万人を超えると思える死者と予想以上の災害者の救済も出来ないとは、「この職業軍人の馬鹿」は、熱心な仏教国に生きる仏の心を忘れている、何故なのだろうか。 世界中の人間が、地球に生きる幸せを忘れさせた温暖化の責任は大きく、原因は地球を怒らせてしまった結果によるもので、世界の首脳が集まる北海道サミットで、主催国の日本の政治家の温暖化対策は、絶対的に最大の議事決定とされなければならない責任があります。 それにしても、困った事は、ミャンマーの軍事政権のでたらめな権力思想、政権の安泰は国民の安泰なくして永続することは不可能で、軍事政権の破滅到来が、早く高波の様に起きてもらいたいと願うばかりです、 母なるミャンマーの海は、仏教国の仏様が、二つの力と作用があることを世界に知らせたもので、ミャンマーの軍事政権に、「母なる海の怒り」と「悪人正機の作用」の警告を受け入れさせる行為であったものと思います。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-18 (86)ミャンマーを思う ミャンマーとは昔のビルマですが、私たち現代の日本人には、ビルマの竪琴の映画と、巨大なパゴダしか知らない人が多いのですが、私がビルマに入国したのは最初は昭和41年で、首都のラングーン(現在はヤンゴン)は、想像以上に巨大なパゴダがあり、見かける人々は男女共々に、ほとんどロンジーという腰巻きスタイルで、温厚な人々の印象が強く残っています。 それから、近年までに3回の訪問で、特に旅行の目的はインパール作戦の激戦地の慰霊の旅でしたが、市内の土産店では、虎とか豹の毛皮がたくさん売られていました。 同じくタイのバンコック市内でも同様で、バンコックでは像の足のゴミ入れまで売られていた時代で、考えて見ますと、タイにも虎とか豹が生息していたのでしょうか。 ミャンマーの人たちの笑顔の裏側に隠しきれない政情不安等全く感じなかったのですが、数年前の訪問で、現在この国は、88年の民主化運動を制圧した軍事政権によって支配されて、この政権は国民不在の軍人独裁で、車で走ったラングーン大学の横から延びるユニバーシティー・アヴエニユー通りの間に小川があり、その先に民主主義者のアウンサンスーチーさんが軟禁されていると聞きまし。 第2都市マンダレーに近い細長いメイッティーラ湖のほとりに広がる風光明媚なこの町周辺で、敗色濃い日本軍と英・印連合軍との間に激戦が繰り広げられ、数10万の人が死傷したのですが、バガン王朝の静養地でもあった美しい古都は、この戦闘で灰塵に帰し、地元の人たちも巻添えで大勢亡くなっています。 戦後この町に、亡き戦友たちの供養にと、世界平和パゴダがこの地に建立され、これが「日本ミャンマー世界平和のナガヨン(竜神)パゴダ」です。 さて、最近のサイクロンと高波で、ヤンゴン近くの河川周辺は大被害を受けたといわれますが、忘れられない思い出の水中寺院で有名なチャウタンの状態はどうなっているのだろうか。 楽しそうに小舟で対岸から渡って弁当を食べていた信仰心篤い、和やかな姿を思うと、国民を救わない軍事政権に対して、怒りを感じます。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-07 (85)鳥の巣作り 庭の椿の花は、大輪で特殊な八重咲きで、赤い色は私の大好きなザクロの花の色に似て、早咲きですから年末から咲きだすのですが、悩みの種があるのです。 花の芯を食べるのか、鳩の大きさの二羽の鳥が毎年来て、花を痛めては飛び去ることに対応の方法はありません。 鳥の図鑑を調べましたら、どうも「ヒヨドリ」らしく、インターネットで更に調べると、「ヒヨドリは一年中庭に来て「ピィーヨ、ピィーヨ」とうるさく鳴く、餌が少なくなる冬は他の鳥を餌に近づけないように追い払ってしまうまさにギャング鳥ですが、時には優しい目やひたむきな姿を見せてくれます。」