2008/1/29  23:59

卑弥呼の謎ーA中国の「晋書」に記された卑弥呼の正体  歴史

古来より、卑弥呼は何者だったのか議論は百出している。それは全て三国志の
「魏志倭人伝」だけを見ているからであり、後年つくられた「晋書」には
以下の記述がある。

「名曰 卑彌呼 宣帝之平公孫氏也 其女王遣使朝見」
これを藤井弁護士の著書「天皇系図の分析」の訳によると、
「卑弥呼は(魏の)宣帝に平らげられた(遼東半島の)公孫氏(公孫度)の娘
であり、(239年、つまり公孫氏が滅ぼされた翌年)魏の帯方郡に遣使した」となる。
卑弥呼は意外にも、遼東半島の公孫氏の娘だったのだ。なぜこれだけはっきり
書いてあるのに日本史の中ではあいまいになっているのか。
歴史学者が、この「晋書」の記述の信憑性を否定しているのか(多分)、
あるいはこの漢文に別の解釈をしているのか、全く分からない点だ。

素人なりに考えても、紀元200年ころの卑弥呼が活躍した時代の日本の支配者は
大陸からの渡来人であった可能性は高いように思う。歴史学者に、早期の結論
をお願いしたい分野だ。



2008/3/28  23:03

投稿者:相山豊

有難うございます。藤井弁護士からも若干聞きましたが、日本の歴史学者はこの晋書の記述を信用していないということです。個人的には全く根拠のない話でもないと思うのですが。また教えてください。

2008/3/28  19:54

投稿者:半杭正幸

晋書は唐朝の房玄齢(578〜648年)が書いたもので、三国志(233〜297年)の卑弥呼よりは遅いのです。唐朝には遣唐使も中国に来てるわけです。私も二十五史の晋書をもっていますが、史書とは言っても全てが正史では有りません。倭国の事は、三国志、後漢書、宋書(南宋)隋書等が史料的価値が有って、その他は疑問符が付く様です。後の元史(明朝に書かれた)等はハサミとノリで切り貼りしたと酷評されています。

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