2008/5/8 13:08
マダガスカル島 旅行
マダガスカル島
クイーン・ラナヴァローナ一世の統治期間中は英仏人を中心にヨーロッパ人が冷遇されましたが、ただ一人のフランス人がクイーンによって厚待遇を受けていました。このような事例を見ますと、周囲の環境が非常に厳しく、自分にとって不利な状況でも、やり方によっては十分に生きてゆくことが可能であることを示しています。
このフランス人は非常に優秀な技術者でした。当時のマダガスカル島には彼だけではなく優秀なヨーロッパの技術者はたくさんいましたが、彼の違う点は彼が技術を惜しみなく大勢のマダガスカル人に教えていたことです。彼だけは追放されずに女王から1857年まで重宝(ちょうほう)がられました。彼の名はJean Laborde。
発展途上国では外国人技術者は外国人商人よりも尊敬されますが、上記の例でも解りますように、その技術を現地人に教えてゆくことが、現地人から尊敬される上でとても重要です。開発途上国で一旗上げたい方はこのことを肝に銘じておくことを心からおすすめします。「手に職を持って途上国に乗り込んでゆく」ということです。
1869年にクイーン・ラナヴァローナ一世が亡くなってから宣教師たちや追放されたヨーロッパ人たちは再びマダガスカル島に戻ってきました。彼らは広大なマダガスカル島と、それにひきかえ原住民の人口が少ないなどから、将来この島を占領することにより莫大な利益を得られると信じていました。すでにこの島の南の端では宝石類が産出され、フランスに届けられていました。
クイーン・ラナヴァローナ一世が亡くなった後は、ぶり返しもあって、ヨーロッパの影響は以前にもまして強くなり、メリーナ王国はついにキリスト教を国教に定めました。
この女王の跡を継いだのはキング・ラマダ二世 (King RamadaU)でした。彼は平和を愛しヨーロッパに好意的でした。しかし彼は在位二年で暗殺されました。僕の想像ですが、たぶん当時の首相によるものと思います。キング・ラマダ二世の死後、キング・ラマダ二世の後を継いだのはクイーン・ラソヘリーナ(Queen Rasoherina)でしたが、この首相はクイーン・ラソヘリーナと結婚し、実権を握っていました。クイーン・ラソヘリーナはただの飾りに過ぎませんでした。彼女は名門の出自(しゅつじ)だったのでしょうね。
当時のマダガスカル貴族たちの権力争いはすさまじく、この首相もライニライアリヴォニーという名前の兄弟によってその地位を追われました。ライニライアリヴォニーはクイーン・ラソヘリーナの三姉妹と結婚しました。一度に三人の妻を持ったのかどうか僕には定かではありませんが記録にはそのように書いています。その昔アラビア人の勢力もありましたので、イスラム教の影響もあり三人の妻を持ってもよかったかもしれませんが、これは僕のいい加減な推測です。しかしマダガスカル島でも日本と同じような権力闘争があり、メリーナ族という貴族が存在し、そしてヨーロッパの影響を受けて国が混乱したりしたのですね。−続く−
クイーン・ラナヴァローナ一世の統治期間中は英仏人を中心にヨーロッパ人が冷遇されましたが、ただ一人のフランス人がクイーンによって厚待遇を受けていました。このような事例を見ますと、周囲の環境が非常に厳しく、自分にとって不利な状況でも、やり方によっては十分に生きてゆくことが可能であることを示しています。
このフランス人は非常に優秀な技術者でした。当時のマダガスカル島には彼だけではなく優秀なヨーロッパの技術者はたくさんいましたが、彼の違う点は彼が技術を惜しみなく大勢のマダガスカル人に教えていたことです。彼だけは追放されずに女王から1857年まで重宝(ちょうほう)がられました。彼の名はJean Laborde。
発展途上国では外国人技術者は外国人商人よりも尊敬されますが、上記の例でも解りますように、その技術を現地人に教えてゆくことが、現地人から尊敬される上でとても重要です。開発途上国で一旗上げたい方はこのことを肝に銘じておくことを心からおすすめします。「手に職を持って途上国に乗り込んでゆく」ということです。
1869年にクイーン・ラナヴァローナ一世が亡くなってから宣教師たちや追放されたヨーロッパ人たちは再びマダガスカル島に戻ってきました。彼らは広大なマダガスカル島と、それにひきかえ原住民の人口が少ないなどから、将来この島を占領することにより莫大な利益を得られると信じていました。すでにこの島の南の端では宝石類が産出され、フランスに届けられていました。
クイーン・ラナヴァローナ一世が亡くなった後は、ぶり返しもあって、ヨーロッパの影響は以前にもまして強くなり、メリーナ王国はついにキリスト教を国教に定めました。
この女王の跡を継いだのはキング・ラマダ二世 (King RamadaU)でした。彼は平和を愛しヨーロッパに好意的でした。しかし彼は在位二年で暗殺されました。僕の想像ですが、たぶん当時の首相によるものと思います。キング・ラマダ二世の死後、キング・ラマダ二世の後を継いだのはクイーン・ラソヘリーナ(Queen Rasoherina)でしたが、この首相はクイーン・ラソヘリーナと結婚し、実権を握っていました。クイーン・ラソヘリーナはただの飾りに過ぎませんでした。彼女は名門の出自(しゅつじ)だったのでしょうね。
当時のマダガスカル貴族たちの権力争いはすさまじく、この首相もライニライアリヴォニーという名前の兄弟によってその地位を追われました。ライニライアリヴォニーはクイーン・ラソヘリーナの三姉妹と結婚しました。一度に三人の妻を持ったのかどうか僕には定かではありませんが記録にはそのように書いています。その昔アラビア人の勢力もありましたので、イスラム教の影響もあり三人の妻を持ってもよかったかもしれませんが、これは僕のいい加減な推測です。しかしマダガスカル島でも日本と同じような権力闘争があり、メリーナ族という貴族が存在し、そしてヨーロッパの影響を受けて国が混乱したりしたのですね。−続く−



