2007/12/20  20:32

番外編(13)青天の霹靂  分類なし

長い間、バリ便りをお休みしています。実は今年の初め頃から体に異変が生じていましたが、医者嫌い故、検査をするのを先のばしにしておりました。

下血が止まらないうえ、生あくびが頻繁に出る(数秒おき)。しばしばやりきれない倦怠感をおぼえ、生きていても楽しめない、それでいて死ぬ気配もない・・・

6月になって、ようやく重い腰をあげ、市の大腸癌潜血検査に臨みました。結果は陽性。すぐ内視鏡となりました。難しい顔をしている先生に、こちらから「癌ですか?」っと覚悟していた質問をし、「はっきり言ってしまうと直腸癌です。早いうちに手術した方がよいですね」っと、宣告された次第です。

特にかかりつけの医者がいないので、検査をしてくれた初対面の先生に、紹介状を書いてもらいました。それは提携先の八王子の病院宛てでしたが、家族がネットで調べてくれた結果、腹腔鏡手術で実績を上げている虎ノ門病院がよいのではということになり、夫が電話で問い合わせてくれました。「よその病院宛ての紹介状でも構いません」との応対に力を得、翌日、朝一番に整理番号をもらうべく、虎ノ門へ向かいました。以後の経過はブログ癌闘病(?)日記に綴っています。


治療を終えて寛解したら、またバリを訪れてみたいと思います。いずれにしろ旅行者としての「バリ便り」で、バリの嫌な面には少々、目をそらしている傾向にあるかと思います。バリ人と結婚し、ビジネスを成功させたオーストラリア女性は離婚後、家屋や財産のほとんどを夫に売却されてしまっていて、又、買い戻すのに莫大な資金を要したとか。ひどい目に遭っています。店舗や家屋は離婚すれば、みんなバリ人の物になってしまうというのを何かで読みました。本当でしょうか。あんないい人がと思うくらい素敵な旦那さまに見えたのに・・・ 確かに二面性(?)があって、調子のいい部分を持っている人もいますよね。観光化による拝金思想で、外人を利用しようとする人も目につきます。残念ながら。



今は、医療技術の進んだ日本にいることに感謝。正直、生に対する執着の薄かった私ですが、4時間もかけ難しい手術を成功させ、命を下さった先生たち、夜を徹して献身的に看護にあたって下さった看護士さんたち、そばにいて支えてくれた家族の為にも、しっかり生きなければ申しわけがたたないと思っています。命は自分だけのものではないのだと思い知らされています。

2007/6/19  20:44


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新宿のジュンク堂で何気なく東洋史のコーナーを見ていたら、写真の本が目に跳びこんできました。

「バリ島物語」 ヴィキイ・バウム 金窪勝郎訳 筑摩書房

小さな字で600ページ近くもぎっしり書かれている小説で、1906年当時のバドウン王国(現在のデンパサール)のププタン(死への戦い、終末)をテーマにした物語です。オランダ軍によるバドウン王朝武力制圧という史実を取り入れたノンフイクション要素が強いものなので、歴史のコーナーに置かれていたのかと思います。ドラマチックなストーリー性は勿論、バリ人気質、カーストによる微妙な上下関係、日々の生活や態度、農耕儀礼、寺院の儀礼、誕生から死に至るまでの通過儀礼、自然描写など、まさにその時代に暮らしていたかのような、文章表現、描写力にただただ驚嘆。この数週間、「いにしえのバリ」の世界にひたりました。

登場人物は実に40人を越えます。1906年、サヌール沖に難破した中国人船の積荷略奪の賠償金をめぐり、オランダ政府とバドウン王朝は数回、交渉を行いますが、決裂。王宮のププタン(終末)に至るまでのストーリーが展開されています。華麗なる踊りとガムランの世界あり、闘鶏に賭ける情熱の世界あり、めくるめく恋愛あり、領主に失礼を犯した者に対しての残虐な刑あり・・・ 王国領主、プダンダ(高僧)、ダンサー、彫り物師、農夫とその妻、病人とバリアン(呪術師)、漁師、奴隷、オランダ人官吏、駐在官、華僑などなど、それぞれの立場や心の推移が説得性ある達者な文章で描かれ、まるで壮大なスペクタル映画を観ているようでした。



この本を発表したヴィキイ・バウム(1888〜1960)はオーストリア出身で、後にアメリカに帰化した女性です。グレタ・ガルボ主演で映画化された小説、「グランド・ホテル」の著者だそうです。