とあるので、まさしくこの鳥は「ヒヨドリ」らしく、毎年二羽とは仲の良い夫婦鳥でしょう。 いつも散歩で近くの川の土手で一休みするのですが、最近、この土手に二羽のツバメが降りたって何か土らしい物をついばんで飛び去るのですが、特急で飛ぶ姿は見慣れた姿ですが、近くで見ると、この小さな鳥が遠い南方からの遠来の客で、子作りに励んでいる姿でした。 現在困っている小鳥との関わりは、今度は「シジュウカラ」の巣作りです。 最近、妙にうるさく鳴く小鳥が家の庭を飛び回るのですが、この小鳥は、上面は青灰色で、白い頬と腹の黒い縦線が目立ちネクタイのように見える.翼には白線が1本ある雀の大きさですが、形はスマートで、「セキレイ」に似ていますが、家の締め切った二階の雨戸の戸袋の中に巣作りを始めてしまいました。 雨戸をやっと外して中を覗くと、枯れ草いっぱいの巣ができているので、巣の取り除きをやめました。 日本の将来、人口不足を嘆く私には、日本人の子孫を残す願いもあれば、可愛い小鳥のエネルギー同様に、無事に子作りをしてもらいたいと願う思いが湧くからです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-16 (84)階級制度 インド独特の身分制度であるカースト制度とは、お釈迦様の時代に、すでに婆羅門(ばらもん)、刹帝利(せっていり)、吠舎(べいしゃ)、首陀羅(しゅたら)といわれる厳として破ることのできない社会の階級がありました。 婆羅門(僧侶)、刹帝利(王侯・武士)は、ほとんど同等の身分で、、吠舎(べいしゃ)(平民)は、それらに対して、婚姻はもちろん交際さえ吟じられ、首陀羅(隷属民)にいたっては以上の人々に対して言葉さえ交わす事が出来ませんでした。 四階層で構成される身分制度の中で、釈尊は三千年前の昔に、すでに「万人は平等なり」と叫ばれたということは、実に驚嘆すべき事柄です、 日本では、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」とは、明治の先覚者の言葉に、当時の人々は驚いたが、これは明治維新までは武士社会であったためのものですが、武士社会が国を支配した過去の歴史の中で、良いことはあまりありません。 現代では武士社会とは、軍事国家と訳した方がわかりやすくなりますが、現世界を見て、軍事独裁のミャンマーがあり、共産主義、社会主義のもとに、一党独裁の国々、それが中華人民共和国、北朝鮮、ベトナム、キューバ等と国民不在の政治がまかり通っています。 独裁者に依って支配される国の国民には、悲惨な出来事が続き、人間平等の自由な生活を満喫する私たちには、とても表現の出来ない事件が続発していても、この違いには、どうすることもできません。 中国の四川省の大地震、4万人を超えるとも云われる死者更に多くの行方不明者の救済よりも、共産党の組織の方が大事で、他国の支援を拒否して、地震の瓦礫の下に救いを求めながら死んでゆく国民の悲しみが、この組織の支配階級者には通じていないのだろうか。 昨日、やっと日本の救援に許可が出たのですが、手遅れの感は大きく心配です。 ミャンマーでは、台風と高波で、首都ヤンゴンまでは水びたりとなって、国民は援助の手を待っているというのに、国際的な支援を拒否して、国民は苦しんでいます。 北朝鮮は、私が書かなくても、将軍様の独裁で、国民不在、原爆を作って食料の確保に、脅迫の交渉を続けて、アメリカから50万トンの支援を約束されたようですが。 明治の偉人の、「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の活躍努力された先輩に感謝して、戦争を棄てて、平和に生きる日本のすばらしさを改めて知るこの頃です。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-15 (83)離婚夫婦同格 過日のことですが、今まで交際も無い相手でしたが、浄土真宗の信心篤い両親に育った関係から、職場問題と家庭の問題で、相談に来ていたある家庭のご主人との出来事、先日、ご主人は一人寂しく家の中で首をつって自殺してしまいました。 