2006/1/4 8:42
ハヴァ・ナイス・デイ 分類なし
写真:幼少の森小弁(左から二番目、ちょんまげに羽織袴を着ている):高知新聞社より借用。写真をクリックすると大きくなります。
写真の一番右は森小弁の父、可造(よしぞう)であり、中央に座っている色白の女性は言うまでもなく母の加奈(かな)である。当時としては珍しく女性の加奈が誇らしげに中央に座り男性の可造は右端にかしこまって、控えめに座っている。侍、可造はフェミニストなのか、はたまた嬶天下の家庭なのか定かでないが、この写真がとてもほほえましく見えるのは、浦島だけであろうか。
以下は、高知新聞社が発行した「夢は赤道に:南洋に雄飛した土佐の男の物語」の一部を要約したものである。この本はインターネットでの購入が可能。価格:¥2000+税+送料。高知新聞企業出版部:
URL:www.kochi-sk.co.jp/book E-mail:book@kochi-sk.co.jp
森小弁は一八六九年(明治二年)十月十五日、土佐郡北新町三丁目十九番地(高知市桜井町)で生まれた。父可造、母加奈。十人兄弟の二男であった。小弁の祖父保助が一八三八年、土佐藩に提出した「先祖書指出」や「南路志」によれば、森家の先祖は戦国末期の豊前小倉城主、森壹岐守勝信にさかのぼる。豊臣方に付き、毛利家九州攻めの際、前線基地の小倉城に依拠した。関が原の戦いで西軍が破れ勝信と息子勝長は一時加藤清正に預けられた。然し土佐藩主、山内一豊の招きで高知城下の久万に住むようになった。かつて一豊の妻が大阪で勝信父子に世話になった返礼の意味が有ったといわれている。(「塞翁が馬」ではないが、日ごろの善行の功徳が回り回ってどういう形で帰ってくるか、一つの見本であろう:浦島)。 -続く-
2008/5/10 17:22
投稿者:barao




思いもよらない写真でビックリです。
また写真の読み解きも素晴らしい。
4人の子供がいると母は強いのですね。