2008/5/11  5:04

冒頭の一行  小説の愉しみ

私の拙い新作小説は、とりあえず第一稿が上がった。あとは推敲作業だ。映画でいえば、クランク・アップした後の編集作業のようなものだと思う。そして、この部分がまた、苦しくも楽しくもある。

一番気になるのは、書き出しだ。私も文芸雑誌などを読む場合、冒頭の数行が魅力的なものをマークしていて、後で読もうと付箋を用意する場合が多い。けれども、もし冒頭の数行で惹きつけられたら、付箋は必要なくなる。そのまま最後まで読んでしまうからだ。

そんなわけで、古今の有名な作品が一体どんな風に書き出されているのか、あらためて調べてみようと朝の4時ごろから起きてごそごそしていると、当初の目的を忘れて本文をずっと読んでしまったりして、だらだらした時間を過ごしてしまった。
まあ、こういうことをしていると目先の金の心配を忘れることができるが、部屋が散らかってしようがない。

書き出しというのは、ことほどさように重要である。源氏物語然り、枕草子然り、平家物語然り、あるいは近代の漱石のものでも、冒頭の文章というのは、教科書に載っていて、誰でもが知っているし、太宰治、尾崎翠、古井由吉、中上健次なども出だしの一文で作品の雰囲気をずばっと決める。

世界的にみれば、ダンテ、トルストイ、メルヴィル、フローベール、モーパッサンなどの代表的な作品は、書き出しの文章が有名だね。

小説以外でも面白いのがある。今、埃にまみれたいくつかの本を目の前にして書いているが、作品がどんな風に始まっているかあらためて読み直すのは興味深い。

世界の思想地図を変えたような旅行記、『悲しき熱帯』はこんな風に始まっている:「私は旅や探検家が嫌いだ」

『シュールレアリズム宣言』:「人生の、人生のなかでもいちばん不確実な部分への、つまり、いうまでもなく現実的生活なるものへの信頼がこうじてゆくと、最後には、その信頼は失われてしまう(巌谷國士訳)」

「私の予想では、近いうちに私は史上最大のむずかしい要求を人類に対して突きつけなければならなくなるだろう」:ニーチェ『この人を見よ(川原栄峰訳)』の序文第一行目。

その他、サルトル、シュンペーター、クリステヴァ、フーコー、ロラン・バルトなど、冒頭のページをぱらぱらと捲っていると、書き出しで傍線を引いているのが多いが、いちいち紹介していると他のことができなくなる。ブログを書いて一日終わり、というのは嫌だ。

古くなった本を目の前に積んでみると、本屋をやっていた20年間の思い出が蘇る。

今は、誰でもが小説を書く時代だ。私も別に自分の書いたものを誰かに見せたいとは思わないが、言葉を形にするのは面白い。人間の根源的な欲求だろう。他に満たされない欲求がたくさんあるのに、どうしてこれから手をつけるのかは自分でもわからないが。

いずれにせよ推敲作業というものは、寄り道ができて楽しい。ささやかなこの人生は、ささやかな愉しみのためにあるのだ。

きっとそうだ。







2008/5/10  6:42

「銀嶺の果て」と「わかりません」  映画

クロサワ、ミフネの熱狂的なファンなどと言いながら、三船敏郎のデビュー作『銀嶺の果て』(谷口千吉監督第一回作品、黒澤明脚本)を今まで観ていなかったのは、恥だといっていいだろう。

おとといこの作品を初めてDVDで観た。
最初は正直いって、いまひとつ乗れなかった。
花沢徳衛がふんどし一丁で木曽節を歌っているシーンを見ながら、巨匠も駄作を作るもンだと、布団を敷いて寝る体勢に入っていたが、三人組の一人が雪崩に襲われる場面あたりからだんだんと惹きこまれて、志村喬が汽車の窓から雪山を振り返るラストでは、水割りを飲みながら男泣きしてしまった。

