2008/7/26  11:05

マダガスカル島  旅行

マダガスカル島
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Photo: Courtesy of Mr. Toussaint Raharison
写真:マダガスカル島最大のキツネサル。身長およそ70cmマダガスカル島東部の熱帯雨林にのみ棲息。
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このように国民の生活が極端に圧迫されていたにもかかわらずライニライアリヴォニ総理は民衆にたいして何の対策も採りませんでした。マダガスカルの植民地化を狙っていたフランスにとっては、そのチャンスが近づきつつありました。

ライニライアリヴォニ総理もフランスやその他のヨーロッパ諸国がマダガスカルを占領しようとしている機運は感じ取っていたようです。彼はヨーロッパとの外交関係を次のように進めてゆきました。

マダガスカルの独立を保つためには英仏両国がマダガスカルとの貿易で利益を得られるように、これを保護するのと引き換えに、英仏両国によるマダガスカルの独立の保証を獲得することでした。しかしこの考えはもはや無駄でした。フランスはなんらの交換条件なしにマダガスカルを獲得できる目途がついていました。

マダガスカル全土に広がっていった国家規模の混乱はマダガスカル政府の手に負えなくなりつつあり、逆にフランスはその影響力を強めて行きました。ここでフランスは国内の混乱を収拾するためにマダガスカルに、「フランスの保護領」になることを提言しました。

一方、この提案以前からフランスは自国の海軍基地をディエゴ・スワレスに設けることを認めるように申し入れていました。ライニライアリヴォニ総理は「保護領」の提案に対して強く反発していましたので、フランスの海軍基地に関する交渉も打ち切ってしまいました。

この結果フランスはマダガスカルに対して1888年に戦争を開始しました。首都アンタナナリヴォと西海岸の主要都市マハジャンガ市を空爆したのです。翌年の1884年にマダガスカル最良の港、ディエゴ・スワレスを占領しました。フランスはいよいよ牙をむいてきたのです。

この2年間にわたってフランス軍はマダガスカル全土を進軍してゆきましたが、至るところで激しい抵抗をするライニライアリヴォニ総理の指揮する陸軍との戦いに巻き込まれ、双方はそれぞれ甚大な損害をこうむりました。

最終的には和平条約が結ばれましたが、例によって不平等条約であり、フランス側にとってはきわめて有利な条約でした。

マダガスカルはついに「フランス保護領」という形でフランスの支配に屈することになりました。フランスはマダガスカル島北部のディエゴ・スワレス港に海軍基地を設置し、マダガスカル陸軍はここから撤退しました。これによりフランスから輸送されてくる兵隊や武器弾薬の陸揚げが可能になり、マダガスカルの支配は確固たるものになりました。ブッシュ大統領がイラクに戦争を仕掛けた構図とよく似ていますね。−続く−



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