彼は一流会社に勤めて中堅の立場で働いていましたが、前年に別の支店への転勤となり、奥様は自宅近くのスーパーのレジ係のアルバイト、娘二人は小学生で、建て売りの一軒家を持って子犬と楽しそうに生活していました。 翌年の春になって、ご主人はまたまた転勤で、前の店に戻ったのですか、今度は一年前の部下が、店長となり、本人のショックは大分大きかったのでしょうか、家庭に戻っても無口になり、夫婦の間がこじれて、私に苦しい心境をいろいろと話しました。 私は世の中の動きに対応するいろいろな経験と、浄土真宗の念仏の心を説きましたが、その後は、何の音沙汰もなく過ぎていましたが、昨年離婚して子供は奥様が親権を取り、奥様さんは生家のある田舎に帰り、生家に近い家で子供との3人暮らしをしていたそうです。 この離婚は民事調停裁判の離婚でしたが、彼は会社を辞めて、新たな就職先を探して独身生活と、子供の養育費は、本人と彼の老両親が指定の送金先に滞る事無く送金を続けていたそうです。 しかし、知ることは送金先だけで、彼女の居場所もあかされず、子供に会うこともできない生活は、彼の人生さえも終わらせてしまいました。 日本の民法では、子どもに対する親権は、結婚期間中は夫婦が共同して持つのですが、離婚後は一方に決め、妻に親権が移ると、子どもとの面接可能の権利は明文化されていません。 なぜ、そんなに親権は一方的なのか、子どもに会えない片親は多いのは、不公平と思いますが、自治体に相談に行っても、扱う窓口もなく、行政は、法の裏付けがないと動きにくいのだと思いますが、離婚後の親権は子供たちにとって親であれば、両親の一方選択ではなく親は男女同格であるべきだとも思います。 私は、一人寂しく家の中で自殺した彼の心の悲しさを痛感しています。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-14 (82)痛みの程度 もう、とっくに過ぎ去った事で、私には関係ないという過去の小泉内閣が、全力で構造改革の本格化に着手した結果を考えました。 これには、悼みを伴うものだというが、痛みにもいろいろと程度の差が生ずる。痛みの表現を区別すれば、経済面では、予告された痛みもあって、現在の正解はガヤガヤと騒がしくなって国民不在の勢力争いになっています。 国民の心の中は、シクシクと痛み始めているらしいが、それがキリキリの激痛になると大変だと過去の新聞の紙面で、日本語で言う痛みの表現は、外国では通用しないと結論づけていました、 日本人が外国で病気にかかった時など症状を相手に伝えることの難しさがおもしろい。 「ズキズキしていた頭が急にガンガン鳴り始めて」とか「キリキリまではいかないのですが、ずっとシクシクしていて、ときどきキュッと痛みます」など痛みの表現だけでもどれだけあることでしょうか。 同じ痛みの言葉の中で、心の痛みについては、ズキズキ、ガンガン、キリキリでは説明がつかない。心の痛みを持つ人の心の中は、見通せず、病気だと結論付ける場合が多くなります。 病気であれば医者に掛かれと、専門医を探して掛かってみても、心の痛みは取れません。 悩み事とか心の痛みは、生きている幸せを教え、感謝の生活を送ることで、仏教の教えがここに生きています。 手を合わせ、お念仏を繰り返す行為は、自然に心の痛みをも取り去るものです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-13 (81)死の苦痛 ある老人の質問で、「死ぬときは、苦しいですか、痛いですか」という質問が多く、臨終の苦しみに対する質問はあるのが当然で、人間に関わらず、生を持つものには必ず死があるからです。 私が子供の頃、説教師の老僧から聞かされた忘れられない答えがあります。 