2008/3/22 12:17
竹の箸Memoir - ポール・フレールの思いで - 7 RX-7 FC 竹の箸Memoir
3台のメカニカル・プロトXとFCの形をしたプロトタイプS1。右側のX-1をニュルブルクリンクに持って行った

ポールは、ヨーロッパで試乗した初代RX-7・SAのエンジンの滑らかさに、いたく感心した。彼の友人で、当時ロールス・ロイスの役員で、すべてのクルマをロールス・ロイスの規準で判断するウルサ型氏がSAを所有し、楽しんでいると話していた。
私はFC, FD、そしてRX-8の英語開発ブックを書いたが(日本語版はRX-8だけ。日本はヘヴィーな本の市場ではない)、ポールにインプレッションズを依頼した。
彼は、FC、FDともにプロト期にニュールブルクリンクを走っている。
これはFCがFCの形になる前のSAベースの試験車期のエピソードで、ポール登場前のことだ。当時の開発は、試験車も3段階、それから形を成したプロトで2段階くらいを要した。今だったら、開発時間短縮競争で、半分の手間ひまもかけないのではないか。多くの仕事がコンピューターの中でこなされる。
ニュールブルクリンクに持っていったのは、X-1と呼ぶ、試験車第2段階。SAの外観だが、シャシーは新機構が採り入れられていた。開発ブックのフォロウで、私も現地合流した。足は、ホンダから借り出した4WSつきのプレリュードで、まずオジサンに何マルクかを払って北コースへ入った。ごく低速以外は後輪が同位相にステアし、安定方向にもっていく。明らかにシャシーと4WSは、エンジンパワーに勝っており、安定、安定で走る。
次に開発チームの立花チーフ開発エンジニアの駆る比較用ポルシェ944に同乗した。走りだして間もなく、立花さん、「アレッ、アレッ、こいつすごく巻き込む。気をつけないくていけない」リフトオフした時のオーバーステアがかなり急激に出るのだ。次に私が運転したが、ホント、速いことは速いが、ポルシェの魔性だ!
次が新しいサスをつけたX-1。リアは、シャシー設計の鬼才、貴島孝雄さんのトウコントロール・ハブを2分割トレーリングアームと組み合わせた試作。ポルシェのヴァイザッハアクス、メルセデス190のマルチリンクなど、反応型トウコントロールが出現した時期だ。
シングルアームのX-0は、トレーリングアーム独特の挙動の唐突さがあったというが、この時点のX-1のセッティングは超安定側に振っていた。こんども立花さんが、「アレッ、アレッ!?」リアサスの横力反応時のグリップは強力。だが、ステアリング動作とは離れてグリップしている。立花さん、ステアリングホイールをかなりの角度で左右回すのだが、安定のままで、反応が鈍い。運転をかわったが、やはりド安定。立花さん、ひと言「スポーツカーじゃないね」
ところがコース先方ではドラマが起きていた。X-1から944に乗り移った開発メンバーが逆キャンバーS字でリフトオフオーバステアで見事にとび出してアームコ(ガードレール)にドーン。走行不能となった。
あとでポールにその話をした。「わかるよ。あそこは、気をつけなければいけない複合コーナーなんだ」「とおっしゃるけれども、一体、何周したら憶えられるんですか」「私は、これまで2000ラップはしたかな」「....」
後日談がある。FCの開発が進み、最終型の形になってきた。その頃、マツダはカペラ4WSの開発をしていた。ポールが”ミッキーマウス・コース”のニックネームをつけたちょこちょこ曲がりくねるハンドリングコースでカペラを試乗したが、後輪同位相モードの4WSは、強力グリップを発生、安定して走る。
次に広い総合テスト直線部でFCに乗った。ここでかなりのステアリングインプットを与えたが、これは不用意極まりなかった。感覚が超安定4WSから切り替わっていなかった。
ニュル以来、FCシャシーは、立花流「スポーツカー本来あるべき俊敏反応」方向にチューンされていたのだ。過度の操舵は、高速直線での大スピンを起こした。損傷はなかったが、見ているエンジニアたちには悪いことをした。コーナーに名がつくのはさておき、”ヤマグチストレート”だけは避けられた。
ポールとのFC最終型試乗は、雨の西日本(現在のMINE)サーキット。彼のシリアスな評価試乗が一段落した。「ジャック、君がRX-7で先行していいよ。半周くらいしたら、カペラで追いかける」3ラップもしないうちに追いつかれ、きれいに抜かれた。ポールのくれた教訓: 『歌ではなくて、歌い手である』

