2007/9/3 23:59
開店休業のお知らせ 分類なし
思えば、このブログも丸二年を過ぎて。
その始まりの頃の自分を思い返してみると、
随分遠い昔のことのように思えます。
当時出会っていなかった人、見ていなかった景色、
感じていなかった気持ち、携わっていなかった仕事。
改めて振り返って、これが人生かと少ししみじみ…。
何かを手に入れれば、何かを失うという原理原則に
逆らうことはできないものかと、随分と抵抗してみたのですが。
元より無謀なことだったようです。
どうにも疲れきってしまいました。
書くことを止めることは、私にとって、機能停止を意味します。
いつも、どんな時でも、書くことで生命を維持してきたので。
潰されそうな重みに息が出来なくなりかけても、
書くということで酸素を自らに与える事が出来ました。
不器用な私は、一人書くことで、小さな再生を繰り返して
来たのだと思います。
そんなワタシも今月、20代を卒業します。
勿論戻ることは出来ない一方的な流れです。
10歳から19歳までの出来事も、それなりに波乱万丈いろいろ
ありましたが。
20歳から29歳までの年月とサヨナラするのは、
なんだか少し感傷的になってしまいます。
ワタシにとっては、とても大きな切り替わりの瞬間を
迎えるにあたって。
突然ですが暫くの間、このブログを休業することにしました。
閉鎖はしません。
またいつか戻れる日が来ることをなにより自分自身の励みにして、
≪開店休業≫という形をとります。
日常の数分間、このブログを読みに来てくださっていた方へ。
本当に言い尽せないほどの感謝の想いでいっぱいです。
アクセス数が0の日がなかったことで、随分と救われていました。
ログオフ機能が人生にもあればいいなと真剣に思ってみたりも
するワタシは、これから少しの間、消えますが。
こっそり照れながら戻ってきた際には、
どうか優しく迎え入れてやって下さい。
その時には、彷徨いから抜け出ていると良いのですが。
このブログに来てくださった方全員が、
どうか傷ついたり、苦しんだりせず、温かく柔らかい
微笑みと愛に満たされた日々に恵まれます様に。
2007/8/26 23:59
ジェームズ・タレルの作品たち 似非エッセイ
『オープン・フィールド』ジェームズ・タレル作
地中美術館にあります。
通された部屋にあるのは、
三方から昇ることの出来る7段程度の階段と、その先の壁にある青く四角い光のみ。
そして階段を昇り、青い光に手を伸ばした時。
その瞬間、この青い光に完全に取り込まれてしまうのです。
そして平衡感覚も3次元の世界をも奪われてしまう。
なにより影を奪われる。
そう、光そのものの中に含まれてしまえば、影は消滅するのです。
当り前の理屈ですが、それが現象として顕在化した時に感じる
およそ例えようのない落ち着きの無さは、
時の流れをも遮断した時空の挟間に落ちてしまったかのよう。
タレルは、何かに投影された光ではなく、
光そのものを対象化して作品にしようとした作家です。
確かに私たちは、光を知っているけれど、その形は見たことがない。
タレルの作品は、光を私たちに見せるだけではなく、
その光に包まれ、触れることを可能とするのだと思います。
『南寺〜バックサイドオブザムーン』ジェームズ・タレル作
家プロジェクトの一つです。
入口に近づくと、注意事項とともに、内部の地図を頭に入れておくよう
指示があります。
何故か。
それは、建物内に一歩でも入れば其処は経験したことがないくらい
の闇が広がるから。
たった一歩踏み入れた瞬間に、本当に一瞬で、まずは視力を完全に奪われる。
本能的に足がすくみそうになるのを耐えて、
木造の壁を両手でしっかり確認しながら、壁の形どおりに進んでいきます。
肩が触れるほど近くにいる友人の存在は、
この時点で完全に消滅して、ブラックホールの中は
きっとこんなではなかろうかと思えるほどの経験したことない
レベルの暗闇の世界で、たった一人きり放り出されてしまう。
息遣いや、足音や、気配や。
恐らくそういったもので、隣の人くらい感じ取ることが出来るだろうと
思っている人へ。
それは、まだ、この本当の暗闇を体験していないから言えるんだと思います。
真っ暗闇というのは。
何も視力だけを奪うのではなく。