「この世に来るときの苦しさと痛みは、帰るときと同じだよ。来たときの事は、みんな物心がつく頃には忘れてしまうもので、どうしても知りたければ、生んでくれたお母様から聞けば、半分は解るだろう、同じ痛みと苦しさは、お母さんなら覚えているだろう」と。 それならと、母親に聞けば、ほとんどの母親は、「忘れてしまった」というそうですが、忘れるほどの苦しさと痛みなのかと、漠然と考えてしまいます。 私達人間は、母親の体を借りてこの世に生まれましたが、来た道があれば、帰る道があります。 医療の発展は、痛みを伴う末期の対策として、痛み緩和ケアの充実が先決だと論じられ、死か延命か安楽死かなど医師の悩みが囁かれていますが、現代医療の発展は、延命による苦しみを与えてしまうように思えます。 だが、不思議な大事件発生、後期高齢者老人保健制度、何がどうなるのかさっぱりわかりません。 痛みの苦しみは、早く死ねと云われても、頭の中は、ずきずき、がんがんと苦しむ。 だが、私達は今はこの世にあるのですが、人生の終末の臨終を過ぎると、次には命尽きない極楽浄土に生きる約束があり、帰るところがあるという安心があることを承知してもらいたいのです。 Guzuo88の、ひとり言です。 2008-05-12 (80)男女の仲 毎週日曜日の夜に放送される「篤姫」の番組を楽しんで見ていますが、けなげに結婚という運命に翻弄される姿に心が動きます。 この時代、男女という立場は厳格に区別されていたのは、武士社会においてのものとと云うよりも、社会全体の風潮でした。 それは、「男女七歳にして席を同じくせず」の社会で、儒教の影響が大きいのですが、現代では、男女のデートは当たり前に手を組んだり、ちょっとやり過ぎだと見られる若い男女の電車内のねちねちの姿は、恥ずかしいも何も感じない心境で、社会もこれを許しているのでしょう。 私の若い時代というよりも、戦後になっても、10年程度の間は、昔の、これは恥ずかしい行為だという風潮は続きました。 「遠くて近きは男女の中」という言葉がありますが、男女の縁は、結ばれやすいという諺はありましたが、心の中は、その通りてすが、戦時中となると、お巡りさんに見つかると、「オイ、コラ」と注意される始末となりました。 「男女七歳にして席を同じくせず」の諺が庶民に広まった江戸時代は、男女間の道徳が厳しく、そんな時代に、恋愛の心を焦がした男女の仲は、篤姫の生活にも見られ、テレビを見ている若者たちは、どのように思っているのか、私たち老人には、そちらの方に興味があります。 平安時代の女流作家で有名な清少納言の『枕草子』には「遠くて近きもの極楽、舟の路、男女の中」とありますが、感情動物の人間様から男女の愛を切り離されたら、自由という言葉は生まれず、これが一番の望みの由来で、名言が生まれたのでしょう。 人の愛は、仏教では、人間が本来備えている仏性とは、心の中に燃えていれば極楽そのもの、という考え方をすると、、空海は、著書で、「近くて見難きは我が心、細にして空に遍ぜるは我が仏なり」と表現されています。 現代では、空海さんの心に反して、堂々と愛の表現は自由で、仏様もほほえんで見ていらっしゃる。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-11 (79)知恵の存在 五月のゴールデンウィークの連休も過ぎて、私が散歩をする近くの公園の木々の緑は、これから向かう厳しい暑さの夏を忘れさせるように、涼しく、さわやかです。 特に、四季を持つ目本では、誰でもが、そういう気分になるのは当たり前のことです。 自然の成り合は、樹木の姿から見ても、春の新緑から夏の濃緑、この間に子孫を残す果実の養成があって、熟成を済ますと、活動期の最後を五色の紅葉となって、美しさを見せながら落葉し、後は、冬の休眠に入るか、枯れて終わります。 