黒澤−志村−三船の名トリオの、これが最初の出会いだったのだと思えば涙せずにいられようか。やはりこの三人、日本が世界に誇る素晴らしい映画人たちだ。

私の先輩に菊さんという変な人がいるが、彼は大学で黒澤の息子(黒澤久雄氏)と同級生だったそうで、久雄さんの家に飲みに行くと親父が出てきて一緒に飲んだという話をたまにする。羨ましいというか、恐れ多いというか。私にとって黒澤明とは神そのものだから、ある意味、自分が菊さんでなくて良かったとも思う。(林寛子と友達になれたなら、それはそれで素敵だが)

しかし、その黒澤作品も、残念ながら『影武者』以降の作品は二度と観たいとは思わない。黒澤が特別だったのは『デルス・ウザーラ』までで、『影武者』にしも、カンヌでグランプリを取ったときには、「ああ、これは配給元のフォックスが運動したな」と思わざるを得なかった。あのときはボブ・フォッシーの『オール・ザット・ジャズ』に決まりだったのを、なんだか無理矢理グランプリを取ったようで、妙に悲しかった。勝新がやれば、ぜんぜん違っていたのに、最後まで意地のツッパリで人生半分損をした人だ。

そう思うと、古き良き時代の黒澤作品は、映画の実質とは離れた部分で感傷を誘うことがよくある(『醜聞』で左卜全たちが集まってクリスマスを祝うキャバレーのシーンなんて、特に泣かせる。この頃はみんな仲良くやっていたんだな、と思ってしまう)

まあ、黒澤を語ると長くなってしまうので、次の話題に移ろう。

最近、若い人たちと話をしていると(こういう表現を使いたくないが)「知らない」というべきところで「わからない」と答えるケースによく出くわす。「知らない」と「わからない」は、本質的に違う表現だと思うのだが……。

たとえば、「三島由紀夫って、知ってる?」と聞くと、「わからないです」と答える人が何人かいる。「知らない」ではなくて、「わからない」というのだ。私の質問の意味がわからないのだろうか。こちらは単純に、相手の知識について尋ねているのであって、三島の作品の評価について問うているのではない。ためしに『七人の侍』を知っているかと聞くと、やはり「わからない」という答えが返ってきた。

知らないことならば、知ればいい。これは情報量の問題だ。けれど、わからないことを、どうすればわかるだろうか。

ちなみに、新しい世代の若い人たちが黒澤を知らないのは当たり前だという擁護派もいるが、じゃあ、新しい世代の若い人たちが千利休を知らないのは当たり前だろうか。
世代や若さの問題か?千利休は、生真面目でタバコをよく吸う人でした……などと回想する人間がいたら化け物じゃないか。

「わからない」などという答えを許してはいかんのだ。「知らない」なら、「知りません」と言え。

知らぬは一時の恥。わからないのは、一生の恥だ。

2008/5/7  23:33

カレセン?  幸福論

カレセンっていうから、カレー専門店のことかと思っていたら、どうも違うようだ。

カレー味の煎餅でもない。

違うんだよ、嬉しいじゃないか!

カレた中年男が女性たちの間で、ちょっとした人気になっているらしい。

どういうオヤジが該当するかといえば、
「一人の時間をもてあまさない」
「路地裏が似合う」
「ビールは缶より瓶、ペットは犬より猫が好き」
「ひとりでふらっと寄れる行きつけの店がある」
「さりげなく物知り」
「金や女を深追いしない」
「人生を逆算したことがある」
「自分の年齢を受け入れている」

なんと!俺にピッタリだ。一人の時間を持て余さないところは、マジック前田に比べるとだいぶ負けるが、路地裏が表よりも断然似合うし、ビールは瓶、犬よりもネコが好きだし、ひとりでふらっと寄れる店はいくらでもあるし、さりげなくニーチェやTSエリオットの話をしたりするし、金なんかぜんぜん追いかけていないし、女も今のところ追いかけていない。人生、逆算のしまくりで、ぎっくり腰も受け入れている。俺だ!俺のことだ!