ありとあらゆる感覚を麻痺させてしまうのだと、知りました。
その後指示通り、恐る恐るベンチになんとか座り、ひたすらに前方と思われる
(この頃には天地左右、とにかく360度の感覚が無くなっています)
方向をひたすら見続けなければならないのですが。
建物に入る前に聞いた注意事項が浮かびます。
「耐えきれなくなって叫び出す人もいますが、
とにかく怖がる必要はありません、出てこれなかった人はいません。
だから声は一切出さないでください」
その言葉の意味が身に染みて分かる。
ベンチに座って数分で、まず、自分が存在しているという感覚を完全に失うのです。
前方を見続けなさいという指示を守るため、
必死に目を開けようとするのですが、
もはや瞼を指で触らなければ目を開けているのかも分からなくなるほど。
きっと、これが生と死の境目なのかもしれない…と
感じたことのない不安と恐怖も襲ってきます。
それでもそこを過ぎると、自分自身がすっぽり闇に溶け込んで、
無になれるのです。
空間の広さも、隣にいるはずの友人も、自分自身の呼吸さえ、何も感じない。
人という肉体的物質そのものから解放されたような、そんな感覚は
これ以上表現しようがないものでした。
建物内部に入って、ベンチに座ること10分程。
そんな感覚になり始めた頃に、タレルの作品は突然姿を現わします。
一体、其処に何が見えるのか。
これこそ、表現しようがありません。
だから、今でも、この南寺にあるタレルの作品は
どんなものかと聞かれても、答えることが出来ません。
一つ言えるのは。
それは必ず見えます。
電気をパチンとつけたように、飛び込んできたり。
もしくは徐々にゆっくり現れたり。
あれほど声を出してはいけないと言われていたのに、
不覚にも無意識で私は「あっ」と鋭く声を発してしまいました。
それ程の突然さなのです。
そしてその作品が見えたら、それに向かって歩き出すことが出来ます。
逆に、その作品が見えるまでは、決して歩きだすことは出来ないと思います。
作品の場所まで辿り着けた自分の目に映るのは、
一体どこにいたんだと思うぐらいの他の人々。
まるで皆、狐につままれたような、そんな表情で、回れ右をすれば。
自分の顔の真ん前に持ってきた手のひらさえ認識できなかった
暗闇に、出口を見つけることが出来ます。
今、こうしてあの時体験した感覚を思い起こし、文字にしてみても、
やはり不思議でならない。
訳の分からないまま、しばらくして、じわじわと感動は拡大します。
出逢えて良かったと思えるアートが此処にはありました。
それにしても、徳島の大塚国際美術館といい、香川の直島といい、
なんて四国は素晴らしいアートが満載なんだろう…。
2007/8/26 23:58
羊飼い、アートの島に行く〜香川・直島の旅 旅先小話
香川にいる大学時代の友人を訪ねてきました。
何の目的もない旅のはず…だったのですが、この友人のお陰で
ワタシは衝撃的な体験をすることに。
高松港からフェリーで約一時間で、瀬戸内に浮かぶ小さな島・直島に着きます。
そこはベネッセの社長が結構なお金をかけて、
島全体をアートに仕上げた、知る人ぞ知る有名な島。
そこに2004年にオープンした『地中美術館』は、
名前の通り全てが地中に存在して、その外観はまったく見えない。
しかし此処に一歩入ったら、その圧倒的な光の溢れる感覚に
すぐに自分が地中にいることなど忘れてしまうでしょう。
美術館と銘打っているけれど、此処には見るべき絵画など
モネの睡蓮が4枚あるのみで。
他に絵は存在しません。
では、一体、何が展示されているのか。
それこそが、この美術館が唯一無二な存在であることを
世界中に知らしめているのだと思います。
現代アート作家ジェームズ・タレルの3作品が殊更に素晴らしい。
素晴らしいというか、もはやそれはなんらのコメントも
発することが出来ない衝撃を、作品と対峙した者に与えると思います。
地中美術館を後にしても、アート作品は島全体に散らばっているので、
バスを降りて、炎天下の山道を歩いて移動。
そしてようやく辿り着いた次の目的作品が、
『家プロジェクト』といって、島の民家を丸ごと作品に用いた
生活空間とアート空間の融合された場所。
