ここは日本語です! Welcome
これじゃ読めないぞ! と日本のみなさんに言われるのを覚悟の上でホームページを英語表示にしました。そこで本サイトでは僕が撮影したミュージシャンの写真等を日本語で紹介します。
ご注意:本ウエブサイト内に掲載されているすべての写真、画像、文章等の著作権は、丸山礼司が保有します。許可なく複製したり、転載、転用することは禁じます。ご質問・ご要望のある方はメールでご連絡ください。
Copyright Notice:None of the material on this site- photos or any text- may be reproduced, stored or manipulated in any manner without the written permission of Reiji Maruyama.
Contact:RayG5@gmx.de
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2008/9/11 23:49
第14回:ジョー・ザヴィヌル Musician
ちょうど1年前の今日、2007年9月11日にジョー・ザヴィヌルが亡くなった。筆者が最後にザヴィヌルの勇姿を見たのは、その2ヶ月前にオランダのロッテルダムで行われたノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの初日(7月13日)に出演したザヴィヌル・シンジケートのライヴだった。ザヴィヌルの愛したドラマー、パコ・セリを加えたバンドの演奏はとてもエネルギッシュで、ザヴィヌル本人もいつものようにステージ上でメンバーに自身の身振り手振りやその表情であれこれと指示を与えながらのプレイでザヴィヌル節が全開だった。その時は、「ずいぶんやせたなぁ」と思ったが、まさかあの後すぐに具合が悪くなって、あんなに早く逝ってしまうとは夢にも思わなかった。
Joe Zawinul
死の2ヶ月前、2007年7月13日のノース・シー・ジャズ祭に出演したジョー・ザヴィヌル
2002年にジャズライフの記事のためにノース・シー(当時はハーグ市で開催されていた)でザヴィヌルにインタヴューした時にはじめてお互いに目と目を合わせ、そこで筆者はザヴィヌルから個人的なお褒めの言葉をいただいた。「君は輝いているね(you are bright)」というその言葉にとても勇気づけられたのだ。こちらは、以前からあこがれていた天才ミュージシャンに対していろいろ質問することができて舞い上がっていただけなのかもしれないが、ザヴィヌルの目には“輝いて”見えたのかもしれない。そんなこともあって、これまでにも時代を築いた素晴らしいミュージシャンが数多く亡くなっているが、昨年9月の「ジョー・ザヴィヌル逝く」の報は個人的に特別なものだった。「ザヴィヌルの本拠地だったウィーンのバードランドを訪ねてみたい」という思いは自然とこみ上げてきた。そして、ザヴィヌルの49日を数日過ぎた頃に当たる11月2日と3日にバードランドでリチャード・ボナのライヴが2日間組まれているのを知り、「これがチャンス!」と意を決した。
2007年11月2日金曜日、小雨のぱらつく午後のケルン空港(ドイツ)を飛び立ち、1時間半後に曇り空のウィーン空港(オーストリア)へ到着。その足ですぐにウィーン市内中心部のヒルトン・ホテルの地下にあるジョー・ザヴィヌル(kb)のバードランドへ向かった。その夜はボナ・バンドのライヴを観たあと、ザヴィヌルの息子(次男)のエリックに会いバードランドに関する話を聞いた。そして翌日、ザヴィヌルのマネージャーを20年間務めたリザ・ツィンケ(Risa Zincke)女史にインタヴューし、さらに彼女の案内でザヴィヌルのお墓参りをした。この時のウィーン取材リポートは、ジャズライフ2008年1月号に掲載されたが、ここではその記事の中に収めきれなかった話をかいつまんで写真と共に紹介してみたい。特に、ただひとりだけジョー・ザヴィヌルの75年と2ヶ月の人生最後の瞬間を見届けた人物であるツィンケ女史は、ザヴィヌルが2007年夏のラスト・ツアーを終えてから死の床に伏して最期に至るまでのあまりにも悲しい様子も話してくれたので、今回あえてその部分も記しておこうと思う。
ジョー・ザヴィヌルズ・バードランドとウィーン中央墓地
死の2ヶ月前、2007年7月13日のノース・シー・ジャズ祭に出演したジョー・ザヴィヌル
