ホンダZ(マイカーの歴史U) RSS
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アクセス数:364
投稿日時 2008/5/4 8:16:41
更新日時 2008/5/9 18:53:24
1970年(昭和45年)N360をベースにスペシャリティー軽スポーツ車としてZが発売されました。ガラスハッチバックを採用したクーペスタイルで、ハッチバックの枠が黒くて太かったことから、水中メガネの愛称で呼ばれました(ブログ本編にZ日記を掲載中ですので、ご覧になって下さい)。
入手したZは1974年の水冷直2SOHC(36PS)ハードトップモデルです。
わずか4年の短寿命でしたが、サニークーペやスプリンターを買う程の余裕はないが、といってN360やスバルじゃ物足りないという若者に人気がありました。

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6 ご忠告有難うございます。
投稿者:bookman 投稿日時 2008/5/9 18:53:24
更新日時 2008/5/9 18:53:24
友人の話として、「ハンドル切ったら曲がり過ぎちゃって接触しそうになっちゃった」というのをオーバーステアと表現しておりましたが、なんせ、自分ではハンドルを握った事が無かったので、イメージが沸かなかったのですが、実際にはタック・インの傾向との事で、参考になりました。
今のところZでそのような状況を体験しておりませんが、しっかり頭に入れて置きたいと思います。
 
5 ハマちゃんの愛車?
投稿者:こまんど 投稿日時 2008/5/8 14:15:41
更新日時 2008/5/8 14:15:41
こんちは、そのころ(1973頃)にZならぬN360の方に乗ってた
コマンドと申します。「Z」は欲しかったけれど買えなかった(Nに
したって5万円の中古でしたし)。
 
「Z」と云えば、思い出されるのは人気マンガ「釣りバカ日誌」の
主人公ハマサキ氏の、当時の愛車としてでした。
 
ところで、ZのもととなったN360(「Nコロ」と読んでいたっけ)に
は、独特の操縦特性がありました。スレマスさんの別スレッド「N360」
では「オーバーステア」と表現しておられましたが、むしろ強い
「タック・イン」の傾向があった、というべきでしょうか、コーナーリング
そのものは「アンダーステア」がでやすいのに、怖くなってアクセル戻す
と(ましてブレーキ踏んだりしたら、もっと激しく)すうっと内側へ向く
んです。ホントに怖かった・・・・

「Z」にもきっとそういう傾向があると思うんで、オーバースピードで
コーナーへ飛び込むときには気をつけてください・・・
 
 
4 ボディーカラー
投稿者:bookman 投稿日時 2008/5/7 11:53:54
更新日時 2008/5/7 11:53:54
1972年(昭和47年)に仲間とツーリングした時の記憶を思い起こすと、白のサニークーペGX5、シルバーのセリカGT、濃い黄色のブルーバード3S(トップは黒のツートンカラー)、濃いグリーン(例の色)のスプリンター、白のギャランGTO、真っ赤なサバンナロータリー・・・。
という事で今とあまり変わらないんでしょうが、黒とかメタリック系(シルバー以外)、パール系の色は殆ど無かった感じがします。
 
3 グリーンですか?
投稿者:ボンド 投稿日時 2008/5/7 8:17:45
更新日時 2008/5/7 8:17:45
そういえば友人もグリーンのカリーナに乗ってましたネ。グリーンのセリカも近所で乗ってる人がいました。今では見掛ける事もない色ですが、なぜか流行りましたネ。
そういえば、70年代ってどんな色が流行ったんでしょう?
 
2 元色はグリーンです
投稿者:bookman 投稿日時 2008/5/5 17:04:51
更新日時 2008/5/5 17:04:51
確か、スプリンターが最初だったと思いますが、当時、濃いグリーンが流行りましたね。このZの元色もグリーンです。会社の同僚が所有しおり、時々乗せてもらいましたが後席はかなり窮屈で、身動きが殆ど出来ないくらいでしたが、それでも車を持っている若者は極わずかでしたので、4人乗ってドライブに出かけてましたね。
 
1 友人が乗ってました。
投稿者:通行人 投稿日時 2008/5/5 7:44:08
更新日時 2008/5/5 7:44:08
月給が2万円、独身寮の食費が5千円、その他の費用を支払い手取りが7〜8千円くらいだったと思います。同じ生活をしているはずの友人が月々4千円の月賦を払って買った車です。よく乗せてもらいましたが、結構楽しい車でした。
 
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