夕方最終のフェリーまで、そう時間が残されていなかった為、
これも何があるのかまったく知らない私に、どうしてもこれだけは
と友人の強く勧めてくれた『南寺』のみ、観に行くことに。
この『南寺』にはタレルの作品「Backside of the Moon」があります。
建物は地中美術館と同じく安藤忠雄の作で、木造平屋建ての何の変哲もない民家。
ワタシは、ここに入って、この作品と出会い、
これまで生きてきた中でも一度も経験したことのない
感覚を体験しました。
それは本当に残念ながら、
とても言葉で説明できるものではありません。
そして、なにより難しいのは、これがどんな作品であるかを
説明すること。
(それでも、なんとか感想とともに私なりに解説したいと思うので、
それを別記事にしてUPします)
兎に角、この一日の体験はワタシから言葉を奪うほどの
衝撃的かつ感動的なものでした。
外国からの観光客が多い理由も分かります。
四国の、更にそこからフェリーで渡る小さな島に、
何故わざわざ人は向かうのか。
ワタシが海外に住んでいても、この作品のことを知っていたのなら、
きっと足を運んでいたと思います。
行って、そこで自分の全ての感覚で体感しなければ、
この作品は分からない。
何故なら、この作品に形はないから。
そして、おそらく、人それぞれ、もしかしたら違うものを
見ている可能性すらありえるから。
美術館や、現代アートになんか興味のない人も。
恐らく程度の差こそはあれ、必ず何かを感じると思います。
嘘だと思ったら、是非、直島を訪れてみてください。
2007/8/25 23:59
キャンプ・イン 似非エッセイ
例の如く、ブームはその頂点を見送ってから
こっそり参加してみるワタシ…。
後日、別に記事をUP予定ですが。
三日間ほど、香川へ行っていました。
そこで毎晩1時間励んだのが、
ビリー隊長のブートキャンプ。
噂どおりに、翌日は活性化した筋肉がぴきぴきと。
キャンプイン前の自主トレを怠った罰です。
でも、画面の中の隊長は、苦しい時には励ましてくれて、
速いリズムで落ちこぼれることを許してはくれず。
気持ちはまるで「、、、、ドジでのろまな亀なんです!」
(↑年齢的に同世代のみ対象)
苛められ、励まされて、体中の隅々に血が巡るのがよく分かる。
流行りものに積極的には手を出さないのですが。
フィットネスに入会するぐらいなら、
たぶんこっちの方が安上がりで効果的だと思われ。
滞在時間の関係上、キャンプを卒業することができなかったことが
悔やまれます。
…しかし鬼のような一言だ………「もう1セット!」(爆)
2007/8/24 23:59
ミッドナイトコースター 似非エッセイ
どうしても、今夜、USJへ連れて行きたい人がいて。
クビを覚悟で、職場を秒数まで定時ぴたりで後にして、
駅まで猛ダッシュ。
分刻みで、事前に調べたダイヤで電車を乗り継ぎ。
それでも入園は19時15分過ぎ。
一目散に、今宵の唯一絶対のメインである、
ドリームザライドの乗り口へ向かう。
ロッカーに荷物をさっさと預けて並ぼうと思ったら。
…ロッカーへ入れない?!
入口上部の電光掲示には、不吉な予感を漂わせて
「本日終了」の文字が右から左へと何度も流れている…。
閉園まで2時間弱もあるんだぞ!?
信じられず、受け入れ難い目の前の光景に、
一瞬呆然となりましたが、人は確かにまだ中に並ぶ列に加わっている!
聞けば本当にもうラストの入場らしい。
荷物も後から代表者がロッカーに入れに戻り、
兎に角今すぐ並べば滑り込みセーフにしてもらえるらしい。
並んだが勝ち。
並んでしまえば、乗れないことはないだろうという図々しさもあって、
とりあえずライド挑戦権は確保。
もう少し、人は少ないと予想していたのですが、
夏休み終わりかけの金曜夜は、土日のような人出で。
結構並んだけれど、なんだかんだ慌てたけど。
夜のドリームザライドは本当に格別☆
星空を下に見下ろすような。
滑らかに夜を泳ぐライドが、闇の海に光をばらまくような。
キラキラと、いろんな光が瞬いて、
前回昼間に乗った時と、こんなにも違うものかとびっくりしました。
パーク内でゆっくりディナーを愉しむことすら出来ずに、
追い出されてしまったのは残念でしたが。
夜のライドに乗るだけでも価値があると思います。