2002年にジャズライフの記事のためにノース・シー(当時はハーグ市で開催されていた)でザヴィヌルにインタヴューした時にはじめてお互いに目と目を合わせ、そこで筆者はザヴィヌルから個人的なお褒めの言葉をいただいた。「君は輝いているね(you are bright)」というその言葉にとても勇気づけられたのだ。こちらは、以前からあこがれていた天才ミュージシャンに対していろいろ質問することができて舞い上がっていただけなのかもしれないが、ザヴィヌルの目には“輝いて”見えたのかもしれない。そんなこともあって、これまでにも時代を築いた素晴らしいミュージシャンが数多く亡くなっているが、昨年9月の「ジョー・ザヴィヌル逝く」の報は個人的に特別なものだった。「ザヴィヌルの本拠地だったウィーンのバードランドを訪ねてみたい」という思いは自然とこみ上げてきた。そして、ザヴィヌルの49日を数日過ぎた頃に当たる11月2日と3日にバードランドでリチャード・ボナのライヴが2日間組まれているのを知り、「これがチャンス!」と意を決した。
2007年11月2日金曜日、小雨のぱらつく午後のケルン空港(ドイツ)を飛び立ち、1時間半後に曇り空のウィーン空港(オーストリア)へ到着。その足ですぐにウィーン市内中心部のヒルトン・ホテルの地下にあるジョー・ザヴィヌル(kb)のバードランドへ向かった。その夜はボナ・バンドのライヴを観たあと、ザヴィヌルの息子(次男)のエリックに会いバードランドに関する話を聞いた。そして翌日、ザヴィヌルのマネージャーを20年間務めたリザ・ツィンケ(Risa Zincke)女史にインタヴューし、さらに彼女の案内でザヴィヌルのお墓参りをした。この時のウィーン取材リポートは、ジャズライフ2008年1月号に掲載されたが、ここではその記事の中に収めきれなかった話をかいつまんで写真と共に紹介してみたい。特に、ただひとりだけジョー・ザヴィヌルの75年と2ヶ月の人生最後の瞬間を見届けた人物であるツィンケ女史は、ザヴィヌルが2007年夏のラスト・ツアーを終えてから死の床に伏して最期に至るまでのあまりにも悲しい様子も話してくれたので、今回あえてその部分も記しておこうと思う。
ジョー・ザヴィヌルズ・バードランドとウィーン中央墓地
2008/8/13 6:18
第13回:メロディ・ガルドー Musician
「これが新人か!?」とおもわず言いたくなるような“大ベテランのオーラ”を放つ女性シンガーが現れた。去る7月12日、オランダのロッテルダムで行われたノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの2日目に出演したメロディ・ガルドーのライヴを観て、彼女の“大物ぶり”にノックアウトされてしまった。
Melody Gardot
そのステージは……
Melody Gardot
そのステージは……
2008/7/31 23:59
第12回:ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァル Jazz Festival
ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルは、毎年7月の第2週末の金、土、日の3日間に渡ってオランダのロッテルダムで開催される世界有数のジャズ・フェスティヴァルである。1976年に第1回目が開催されて以来、毎年ハーグ市内で行われていたこのジャズ祭は、2006年から開催地をロッテルダムに移した。現在その会場となっているロッテルダムのアホイ(AHOY')は、中央駅や観光名所があるロッテルダムの中心部とは港をはさんだ対岸の市内南部にある広大なイヴェント・スペース複合体だ。
North Sea Jazz Festival 2008
このジャズ祭の最大の魅力と特徴は「ジャズとジャズに関連するあらゆるスタイルを含む“広義のジャズ”の上質ライヴが大小いくつものステージで同時進行する」というその贅沢なスタイルである。その“ジャズ漬け”状態は尋常ではない。午後6時から夜中の2時過ぎまで、気力と体力と入場券さえあれば、有名アーティストのコンサートを1日に5つ観ることも可能だ。毎年、ジャズの大物ベテランや実力派の中堅、期待の新人はもちろん、ブルースやソウルの大御所、それにR&B、ファンク、ラテン、アフロ、ヒップホップ等の“ジャズに近い”領域で活躍する様々なミュージシャンが出演する。「ジャズは生きている。雑多で、そして常に動いている」そんな主催者の言葉通り、出演アーティストは多岐にわたり、プログラムにはジャズ・ファンが「観たい!」と思うミュージシャンの名前がめじろ押しだ。33回目を迎えた今年も、去る7月11日から13日まで盛大に開催された。今回はその会場内の様子を紹介してみよう。