まあ、俺なんかよりも、俳句の会を主催している、カフェ・シベールのM氏がいちばんカレセンに近いかも知れないけど、その次はこっちだという自負はあるなあ。

「枯れ氏」という言葉もあるそうだ。枯れてまっせ、このオッサン。誰かデートしてくれませんか?

やっぱり。こういう脂ぎったことを言っているとダメなのかな。でも、自分のことはどうあれ、中年男に陽が当たるというのはいいことだ。

これからは、ロッサノ・ブラッツィか、海老坂武路線をめざそう。

わかるかな?

わっかんねーだろーなー。


2008/4/16  18:32

バーデンハイム  文学

バーデンハイムは、オーストリアの避暑地。毎年初夏になると、裕福な人たちがやってくる。音楽祭が行われ、楽団員たちはショウの後酒場に入り浸って借金漬けになる。
菓子屋は繁盛するが、いかがわしい女たちには敷居をまたがせない。町の薬屋の妻は、嫁いだ娘を心配して神経衰弱になっている。高名な学者の妻は、夫が原稿を書いているあいだに、自分の人生が磨り減ってしまうと嘆く。ホテルにあふれかえっている人たちの多くがオーストリアの生活に溶け込んだユダヤ人たちだ。芸術と人生を愛し、中央の政治にはさほど興味がない。

酒と音楽と森への散策。これまで何年も、この町ではそんな風に時間が流れてきた。
しかし、今年は少し何かが違っている。町の衛生局の役人が例年になくよく働いている。彼らは一軒一軒念入りに調査を行い、町の人たちの戸籍を調べ始める。やがて、ホテルで保養している人たちにも、局への身元登録を要求し始める。

夏の終わり、町には検問が設けられ、食料や郵便が届かなくなる。人々の間では、東欧系のユダヤ人はポーランドへ移住することになるという噂が広がる。憤慨する人、冗談だと笑い飛ばす人、恋に余念がなく、噂を聞こうともしない人。
やがて移住が始まる。ワルシャワへ行けば、またパーティを再開しようと、人々は町を出て行く。そして、やってきたのは貨物列車をくっつけた薄汚れた機関車‥‥。

イスラエルの作家、アハロン・アッペルフェルドの小説、『バーデンハイム1939』は、ホロコースト前夜の様子を、このように淡々と描き出す。
変化というのは、われわれの眼に見えない水面下で静かに進行して、あるとき突然致命的な出来事として顕在化する。

2001年9月11日を境に、世界は急速にある方向へと動き出している。しかし、その変化も日常の、もっと楽しいできごと、あるいはもっと切羽詰ったできごとによってかき消される。

私の顧客の一人に、中東某国出身の学校の先生がいる。彼のもとには毎週警察がやってくるという。妻も息子もアメリカ国籍なのに、なぜ、と彼は憤慨する。私もある国の子供たちに対するボランティア事務局をやっていて、外事課の刑事に付け回されたことがある。

そのうち、特定の映画が上演できなくなったり、政府に批判的な発言を行った人が突然逮捕されたりするようになるかも知れない。あるいは、もうそうなっているのかも知れない。
先進国と呼ばれる国でも、こういうことはよくあることだ。日本も、例によって右へ倣えをするのだろうか。

2008年という年が、将来不吉な表象として記憶されないようにしなければならない。

2008/4/11  23:07

バベルとアフリカと靖国と象と恋と海老  日記

Tsutaya Onlineの月額の元を取ろうと思って、月に8本、映画をせっせと観ている。

きのうは『バベル』を初めて観た。

映画の可能性について、あらためて考えさせられる一本だった。世界はつながっていて、同時に閉じている。そんな風に表現してしまうと簡単な逆説を、まあ上手に映画にしましたな、という感じ。

