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フランスのルノー社のライセンス生産をしていた日野ルノー(4CV:フォルクスワーゲン似の車)の経験を活かし、1961年(昭和36年)に発売したのが、日野コンテッサ900です。当時、近所のタクシー会社で日野ルノー(タクシ−として使われていた)を見ていましたので、コンテンサ900の発売を知っていましたが、日野コンテッサに興味を抱いたのはそれから3年後の1964年にイタリアの著名なデザイナーであるミケロッティーがザインした、コンテッサ1300です。近所の原っぱが整地され新しい団地(当時、文化住宅と呼ばれていました)が出来、そこに越してきたある家の前に真赤なコンテッサ1300がとまっており、時々、その家の父親と息子さんが仲良く洗車している情景を垣間見て、羨ましく思ったものです。結局、日野が国内で発売した、最初で最後の乗用車がコンテッサということですね。 ちなみに、当時、私が感じた文化住宅とは、「風呂がある」、「台所が家の中(土間ではない)にあり、レンジ(カマドではなく石油ガス式のレンジ台)がある」でした。よく遊びに行った友人宅には今で云う「リビングとダイニングキッチン」があり、リビング兼ダイニング兼寝室といった我が家に比べ、憧れの的でした。
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1967年(昭和42年)のコスモスポーツ(L10A)のレストア日記を当ブログで2007年9月28日から掲載中です。興味のある方は是非共ご覧になって下さい。
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確か、2000GTの販売価格は250万円位だったと思います。高級車クラウンの2倍、その後大衆車といわれたカローラの6倍です。親父が軽自動車から日産サニーのバンに買い換えましたが、40万円でした。その様な超高級スポーツカーだったのですが、手作りであまりにもコストが掛かり赤字だったという話でした。
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トヨタ2000GTといえば、日本が舞台となり1967年に公開された「007は二度死ぬ」でボンドカーとして使われ世界的にも脚光を浴びた車ですね。日産フェアレディーやホンダS600等のスポーツカーでは遅れをとっていたトヨタがヤマハ発動機からDOHCエンジンの供給を受け発売した、まさに手作りのスーパースポーツカーで、種々のスピードトライアルの記録を樹立した車です。何故か?トライアルの記録ビデオが家にあります。プロジェクトXか何かで、放映されたんでしょう。
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| 1967年(昭和42年)からの第二次高度成長期(いざなぎ景気)の影響だと思いますが、初任給が2万円そこそこなのにその20倍〜30倍の車がドンドン売れ出し、巷に車が一気に溢れてきた時代でした。 そういえば、トヨタ2000GTやコスモスポーツなど伝説のスポーツカーが発売されたのもこの頃ですね。
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| いすゞですか?英国のルーツ社の技術で生産していた車ですね。写真では見たことがありますが、残念ながら実車はお目にかかったことがありません。 今でこそ自動車王国日本ですが、当時は日本の技術もまだまだ未熟だったんですね。
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| 街中を走る車自体が少ない時代でしたが、昭和40年代(1965年)に入り、それまでの軽自動車から段々と小型自動車が増えてきたと思います。テレビCMで脚光を浴びたダイハツも、ミゼットの次にコンパーノベルリーナという小型車を発売。パブリカ、サニー、カローラ等など、巷に小型自動車が増えてきた頃です。 勿論、トヨペットやダットサン、ヒルマンといった乗用車は以前から街中を走っていましたが、お役所や大企業のお偉方の車として使用され、とても一般庶民が乗る車ではありませんでした。
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コンテッサとは、又、レアな車ですね。G.ミケロッティーのデザインですが、日本人には何故かイタリアのデザイナーの作品がウケルきらいがありますが、そのハシリともいえる車ですね。
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