このジャズ祭の最大の魅力と特徴は「ジャズとジャズに関連するあらゆるスタイルを含む“広義のジャズ”の上質ライヴが大小いくつものステージで同時進行する」というその贅沢なスタイルである。その“ジャズ漬け”状態は尋常ではない。午後6時から夜中の2時過ぎまで、気力と体力と入場券さえあれば、有名アーティストのコンサートを1日に5つ観ることも可能だ。毎年、ジャズの大物ベテランや実力派の中堅、期待の新人はもちろん、ブルースやソウルの大御所、それにR&B、ファンク、ラテン、アフロ、ヒップホップ等の“ジャズに近い”領域で活躍する様々なミュージシャンが出演する。「ジャズは生きている。雑多で、そして常に動いている」そんな主催者の言葉通り、出演アーティストは多岐にわたり、プログラムにはジャズ・ファンが「観たい!」と思うミュージシャンの名前がめじろ押しだ。33回目を迎えた今年も、去る7月11日から13日まで盛大に開催された。今回はその会場内の様子を紹介してみよう。
2008/6/20 20:48
第11回:背高ノッポのベーシスト Musician
さすがに21世紀を生きる若者らしくズボンのベルトの位置が70年代と違ってかなり下の方ではあるが、これで髪の毛をのばしてフレットレスのフェンダー・ジャズベースを持ったらお父さんにそっくり。今回は第5回:ジョナス・エルボーグの記事の最後の方でちょっと触れた“背高ノッポのベーシスト”である。さて、この人はいったい誰だろう?
Who is this bass player?
2008/6/3 10:23
第10回:奴隷制度のおきみやげ Musician
「あのことがなければ現代のような音楽の発展はなかったんじゃないか」という問い方が、カサンドラに対してかなり無骨であることは承知の上だった。いまから12年前の1996年11月30日、デュッセルドルフでコンサート前のカサンドラ・ウイルソンを宿泊先のホテルに訪ねてインタヴューした時のことである。「アフリカの影響こそアメリカの音楽に固有のもの」と言うカサンドラの言葉を受けた筆者は、「あの悲しい歴史を唯一良い方に解釈すると」と断りを入れた上で、あえて黒人奴隷制度にふれた先の質問を投げかけてみた。案の定カサンドラは、それに対してすかさず言い返してきた。「私たちはひどい仕打ちを受けたのよ。私たち黒人の中に重くのしかかっているのは、その暗く痛みに満ちた歴史なの」と。しかし、こちらの言わんとすることもわかってくれたのか、さらに次のような言葉を続けた。
「でも…、その“痛み”の裏返しによって私たちはこれまで“美”を創造し続けることができたとも言えるわ」。
Cassandra Wilson
2005年7月8日撮影
いまでこそ名実共にアメリカの女性ジャズ・ヴォーカル界を代表するという地位を得たカサンドラだが、当時はまだ日本でも彼女の人気に火がつきはじめた頃だった。ブルーノートにレーベルを移して発表したアルバム『ブルー・ライト』(93年)に続く新作『ニュー・ムーン・ドーター』(95年)が好評で、そのアルバムで96年度のグラミー賞(ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス)を受賞するちょっと前。ツアー中にドイツでテレビのトーク番組に出演するなど積極的なプロモーションを行っていたが、その彼女のインタヴューを取るのはなかなか厳しいとも聞いていた。しかしカサンドラは、この日のスケジュールがタイトになってきているにも関わらず、約束していた予定の時間をオーバーしながらこちらの質問にていねいに答えてくれた。
なぜ、そして何のためにあなたは音楽で表現するのですか?
「でも…、その“痛み”の裏返しによって私たちはこれまで“美”を創造し続けることができたとも言えるわ」。
2005年7月8日撮影
いまでこそ名実共にアメリカの女性ジャズ・ヴォーカル界を代表するという地位を得たカサンドラだが、当時はまだ日本でも彼女の人気に火がつきはじめた頃だった。ブルーノートにレーベルを移して発表したアルバム『ブルー・ライト』(93年)に続く新作『ニュー・ムーン・ドーター』(95年)が好評で、そのアルバムで96年度のグラミー賞(ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス)を受賞するちょっと前。ツアー中にドイツでテレビのトーク番組に出演するなど積極的なプロモーションを行っていたが、その彼女のインタヴューを取るのはなかなか厳しいとも聞いていた。しかしカサンドラは、この日のスケジュールがタイトになってきているにも関わらず、約束していた予定の時間をオーバーしながらこちらの質問にていねいに答えてくれた。
なぜ、そして何のためにあなたは音楽で表現するのですか?