ワタシが必死になって連れて行った知人も、
すっかりはしゃいだ顔になっていて。
きっと私一人では足りない力を、パークが与えてくれたんだと
思います。
たった一瞬で、さっきまでいた日常とは
違う時間を与えてくれるから。
時間を切り離して、違う流れに乗りたくなったら、
USJへふらりと行ってみる、なんて使い方をしても
いいかもしれないと思いました。
願わくば。
せめて金曜土曜の夜だけでも、22時までオープンを
伸ばしてくれると嬉しいんですがー…。
2007/8/16 23:59
哀しい話 似非エッセイ
哀しい話を聞きました。
でも、聞いたワタシより、話した彼女の方が
何百倍も哀しい想いをしたのだから、
ワタシはうっかり涙を零さないように
ずっと耐えていました。
ワタシにはその人が経験したことの
痛みなんて、想像でしか分からないから。
いつものような変わり映えのしない昼休みに。
なんでもない話の途中で。
彼女は突然、その哀しい話を切り出したので。
ワタシは一瞬、彼女の言ったことが
本当に理解が出来なくて固まってしまいました。
何か言わなければ、と。
必死で探す時に限って、
言葉ってやつは何一つ出てこないので、
ワタシは自分の頭を殴ってやりたくなりました。
こんな時に何も言えなくなる口や声なんて、
ワタシは要らない。
丁寧に選んで、やっと想いを言葉に乗せても、
どれもこれもなんだか違う。
違うけど、何かを伝えられずにはいられなかった。
彼女は、本当に素敵な人なので。
そんな素敵な彼女が、こんな哀しい目に遭うのは
とても理不尽で、ワタシはそんな巡り合わせを、
彼女の代わりに呪った。
彼女は決して、誰のせいにもしないし、
だからといって自分を責めて逃げることもしない、
そういう人だから。
不完全なワタシは、彼女の代わりに
その出来事を招いた正体の分からぬものを呪った。
だけど、そんなことは決して彼女は求めていない。
彼女は凄い。
彼女を見て、いかに自分が悲劇の主人公気取りか
思い知って、ほとほとへこむ。
でも、今はワタシがそんなことでへこんでいる場合では
ないわけで。
彼女の願い通りに、
ワタシは明日からも普通にしていようと思います。
2007/8/14 23:59
羊飼い、燈花会へ行く 旅先小話
行ってきました、古都・奈良へ。
蠟燭好きのワタシが、どうしても参加してみたかった
『燈花会(とうかえ)』
仕舞い込んだ浴衣を着る絶好のチャンス。
次に奈良を訪れるなら、是非行きたかった新薬師寺へ寄り道。
うだるような暑さの中、十二神将をたっぷり堪能して、
庭園にひっそり佇む休憩処でグリーンティを飲んで涼をとりました。
それから徒歩で春日大社へ。
そう、浴衣で登山です。
大馬鹿者です。
でも、本殿で引いたおみくじは「1番・大吉」。
これで良しとしましょう。
そろそろ足の裏の感覚が無くなりながらも、麓まで降りて来て。
迎えてくれたのは、ツクツクボウシやヒグラシの鳴き声と、
真っ赤な夕暮れ。
そしていよいよおびただしい数の蝋燭に、灯が点る。
街がお寺が池が道が芝が。
都を覆う薄暗闇に、仄かに浮かび上がる奈良の夏。
人出の賑わいなど、気にもなりません。
ゆらゆら揺れて、ジジッと燃えるその炎の波が、
全てを包み込んでくれます。
お盆休みになんて、出歩くものじゃないと思ってました。
人が集まる行楽地なんて、出向くものじゃないと思ってました。
でも、本当に燈花会は行って良かった。
多くの御霊とともに、
今、現世に在る魂の平静を誘う夜。
…勿論、歩き疲れ・浴衣疲れでぐっすり眠れましたとさ。
めでたしめでたし。
2007/8/12 23:59
結婚相談所へようこそ 似非エッセイ
最近。
意図的なのか、偶然なのか、あまり深くは考えないように
しているのですが。
やたらと周りの人から、「お見合い」と「結婚相談所」の
お話を聞きます。
お陰で凄い知識力アップです。
もう、自分が何回も経験したかのような状態です。
確かに、これまでフーン…(でもワタシは興味もないし、
関係ないわ)としか聞いていなかったのですが、
もはや年齢的にそういうわけにもいかない。
ということで。
いざ、その話題を切り出すと、意外なくらい結構周りは
経験者多し…。
。。。そーだったのかぁ!!!