バリ島の観光化が始まるのは、1908年、最後まで頑張ったクルンクン王国のププタン(死への戦い、終末)以後のことです。どの王国のププタンもオランダ軍の砲撃によるというよりバリ王国の誇りにかけて、自らをクリス(短剣)で殺めたというものらしいのです。白装束で髪には花を飾り、妻や子供、老親、親類縁者、そして一部の僧侶、一部の農民までもが志願して・・・

オランダはバリ島民の死の行進に対する虐殺行為に対し、世界各国から非難を浴び、それを払拭するためもあり、植民地政策は、王侯、貴族にやらせる間接統治とし、ジャワやバリを観光地として宣伝します。特にバリはジャワでは失われてしまった偉大なるヒンドウー文化があり、それを残す形で、観光化が進められていきます。

バリの楽園イメージの形成に一役買った物にドイツ人医師、グレゴール・クラウゼの写真集「バリ」(1920年)、アメリカ人ヒックマン・パウエルの著作「最後の楽園」(1930年)などがありました。

ドイツ人画家ワルター・シュピースがバリを訪れたのは1926年で、十数年ウブドに住み、そこは欧米の芸術家や人類学者のサロンとなり、情報交換の場になっており、「バリ島物語」のヴィキイ・バウムもそのメンバーとなり、物語の構想を練っていたようです。そして、シュピースとアメリカ人ダンサー、キャサリン・マーションらから膨大な資料や、未完の長編小説を受けとっていたと考えられます。

これが真実なのか、オランダ植民主義者の立場で美化され、正当化されて書かれているものなのか、判然とはしませんが、メキシコの画家、風刺漫画化のミゲル・コバルビアスの「バリ島」と共に、1930年代の欧米人によるバリ観光ブームの渦中に発表された物で、大いに話題になったには違いありません。

今日の平和なバリ島は、祖先の王族達の尊い犠牲のもとに成り立っているわけで、バリ人とはこんなにも忍耐強く、温和で、誇り高い民族なんだと世界に認識させる大きな大きな事件だったのだと改めて、手を合わせ、黙祷してしまった私です。

ププタン(死への戦い)については当ブログの「カテゴリー歴史」、2006年11月22日の「オランダ軍に勇敢に戦った戦士の像」にも載せています。
          

2007/5/9  14:39

番外編(12)道案内の虫? ハンミョウ  分類なし

 
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絶好の行楽日和です。人ごみはどうもということで、高尾の城山病院を横切り、人里離れた山道を散歩していると、とても美しい甲虫に出会いました。ハンミョウです。写真を撮ろうとすると、足元から2〜3メートルほど飛び立って、待っててくれます。近づくと又、先へ飛び立つ繰り返し。まるで道案内をしてくれているよう。

江戸時代には美しい甲虫は、みな、「はむみょう」であったらしく、種類も20種以上あり、中国など大陸から来たものは、薬屋で霊験あらたかな妙薬とされていたらしいです。(山と渓谷社 「野外ハンドブック 甲虫」参照)

今日は5〜6匹見ました。私は初めてで、感動でしたが、しょっちゅうフイールドに出ている夫にとっても、何十年ぶりかの対面で、嬉しいできごとでした。他にはコミスジ(横向きに白い筋が3本ある黒っぽい蝶)がいて、帰り道ではツマキチョウ、ウスバシロチョウ、クロアゲハなどに出会えました。百花繚乱の季節。いい出会いがあると、清清しくて幸せになれます。昆虫は人間と違って、鼻につく自慢や傲慢さ、皮肉、嫌味がないし、意地悪もしない。毒づかないし、自嘲的だったり、媚をうるとかもない。シンプルでいいなと思います。

2007/4/28  21:43

番外編(11)ウスバシロチョウ  分類なし

画像をクリックして、拡大して見て下さい。細部がよくわかります。
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春の短い期間にしか会えない蝶、ウスバシロチョウ。氷河期の生き残りとも言われ、パルナシュウス(寒冷地や山岳地に棲息する一団)の仲間だそうですが、平地にもいます。幼虫の食草、ムラサキケマンも減っていますが、ムラサキケマンがあっても、ウスバシロチョウに会えるところは限られています。八王子の戸吹という所にある野原で、ようやく出会えました。10頭くらいいたでしょうか。飛んでいるとシロチョウ科の蝶のようにも見えますが、これはアゲハチョウ科で止まっているところをよく見ると、本当に淡く、半透明の薄絹をまとったような蝶です。美しく、はかない天女のよう。表は白っぽくて、翅を閉じると、淡いクリーム色。

