2008/5/10 0:00
マダガスカル島 旅行
マダガスカル島
1863年〜1896年の間にマダガスカル島の君主はクイーン・ラソヘリナ(Rasiherina),
クイーン・ラナヴァローナ(Ranavalona)、そしてマダガスカル島最後の女王、クイーン・ラナヴァローナ三世 (RanavalonaV) と受け継がれてゆきました。ラナヴァローナ三世 (RanavalonaV)を最後にマダガスカル島の最高権力者は外国人になってしまったのですね。
マダガスカル島が英国の勢力下にあった時期、フランスはマダガスカル島を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていました。そしてある日、満を持してマダガスカル島の主要な港湾を占領しました。そしてフランスーマダガスカル戦争は30ヶ月も続きました。
ライニライアリヴォニー首相は英国の支援を求めましたが英国は拒否しました。これは「英国の裏切り」としてマダガスカル人の心に深く刻み込まれました。これ以降、英国がマダガスカル島で影響力を振るうことはなくなりました。時に、1896年でした。
僕の記憶が定かではありませんが、マダガスカル島の対岸に現在のタンザニア国の領土と思いますが、ザンジバルという島があり、かつてはアラブ人を中心とする海上貿易で栄えた島でした。ここがフランス領であったのですが、英国はこの島を戦略上重要だと判断して、フランスと交渉した結果、英国はマダガスカル島から手を引きフランスに渡す代わりに、フランスはザンジバルを英国に引き渡しました。
英国がザンジバル島を重視したのは、この島に英国陸軍を上陸させれば、すぐそばのアフリカ大陸に英国陸軍を上陸させ、サハラ砂漠に進軍できるからだったと思います。なぜサハラ砂漠に英国陸軍を進軍させる必要があったかといいますと、遅れてやってきた新参の植民地主義者ドイツに対抗するためだったと思っていますが、上述のとおり僕の記憶が少しばかりあやふやなので断言できません。そのうち資料を見つけ出して報告します。ただ一つ、英国とフランスがマダガスカル島とザンジバル島を交換したのは事実です。
マダガスカル島メリーナ王国最後の女王ラナヴァローナ三世はアフリカの仏領アルジェリアに追放されました。女王はそこでさびしく生涯を閉じました。しかしマダガスカル側の強い要望で彼女の遺体は数年後にマダガスカル島に帰還し盛大な葬儀が行われました。
クイーン・ラナヴァローナ三世はマダガスカル人に絶大な人気があり、フランス人植民地総督の邪魔になったのです。これが彼女をアルジェリアに追放した原因です。マダガスカル島におけるフランスの最初の植民地総督はJoseph Simon という名前の男でした。彼はメリーナ貴族を一掃し、英国の勢力を排除し、英語の代わりにフランス語を公用語にしました。そして現在もフランス語はマダガスカル語と並んでこのマダガスカルの公用語となっています。
自由、平等、博愛を国のスローガンとして掲げ、伝統あるカトリックの国フランスもひとたび国外に出れば実にあくどいことをしてきました。英国も米国も同じです。 −続く−
1863年〜1896年の間にマダガスカル島の君主はクイーン・ラソヘリナ(Rasiherina),
クイーン・ラナヴァローナ(Ranavalona)、そしてマダガスカル島最後の女王、クイーン・ラナヴァローナ三世 (RanavalonaV) と受け継がれてゆきました。ラナヴァローナ三世 (RanavalonaV)を最後にマダガスカル島の最高権力者は外国人になってしまったのですね。
マダガスカル島が英国の勢力下にあった時期、フランスはマダガスカル島を虎視眈々(こしたんたん)と狙っていました。そしてある日、満を持してマダガスカル島の主要な港湾を占領しました。そしてフランスーマダガスカル戦争は30ヶ月も続きました。
ライニライアリヴォニー首相は英国の支援を求めましたが英国は拒否しました。これは「英国の裏切り」としてマダガスカル人の心に深く刻み込まれました。これ以降、英国がマダガスカル島で影響力を振るうことはなくなりました。時に、1896年でした。
僕の記憶が定かではありませんが、マダガスカル島の対岸に現在のタンザニア国の領土と思いますが、ザンジバルという島があり、かつてはアラブ人を中心とする海上貿易で栄えた島でした。ここがフランス領であったのですが、英国はこの島を戦略上重要だと判断して、フランスと交渉した結果、英国はマダガスカル島から手を引きフランスに渡す代わりに、フランスはザンジバルを英国に引き渡しました。
英国がザンジバル島を重視したのは、この島に英国陸軍を上陸させれば、すぐそばのアフリカ大陸に英国陸軍を上陸させ、サハラ砂漠に進軍できるからだったと思います。なぜサハラ砂漠に英国陸軍を進軍させる必要があったかといいますと、遅れてやってきた新参の植民地主義者ドイツに対抗するためだったと思っていますが、上述のとおり僕の記憶が少しばかりあやふやなので断言できません。そのうち資料を見つけ出して報告します。ただ一つ、英国とフランスがマダガスカル島とザンジバル島を交換したのは事実です。
マダガスカル島メリーナ王国最後の女王ラナヴァローナ三世はアフリカの仏領アルジェリアに追放されました。女王はそこでさびしく生涯を閉じました。しかしマダガスカル側の強い要望で彼女の遺体は数年後にマダガスカル島に帰還し盛大な葬儀が行われました。
クイーン・ラナヴァローナ三世はマダガスカル人に絶大な人気があり、フランス人植民地総督の邪魔になったのです。これが彼女をアルジェリアに追放した原因です。マダガスカル島におけるフランスの最初の植民地総督はJoseph Simon という名前の男でした。彼はメリーナ貴族を一掃し、英国の勢力を排除し、英語の代わりにフランス語を公用語にしました。そして現在もフランス語はマダガスカル語と並んでこのマダガスカルの公用語となっています。
自由、平等、博愛を国のスローガンとして掲げ、伝統あるカトリックの国フランスもひとたび国外に出れば実にあくどいことをしてきました。英国も米国も同じです。 −続く−