あのヒロインはよかったな。ああいう、映画を観終わってからもいつまでも印象に残る役どころというのは、それほどない。
『道』のジェルソミーナに匹敵するような役だと思った。ラッキーな女優だ。

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久しぶりに半日休みが取れ、役所に寄った帰りに、栄筋まで歩いてワールド・ヴィジョンが主催する「教科書に載っていないアフリカ」というイベントを見に行った。

入り口でヘッド・セットを渡されて、アフリカの一人の子供が経験したことを追体験するという趣旨だった。『ブラッド・ダイヤモンド』を観てから、アフリカの問題に何らかの形でコミットしたいという気持ちが募ってきて、ネットでこのイベントの存在を知った。

ワールド・ヴィジョンでは、チャイルド・スポンサーを募集している。日本に住んでいる一般市民にとっては、とりあえず、金銭的な里親支援といった関わり合い方ぐらいしかできないかも知れない。イベントについては、下記HPをご参考に。

http://www.worldvision.jp/news/news_0195.html

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映画『靖国』の上映が危ぶまれているという。
言論の自由が、自主規制という形で危機に瀕している。なんということだ。自らの権利を自主規制で潰してしまう国民がどこにいる。自殺じゃないか。

自由というものが、こんな風に死ぬのは、おそらく切腹と心中の国、日本以外に考えられないだろう。

アフリカも大変だが、日本も大変だ。

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象が死んだ。

王子動物園の諏訪子は、私が初めて見た象だった。
子供の頃からずっとあそこにいた。おばあちゃんと花見に行ったときにも、動物園の象舎の中で鼻を振っていた。

「ぞうさん、ぞうさん、おはなが、ながいのね」
そんな歌を歌いながら、子供の私は諏訪子を見ていた。

四十年以上前のことだ。

ずっといるものだと思っていた。

けれども、もういなくなってしまった。

バイバイ、象さん。

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春は恋の季節。

恋の条件は実らぬこと。

逢はざれば花の色さへうとましく
闇待つ午後に雨音を聴く

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今日はダイエーで、炒め物用に塩をまぶしたブラック・タイガーを買った。

トラじゃないよ。海老だよ。

「サウジアラビア産・養殖」とあった。

ケーララ出身の、シヴァシャンカッラ・ピライの小説『えび』を思い出した。えびを捕っている漁師がえびを口にすることはないという。プリプリの美味な海老は豊かな国で消費されるのだ。

もったいないほどの幸せを噛み締める。

そしてまた、夜が更けていく。




2008/4/6  10:41

寿命と食事  料理

この間、あるお医者さんの講演会を聞きに行って、ショッキングなことを教わった。
人間の寿命というのは、食事の量で決まるというのだ。

人の細胞の一つ一つには、一生のうちに食べる食事の量が決まっているらしい。問題は、それをどれだけの時間をかけて食べつくすかだ。短期間に全部食べてしまうと、そこで寿命が終わる。ちょとずつ時間をかけて食べると、長生きできるというのだ。

私は大食いである。しかも酒飲みだ。長時間酒を飲みながらチビチビつまんでいる食事というのは、集めるとかなりの量になる。ひょっとすると、もうそろそろ一生分食い尽くすのではないだろうか。

ただ、この食事の量というのも、内容が問題だ。講演をした先生によると、どうもカロリーの量らしいので、低カロリーの野菜でお腹を満たしてから他のものを食べればいいのだそうだ。

それからというもの、私は主に野菜をメインにしたシチューを食べている。うちの晩餐は、刺身、焼酎、野菜スープだ。これで焼酎を抜けば、完璧だ。

野菜はジャガイモ以外ならば何でもいい。にんじん、新玉葱、にんにく、セロリ、百円のホールトマト缶、ローリエ、大根などを使っている。
これだけでは物足りないので、鶏の手羽元を使う。味付けは塩コショウとかつおだし醤油だけ。野菜から十分甘みが出る。

