2006/1/5 8:28
ハヴァ・ナイス・デイ 分類なし
写真:森小弁の父、可造(よしぞう)。「高知新聞社」から借用。子供の躾は厳しかったといわれている。額が広いが多分、剣道の「面ずれ」によると思われる。写真をクリックすると大きくなります。
以下は、高知新聞社が発行した「夢は赤道に:南洋に雄飛した土佐の男の物語」の一部を要約したものである。この本はインターネットでの購入が可能。価格:¥2000+税+送料。高知新聞企業出版部:
URL:www.kochi-sk.co.jp/book E-mail:book@kochi-sk.co.jp
勝信の病死後、勝長に豊臣秀頼の密使が現れ徳川方との戦に備え大阪城に来るように要請された。勝長は大阪冬の陣に参戦し、夏の陣で戦死した。この理由で子孫は罪人扱いとなり長男は紀伊国、二男は土佐藩東部の奈半利に追放された。勝長の次男の子息、吉十郎は田野地区の開墾の功績で郷士になった。郷士の森家に変化をもたらしたのは明治維新の戊辰の役であった。保助の長男は鳥羽伏見の戦いから日光・今市の戦いまで参戦し、従軍中の負傷がもとで死亡した。この武勲により保助は上士に格上げされ、三男可造は横目付けに取り立てられた。版籍奉還でこれらの格式は消滅した。しかし可造が新政府の裁判所に奉職できたのは旧武士階級に属していた経歴の故といわれている。
森家は誉れ高き小倉城主、そして没落、大阪夏の陣、冬の陣、郷士、鳥羽伏見の戦いと乱世を生き抜いたが、これが家風の一部を醸成し、南洋に雄飛する小弁が育ったと思われる。 -続く-




* ゚ー゚)オジャマデス
色んなトコ見てたら飛んできました( ^▽^)
ブログ読ませてもらったので
記念“〆(^∇゜*)カキコ♪残していきま〜す♪
良かったら私のブログも
遊びに来てね(*´▽`)人
来てくれたらお茶でも ( ^-^)o旦~~ どぞ ♪ します(笑)
また遊びに来ますね♪