2008/5/17 0:19
マダガスカル島 旅行
マダガスカル島
Photo: Courtesy of Mr. Toussaint Raharison
写真:マダガスカル島のAntambahoaka族の首長。彼は割礼の儀式に集まった人々に歓迎の言葉を述べているところです。僕はボルネオ島に行ったことがありますが、そこの男性の顔によく似ています。写真は以下の投稿文と直接の関係はありません。
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Austronesian(オーストロネジアン)と同時か次くらいにマダガスカル島にやってきたのはアラブ人です。Austronesian(オーストロネジアン)と同様にアラブ人もアフリカ東岸、ザンジバル島、コモロ諸島などに移住して数百年ほど定住していました。10世紀ころ彼らはマダガスカル島の北部に移住してきました。ここにはずいぶん前にお話しました、ディエゴ・スワレス湾があり、奥が深いこの湾は嵐に対してとても安全な場所です。日本帝国海軍の特殊潜航艇がこの湾に停泊中の英国太平洋艦隊を攻撃した湾でもあります。
彼らはザクロの木、シュロの木などをマダガスカル島に持ち込んだようですが、彼らの主たる事業はアフリカから奴隷をマダガスカル島に運び込み売りさばくことでした。アフリカ人を奴隷として売買する奴隷貿易は英国人が同じようにアフリカ原住民を捕まえてアメリカに輸出する以前から、このような奴隷の売買事業はアラブ人によってすでに行われていたことになります。その時から現在に至るまで、アフリカの苦悩は察するに余りあります。マダガスカル島におけるアラブ人の勢力はAustronesian(オーストロネジアン)よりは低かったと思われます。アラブ人はいわゆる少数派のようです。首都アンタナナリヴォに行きましてもアラブ人にはめったに会えません。 −続く−
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