雨の西日本サーキットを走るポール・フレールと最終プロト

試乗後、意見を交わすマツダの増田忠之実験研究部長、ポールと私
ポールは、ヨーロッパで試乗した初代RX-7・SAのエンジンの滑らかさに、いたく感心した。彼の友人で、当時ロールス・ロイスの役員で、すべてのクルマをロールス・ロイスの規準で判断するウルサ型氏がSAを所有し、楽しんでいると話していた。
私はFC, FD、そしてRX-8の英語開発ブックを書いたが(日本語版はRX-8だけ。日本はヘヴィーな本の市場ではない)、ポールにインプレッションズを依頼した。
彼は、FC、FDともにプロト期にニュールブルクリンクを走っている。
これはFCがFCの形になる前のSAベースの試験車期のエピソードで、ポール登場前のことだ。当時の開発は、試験車も3段階、それから形を成したプロトで2段階くらいを要した。今だったら、開発時間短縮競争で、半分の手間ひまもかけないのではないか。多くの仕事がコンピューターの中でこなされる。
ニュールブルクリンクに持っていったのは、X-1と呼ぶ、試験車第2段階。SAの外観だが、シャシーは新機構が採り入れられていた。開発ブックのフォロウで、私も現地合流した。足は、ホンダから借り出した4WSつきのプレリュードで、まずオジサンに何マルクかを払って北コースへ入った。ごく低速以外は後輪が同位相にステアし、安定方向にもっていく。明らかにシャシーと4WSは、エンジンパワーに勝っており、安定、安定で走る。
次に開発チームの立花チーフ開発エンジニアの駆る比較用ポルシェ944に同乗した。走りだして間もなく、立花さん、「アレッ、アレッ、こいつすごく巻き込む。気をつけないくていけない」リフトオフした時のオーバーステアがかなり急激に出るのだ。次に私が運転したが、ホント、速いことは速いが、ポルシェの魔性だ!
次が新しいサスをつけたX-1。リアは、シャシー設計の鬼才、貴島孝雄さんのトウコントロール・ハブを2分割トレーリングアームと組み合わせた試作。ポルシェのヴァイザッハアクス、メルセデス190のマルチリンクなど、反応型トウコントロールが出現した時期だ。
シングルアームのX-0は、トレーリングアーム独特の挙動の唐突さがあったというが、この時点のX-1のセッティングは超安定側に振っていた。こんども立花さんが、「アレッ、アレッ!?」リアサスの横力反応時のグリップは強力。だが、ステアリング動作とは離れてグリップしている。立花さん、ステアリングホイールをかなりの角度で左右回すのだが、安定のままで、反応が鈍い。運転をかわったが、やはりド安定。立花さん、ひと言「スポーツカーじゃないね」
ところがコース先方ではドラマが起きていた。X-1から944に乗り移った開発メンバーが逆キャンバーS字でリフトオフオーバステアで見事にとび出してアームコ(ガードレール)にドーン。走行不能となった。
あとでポールにその話をした。「わかるよ。あそこは、気をつけなければいけない複合コーナーなんだ」「とおっしゃるけれども、一体、何周したら憶えられるんですか」「私は、これまで2000ラップはしたかな」「....」
後日談がある。FCの開発が進み、最終型の形になってきた。その頃、マツダはカペラ4WSの開発をしていた。ポールが”ミッキーマウス・コース”のニックネームをつけたちょこちょこ曲がりくねるハンドリングコースでカペラを試乗したが、後輪同位相モードの4WSは、強力グリップを発生、安定して走る。
次に広い総合テスト直線部でFCに乗った。ここでかなりのステアリングインプットを与えたが、これは不用意極まりなかった。感覚が超安定4WSから切り替わっていなかった。
ニュル以来、FCシャシーは、立花流「スポーツカー本来あるべき俊敏反応」方向にチューンされていたのだ。過度の操舵は、高速直線での大スピンを起こした。損傷はなかったが、見ているエンジニアたちには悪いことをした。コーナーに名がつくのはさておき、”ヤマグチストレート”だけは避けられた。
ポールとのFC最終型試乗は、雨の西日本(現在のMINE)サーキット。彼のシリアスな評価試乗が一段落した。「ジャック、君がRX-7で先行していいよ。半周くらいしたら、カペラで追いかける」3ラップもしないうちに追いつかれ、きれいに抜かれた。ポールのくれた教訓: 『歌ではなくて、歌い手である』
雨の西日本サーキットを走るポール・フレールと最終プロト
試乗後、意見を交わすマツダの増田忠之実験研究部長、ポールと私