草から樹木、動物など、生というものを持つもの全てが、人間同様な命の働きを続けてい るのですが、万物の霊長といわれる知能を持つ人間にとっては、知恵の存在に気付かない人が多いのです。 人間には、休眠が無い変わりに、知恵という能力があり、地球全体の人間社会があるために、知恵を働かす苦楽を伴う人生がありますが、年々のこの季節は、万物の成り合いに添っての、感情が沸いてきます。 人間の持つ長い人生の中には、この世に生まれ、育てられ、教えられ、救われながらの成長が続き、成人として、社会に生き続ける恵みがあってのものですから、この恵みを知ることこそ、全て、生きる感謝の報恩謝徳という、人間としての絶対的必要行動が生まれて当然です。 新興宗教の、自分本意の我欲を追及するものは別ですが、本来の宗教の理念は、仏教でも、キリスト教でも、イスラム教でも、全ての根本理念は、「自分は、今、この世に、苦楽の社会に生きている。」自分の存在は、先祖があり、親あり、兄弟あり、友あり、親戚ありと、和で形成される社会に感謝する知恵の教えです。 生きる感謝の知恵を持たないことは、つまりは、大馬鹿者になり下がりますから、これこそ、自分の一大事と反省して、もっとも簡単な手を合わせる心ぐらいはもって頂きたい。 本来の宗教の心は、何の宗教でも、第一の概念は、自分がこの世に苦楽と共に生き、生かされていることに気付き、報恩謝徳の心を忘れないことです。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-10 (78)井上選手引退 テレビの画面に映る、柔道の井上康生選手、引退会見はすがすがしくさわやかでした。 北京オリンピック出場の夢を果たせなかった柔道の井上康生選手が会見を行い、現役を引退することを正式に表明しました。 「本日をもって、私、井上康生は第一線を退く決意をいたしました。精いっぱい、本当に柔道にすべてをかけて生きてきたなというのがこの25年間の実感です。長いようであっという間だったなという気持ちもあります。今の心境としては、『我が柔道人生に悔いはなし』、そういう気持ちであります」。 五歳の幼児の時代から初めて、柔道一筋の路には、勝負となると、勝ち負けは必定で、世界の頂点にたてば、世界の柔道に心を燃やす人にとっては、絶対的な最高目標となりましたが、私は過去に、彼のおごり高ぶった姿と顔を見たことがありません。 吉川英治さんの小説を読んで「宮本武蔵」という人物に生死をかけた、武人たる者の闘争心を教えられた心地がしましたが、中でも、彼を追う「お通」さんの心情が、井上選手と結婚したタレントの東原亜希さん(25)が、心身をすり減らすほどに励まし努力の結果は急病という報道にも、女性の持つ愛情にこみ上げる感激をしました。 今後は2年間の海外研修を予定するなど、指導者としての道を歩むことになるそうですが、純情な少年たちに、柔道を通じての日本人らしい礼儀と、力の結晶を教え込んでいただきたい。 勝負の世界で、いったい「勝利」とは何かと考えると、勝つ者があれぼ一方に敗けた者がいる、敗けてくれる相手があるから「勝った」という気持ちも生まれます。 勝利者は誰よりも敗者にむくいる気持ちがなくてはならない、誰よりも強く相手とする敵がいないほどの力量があったとしたら、もう敗けも勝ちもありません。 強い人間とは、勝敗を二つともすて、越えた人なのだから、勝ちも敗けも上下はない、優劣もない。それは同じく等しいものと私は考えます。 お釈迦様の金言に「勝つもの怨みを招かん ひとに敗れたるもの苦しみて臥す されど 勝敗の二つを棄ててこころ静かなる人は 起居ともにさいわいなり」と、あります。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-09 (77)“小声”女将 食べ残し別の客に 刺し身やアユの塩焼き 船場吉兆、吉兆消えるか? 