2008/3/5 21:04
棋譜を見て石を並べる 趣味
囲碁のルールが分かると、今度は少し難しいことを知ろうとして、あれこれ手を出すようになる。これは囲碁愛好家諸氏ならばお分かりいただけるであろうと思うが、布石に、定石に、手筋に、死活にヨセに、一つ挑戦してやろう、という気になる。
もう一つ、先例をヒモトイテみよう、すなわち過去の実戦譜を見てみよう、盤上に並べてみようという勉強法がある。こういうことは囲碁に限らず将棋やチェスなんかでも普通に行われていることだ。それ以前に、この世の中、先人達の経験が今の人たちに恩恵を与えている。何だってそう。もともと食えるもの食えないものを識別することだって、例えばこの世で最初に毒キノコを食べて具合が悪くなった人がいたからこそ、そのキノコに毒性があるってことが分かったのであって、誰かが初めてそれを経験した、その結果がこうだった、ってことがそれ以外の人々に知れ渡り、そして後世に受け継がれてようやく、一つの常識、理論が形成されていくんだろう。
そういった当たり前のことを踏まえて、このナラべをやると自分にも益があるに違いないと夢見て、やってみるわけだが、これの効用を未だ測り難いと感じている。場合によってはただ並べることにのみ執着し、一手一手の意味、味わい深さを感じ取るまでにはいかないのだと痛感する。そこまでイケルのは上級者なればこそであって、当方のような素人に同じことを求めるのはナカナカ酷な話なんだろうと思う。
それは決して我が身可愛さ故の自己弁護で言っているのではなく、ものを覚えるには自ずから順序、ステップがあるんだろうコトを言っているのだ。
実戦譜を並べるだけではダメだ。大切なのは実戦譜の当事者が何を意図してその手を打ったのか、これを感じ取ることなんだよね。これを忘れては、単に石を盤上の指定されたところに置く、という簡単な動作の域を出ないんだ。
小林光一九段は、毎日碁石を並べすぎて右手指の爪が伸びない(正確には、伸びてきた爪がすぐに碁石で削られてしまうから、結果として伸びていないように見える)のだそうだ。これにはコウベを垂れて敬意を表す。ただ、我々アマチュアがそれをやったとしたなら、それはホメられることなんだろうか。否。決してそうではないと思う。なぜならば我々はそんなことをしても何の得もないからだ。ボーナスが出るわけでもない、副業収入があるわけでもなし。話題にもならない。小林九段がやるからこそ話題になるのだ。だから我々アマチュアは、先人の実戦譜を並べて鑑賞するよりも、いかに読みを鍛えるか、そこに注力していくほうが、明らかに自分の中でそういった勉強の効用を感じ取ることが出来る、と思えて仕方ない。
もう一つ、先例をヒモトイテみよう、すなわち過去の実戦譜を見てみよう、盤上に並べてみようという勉強法がある。こういうことは囲碁に限らず将棋やチェスなんかでも普通に行われていることだ。それ以前に、この世の中、先人達の経験が今の人たちに恩恵を与えている。何だってそう。もともと食えるもの食えないものを識別することだって、例えばこの世で最初に毒キノコを食べて具合が悪くなった人がいたからこそ、そのキノコに毒性があるってことが分かったのであって、誰かが初めてそれを経験した、その結果がこうだった、ってことがそれ以外の人々に知れ渡り、そして後世に受け継がれてようやく、一つの常識、理論が形成されていくんだろう。
そういった当たり前のことを踏まえて、このナラべをやると自分にも益があるに違いないと夢見て、やってみるわけだが、これの効用を未だ測り難いと感じている。場合によってはただ並べることにのみ執着し、一手一手の意味、味わい深さを感じ取るまでにはいかないのだと痛感する。そこまでイケルのは上級者なればこそであって、当方のような素人に同じことを求めるのはナカナカ酷な話なんだろうと思う。
それは決して我が身可愛さ故の自己弁護で言っているのではなく、ものを覚えるには自ずから順序、ステップがあるんだろうコトを言っているのだ。
実戦譜を並べるだけではダメだ。大切なのは実戦譜の当事者が何を意図してその手を打ったのか、これを感じ取ることなんだよね。これを忘れては、単に石を盤上の指定されたところに置く、という簡単な動作の域を出ないんだ。
小林光一九段は、毎日碁石を並べすぎて右手指の爪が伸びない(正確には、伸びてきた爪がすぐに碁石で削られてしまうから、結果として伸びていないように見える)のだそうだ。これにはコウベを垂れて敬意を表す。ただ、我々アマチュアがそれをやったとしたなら、それはホメられることなんだろうか。否。決してそうではないと思う。なぜならば我々はそんなことをしても何の得もないからだ。ボーナスが出るわけでもない、副業収入があるわけでもなし。話題にもならない。小林九段がやるからこそ話題になるのだ。だから我々アマチュアは、先人の実戦譜を並べて鑑賞するよりも、いかに読みを鍛えるか、そこに注力していくほうが、明らかに自分の中でそういった勉強の効用を感じ取ることが出来る、と思えて仕方ない。
