2007/6/29  15:01

学校の注意義務  最近の報道から思うこと

自閉症の生徒が自傷行為で失明したことは、「不適切なカリキュラムへの参加」
の強要に原因がある、として、学校側の責任を認めた判決が出されました。

自傷で失明、学校でのストレスが原因 元生徒が逆転勝訴                                2007年06月21日 朝日新聞

 京都府長岡京市の府立向日が丘養護学校に通っていた同市の元女子生徒(24)
が自傷行為で失明したのは学校に責任があるとして、元生徒と両親が府に約1億
1300万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が21日、大阪高裁であった。
渡辺安一裁判長は請求を棄却した一審・京都地裁判決を変更し、府に約6200万円
の支払いを命じる逆転判決を言い渡した。
 判決によると、元生徒は86年、医師から知的遅滞と行動障害があると診断され、
90年に同校に転入。同年夏ごろから自分の顔などをたたくようになり、94年
9月の運動会練習中に目をたたくなどの行為で、外傷性白内障で両目を失明した。
 渡辺裁判長は運動会練習やランニングなどが元生徒の大きなストレスになったと
指摘。休み中は自傷行為が落ち着いていたことなどから「不適切なカリキュラムへの
参加を強制し、目への激しい自傷行為を誘発した」と因果関係を認めた。
 府教委特別支援教育課の松本公雄課長は「主張が認められず残念。判決の内容を
吟味して対応を検討したい」と話した。

生徒側の逆転勝訴判決です。
学校側(京都府)は、上告を断念したようです。


自傷で失明、京都府が上告断念 損賠判決確定へ                                      2007年6月27日京都新聞
 自閉症の女性(24)が向日が丘養護学校(京都府長岡京市)に在学中、自傷行為
で両目を失明したのは、学校が不適切なカリキュラムを強いたことが原因として、
女性と両親が府に損害賠償を求めていた訴訟で、府教委は27日、約6300万円
の支払いを命じた大阪高裁判決を受け入れ、上告しないことを決めた。女性側も
上告しない方針で、判決が確定する。
 女性は1990年に同養護学校小学部に転入、運動すると自傷行為をするように
なった。6年生だった94年9月に運動会の練習を機に自傷行為が激しくなり外傷性
白内障で両目を失明した。
 一審の京都地裁は「自傷を防ぐのは不可能」として訴えを退けたが、高裁判決は
「学校は自傷行為を防ぐ注意義務があった」と判断した。府教委は、「元生徒の失明と
いう不幸な事件に対し、人道的な観点からも長期にわたる裁判を続けるべきではない」
として、上告を断念した。
 原告代理人の永井弘二弁護士は「当然の対応だと思う。判決で指摘された通り、
障害児だけでなく健常者に対しても個人に見合った教育をしてほしい」と話した。

この判決については、報道されている限りのことしか分かりません。損害賠償の
根拠も安全配慮義務違反なのか、不法行為法上の注意義務違反なのか、これだけでは、
分かりません。
この判決については、以下のサイトを参照して下さい。
http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20070622082154/index.html
http://www.satosho.org/satosholog/2007/06/post_7c31.html

近年、授業中や部活動中の事故、いじめによるトラブルで、指導する教師や学校の
責任が問われることがよくあります。障害児についても、2年ほど前、不適切な給食
指導が原因で広汎性発達障害児が不登校となった事案で、学校側の責任が認められ
ています。
詳細は、こちらを。http://www.satosho.org/satosholog/2006/09/post_c863.html

画期的な判決であることは間違いありません。
ただ、少し懸念されるのは・・・
学校その他の施設の注意義務ないし安全配慮義務がどこまで及ぶのかが分からない
ため(「個別ニーズに応じる」のであれば、まさに「ケースバイケース」となる)、
障害児の指導を萎縮させることにつながらないか
 →現在、医療の世界でも、そういう現象が起きつつあります。義務の範囲は、
  結果から見て画されます。つまり、「ここまですべきだった」ということが
  あとから明らかになるわけですが、行為時に「ここまでしていれば大丈夫」
  という規範には必ずしもなりません。
  友人に医師がいますが、「責任を問われる危険があるからと、臨床から去る
  医師が増えている」と話していました。
  その子にとって「不適切なカリキュラム」なのか、という基準が明確でないと、
  「何も指導せず、好きなようにさせておく」という事態も生じかねません。
養護学校だからこそ、高い注意義務を負わされるのか
 →特別支援教育の場は、養護学校や育成学級に限られません。普通学級の教師にも
  同程度の注意義務を負わせることになるとしたら、現場は混乱するでしょう。
「障害名」のついている子への配慮にとどまるのか
 →京都新聞の記事の末尾にある、原告代理人のコメントにあるとおり(裁判所の
  見解?)、「障害児だけでなく健常者に対しても個人に見合った教育」が
  なされるべきです。とりわけ、軽度発達障害児に関しては、未診断の子どもや
  ボーダーライン上の子どもなどがいますから、診断がないと動かない制度
  には、私自身、不満があります。しかし、全ての子どものニーズを把握し、
  それに応じた配慮をするだけの力が、今の学校にあるかどうか、疑問です。