最近はも法要後のトキは、ほとんど割烹料理店が利用されますから、僧侶の私も割烹、懐石料理にあずかることが多いのですが、どの店も店の繁盛を目標にして、まじめに努力しているこのご時世に、とんでもない高級割烹料理店が現れました。 マスコミを騒がせた牛肉の産地を偽装表示していた高級料亭「船場吉兆」の事件は、内部告発だろうが、今度は残飯料理の高級割烹料理で荒稼ぎとは恐れ入りました。 “小声”女将が会見して、世の中には図々しい女も多いが、湯木佐知子社長(70)「会見は初めてで、精巧なマイクで一語一語、聞き取れるということを全然、存じませんでした。恥ずかしい結果となり、反省している」とうつむきながら話していても、お芝居の名人お婆さんと見ていましたが、今度は“小声”で指示したらしい、他人の食い残しの高級割烹料理の使い回しです。 料理の責任者の弁明には驚きましたが、使い回しは、本店の調理場で、仲居が客席から下げてきた器の中身、はしを付けた料理は廃棄するが、はしを付けずに残った料理の一部は高級品を思わせる、器に盛り付け直して別の客に提供していたという。 アユの塩焼き、ゴボウをうなぎで包んだ「八幡巻き」、エビに魚のすり身を塗って蒸した「えびきす」、天ぷらは揚げ直し、手付かずで残った刺し身まで、悪い事をやれば罰があたるのは当然です。 食べた人は、高級料亭「船場吉兆」の名前に惚れて、たぶん流行の言葉「おいしい」のムードで大金を払っていたであろうが、内部告発から事がばれたら、大阪商人の面汚しとでも云うか、図々しい“小声”女将もさすがに真っ青になったでありましょう。 他人から悪感情をもたれたり、意地悪をされるのは、その人に対する、自分の行いに原因があるからという問題の代表的な例ですね。 人を恨んではいけない、つまりは「人の悪きは我が悪きなり」という教訓です。 『無量寿経』には「善悪の応報たる禍福(悪い思いとよい思いのこと)は、自らこれを承けて代わる者なし」と記されています。 Guzou88の、ひとり言です。 2008-05-08 (76)百年前からの寿命 しばらくの間、日本と中国の首脳外交が途絶え、両国の意地の張り合いは、胡錦濤国家主席の来日によって和らぎそうですが、その間にても、目を海外に移すと、イラクのテロ戦争、ミャンマーの台風災害と、世界の人間の命が消えていきます。 平和の祭典北京オリンピックも3ヶ月以内となりましたが、中国では相変わらずの排日教育が全土に蔓延している現実があり、困った大問題を引き起こさないでもらいたい。 胡錦濤国家主席にお願いしたいことは、中国人も日本人も皆同じく人間として幸せな人生を送りたいと願っていることは同じ人間としてお解りでしょうから、大国主義、覇権主義を棄てて、ちょっと不甲斐ない日本の総理大臣と平和主義に徹した話し合いをしていただきたい。 国民教育という者は恐ろしい力を持っているもので、過去の第二次世界大戦は、日本のトップの最高責任者、国民に向かって国の為に潔く死ね、靖国神社で神様になれと号令した結果は、戦時の多くの若者たちは、二十歳前後で死んでしまった。 彼らを追い込んだものへの巨大な疑問をいつも新たにするのですが、恐ろしい教育です。 百年前の日本人の寿命は、女性四十四・八五歳、男性四十三・九七歳、百年で四十歳以上も延びたが、順調に延びたのではありません。 厚生労働省の統計がすっぽりと抜け落ちている期間があるのが不思議です。 昭和三十七年から四十六年の十年間は、戦乱の時代だが、かろうじて敗戦の年の四十五年の統計が参考として残っています。 男性が二十三・九歳、女性が三十七・五歳だったとは驚きます。 二十歳そこそこしか生きられない時代や社会は、やはり普通ではありません。 騙した責任者は許せないけれど、人生八十の時代、日本人の純真な心も、今は楽しく勝手に生きることだと短絡的な生き方をする若者が多くなっています、困ったことです。 Guzou88の、ひとり言です。 |
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