2008/5/15 13:03
第9回:マイケル・ブレッカー Musician
いまから3年前、2005年のノース・シー・ジャズ・フェスティヴァル(オランダ)にステップス・アヘッドが出演した。4本マレットを使うヴァイブラフォンのマイク・マイニエリをリーダーとするこのバンドのライヴは、事前のメンバー発表によればマイニエリ以下、マイク・スターン(g)とマイケル・ブレッカー(ts)が、スティーヴ・スミス(ds)とリチャード・ボナ(b)のリズム隊をバックに共演するということで期待していたのだが・・・。
70年代末に“ステップス”という名前で活動を開始してから四半世紀という長い歴史をもつこのバンドは、これまでメンバーが数多く入れ代わっても、マイニエリとブレッカーのコンビが“看板”だった。ところがなんと、この時はマイケルが欠けてしまった。その夏のヨーロッパ・ツアーを目前に控えてニューヨークで6月に行なったコンサートの直前、マイケルが病気のためビル・エヴァンス(ts,ss)が急きょ代役を務めることになったのだ。マイケルが患ったのは、「骨髄異形成症候群」という血液がんの一種で白血病に進行することも多い深刻な病気だった。
Michael Brecker
2004年7月10日ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルで最後に見たマイケル
(各写真をクリックするともう少し鮮明な画像が表示されます)
現代ジャズ・サックスの最高峰と言われていたマイケル・ブレッカーは、その時からツアーの予定をすべてキャンセルして闘病生活に入った。1年後にはハービー・ハンコックのステージに飛び入り演奏するなどして容体は回復に向かっているとの報もあったが、病を克服するためには彼と完全適合する骨髄の移植手術が必要だった。その骨髄提供者(ドナー)をなんとか探し出そうと、マイケルの家族や友人、大勢のファンらが尽力するが、その努力も実らず、マイケルは、2007年1月13日に白血病のため他界してしまった。
印象に残るマイケルの最後の言葉
パット・メセニーとマイケルのスペシャル・クアルテット(ラリー・ゴールディングス談)
ディレクションズ・イン・ミュージック
70年代末に“ステップス”という名前で活動を開始してから四半世紀という長い歴史をもつこのバンドは、これまでメンバーが数多く入れ代わっても、マイニエリとブレッカーのコンビが“看板”だった。ところがなんと、この時はマイケルが欠けてしまった。その夏のヨーロッパ・ツアーを目前に控えてニューヨークで6月に行なったコンサートの直前、マイケルが病気のためビル・エヴァンス(ts,ss)が急きょ代役を務めることになったのだ。マイケルが患ったのは、「骨髄異形成症候群」という血液がんの一種で白血病に進行することも多い深刻な病気だった。
Michael Brecker
2004年7月10日ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルで最後に見たマイケル
(各写真をクリックするともう少し鮮明な画像が表示されます)
現代ジャズ・サックスの最高峰と言われていたマイケル・ブレッカーは、その時からツアーの予定をすべてキャンセルして闘病生活に入った。1年後にはハービー・ハンコックのステージに飛び入り演奏するなどして容体は回復に向かっているとの報もあったが、病を克服するためには彼と完全適合する骨髄の移植手術が必要だった。その骨髄提供者(ドナー)をなんとか探し出そうと、マイケルの家族や友人、大勢のファンらが尽力するが、その努力も実らず、マイケルは、2007年1月13日に白血病のため他界してしまった。
印象に残るマイケルの最後の言葉
パット・メセニーとマイケルのスペシャル・クアルテット(ラリー・ゴールディングス談)
ディレクションズ・イン・ミュージック
2008/4/19 5:28
第8回:アフリカン・テイル Musician
