2008/3/4  20:43

竹の箸Memoir - ポール・フレールの思いで その2  竹の箸Memoir

1968年、ベルギー・ワルテルローに訪れたポールの愛車2台
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1962~64年、足掛け3年イギリスに住んだ。発売されたばかりのHonda S600ロードスターを日本から運び、イギリス、ヨーロッパを一周された"CARグラフィック(CAR GRAPHICを経て、現在のCGとなる)の小林彰太郎編集長の知己を得たのが在英中だった。

帰国後、65年から同誌のお手伝いをすることになった。イギリス、ヨーロッパの通信員のリポート翻訳および在英中とその後のヨーロッパ、アメリカの旅で得た体験、題材のリポートを書いた。

1966年モナコGPは、印象に強く残っている。モータースポーツ史最大の英雄ファン・マニュエル・ファンジオとポール・フレールに目線だけだったが挨拶できたこと、3リッター・フォーミュラ最初のレースの技術的興味、誌上でしか見たことのないF1マネジャー、エンジニアたちと話せる機会など、わくわくした。まだタバコ屋などのスポンサー以前の時代で、エレガントで鷹揚な雰囲気に満ちていた。
番外エンターテイメントとしては、丁度映画『グランプリ』の撮影中で、F3改造のF1もどきにホンモノF1ドライバー、俳優たちが乗り走り回っていた。たしか三船敏郎演ずるヤムラ・モータース社長は、本田宗一郎社長をモデルにしていた。

当時、CARグラフィックは、ひとつの深刻な課題を抱えていた。小林編集長が体調を崩され、ロードテストから遠ざかっていた。内外の助っ人ー私を含めーがインプレッションズを書いたが、小林さんの”カーリスマ”には及ばない。私は、イギリスのMOTOR誌の日本リポーターを務めていたが(たしか、小林さんは同系だがライバルのAUTOCARに書かれていたと記憶する)、その誌上で素晴らしいインプレッションズを読んだ。ポール・フレールのスーパーカー・インプレッションズ・シリーズの第1弾、フェラーリ330GTCだ。『これだ!』

早速、彼に手紙を書くことにしたが、ヨーロッパ式儀礼からすると、紹介者を介するのが最善。さいわい、MOTORのテクニカル・エディター、ジョー・ロウリーがテスト・グループ仲間ということで、ポールの住所を知ることができた。CARグラフィック1967年3月号、ポール・フレール・インプレッションズがはじまった。

翌68年、この卓越したドライバー、エンジニア、ライターに会いに、当時彼が住んでいたベルギー・ワルテルロー(ナポレオン・ボナパルトとウエリングトン公爵軍が激突し、ナポレオンが敗退した古戦場)を訪れた。写真は、彼の愛車はBMW2002アルピーナ(手前)、そしてフレール家の所有したクラシック・シトロエンだ。その際、シトロエンの故事来歴を聞いたはずだが、すっかり忘れてしまい、この分野の権威、川上 完さんに鑑識をお願いしたのが次だ。
『1922年に発売された2座のシトローエン タイプCです。
エンジンは856ccの水冷直列4気筒SV(11hp/2100rpm)で
フランスの課税馬力で5馬力(5CV)でした。
1923年からはホイールベースを延長して
3人乗りが可能となったタイプC3(座席配置から
クローバーリーフと呼ばれたそうです)へ発展します』

1969年には、ポールと奥さんのスザンヌが、CARグラフィックが開催した鈴鹿サーキットにおける『ポール・フレール・ドライビング・スクール』に来日する。
下の写真は、帰途、羽田空港に送った時のもので、幼児は今年1月30日、フランス・ヴァンスに見舞った際、ポールが「リットル・トモミはどうしている」とたずねた私の娘で当ブログのサブマスターだ。


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