コツは少ない油で最初に具を全部炒めてから、蓋をして弱火で蒸し煮にすること。野菜から水が染み出すまで水分を加えないこと。そして、具がとろとろになるまで煮込むことぐらいだ。これなら簡単にできる。多めに作ってフリーザーで保存するといいだろう。

たまには、上記のシチューにドミグラスのルーを加えたりしてもいい。これは油分が多いので健康的とはいえないけれど、病院食ばかりで飽きてきたらこういった工夫も必要だ。

これで酒を飲まなければ、一週間で体脂肪がかなり落とせるらしい。けれども酒を飲まないと食事が面白くない。面白くなければ、長生きしたって仕方ないだろう。

それから、食事をおいしくするコツについて、ある方が言っていた。
食事に向かって「私の体の一部になってくれて、ありがとう」と言うのだそうだ。そうすると、どんな料理でもおいしくなるらしい。

もうひとつは、食事をしながら「美味しいなあ、美味しいなあ」というのが長生きのコツだ。私の作る料理は、どれも旨いので、いつも「おお、ウマイ。こりゃ、ウマイ」と言いながら食べている。前田さんと同じだ。

結婚している人は、奥さんや旦那さんの作った料理を、褒め称えながらいただくべきだろう。
褒めれば料理自体の味が変わる。また夫婦関係もよくなる。幸運がやってくる。
長生きもできるというものだ。

2008/4/5  7:58

DVDで映画を観ることの難しさ  映画

神戸のような非英語圏の地方都市にいて、シェイクスピアの芝居を観る機会は多くない、というか、皆無に等しい。

うちの劇団(と呼ぶのもためらいがあるが)の看板女優Lindsayは、本場イギリスでシェイクスピアの舞台を何度か踏んでいる。私はせいぜいテキストで読むか、映画を観るぐらいだ。そういう意味で、映画とは便利な媒介かも知れない。

映画といっても、昔のオリヴィエの『オセロ』のように、舞台をそのまま録画したものもある。(あの映画は「ドキュメンタリー」に位置づけてもいいだろう)
また、NHKの芸術劇場のような舞台録画ものを見ていると、頻繁に変わるカメラの視点を介して観ることになるので、ある意味で編集工程を経た映画に近い。

よし、じゃあ映画でシェイクスピアをいっぱい観てやろう、と思ってTsutaya Onlineで検索したところ、DVDでレンタル可能なシェイクスピアものは、あまりにも少ない。ケネス・ブラナーの『から騒ぎ』や『ハムレット』など、ビデオで出ていた作品も登録されていない。

そう思って、世界映画史に残る代表的な作品を十点以上検索したが、驚くなかれ半分もなかった。やはりDVDを借りて観ようなどというのは虫が良すぎるのだろうか。

今回は『真夏の夜の夢』とテイラー+バートンの旧作『じゃじゃ馬馴らし』を借りた。足るを知れ、というメッセージだ。

******************

誰でもそうだと思うが、、一度ならず観るチャンスがあったのを、見逃してしまってそれまでになったり、昔から観たいと思いながら見る機会を持つに至らない幻の映画というのがある。私にとっての幻の映画をざっと列挙してみると、こんな感じだ。

『The Tales of Manhattan』
『ベッドタイム・ストーリー』
『かくも長き不在』
『八月15夜の茶屋』
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
『浪人街(第1作目)』
『価値ある男』
そのほか、ピーター・ローレの「ミスター・モト」シリーズだとか、阪東妻三郎の戦前の映画なども幻だ。

それに、昔観た映画で、どうしてももう一度観たいやつもある。アボット・コステロのユニバーサル喜劇、ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインの二人劇『スルース』、パゾリーニの諸作品他、マーティン・ルイスのドタバタもの、70年代の映画。ああ、観たい観たい。