みんな、ちゃんと前向きに頑張ってるんだなぁと
感動してしまう。
知らない世界の話というのは、何でもおもしろいもので。
先入観も思い込みも捨てて、自分には無理と拒否をすることも
やめて聞けば、これが案外いろいろと考えさせられる。
結婚は焦ってするものじゃないし、義務でもない。
だけど、雨が降ってくるのを待つだけでは能がない。
雨乞い、ダム建設、人間はそうやって、渇水危機を乗り越えてきたのだ。
枯れない井戸はない、という現実を踏まえ、
そこに水がなくなれば、川へ行って汲んで来るたくましさは素晴らしい。
酷暑続きで干からびそうですが、
水を求めてもう少しさまよってみます。
その間に、路傍で倒れて萎れてしまうかもしれませんが(苦笑)
2007/8/10 23:59
フェリーセット券ください 似非エッセイ
観測史上最高に暑い夏になりそうな、この8月の終わり。
本当は境港に行ければいいなと密かに楽しみにしていたのですが、
どうも実現する可能性はないので、泣く泣く断念。
そしてワタシは、初めて一人旅をすると決めました。
でも。
結局、私の不手際により、ホテルは見事に全て満室となり、
仕方なく友人の実家にお世話になることに…。
ということで、行きと帰りだけの一人旅に変更。
せっかくの決意も見事に中途半端…。
オンナ・傷心・一人旅・夏。
このキーワードから導かれるワタシのイメージは。
『ワンピ・つばの大きな帽子・サングラス・船・
甲板で潮風に吹かれる・黄昏・ピギーバック』
はい、もう、全てアイテムは揃えてありました…。
リゾートホテルの一室を奮発するつもりが、
あえなく失敗に終わり
出鼻をくじかれた感のある初一人旅もどき。
気を取り直して、その他を何とか実現すべく、
行きはフェリー・帰りは(疲れる年頃&翌日からの仕事を考慮して)
高速バスという、理想と現実を見事に融合させたプランを手配。
その予約を電話でした夜。
長いコール音の後、のんびり受話口に出てきたおじさんは、
優しい言葉づかいで、丁寧に予約を完了してくれました。
帰りのバスの座席も、よほど空いていたのか、好きな場所を
選んでいいよとのこと。
「いいんですか?」と確認したら「どうぞどうぞどうぞ」と
返ってきた言葉が、なんだかとっても柔らかく優しくて。
電話を切る時の
「気をつけていい旅に。いってらっしゃい」
という最後まで穏やかで優しい口調に、
この旅の楽しい始まりを約束されたような気がしました。
どうして、こう、人の優しさは理屈抜きで
胸に染みいるのでしょうか。
こちらのココロが弱っていれば弱っているほど、
染みいるものでしょうか。
世の中、人と接する仕事が五万とあると思います。
本当にこんな風に、短い必要内のやり取りだけでも、
相手の心に届く気持もあります。
電話口の言葉しか聞けなくても、相手の微笑みが
伝わってくるような言葉があります。
ホテルが取れなくて、普段の旅手配ではしでかさない
そんな初歩的なミスをして、少し自分にがっかりしていたワタシ。
見知らぬ人からの「いってらっしゃい」が優しすぎて、
なんだかちょっと涙ぐんでしまいました。
2007/8/6 23:59
ゆびをザックリと 似非エッセイ
仕事中に。
大して慌てることはなかったのに。
不用意に動いて、指をザックリ切ってしまいました。
ザックリという擬音語を聞いて、
想像する怪我の程度は人それぞれだと思うのですが。
結構深く切ってます。
しかも紙の束で。
爪と指の間の、柔らかい部分。
あっ、と思った次の瞬間に少し遅れて痛みが走る。
その次に血がどばどばと出る。
慌ててシンクに駆け寄って、水で流すと、
赤い液体が流れて排水溝に消えていく。
ジン、とする指先が冷えて感覚がなくなり始めるまで、
赤い血が流れていくのを見続けて。
はっ、と仕事中だったことを思い出す。
血は思いのほか、止まることを知らず。
諦めて、ワタシはパクっと口でくわえてみる。
血の味は、いつも苦い。
あまりに血が止まらないので、
大丈夫ですか?と声をかけてくれた同僚に、
振り返っていつものようにいつもの感じで、
大丈夫と答える。
席に戻って、絆創膏で止血しようとするのだけれど、
うまく指に捲けなくて、なんだかほとほと悔しくなる。
机の引出しに入れておいた絆創膏は。
ワタシの怪我に使う為に用意しておいたんじゃ、ない。
誰かが痛い思いをした時に、
捲いてあげるためのものだった。
一日、指はじんじんと傷んだ。
血は止まったけれど。血は止まるのだけれど。
ゆびをザックリと切るのは、悲しい。