近くのもう一箇所の野原では昨年、見れたのに今年は全くいなくなっていて、近くのゴルフ場や、バイパス道路工事が影響しているように思えました。緑の回廊がなくなってしまう・・・車は凶器です。乗っていると便利で快適で、何の音も気にならないのに、歩行者になってみると、我慢ならない騒音と振動と排気ガス。繊細な生物の立場になってみると身の危険を感じ、寄り付かなくなってしまうのも当然かと思いました。お花畑も蝶にとっての楽園ではなくなったのかと残念でなりません。


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2007/4/22  22:45

番外編(10)情熱を生む杖  分類なし

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〜情熱は喜びとバイタリティと肉体的なエネルギーを祝福するものであり、想像、創造力と幸せの源です。この魔法の杖は、あなたの情熱を生み出し、情熱を育むためのインスピレーションとなり、運命を決定する際に、驚くほどの力を発揮してくれるでしょう。あなたの人間関係、仕事、夢における情熱に祝福しましょう。貴重な宝石のようにあなたの情熱を育みましょう。あなたの魂の炎は絶えることのない温かな水源のように、輝き続けることでしょう〜

なんだか魔女のようですが、こんな殺し文句に惹かれて、パッションワンドを手に入れて見ようかという気になっています。メデイテイションヨガに使えそう。(写真はパッションワンドではありません。バリで見かけた、とある邸宅の床の模様です。情熱、自由、愛情といったものを感じる印象的なモザイクでした))

    ”野心”、”情熱”

           

2007/4/13  5:17

番外編(9)浅川を散歩  分類なし

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家から歩いて40分ほどで、浅川べりに出ます。多摩御陵、武蔵野御陵近辺の川端を散策しました。陽光を浴び、贅沢な桜見物を楽しめます。川はいろんなドラマを持っていて、太古の時代から生きとし生けるもの、大いにその恩恵を被りながら、共に歩んできました。美しい小鷺(こさぎ)がカラスを追い払って、川辺を注意深く、ゆっくり歩をすすめながら、食べ物を漁っている姿がとても印象的。いたずらカラスを追い払う雄姿にはちょっと感動しました。カルガモペアも仲が良くて、微笑ましい。

昔はもっと水が多くて、人工物もなく豊かだったんだろうなあ。紫ケマンがあちこちに咲いていますが、幼虫がそれを食草とするウスバシロ蝶は、ここでは見れないそうです。今、よく見る蝶は、白シロチョウ科のキチョウ。

犬を散歩させている人と、帽子を目深にかぶり、ひたすらウオーキングにいそしむ人たちの姿がありました。ちょっと暗いかな。万歩計をつけて、自分にノルマを課してる様子。もうちょっと上を見て、周りを見れば? 毎日、見てるから景色はもういいのって感じでした。今の季節、常夏の島のバリ人に見せてあげたい見事な桜の饗宴です。


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2007/4/3  15:04

番外編(8) 春の女神ギフチョウ  分類なし

   
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石砂山(いしざれさん)(神奈川県)までギフチョウに会いに行きました。ここは石老山から北丹沢に至る、東海自然歩道の途中に位置する500メートルちょっとの里山です。ギフチョウは春の使者、春の女神と言われ、蝶の愛好家たちが、その年の活動を始めるに最もふさわしい対象のようです。(永遠の恋人に会いに行くような、そわそわ、ドキドキ感が伝わってくる・・・) 

年に一回しか発生しないので、今の時期のみ、お目にかかれるそうです。画像をクリックするとハガキサイズになりますので、大きくしてご覧下さい。なかなか止まってくれなくて、そーっと近づいても気配でさっと飛び去って行くので、写真を撮るのは至難の業です。これは5メートル離れたところから、夫が望遠レンズで撮影したものを拝借しました。3月末の晴れた日、午前11時頃です。

幼虫の食草であるカンアオイも豊富にあるわけではなく、成虫になった蝶が蜜を吸う、スミレやカタクリ、ショウジョウバカマ、サクラの花も決して満足のいく量ではありません。もう会えないのかなと、なかば諦めて帰ろうかと思った矢先、下の方から私のすぐ横のすみれの花の上を通り、上方へ飛んでいく姿を発見!!! 

広葉樹林とスギ林の接点(接線)を登って行く習性があるそうです。山頂付近は雄と雌の出会いとデート、結婚の場所らしく、カップルも発見。

カンアオイの新葉の裏に10数個の卵をまとめて産み、幼虫は葉を食べながら育ち、40日ほどで蛹になったら、初夏から翌年の春までの長い間、温かい落ち葉の腐葉土(3月でも30度くらいある)で越冬します。とりあえず今年の春は出会えてよかった!! 来年は???