******************
逆にいえば、観たい映画があるということは、これから先、まだまだお楽しみがたくさん残っているということか。

かつて、ある素敵な女性がこんなことをいった。

「わたくし、長生きしたいわ。だつて、この世界中には、わたくしがまだ腰掛けたことのないカフェの椅子がたくさんあつて、わたくしを待つてゐるんですもの」

***
そういうことだ。


2008/4/2  21:37

2008.4.2  日記

G先生ご夫妻に、三宮そごう別館の「西村屋」でランチをご馳走になる。
先生方とお会いするのは、2年ぶりだ。
カナダから年に一度来日されて、ここで越冬をされる、まるでツバメのような人たちだ。
それにしても、お二人とも80歳を遥かに超えているとは思えない。帰りに私の事務所まで来ていただいたが、徒歩十数分の道のりを、二人三脚でカクシャクと歩いておられる姿には畏れ入った。

ああいう元気な年寄りは、どの世代に対してもロール・モデルとなりえるだろう。

オーブリー・ド・グレイという、ケンブリッジの学者によると、今や人間は、好きなだけ長生きできる時代に入っているという。ド・グレイは過激な人で、1000歳まで生きられるよ、などと平気でいう。ケンブリッジだから許してもらえるが、日本の大学でこういうことを言うと、クビになるのではないだろうか。

長生きしたいですか、と人に聞くと、十人中九人は「いやだ」と答える。なぜだろう。長生きということに対する、すごくネガティヴなイメージが一般化されているのだろう。

生ける屍のようになって、歩行も排便も自分の意思ではままならず、それでも死ぬに死ねない生き地獄。これが、多くの人の抱いている「長生き」のイメージだろう。

コマーシャリズムがいけなかった。メディアがいけなかった。もっといえば、それに踊らされていた我々がいけなかったのだ。若さだけが限りない特権を与えられて、経験と知恵の蓄積である老いという現象が、何か居心地の悪い状態のように思われている。

G先生を囲んで、中年・初老の人たちばかりでお茶を飲みながら教育問題について語っている最中に、私の事務所のドアがいきなり開いて、髪の毛をムースで逆立てたイケ面の青年がへらへら笑いながら突然入ってきた。「あのう、ボク、事務機メーカーのナントカカンとかの営業なんすけど、会社関係のところへ、コピー機のご説明で、きたんですけどお」

消え失せろバカタレ、と言いそうになった。何が「ボク」だ。何が営業だ。俺がお前の上司だったら、血ヘドを吐くほどいじめ抜いてやるぞ、と言いたいのを堪えた。

残念ながら、高齢社会の日本では、もう今までみたいに若さは特権化されないのだよ。若者がターゲット・マーケットだった時代は、悪いけど、我々の時代で終わったのだ。

ゲームのルールは変わりつつある。これからは、老いてなお輝く人が勝ち残る時代だ。それがいいか悪いか、一人ひとりの生き様で示さなければならない。そういう時代を、我々は生きている。

だから、多少若い奴らにナメられても、へこたれずにいよう。

そういうことだ。

2007/4/13  12:57

ドーモアリガット、ミスター・ヴォネガット  日記

カート・ヴォネガットがおととい亡くなった。
84歳。覚悟していたとはいえ、ああ、もうあの人はいないのかと思うと寂しい。

孤独な青春時代――ヴォネガットさんは、作品を通じて私にしみじみと話してくれた。
悲しくて、残酷で、醜悪で、滑稽で、美しい人生について。愛について。愛の不在について。
その他いろいろ。

私の人生に衝撃を与えた二つの文学作品を挙げろといわれたら、『カラマーゾフの兄弟』と『スローターハウス5』を真っ先に挙げるだろう。ドストエフスキーとカート・ヴォネガット。
ふたりとも、もういない。

カートはよく墓石の絵を描いて、自分の作品に挿入していた。
ぐらぐらした線で描かれた墓石の前には、いつも小さな花が咲いていた。
花は笑っているように見えた。
人は去り、花は咲く。
そういうものだ。

彼がいなくなったことで、何かが変わっただろうか?
何も変わりはしない。
人生は相変わらず、悲しくて、残酷で、醜悪で、滑稽で、美しい。
彼の墓の前には、あの小さな花が咲くことだろう。
笑いながら。

アウフ・ヴィーダーゼーヘン。

ハイホー!

