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    <title>北野武を柄谷行人によって解明する</title>
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    <description>ついでに映画狂人とその追随者たちに自分の顔を直視させる
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    <dc:date>2008-09-07T04:37:36+09:00</dc:date>
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    <title>自転車操業</title>
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    <description>自転車操業

要するに、『キッズ・リターン』（１９９６）とは、学校から「解放」（disengage）された者等が、そこに展示してみせる変身譚なのである。しかも、学生身分から社会人への転身には、卒業式と思われる日にシンジによって感慨深げにその校舎が見上げられるということがあるにせよ、明確な区切り目がない、というか、すでに「破局」こそが目指されているかのように、そこには然したる関心が払われてはいない。北野が例によって監督という超越的な視座から、そこでの登場人物を「人形」のように扱っているというような謗り...</description>
    <dc:date>2008-09-07T04:37:34+09:00</dc:date>
    <dc:subject>経済学</dc:subject>
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    <title>クレジット常習者としての浪人</title>
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    <description>　　　クレジット常習者としての浪人

『座頭市』（２００３）で、街道を、その妻を伴って歩いてくる「浪人」（masterless samurai）は、「容赦ない」肉体の廃棄を遂行するところの「観念論者」、「ドイツ・イデオロギー」であるが、又の名を「マニフェスト＝デスティニー」ともいう。ある夜、その男は妻の目の前で肉体をふたつばかり「廃棄」して見せる。ふたりに伴うのは「鐘の音」である（それは『HANA-BI』の夫妻が、やはり、西の鳴らす「鐘の音」によって、その絆を確かめるのに等しい。要するに、ふたりをつなぐのは「...</description>
    <dc:date>2008-09-04T07:45:27+09:00</dc:date>
    <dc:subject>数学</dc:subject>
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    <title>東方起源</title>
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    <description>やっぱ、日本人みんな同じに見えるからな　  ― All Japanese look the same to you. ―

つい最近、「丸山眞男話文集 ２」（みすず書房）を読んで知ったのだが、キリスト教は、ヨーロッパにとって、「オリエント」に発する外来思想であるということらしい。だとすれば、それは、『HANA-BI』（１９９７）において、その銀行強盗の「略取」が明らかな「質」を孕むとき、われわれが、そうした「交換様式」が何処に淵源するものであるかを考えるときの手懸りとなるであろう。それは「今時」によっては、けっして意識化しえない「国家」...</description>
    <dc:date>2008-09-03T07:52:13+09:00</dc:date>
    <dc:subject>世界史</dc:subject>
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    <title>畢竟時勢遅れ</title>
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    <description>　畢竟時勢遅れ

TV・コマーシャルにおけるビートたけしの収まりの悪さ、調子外れは、「武」の「時勢遅れ」をはっきりと示しているが、逆にいうと、ビートたけしをその本来のオーラと共に画面に定着させることの出来るのが映画という「媒体」であったということは、映画がまさに「時勢遅れ」である事実をもまた端的に告げている。しかも、これが肝心なことだが、まさに「時勢遅れ」であるがゆえにこそ、映画はいまだ「複数体系」（視差）を開示しうる「媒体」たりえているのだ。いうまでもなく、ビートたけしのTVにおけるオーラ...</description>
    <dc:date>2008-09-02T07:35:50+09:00</dc:date>
    <dc:subject>法学</dc:subject>
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    <title>識別不可能なもの</title>
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    <description>形の判断にあらずして、想の領分なり　　　　
　　　　　　
問題は「崇高」である。たとえば、北村透谷が《サブライムとは形の判断にあらずして、想の領分なり》（「人生に相渉るとは何の謂ぞ」）というのは、つまり、「それ」が経験によって導き出される一般性ではなくて、「当為」（あるいは東夷）に拠って来る普遍性であるということを意味している。いいかえれば、それは「総合的判断」の問題であって、未来や過去の他者との間にある亀裂を「国家」という実質によって埋めるというような現実原則の類とは根本的に異なったもので...</description>
    <dc:date>2008-09-01T07:48:42+09:00</dc:date>
    <dc:subject>政治思想</dc:subject>
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    <title>帰ってきた酋長</title>
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    <description>　「みやび」精神分析