愛好家によるイメージサイト
ギフチョウ


自然ウオッチング


2007/3/2  23:56

バリが舞台のフアンタジー  分類なし

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  白の楽譜(1)

 こっちだよ、こっち〜
ホノカが黄色と黒のコントラストのあざやかなチョウを見るのは、これで3回目でした。まるでホノカをからかうかのように、現れては消え、消えては現れ、追っかけて行くと、いつのまにかいなくなってしまうのです。チョウが消える場所はいつも同じ。石の女神像の後ろです。ホノカが泊まっているヴィラのプールの先には、知恵と献身、瞑想、創造の女神であるサラスワテイ様が、ハスの花の台座の上にそっとたたずんで、ほほ笑んでおられます。後方には、かなり背の高い草木が生いしげっているので、なかなか足を踏み込めないスペースです。

(まあいっか。ここはバリ。不思議なこともあるさ〜)

 熱帯の緑に包まれ、あたり一面、まったりと、ゆるーい空気が流れています。ホノカは黄色と黒のチョウを追いかけるのをやめ、泳ぐのにも疲れたので、ガゼボと言われるあずまやへ行き、寝ころがってみます。四方に柱はあるけれど壁などはなく、かやぶき屋根の二畳ほどの休み場所ですが、読書するによし、昼寝するにもよし。日中の強い太陽の日ざしをうまいぐあいにさえぎってくれ、とても快適でホノカのお気に入りの場所です。ほどなく心地よい眠りへとさそわれていきました。

 こっちだよ、こっち〜

 夢の中で、黄色と黒のあざやかなチョウが呼んでいます。ホノカがついて行くと、石の女神像の後ろに小さな入口があります。つたでおおわれていますが、洞窟のようです。まるでホノカを招きよせるように、周囲の草木がしなって、道を作ってくれるのです。吸い込まれるように洞窟の中へ足を踏み入れ、あたりの様子をうかがいます。うす暗いけれど、腰をかがめながら前にすすんで行くと、遠くに人の声らしきものが聞こえてきます。誰かとしゃべっているというふうではなく、歌を歌っているか、お経を唱えているような感じです。足もとにはちょろちょろと水が流れ、ひんやりしていますが、かまわずどんどん声のする方へ向かって行きました。
 二十メートルくらい歩いたでしょうか。急に視界が開け、トンネルの向こうに民族衣装を身にまとった茶褐色の肌のバリ人らしい男性が、大きな石の上に座っています。ヨガのポーズのように両足を組み、両手の親指とひとさし指は印を結んでいます。目を閉じ、何やら知らない言葉で唱えています。周囲に小さな滝がいくつかあり、白い水しぶきと滝の流れる清らかな音、それに朗々とした低く太いはりのある声が、幻想的な雰囲気をかもし出しています。

 やがてその人は静かに目をあけます。そばにホノカがいるのに、動じた様子はありません。澄んだ目でじっとホノカを見つめ、右手を差し出し、握手を求めました。
「スラマッ、シアン」(こんにちは)
ホノカが、覚えたてのインドネシア語のあいさつをすると、一瞬、驚いたようでしたが、すぐに満面に笑みをたたえ、 
「スラマッ、シアン」(こんにちは)
「アパカバール」(ごきげんいかが)
っと、あいさつを返してくれました。
「バイッ、バイッ、サジャ」(元気です)
「ナマサヤ、ホノカ」(私の名前はホノカです)

 インドネシア語はこれくらいしかできないので、急いで英語にきりかえることにしました。バリでは観光客相手の仕事をしている人たちは、たいてい英語が話せます。
「黄色と黒のチョウを追いかけていたら、ここまで来てしまったの。日本では見ないめずらしいチョウだったから・・・」
「それはバードウイングバタフライと言って、バリ産のチョウですよ。ぼくはデワ・アグン・ジャンベといいます」
「長いお名前ですね。デワさんっていうのはカーストの名前なのかしら。王族の人だったりして・・・」
「よくご存知ですね。今は、バリは王国ではなくなったけど、昔この名前の王様がいたのですよ。傾きかけていた王朝を建て直した人で、みんなに慕われていて人気があった人。ぼくは彼の生まれ変わりだって、おじいさんが言うので、こんな名前がつけられたそうです。ヒンズー教の人は新しい命が誕生すると誰かの生まれ変わり、ってよくいうのです」
愉快そうに話すデワさんは、やや間をおいて、
「バリコピ(バリのコーヒー)を飲んでいってください。すぐ先に住んでいるから」っと、軽やかに歩き出しました。

 (細身で小柄だけれど、手や足はがっしりしてるから、きっと武術かなんかで鍛え上げた人なんだわ。不思議ね。初対面の人なのに、もう何年も知りあいだったように話せるなんて・・・)      つづく



