2008/8/2 19:29
カミさん宛書簡 倫理学
オイラは皮かむりのスクルージであり、父菊次郎であり、芸能界の「ドン」キホーテであり、結局オイラは歴史上のすべての名前なのです。我がいとしの王女、さわこへ。オイラは子供のころ「アメリカさん」でした。明治時代にはKでした。フランス座では阿Q、さらにいえば、ブヴァールとペキュシェでした。秀吉と毛沢東は、さらに付け加えておけば、二宮尊徳は私の化身です。最後にはカントとマルクスでもありました。ひょっとしたらカラタニであったのかもしれません。オイラは性病にかかったことがあります(カミさん宛書簡 匿名希望)。
ここで、これが告白であるのか、あるいは虚構であるのかと問うことは意味をなさない。さらに「拙者」が、このような書簡をいかにして入手したのであるかも問うべきではない。ただ、これがやはり「仮装」に関わる問題であることは注目に値する。そもそも仮面(ペルソナ)の下の素顔、つまり「オイラ」にしてからが、仮構されたものでしかないのだ。しかるに、ここで、「オイラ」とは任意の記号によって置き換えられうる一般性なのでは決してない。そこに代入されるそれぞれの固有名は、安定した構造を獲得するかにみえる仮構の瞬間が、まさに「危機」の瞬間でもあるというその都度の跳躍を指示せずにはいないだろう。いいかえれば、「それ」は「他でありえたかもしれないが現実にはこうである」という歴史性をはらんでいる。したがって、こうした名前たちが「彗星」となって回帰すること、そうした出来事こそが、「コマネチ!」と呼ばれるべきである。
ここで、これが告白であるのか、あるいは虚構であるのかと問うことは意味をなさない。さらに「拙者」が、このような書簡をいかにして入手したのであるかも問うべきではない。ただ、これがやはり「仮装」に関わる問題であることは注目に値する。そもそも仮面(ペルソナ)の下の素顔、つまり「オイラ」にしてからが、仮構されたものでしかないのだ。しかるに、ここで、「オイラ」とは任意の記号によって置き換えられうる一般性なのでは決してない。そこに代入されるそれぞれの固有名は、安定した構造を獲得するかにみえる仮構の瞬間が、まさに「危機」の瞬間でもあるというその都度の跳躍を指示せずにはいないだろう。いいかえれば、「それ」は「他でありえたかもしれないが現実にはこうである」という歴史性をはらんでいる。したがって、こうした名前たちが「彗星」となって回帰すること、そうした出来事こそが、「コマネチ!」と呼ばれるべきである。
