2008/3/25 20:27
竹の箸Memoir - ポール・フレールの思いで - 9 HONDA 竹の箸Memoir
荒川河川敷にあった本田技術研究所テストコースでのHonda 1300プロトの試乗。本田宗一郎社長、馬淵役員、中村良夫役員と談笑するポール
同じテストコースでアコード・プロト。中村専務、私(背中)、ポール、木澤博司主査
1968年、カーグラフィックがポールと奥さんのスザンヌを招き、鈴鹿でスポーツカー・ドライビング・スクールを開催した。ポール、鈴鹿ではS800をサーキット用に使っていた。これは気にいっていた。かえすがえすも残念なのは、私は仕事の都合でこのスクールに参加できなかったこと。
彼は、1300市販の前に本田技術研究所の荒川河川敷のテストコースで試乗している。直線がメインで一カ所”く”の字形の比較的高速の屈折部があった。アンダーが強いなというのがポールの印象だった。この試乗には、本田宗一郎社長が自ら1300・99(4連気化器ハイパワー型)を運転してコースに来られた。
ポールと私は、お互いのコースオフ、クラッシュの失敗談を交わしたものだ。彼自身の経験から、新型車に試乗する際の注意をする点を教えてくれたと感謝していたのだが、なんと自叙伝にちゃんと記しているではないか。私もホンダ1300の最終プロトで生涯最悪のクラッシュをし、ポールに報告した。「ぼくのスクールに出ていれば、回避できたかもしれないね」
同じコースでは、初代アコード・プロトにも乗っている。中村良夫・研究所専務さんと初代シビック、アコード、プレリュードの開発リーダー、木澤博司がアレンジしてくれた。ポールと中村さんの会話は面白かった。ポール、「いいクルマに仕上がりましたね」中村さん、「いいということは、速さが足りないということですよね」私「・・・・」
彼の特別のお気に入りホンダ車は、CR−X初代と2代目。名著『Sportscar and Competition Driving (邦題ハイスピード・ドライビングー二玄社出版)の93年版の正しいドライビング・ポジション説明には、彼所有の2代目CR-Xの写真が使われている。
彼は、NSXは標準型とタイプRを栃木、ニュールブルクリンクで乗っている。ポールの愛車はポルシェ911で、ポルシェ・ファクトリーが最新仕様エンジンを組込んでいた。NSXオーナーであった私は、彼の911に同乗し、「ポール、いつかは911かな」ともらした。と、「君は現時点で最良のスポーツカーに乗っている幸せ者なんだよ」
NSXの登場は、ヨーロッパの高性能スポーツカー・メーカーにとっては衝撃的であった。いまでもポルシェ911とフェラーリが急速に進化したのは、NSXが契機となったと思っている。
ポールは、スーパーバイクの大の愛好者であった。何年か前、愛用していたBMWフラットツインで走行中、急制動した前の車に追突した。前車のルーフを飛び越えて着地したが、骨折。以来、杖をついていた。私も58年に所有していたBMW・R50で転倒し、一週間首がまわらなくなった。へんなところで共通の話題だった。
荒川テストコースでの1300試乗の時だった。テント前に研究所二輪部隊がテストしていたCB750が置いてあった。「ジャック、噂に聞いていたCB750だ!乗れないかなア」「頼んでみましょうか」本田宗一郎社長にお願いした。「足が届くなら乗ってよろしい」ふたりで大いにエンジョイした。
ホンダが楕円ピストンのメガバイク、NRを発表した時、矢も盾もたまらず、二輪研究所の梨本チーフエンジニアに乗せてくれと懇願。OKがきた。栃木研究所プルーヴィング・グラウンドに梨本さんとともに現れたのが元ホンダGPライダーの田中禎介開発エンジニア!田中さん、ホンダ第1期F1カー、GPモーターサイクルのデモンストレーションのレギュラードライバー/ライダーも務めていた。「お久しぶりです。まず乗れるかテストしましょう」と250のVツインを指す。一回りしてきた。「マア、いいでしょう」この素晴らしい体験を、早速、ポールにファックスでリポートした。彼、次の来日で、ちゃんとNRに乗っていた。「ファンタスティックだったよ!」
1300試乗の際、かたわらにあったCB750を本田社長におねだりして乗せてもらった。ポール、嬉々としてとばしていた
ホンダの楕円ピストン、メガバイクNRに乗り、ポールに早速「わが生涯で至極の歓び」と手紙を書いた。次の来日にポールは、ちゃんと乗っていた。別の機会の試乗だったので、写真は私のもの