2007/3/1  23:59

バリが舞台のフアンタジー  分類なし

     
 白の楽譜(2)

  デワさんの家では大勢のバリ人が働いていて、事務所や工房らしき建物を通り、二階の広い応接間に通されました。ゆったりしたソフアに白いネコが、気持ちよさそうに眠っています。壁は淡いピンクで、開放的な窓にはガラスの代わりに、すだれがかかっていて、とても落ち着いた、いい感じになっています。

 「ここはソフイの館です。ソフイって知ってますか?」

 「アクセサリーとかドレスのデザイナーでしょ。雑誌では見たことがあるけれど・・・。工房で働いていた人たちは、ソフイーの作品を作っていたのですね。見てみたい・・・。ご迷惑でなければですけど・・・」

 「アハハ。もちろんオッケイだよ。その為に呼んだのだから」

デワさんはそう言って、ちょっとホノカにウインクしたような気がします。

(この人、あんまりバリ人らしくなくて、なんか欧米の人みたい)

  隣りの部屋には息をのむような美しい石の数々が、無造作に置いてあります。ペリドット、アメジスト、ガーネット、オニキス、ターコイズ、オパール、アクアマリン、エメラルド、パール・・・

 原石もあれば、磨かれている物もあり、ソフイはこれらを自在にデザインして、アクセサリーを世に送り出しているのでしょう。うらやましくて、うっとりしてしまいます。美大出身のホノカには、もともと創作願望があり、今の派遣事務の仕事に生涯をかけようという気はあまりなく、生活の為にやむなく勤めている、というのが正直なところです。

「これを見てごらん」
デワさんは一冊の厚いノートを見せてくれました。それは譜面のようですが、何も書かれていません。
「これ楽譜でしょ?でも音符がひとつもないわ」
「そう、白の楽譜です。ここに自由に音符を入れて、君の曲を作ればいい。たくさんたくさん作るんです。きっとソフイになれるよ。」

 デワさんはそう言って又、にっこりウインクしたようでした。

 「トッケー、トッケー、トッケー、ゲッゲッゲッゲッゲ・・・」
にぎやかなトッケイヤモリとカエルの合唱(?)に、眼をさまされます。満天の空には、手をのばせばつかまえられそうな星が、まるで今、見ていた宝石のように息づき、輝いています。

 (夢だったのか)

  色彩が奏でる神秘と詩情、白の楽譜・・・ホノカのハートに長い間、ずーっと眠っていたものが今、揺り起こされて、ドッキドッキと脈打ちはじめているようです。
                                    


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2006/11/22  20:39

オランダ軍に勇敢に戦った戦士の像  歴史

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1597年、第4代ゲルゲル王朝の時代、オランダ艦隊がバリを訪れ、貿易の中継点としてバリへの進出を始めました。オランダ東インド会社は、香料をはじめとする熱帯産品の貿易独占を意図していましたが、たいした特産品のないバリとの交易には、あまり熱意を示さず、バリとの通商は中国、アラブ、オランダの民間商人の手に握られ、米、奴隷、アヘンなどが取引されたようです。(「地球の歩き方」ダイヤモンド社参照)

ゲルゲル王朝は徐々に力を失い、クーデターの後、1686年、デワ・アグン・ジャンベ王が新たにクルンクン王朝を作り、クルンクンに王宮を建て、政治再建を図ります。

しかし17世紀後半〜18世紀には地方の貴族達の勢力が強まり、新たな王国が誕生。やがて9つの小王国へと分裂しました。その間、王国同士の争いもあり、当ブログ、タマンアユン寺院(2006年9月27日)の項目にも書いたとおり、メングウイ王国は西のタバナン王国と東のバドウン王国の連合軍に破れ、領土を分割されてしまいました。

19世紀になると、オランダ軍のバリ侵攻が本格的に進み、小王国は次々と、オランダの手に。1908年、最後まで抵抗しつづけたクルンクン王家も、王国の終焉を告げる命をかけた戦いをし、全滅。ここにバリ島全域はオランダの支配下に入りました。


 バリの首都、デンパサールの中心にあるププタン広場には、オランダの侵攻に対して,勇敢に戦った戦士の像の記念碑があります。従者の肩に担がれた王を先頭に約1,000人の王族や貴族,将軍とその家族そして親類縁者たちが、男女を問わず宝石と勇士の衣服を身にまとい,髪を花で飾り,黄金や宝石で飾り立てたクリス(刀)を腰に差し,自決覚悟で砲火の中をオランダ軍のライフル銃隊に向かって行進し、全員玉砕したといいます。ププタンとは、死への戦い(玉砕)の意味だそうです。


 

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