判決文を見てから、じっくり考えたいと思います。



2007/7/1  22:23

投稿者:MOMO

特別支援教育において、障害種別ごとに分けることをやめ、各校を総合的な養護学校(特別支援学校)にしようとした背景の一つに、重複障害が多いことがあげられています。我が町の養護学校が全国に先駆けて、統合を行いました。より近い学校へ通えるなどの利点はありますが、これまでその学校では対応したことのない障害(その中には、軽度発達障害もありますが)に、現場は大混乱状態にある、とも聞きました。
集団の中で、1人の担任(少なくとも子どもの数よりは少ない教員)が「困難を抱える」個人を見るためには、キリストではありませんが、「99匹の羊を置いたまま1匹の羊を追いかける」ことになります。学校教育の中でそのようなことを行うには、「99匹の羊(及びその飼い主)」の理解と我慢が必要になりますが、実際には不満が噴出するでしょう。難しいところです。

2007/7/1  20:38

投稿者:KAZUはは

昔、盲学校の寮にボランティアで伺った時、目が見えないだけでなく、自閉症や知的障害を併せ持った子供たちも少なくありませんでした。今、思い返せば、重複障害だからこそ、寮生活が必要だったのかもしれません。
この裁判での女性は、自閉症のうえに中途失明という難しい問題を、抱える事になって、ご自身も、ご家族もたいへんだったろうなと新聞記事を読んで思いました。
個人に見合った教育・・・ことばにすると簡単なんだけど、クラス、学校という集団の中では難しいですよね。

2007/7/1  10:20

投稿者:MOMO

人手不足は、深刻ですね。医療の現場では、責任を問われるのが嫌でやめる→人手不足になる→手がまわらなくて医療ミスが起きる→責任を問われるのが嫌でやめる→さらに人手不足になる、という悪循環が生じているようです。福祉や教育の現場でも同じようなことが起こる危険があります。
もう一つは、裁判では、「どこまですればよかったのか」が確定されますが、現場では、それがはっきり分かりません。個人病院と最先端技術を持つ大病院では「できること」が違いますし、専門医と「専門ではない」当直医でも異なります。初期の段階からはっきり特徴の出るわけでない病気では、「様子をみる」という判断もあります。定型から離れた処置が全て「誤り」というわけでもありません。万人が納得するような「唯一正しい」「完璧な」処置というものがあるわけではなく、裁量に委ねられる部分が大きいので、難しいだろうと思います。

2007/7/1  8:42

投稿者:pega

 こんにちは^^ わたしが看護職に復帰しない3割くらいの原因は「責任を問われるのが怖い」です。本当に医療の現場も、教育の現場も、予算をつけて余裕を持たせて欲しいです。
 今のままでは(というか、「今もうすでに」かもしれませんが)、医療も教育も安心して受けられなくなってしまいます。
 

2007/6/29  18:22

投稿者:MOMO

ありがとうございます。時間に余裕がなかったので、いきなりのTB、失礼いたしました。
保護者としての立場(=発達障害への理解、「特別支援」の具体化を推進すべき立場)としては、歓迎すべき判決なのでしょうが、こうした判決の副作用、射程が非常に気になります。
ところで、このブログの読者の大半は、法律家ではありませんので、普段、法律ネタを扱うとき、あまり専門的なコメントにならないよう(法律用語などを使わないよう)気をつけているのですが、今日は、時間に余裕がなくて、「安全配慮義務」だの「注意義務」だの、専門用語連発です(汗)。ま、たまには、いいかなぁ(笑)・・・

2007/6/29  17:04

投稿者:satosho

TB ありがとうございました。こちらかもTBしますね。
MOMOさんのコメント、わたしも同感です。こういうものを訴訟で解決すること/訴訟しかないことに、どうしようもない残念な思いを抱いています。医療の世界では対話型医療ADRが動き出そうとしていますが、福祉の世界でもできないものかと思いますが、まずは判決を読んでみたいですね。

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