2008/4/2  21:37

2008.4.2  日記

G先生ご夫妻に、三宮そごう別館の「西村屋」でランチをご馳走になる。
先生方とお会いするのは、2年ぶりだ。
カナダから年に一度来日されて、ここで越冬をされる、まるでツバメのような人たちだ。
それにしても、お二人とも80歳を遥かに超えているとは思えない。帰りに私の事務所まで来ていただいたが、徒歩十数分の道のりを、二人三脚でカクシャクと歩いておられる姿には畏れ入った。

ああいう元気な年寄りは、どの世代に対してもロール・モデルとなりえるだろう。

オーブリー・ド・グレイという、ケンブリッジの学者によると、今や人間は、好きなだけ長生きできる時代に入っているという。ド・グレイは過激な人で、1000歳まで生きられるよ、などと平気でいう。ケンブリッジだから許してもらえるが、日本の大学でこういうことを言うと、クビになるのではないだろうか。

長生きしたいですか、と人に聞くと、十人中九人は「いやだ」と答える。なぜだろう。長生きということに対する、すごくネガティヴなイメージが一般化されているのだろう。

生ける屍のようになって、歩行も排便も自分の意思ではままならず、それでも死ぬに死ねない生き地獄。これが、多くの人の抱いている「長生き」のイメージだろう。

コマーシャリズムがいけなかった。メディアがいけなかった。もっといえば、それに踊らされていた我々がいけなかったのだ。若さだけが限りない特権を与えられて、経験と知恵の蓄積である老いという現象が、何か居心地の悪い状態のように思われている。

G先生を囲んで、中年・初老の人たちばかりでお茶を飲みながら教育問題について語っている最中に、私の事務所のドアがいきなり開いて、髪の毛をムースで逆立てたイケ面の青年がへらへら笑いながら突然入ってきた。「あのう、ボク、事務機メーカーのナントカカンとかの営業なんすけど、会社関係のところへ、コピー機のご説明で、きたんですけどお」

消え失せろバカタレ、と言いそうになった。何が「ボク」だ。何が営業だ。俺がお前の上司だったら、血ヘドを吐くほどいじめ抜いてやるぞ、と言いたいのを堪えた。

残念ながら、高齢社会の日本では、もう今までみたいに若さは特権化されないのだよ。若者がターゲット・マーケットだった時代は、悪いけど、我々の時代で終わったのだ。

ゲームのルールは変わりつつある。これからは、老いてなお輝く人が勝ち残る時代だ。それがいいか悪いか、一人ひとりの生き様で示さなければならない。そういう時代を、我々は生きている。

だから、多少若い奴らにナメられても、へこたれずにいよう。

そういうことだ。



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