2008/3/18 11:07
竹の箸Memoir - ポール・フレールの思いで -5 MAZDA RE 竹の箸Memoir
鈴鹿サーキットのポール・フレール日本車試乗。左からマツダ・カペラREクーペ、日産フェアレデイ、日産ローレル・ハードトップ、ホンダ1300クーペ9、1300レーシング

ポール・フレールが最初に試乗したのは、R100クーペ/ファミリア・ロータリークーペであった。自叙伝には、RE元祖で特許ホールダーのNSUの2番目のRE車、Ro80とR100の対比に触れている。Ro80は、ヨーロッパ・カー・オヴ・ザ・イヤー(当時はオランダ専門誌が主催していた)に選ばれた、革新エンジンのみならず、先進デザイン、駆動系、シャシーを持つRE専用セダンだった。片やR100は、日本の典型的後輪駆動大衆車のファミリアをベースにした車で、
シャシーはごくシンプル。
来日し、再度REクーペに試乗した際の彼の言葉を覚えている。「ジャック、私のストップウオッチ計測と計算によると、この100馬力のクルマの駆動系伝動効率は100%になるよ」公称値よりパワフルなエンジン、やや原始的シャシーという意味だろう。あの時、まだ手造りしていたコスモ・スポートL10Bに乗せたかった!英誌MOTORの仲間の間では、非常に評価の高いスポーツカーであった。
小林CARグラフィック編集長の企画で、鈴鹿サーキットで当時最新の国産車の試乗イベントをやった。日産フェアレデイZ(2リッタ)、日産ローレル、マツダ・カペラREクーペ、ホンダ1300クーSの量産車とレース仕様車を持ち込んだ。
カペラでは、ドアンダーのクルマの走行法を教えてもらった。試乗が終わる頃には、カペラの155SR13タイアは、内外ショルダーが見事に減り、3角断面になってしまった。東京へは、ポールとスザンヌがZ、マツダの小早川"コビー”と私がカペラ、小林編集長がローレルで帰った。トレッドが残っているZのポールは、東名に乗るや否や、ぶっとんで行ってしまった。コビーと私は、「このタイアでは、速くは走れないなア」と後続。小林編集長も同じ。ところが、東京近くなり落ち合うレストエリアにポール組がいない。たいへんだ、迷子になってしまった。カペラとローレル組は、レストエリアを探して回った。結局、合流することはできたのだが、よほど心細かったのだろう、ポール、自叙伝にこのエピソードを記している。
鈴鹿でもうひとつ記憶に残るのは、1976か77年頃のひマツダがグランチャン用に購入したマーチ75Sのシェイクダウン中のポールの試乗だった。片山善美選手が13Bエンジン(それまでは12B)を載せたばかりのマーチをシェイクダウンしていた。2、3周まわったポールが奇妙な顔つきでピットに入った。「左コーナーではオーバーステアし、右ではアンダーになる」マツダのワークスドライバーも同様の体験をしていたが、当初はシャシーに起因すると思われた。その後、原因はアウトプットシャフトゆえに高い位置にマウントされたREのジャイロ効果であることが判明した。

ポールの駆るカペラREクーペ

「ほう、減ったな」3角断面になってしまったカペラの155SR13タイアを見るポール
ポール・フレールが最初に試乗したのは、R100クーペ/ファミリア・ロータリークーペであった。自叙伝には、RE元祖で特許ホールダーのNSUの2番目のRE車、Ro80とR100の対比に触れている。Ro80は、ヨーロッパ・カー・オヴ・ザ・イヤー(当時はオランダ専門誌が主催していた)に選ばれた、革新エンジンのみならず、先進デザイン、駆動系、シャシーを持つRE専用セダンだった。片やR100は、日本の典型的後輪駆動大衆車のファミリアをベースにした車で、
シャシーはごくシンプル。
来日し、再度REクーペに試乗した際の彼の言葉を覚えている。「ジャック、私のストップウオッチ計測と計算によると、この100馬力のクルマの駆動系伝動効率は100%になるよ」公称値よりパワフルなエンジン、やや原始的シャシーという意味だろう。あの時、まだ手造りしていたコスモ・スポートL10Bに乗せたかった!英誌MOTORの仲間の間では、非常に評価の高いスポーツカーであった。
小林CARグラフィック編集長の企画で、鈴鹿サーキットで当時最新の国産車の試乗イベントをやった。日産フェアレデイZ(2リッタ)、日産ローレル、マツダ・カペラREクーペ、ホンダ1300クーSの量産車とレース仕様車を持ち込んだ。
カペラでは、ドアンダーのクルマの走行法を教えてもらった。試乗が終わる頃には、カペラの155SR13タイアは、内外ショルダーが見事に減り、3角断面になってしまった。東京へは、ポールとスザンヌがZ、マツダの小早川"コビー”と私がカペラ、小林編集長がローレルで帰った。トレッドが残っているZのポールは、東名に乗るや否や、ぶっとんで行ってしまった。コビーと私は、「このタイアでは、速くは走れないなア」と後続。小林編集長も同じ。ところが、東京近くなり落ち合うレストエリアにポール組がいない。たいへんだ、迷子になってしまった。カペラとローレル組は、レストエリアを探して回った。結局、合流することはできたのだが、よほど心細かったのだろう、ポール、自叙伝にこのエピソードを記している。
鈴鹿でもうひとつ記憶に残るのは、1976か77年頃のひマツダがグランチャン用に購入したマーチ75Sのシェイクダウン中のポールの試乗だった。片山善美選手が13Bエンジン(それまでは12B)を載せたばかりのマーチをシェイクダウンしていた。2、3周まわったポールが奇妙な顔つきでピットに入った。「左コーナーではオーバーステアし、右ではアンダーになる」マツダのワークスドライバーも同様の体験をしていたが、当初はシャシーに起因すると思われた。その後、原因はアウトプットシャフトゆえに高い位置にマウントされたREのジャイロ効果であることが判明した。
ポールの駆るカペラREクーペ
「ほう、減ったな」3角断面になってしまったカペラの155SR13タイアを見るポール
2008/4/26 11:48
投稿者:おやじ
2008/4/17 19:47
投稿者:Jk.k
はじめまして、10年ぐらい前からあなたの記事を読ませてもらっております。大ファンです。
山口さんの記事はおしゃれで、楽しいです。
これからも健筆を振るってください 待ってます。
山口さんの記事はおしゃれで、楽しいです。
これからも健筆を振るってください 待ってます。
2008/3/18 12:30
投稿者:美佳




ありがとうございます。