アフリカのある国の王様がけらいに言った。「この国で一番腕の立つ音楽家を1人だけ探して連れて来い」。人々は国中を隅から隅まで捜し歩いた末に2人の男を王の前に連れ出した。「この2人は父親とその息子です。どちらも優れた音楽家で甲乙つけがたく、我々には1人だけ選ぶことができませんでした。後は王様のご判断にお任せいたします」。2人は代わる代わる笛を吹き鳴らし太鼓を叩いて得意の唄を歌った。その演奏を聴き終えた王は、ちゅうちょなく父親の方を最も優れた演奏家として召し抱えた。「王様、なぜ父親の方が優れていたのでしょう。私どもにはわかりません」。けらいたちが尋ねると王は言った。「演奏する2人の姿をしかと見たか。息子は汗だくだったが、父の方は涼しい顔でやっていたではないか」。
Richard Bona
現在ヨーロッパをツアー中のリチャード・ボナ(b,vo)。先週の金曜日、4月11日にドイツ・ルール工業地帯の街ドルトムントで行ったコンサートの最新ショット。
この日のボナのライヴ&ボナの新作アルバムについて
フェミ・クティ(第7回)は舞台の上で上半身裸になってそれでも汗まみれ。ステージ衣装がスーツにネクタイということも関係しているのか、メイシオ・パーカー(第2回)も演奏中はいつも汗びっしょりだ。ジャズ史に巨大な足跡を残したサックス・ジャイアント、ジョン・コルトレーンもしかりで、コルトレーン以下バンドのメンバー全員が体から湯気が立つほど汗をかいている生前のライヴ映像が残っている。だから「良い演奏家=汗をかかない」とは一概に言えないかもしれないが、今回ここに登場するリチャード・ボナは、ものすごいプレイを汗ひとつかかずに楽々とこなす、まさに「国王好み」のミュージシャンである。1999年5月13日にドイツのレヴァークーセンでボナにはじめて会ってインタヴューした時、「ベースを弾くのにマッチョである必要はまったくない」とボナは言っていた。音楽は、“力まかせ”だったり“苦労”や“苦痛”を伴ってやるようなものではない、という考え方なのだ。
現在ヨーロッパをツアー中のリチャード・ボナ(b,vo)。先週の金曜日、4月11日にドイツ・ルール工業地帯の街ドルトムントで行ったコンサートの最新ショット。
この日のボナのライヴ&ボナの新作アルバムについて
フェミ・クティ(第7回)は舞台の上で上半身裸になってそれでも汗まみれ。ステージ衣装がスーツにネクタイということも関係しているのか、メイシオ・パーカー(第2回)も演奏中はいつも汗びっしょりだ。ジャズ史に巨大な足跡を残したサックス・ジャイアント、ジョン・コルトレーンもしかりで、コルトレーン以下バンドのメンバー全員が体から湯気が立つほど汗をかいている生前のライヴ映像が残っている。だから「良い演奏家=汗をかかない」とは一概に言えないかもしれないが、今回ここに登場するリチャード・ボナは、ものすごいプレイを汗ひとつかかずに楽々とこなす、まさに「国王好み」のミュージシャンである。1999年5月13日にドイツのレヴァークーセンでボナにはじめて会ってインタヴューした時、「ベースを弾くのにマッチョである必要はまったくない」とボナは言っていた。音楽は、“力まかせ”だったり“苦労”や“苦痛”を伴ってやるようなものではない、という考え方なのだ。
2008/4/3 15:38
第7回:本家本元 Musician
アフロ・ビートの元祖といわれるフェラ・クティ(1997年没)を父に持つフェミ・クティ。父の没後10年という区切りの年となった昨年も夏のヨーロッパ・ツアーを行ったが、これまでにも父の残した遺産を引き継いで各地でアフロ・ビートの嵐を巻き起こす精力的な活動を続けてきている。
Femi Kuti
2003年7月11日にオランダで行われたフェミ・クティのライヴ・リポート&写真
Femi Kuti
2003年7月11日にオランダで行われたフェミ・クティのライヴ・リポート&写真
2008/3/31 2:53
第6回:オランダ出身のキュートな女性アルト奏者 Musician
タイトルだけ見て「ファンキー・ポップスやってるあの娘のことか」なんて思った人は大間違い。今回登場するのは、そのルックスとは裏腹の、ごっつい剛腕プレイによるハイ・エナジー・バップを聴かせてくれるティネカ・ポスマである。卓越したテクニックと“男らしさ”を感じるそのプレイ。何も知らずに音だけ聴いたら、演奏しているのが女性だとは誰も気がつかないだろう。
Tineke Postma
ティネカから日本のジャズ・ファンへのメッセージ
ティネカから日本のジャズ・ファンへのメッセージ