2007/4/11  20:26

【60秒で金持ちになれる方法】  幸福論


騙されたと思ってこれを読んでいる人が殆どでしょう。

騙すつもりはありません。たやすく金持ちになれる方法をお教えしましょう。

その前に――、

話は変わりますが、私のクライアントで、中国の小学生たちに里親支援をしている方がおられます。

中国は急速な経済発展を遂げているとはいえ、大多数の農業従事者の子供たちはいまだ陽の当たらない場所に暮らしています。

その人のもとに、中国農村部の子供たちから届いた手紙をご紹介しましょう。

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

「親愛なるおじさん、こんにちは!
あなたの送ってくださった100元が、今日届きました。あなたのお金をふところに入れて、僕は涙が出ました。

父は脚の不自由な人です。家はとても貧しいです。
父の病気は子供のころからのものです。僕が学校に行く年になっても、授業料が払えないので学校へ行けませんでした。

 この5年間、あなたは、お父さんのように、ずっと僕を助けてくださいました。あなたがいなければ、僕は友だちと一緒に学校で勉強することがどうしてできたでしょうか。
おじさん。僕は今、父の世話をする以外、ほとんどの時間を勉強につかっています。

おじさんのお仕事は忙しくて、僕に会いに来られる時間はないと思います。
でも、僕はどれだけおじさんのことを思っているか! おじさんに、僕の気持ちがわかるでしょうか。あなたをお父さんと呼びたいのです! 
僕は必ずしっかり勉強して、おじさんに報告して、社会の発展に貢献します」

-----------------------------------------------------------------------------

「先生に送っていただいたお金が届きました。この、いただいたお金で、また他の子と同じように学校で勉強することができるようになりました。今では学校生活をたのしんでいます。

以前のことを振り返ってみると、母が亡くなったとき、僕は他の友だちがたのしそうに学校へ通う姿を見て、いつも涙を流していました。僕はとても学校へいきたかったのです。しかし、家の経済状態のために学校をやめました。

でも、あなたがそんな僕をたすけてくれました。僕は学校へいくことができました。学校の音楽室のきれいなピアノの音を、またきくことができました。

今から僕は先生に約束します。これからがんばって、いい大学に受かるように努力します。先生の期待を無にしないように」

-----------------------------------------------------------------------------

「私はいろいろな方にご恩をいただきました。
父がテレビ局のインタビューを受けたとき、まじめで素朴な父は涙を流すだけで、一言もしゃべれませんでした。

父は我慢強い人です。無口でやさしい心を持っています。
いつも苦しみに耐えながら生きてきました。
彼は自分の気持ちを顔には出さないのです。けれども、今回は涙を流しました。

あなたは私に生きていく勇気を下さいました。
私は人生のハードルを乗り越えることができると確信しています。
晴れる日が、きっとすぐに来ると思っています」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

この子供たちの住んでいる村を、私も訪れたことがありますが、周りを山に囲まれたところで、まったく何もありません。
テレビもなければテレビ・ゲームもない。車のある家など、皆無です。

日本もかつてはこんな風でした。
それが、わたしたちの祖父母や父母の世代の人たちが頑張って、家にテレビが来た、冷蔵庫が来た、洗濯機が来た、そしてパソコンまで来ました。

それでもまだ、この豊かな日本で、靴のない人、家のない人、その日の食事にありつくことのできない人たちがいます。

ホームレス狩りにおびえて、寒空の下で寝ている人たちがいます。

そういった人たちが、明日はきっと希望を持つことができるように、少しだけ祈ろうではありませんか。

祈ってもらえましたか?

ありがとう。

あなたはお金持ちですよね。


(中国の子供たちの手紙は、「特定非営利活動法人日中平和交流・教育支援協会」の冊子より転載させていただきました)

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