2008/3/15 22:05
セミリンガルの恐怖7 1) セミリンガルの恐怖
セミリンガルからバイリンガルへ TB031
私達は当時イギリスに住んでいたのですが、長男が2歳半になった頃、生まれつき穏やかな性格だった長男が、何かにつけて「ムニャムニャッ」とわけのわからない事を言ったかと思うと、グワッとのけぞって癇癪を起こす、という行動を頻繁にするようになっていました。
これは長男の英語と日本語が混ざってしまって、どちらの言葉も発達が未熟で自分の意思を上手に伝えられないための苛々である事に気づいた私はその日から長男に英語で話しかける事にしました。
ちょうど幼稚園にも行くようになっていたタイミングも重なり、英語だけに絞った途端、長男の英語はメキメキと上達し、「自分の意思を伝達する手段」を確保できた長男は苛々して癇癪を起こす事も次第になくなっていきました。
こうして「子供に英語で話かけよう」と決意した日から、私は一貫して子供には英語だけで話しかけていたにも関わらず、やがて気がつけば驚いた事に、長男の日本語が、英語の上達の後を追うように比例して上達していったのです。
この不可解な現象を私なりに分析すれば、長男の言葉を英語だけに絞った事によって長男の母国語が確立し、それに伴って長男の知能も、言語に対する適応能力も高まった結果、長男は「世の中には英語と日本語というまったく別々の言語が存在するのだ」という事をはっきりと認識できたため、長男は英語だけでなく日本語も上達したのだ、と私自身は解釈しています。
この時私は、子供の知能や性格の正常な発達のためには「母国語を発達させる事」がどんなに重要な事であるかを思い知ったのでした。
やがて長男はいつの間にかイギリス人のお友達とは英語で、日本人のお友達とは日本語で、と言葉を使い分ける事ができるようになり、「セミリンガル」から「バイリンガル」へと次第に変化して行きました。
正直、私の下手な英語で子供に話しかけるのは自分にも相当な抵抗があったし、私にとってそれは「最高の屈辱」でもありました。でも「今のこの子にとって本当に大切な事は何であるか」だけに問題を絞ってよくよく突き詰めて考えた時、「イギリスに住んでイギリス社会に生きているこの子にとって、英語ができるようになる事は何よりも必要不可欠な事であり、逆に日本語なんて、できた方がいい程度の事に過ぎない。どうしてもそれにこだわっていたのは、他でもない私自身の母親としてのプライドのためだ。」という心の奥底の自分の本心に気が付いたのです。
こうして「子供のため」という大義名分の陰に隠れていた自分自身の「見栄と執着」の存在に気がついた時、私は「自分の子供に英語で話しかける勇気」を持つ事ができたのでした。
どこまでも根性を貫くのも大切な事かも知れません。でも、うまく行っていないと気づいた時は潔く諦めて、ちょっと方向を変えてみると、時にはそれが「幸福への近道」だったりする事もあるものだと思います。
Trackback31
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フランクフルトからの帰国が決まったら⇒ KHSエクスプレス
私達は当時イギリスに住んでいたのですが、長男が2歳半になった頃、生まれつき穏やかな性格だった長男が、何かにつけて「ムニャムニャッ」とわけのわからない事を言ったかと思うと、グワッとのけぞって癇癪を起こす、という行動を頻繁にするようになっていました。
これは長男の英語と日本語が混ざってしまって、どちらの言葉も発達が未熟で自分の意思を上手に伝えられないための苛々である事に気づいた私はその日から長男に英語で話しかける事にしました。
ちょうど幼稚園にも行くようになっていたタイミングも重なり、英語だけに絞った途端、長男の英語はメキメキと上達し、「自分の意思を伝達する手段」を確保できた長男は苛々して癇癪を起こす事も次第になくなっていきました。
こうして「子供に英語で話かけよう」と決意した日から、私は一貫して子供には英語だけで話しかけていたにも関わらず、やがて気がつけば驚いた事に、長男の日本語が、英語の上達の後を追うように比例して上達していったのです。
この不可解な現象を私なりに分析すれば、長男の言葉を英語だけに絞った事によって長男の母国語が確立し、それに伴って長男の知能も、言語に対する適応能力も高まった結果、長男は「世の中には英語と日本語というまったく別々の言語が存在するのだ」という事をはっきりと認識できたため、長男は英語だけでなく日本語も上達したのだ、と私自身は解釈しています。
この時私は、子供の知能や性格の正常な発達のためには「母国語を発達させる事」がどんなに重要な事であるかを思い知ったのでした。
やがて長男はいつの間にかイギリス人のお友達とは英語で、日本人のお友達とは日本語で、と言葉を使い分ける事ができるようになり、「セミリンガル」から「バイリンガル」へと次第に変化して行きました。
正直、私の下手な英語で子供に話しかけるのは自分にも相当な抵抗があったし、私にとってそれは「最高の屈辱」でもありました。でも「今のこの子にとって本当に大切な事は何であるか」だけに問題を絞ってよくよく突き詰めて考えた時、「イギリスに住んでイギリス社会に生きているこの子にとって、英語ができるようになる事は何よりも必要不可欠な事であり、逆に日本語なんて、できた方がいい程度の事に過ぎない。どうしてもそれにこだわっていたのは、他でもない私自身の母親としてのプライドのためだ。」という心の奥底の自分の本心に気が付いたのです。
こうして「子供のため」という大義名分の陰に隠れていた自分自身の「見栄と執着」の存在に気がついた時、私は「自分の子供に英語で話しかける勇気」を持つ事ができたのでした。
どこまでも根性を貫くのも大切な事かも知れません。でも、うまく行っていないと気づいた時は潔く諦めて、ちょっと方向を変えてみると、時にはそれが「幸福への近道」だったりする事もあるものだと思います。
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2006/10/2 22:19
投稿者:miryo


彼女の言語を伸ばすには(コミュニケーション能力)まずは一つに絞るべきですか??
英語のみ絞った時は息子さんは日本語には一切、接していなかったのでしょうか??