浅田彰はほかでもない「自分の顔」をまざまざとみせつけられた結果として、『BROTHER』（２０００）を嘲笑ったのである。あるいは自分の足元に「無根拠」を視てといってもよい。端的にいえば、「宮仕え」のひとが「兄弟契約」に躓いたのだ。やんごとない浅田「麿」はそこでハラキリや指詰めを目撃して、「それ」を心得顔に「オリエンタリズム」に帰して軽蔑するが、実際には「麿」こそが「オリエンタリズム」（帝国＝みやび）なのである。そこには明らかに史実の歪曲、したがってまた他者の消去がある。「お...</description>
    <dc:date>2008-08-28T07:52:53+09:00</dc:date>
    <dc:subject>社会人類学</dc:subject>
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    <title>反転可能性</title>
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    <description>北野武の「衣装哲学」
　　KARATANIによって解明されたKITANO　１１

要するに、つねに一人二役（「TAKESHIS’」）であり、複数のシステムを孕むがゆえに、「武」は「形而上学の夢」であらざるをえない。ところが、「今時」の官僚的思考は「やはり暴力はよくない」とか「武はバカだ」とかいった因縁をつけて、「それ」を「一系」に帰着させようとするのである。そんなわけで、われわれの課題は、やはり、「形而上学」を回復すること以外にはない。いうまでもなく、「それ」は「対抗運動」としての「武」（複数体系）である。
　とこ...</description>
    <dc:date>2008-08-27T07:53:19+09:00</dc:date>
    <dc:subject>社会人類学</dc:subject>
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    <title>信用の紐</title>
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    <description>北野武の「衣装哲学」　２

たとえば、速さの「上限cap」とは「光」の速さであり、さらにそれを利子の「上限cap」とみなすのであれば、きわめて悪質な高利貸しへの法規制にもなるであろう。はたまた「それ」は微細な胞子を「動く空気」にさらわせ、虚空に散らすところのキノコの「かさcap」でもあろうか？ 実際、キノコ（kinoko）とキタノ（kitano）は、あたかも家族である「かのように」よく似ているのだ。かくして、「それ」はその自然的本性によって「くじ引き」という致死的な「ブラックユーモア」（毒）をはらむがゆえに、みや...</description>
    <dc:date>2008-08-26T08:15:06+09:00</dc:date>
    <dc:subject>社会人類学</dc:subject>
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    <title>砂浜の難民</title>
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    <description>　北野武の「衣装哲学」　３

だから、肉体の抹消・廃棄だけが「武」の志向ではないのである。たとえば、『ソナチネ』（１９９３）に、村川と幸のふたりが激しく降りつけるスコールに逐われる場面がある。幸は途中の林に掛かったところで、村川の手を引くと、わきの隠れた場所へと導く。すると、木の幹の前で、村川に向かって、ふいにTシャツを脱ぎ去る。そこで対面する男女の表情の連鎖は、一回きりしかありえないということの「しるし」のごとく、独特の「雰囲気」（aura）に包まれている。村川は何心無い表情で女に向かう。その額か...</description>
    <dc:date>2008-08-25T07:28:58+09:00</dc:date>
    <dc:subject>社会人類学</dc:subject>
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    <title>座標位置</title>
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    <description>座標位置
　　KARATANIによって解明されたKITANO　５０

『座頭市』（２００３）は、『みんな〜やってるか！』（１９９５）の「反復」である。とはいえ、それは『みんな〜やってるか！』で、「座頭市」が実際に登場するがゆえにではない。それらが共に扱っているのは、「恐慌」（crisis）の問題なのである。たとえば、『みんな〜やってるか！』において、「座頭市」は水と違えて油をかぶり、炎の中へ人命救助に赴く。すると、火だるまになった「座頭市」が戻ってくるという趣向であるから、そこには、たしかに「パニック」が描かれて...</description>
    <dc:date>2008-08-21T07:43:04+09:00</dc:date>
    <dc:subject>数学</dc:subject>
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