2008/8/2 10:02
マダガスカル島 旅行
マダガスカル島20080802
マダガスカルとフランスの最後の戦いは次のようにして始まりました。この戦いで負けたマダガスカルはフランスの植民地になってしまったのです。そして1960年までフランスの支配に屈していました。
フランス海軍はマダガスカル島東海岸の最重要海港タマタヴに艦砲射撃を行い、奴隷の輸出で有名なこの港町に海兵隊を上陸させ、占領しました。時に、クリスマスも押し迫った1894年12月12日のことでした。海軍を持っていないマダガスカルはフランス海軍と海戦ができるはずもなく、フランス側は撃ちたい放題ですね。
タマタヴは首都アンタナナリヴォと直結する幹線道路の始発点という、陸上にとっても重要拠点です。僕たちのプロジェクトで使用しました冷凍車2台もこの港で揚陸されました。
プロジェクト基地はタマタヴとまるっきり反対方向にあるマダガスカル島西海岸のマハジャンガ市でしたので、冷凍車を引き取るために、マハジャンガ市からトヨタハイラックスで首都アンタナナリヴォまで行き、中央官庁で輸入許可書を受け取り、ここから更にタマタヴ港までドライヴしました。
このドライヴ・ルートが期せずして、およそ100年前にフランスとマダガスカルが戦ったときの重要な幹線道路でした。マダガスカルの歴史を知った上で、この幹線道路を走りますと感慨もひとしおです。マハジャンガ市から首都アンタナナリヴォまで約600Km、首都アンタナナリヴォからタマタヴまで約340Kmの距離です。冷凍車2台を受け取るためにマハジャンガ市からタマタヴ市までの往復約2000Kmの旅はやはり疲れました。
さて、フランス海軍はタマタヴの占領によりマダガスカル島中央部の高地にあるメリーナ王国への補給路を押さえ、作戦上の利点を確保しましたが、この作戦のほかにもう一つの作戦がありました。タマタヴを占領することにより、マルセーユを出航して、地中海を航海しスエズ運河を通り抜け、紅海を通り抜け、インド洋を南下してくるフランスの主力部隊がタマタヴに上陸するように見せかける陽動作戦でもあったのでした。
マダガスカル側はこの陽動作戦に乗せられ、タマタヴを重視しました。このおかげでフランス軍は簡単に主力部隊を西海岸のマハジャンガに上陸させることができました。陽動作戦によってマダガスカル側を混乱させることなどはフランスにとっては赤子の手をひねるように簡単でした。
むしろマハジャンガから首都アンタナナリヴォに攻め上る約600Kmの行軍のほうが過酷でした。マラリアと赤痢にフランス軍は悩まされました。マダガスカルの戦争指導者はフランス軍がタマタヴに海兵隊を上陸させたので、フランス軍主力は東海岸のタマタヴから攻め上ってくると誤判断しました。
実際は西海岸のマハジャンガにフランス軍主力部隊が上陸したことを認識したのはフランス軍の上陸完了後から数ヶ月を経た後のことで、フランス軍は既に首都アンタナナリヴォに向かって進軍を開始していたのです。
戦争では作戦指導をする上層部の能力が態勢を決してしまいます。僕は、戦場に居る兵士が、敵が感嘆するほど、いくら勇敢に戦っても、作戦指導部が無能では、勝利を手にすることができないことを、マダガスカルとフランスの戦いを見て、今更、身にしみて解ったのです。−続く−
マダガスカルとフランスの最後の戦いは次のようにして始まりました。この戦いで負けたマダガスカルはフランスの植民地になってしまったのです。そして1960年までフランスの支配に屈していました。
フランス海軍はマダガスカル島東海岸の最重要海港タマタヴに艦砲射撃を行い、奴隷の輸出で有名なこの港町に海兵隊を上陸させ、占領しました。時に、クリスマスも押し迫った1894年12月12日のことでした。海軍を持っていないマダガスカルはフランス海軍と海戦ができるはずもなく、フランス側は撃ちたい放題ですね。
タマタヴは首都アンタナナリヴォと直結する幹線道路の始発点という、陸上にとっても重要拠点です。僕たちのプロジェクトで使用しました冷凍車2台もこの港で揚陸されました。
プロジェクト基地はタマタヴとまるっきり反対方向にあるマダガスカル島西海岸のマハジャンガ市でしたので、冷凍車を引き取るために、マハジャンガ市からトヨタハイラックスで首都アンタナナリヴォまで行き、中央官庁で輸入許可書を受け取り、ここから更にタマタヴ港までドライヴしました。
このドライヴ・ルートが期せずして、およそ100年前にフランスとマダガスカルが戦ったときの重要な幹線道路でした。マダガスカルの歴史を知った上で、この幹線道路を走りますと感慨もひとしおです。マハジャンガ市から首都アンタナナリヴォまで約600Km、首都アンタナナリヴォからタマタヴまで約340Kmの距離です。冷凍車2台を受け取るためにマハジャンガ市からタマタヴ市までの往復約2000Kmの旅はやはり疲れました。
さて、フランス海軍はタマタヴの占領によりマダガスカル島中央部の高地にあるメリーナ王国への補給路を押さえ、作戦上の利点を確保しましたが、この作戦のほかにもう一つの作戦がありました。タマタヴを占領することにより、マルセーユを出航して、地中海を航海しスエズ運河を通り抜け、紅海を通り抜け、インド洋を南下してくるフランスの主力部隊がタマタヴに上陸するように見せかける陽動作戦でもあったのでした。
マダガスカル側はこの陽動作戦に乗せられ、タマタヴを重視しました。このおかげでフランス軍は簡単に主力部隊を西海岸のマハジャンガに上陸させることができました。陽動作戦によってマダガスカル側を混乱させることなどはフランスにとっては赤子の手をひねるように簡単でした。
むしろマハジャンガから首都アンタナナリヴォに攻め上る約600Kmの行軍のほうが過酷でした。マラリアと赤痢にフランス軍は悩まされました。マダガスカルの戦争指導者はフランス軍がタマタヴに海兵隊を上陸させたので、フランス軍主力は東海岸のタマタヴから攻め上ってくると誤判断しました。
実際は西海岸のマハジャンガにフランス軍主力部隊が上陸したことを認識したのはフランス軍の上陸完了後から数ヶ月を経た後のことで、フランス軍は既に首都アンタナナリヴォに向かって進軍を開始していたのです。
戦争では作戦指導をする上層部の能力が態勢を決してしまいます。僕は、戦場に居る兵士が、敵が感嘆するほど、いくら勇敢に戦っても、作戦指導部が無能では、勝利を手にすることができないことを、マダガスカルとフランスの戦いを見て、今更、身にしみて解ったのです。−続く−



